忠誠か復讐か――滅びの貴族令嬢、王子の剣となる

案山子十六号

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狂嵐襲来編

待ち伏せ

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 昼下がりの森は、まるで息をひそめるかのように静まり返っていた。
 厚い雲が太陽を覆い、降りしきる雨が地面を叩き続ける。
 土はぬかるみ、踏み込むたびに靴底へと絡みついた泥が足を重くする。

 その悪条件の中、アレクシスは傭兵団とともに必死に駆け抜けていた。

 雨が頬を打つ。
 冷たい空気が、火照った肌にまとわりつく。
 だが、振り返る余裕などない。

 (……サーディス)

 心の中で、その名を呼ぶ。
 すぐ後方で戦っているはずの彼女の姿は見えない。

 今、この瞬間にも命を懸けて"道を切り開いている"のだろう。
 それを思えば、歩みを止めることなど許されなかった。

 雨の中、彼らは山道を駆け抜ける。
 水を吸った土がぬかるみ、足を取られそうになるたび、必死に体勢を立て直す。
 呼吸は乱れ、胸が焼けるように苦しい。

 しかし、次の瞬間――

 森を抜けた途端、王子の視界が大きく開けた。

 目の前に広がっていたのは、鋼の壁だった。

 雨に濡れた金属の光が、視界を覆う。
 鋭く突き出された長槍の列。
 その背後に整然と並ぶ、鎧に身を包んだ騎士たち。
 そして、さらにその後方には、すでに弓を番えた弓兵たちが待ち構えている。

 完璧な陣形だった。

 「……誘い込まれたか」

 王子の喉奥から、苦い呟きが漏れる。

 逃げ場はなかった。
 傭兵たちも即座に状況を察し、各々が武器を構える。
 だが、これほどまでに整った陣形を相手に、正面から突破することは不可能だった。

 槍兵たちは前列を固め、彼らの間隙から騎士たちが抜刀している。
 そして、その中央――

 黒いマントを羽織った一人の男が、馬上から冷ややかにこちらを見下ろしていた。

 国境砦の騎士団長、カイル。

 その鋭い視線は、まるで獲物を品定めする狩人のようだった。

 雨が彼の鎧を濡らし、赤いマントが重たげに肩に張りついている。
 その威厳ある立ち姿から、一瞬たりとも隙を見出せない。

 王子は唇を噛みしめながら、目を細めた。

 (まさか……いや、そんなはずは……)

 この場所にこれほどの兵が待ち構えている。
 それが単なる偶然などではないことは明らかだった。

 ――これは、罠だ。

 騎士団は"この道を通る"ことを事前に知っていた。
 だからこそ、これほどまでに完璧な陣形を築けたのだ。

 「……あんたらの情報網、ずいぶんと優秀じゃねぇか」

 ゲオルグが低く呟き、皮肉げに笑う。

 王子もまた、理解せざるを得なかった。
 "敵はすでに手を回していた"のだと。

 彼らは最初から――

 王子をここへと誘い込むために、山の道を"開けていた"のだ。
 この撤退路自体が、最も危険な道だったのだ。
 背後にはサーディスがいる。
 だが、彼女がどれほどの時間を稼いだとしても、ここで完全に包囲されてしまえば、もはや何の意味もない。

 王子の目が鋭く細められる。
 濡れた前髪が額に張り付き、冷たい雨が頬を伝う。

 (この状況……突破するしかない)

 アレクシスは周囲を見渡す。
 崖を背に、前方には数十の騎士たち。
 そして、最前列に立つ騎士団長カイルが、ゆっくりと手を上げる。

 「王子殿下、逃げ場はない」

 その声は、まるで戦いの終わりを告げるかのように、静かに響いた――。
 。

 雨音が、騎士たちの足元を濡らす。
 アレクシスは静かに剣を構え、敵の動きを見極めた。
 幸いにも、国境砦の騎士団の数はそれほど多くない。
 彼らは精鋭であることは疑いようもないが、こちらもただの逃げる獲物ではない。

 そんな中、ゲオルグがゆっくりと前へと歩み出る。
 彼の槍が雨を弾きながら、鈍く光った。

 「お前ら、正念場だぞ。気合い入れろよ」

 その言葉に、傭兵団の者たちが各々武器を構える。
 緊張感が漂い、戦場は静かに熱を帯び始めた。

 しかし、その空気をより張り詰めたものへと変えたのは――

 カイルだった。

 国境砦の騎士団長、カイル。
 彼は馬を降りると、ゆっくりと前へ進み出る。
 一歩一歩、雨を踏みしめながら、その足取りには迷いがなかった。

 「……あなたは……」

 低く、鋭い声。

 その言葉が発せられた瞬間、周囲の空気が一変する。
 カイルは冷たい視線をゲオルグへと向けると、その名を告げた。

 「十年前、クレストを脱退した男がこんなところにいるとは……!!」

 ――クレスト。

 その名が放たれた瞬間、周囲の騎士と傭兵たちが一斉にざわめいた。

 「クレストだと……?」
 「まさか、あの団長が……?」

 王国最強の精鋭騎士団、クレスト。
 王直属の彼らは、戦場において無敵の存在とされ、国の最も重要な戦いを任される"王国の剣"だった。
 そして、その一員であった男が――"今"、王子の逃亡を助けている。

 騎士団長カイルは、動揺を見せることなく、じっとゲオルグを見据えた。

 「……元とはいえ、クレストの槍が、こんなところで王子の逃亡を助けるとはな」

 ゲオルグは、その言葉を聞いて微かに笑った。
 それは、自嘲ともとれる笑みだった。

 「ずいぶん懐かしい話をするじゃないか。だが今の俺は、"クレスト"じゃねぇよ」

 彼は槍を握り直し、改めて騎士団長を睨む。

 「今の俺は、ただの傭兵――ゲオルグだ」

 静かに槍を構えるゲオルグ。
 槍の柄を握り直し、じっと騎士団長を見据える。
 その片腕――かつて何かを失った痕跡を持つ腕が、雨に濡れながら動く。
 雨が土を打ち、地面を泥へと変えていく。
 戦場の静寂が破られる直前の、わずか数秒間の沈黙――。
 その中で、カイルとゲオルグは向き合っていた。

 「片腕で私とやりあうつもりか?」

 騎士団長カイルの声が冷たく響く。
 その声には、侮蔑にも似た嘲りが混じっていた。

 しかし――

 ゲオルグは、鼻で笑うように軽く肩をすくめた。

 「腕が何本あろうが、仕事に関係ない」

 その言葉が、雨とともに静かに戦場へと溶けていく。

 ――雷鳴が轟いた。

 カイルの目がわずかに細められる。
 その唇の端が、微かに歪んだ。

 「……ほう。ならば証明してもらおう」

 次の瞬間――周囲の騎士たちが、一斉に動いた。


 長槍が雨の中を閃く。
 鎧の隙間を狙うように、騎士たちが編隊を組み、ゲオルグへと襲い掛かった。
 彼らは国境砦の精鋭。決して、ただの兵士ではない。

 だが――

 "速い"。

 ゲオルグは、まるで嵐の中の枝葉のように"しなやかに"動いた。

 シュン――!

 雷光のごとき踏み込み。
 長槍を構えた騎士たちの攻撃を、紙一重でかわし――

 ――ズバンッ!!

 一閃。槍の柄で敵の足を払う。
 次の瞬間、倒れた騎士の喉元に槍の切っ先を突きつける。

 「悪いな、こっちは慣れてるんでな」

 倒れ込んだ騎士が息を呑む。

 カイルが冷静に戦況を見つめる中、ゲオルグは体勢を崩さぬまま、雨を弾くように槍を翻した。

 「次は……お前か?」

 そう言いながら、槍の柄を握り直す。

 それを合図に、残りの騎士たちが一斉に襲いかかった。
 ゲオルグの槍は、まるで生き物のようだった。

 一瞬のうちに、三人の騎士が攻め込む。
 その槍が雨粒を切り裂き、刃が銀色の軌跡を描く。

 「オラァ!!!」

 ゲオルグは低く踏み込み、一瞬で距離を詰める。
 左肩を軸に回転しながら、片腕だけで槍を振りぬく!

 ――ズバァァァンッ!!

 "神速の三連突き"。

 一撃目――敵の槍を払い、バランスを崩させる。
 二撃目――返す槍で相手の胴を狙うが、鎧に弾かれる。
 三撃目――即座に柄の部分で、相手の顎を跳ね上げる!!

 「ぐっ……!!」

 騎士が呻き、よろめく。

 「……ほう」

 カイルが冷たく見つめる。
 その目には、"かつてのクレスト"の片鱗を見出していた。

 たった片腕で――これほどの槍捌きを?

 ゲオルグは雨に濡れながら、不敵に笑う。

 「どうした、王国の剣。騎士団の精鋭はこんなもんか?」

 挑発するような言葉。
 しかし、カイルは微動だにしない。

 「……なるほど」

 彼は、剣を抜いた。

 雨に濡れた鋼が鈍く光る。

 「"元"クレストの槍がどこまでやれるか、見せてもらおう」

 騎士団の隊列がじわじわと広がり、戦場が整えられる。

 カイルとゲオルグ。

 "王国の剣"と"片腕の槍"が、真正面から対峙する。

 ――戦場に、嵐が吹き荒れようとしていた。



 <あとがき>
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