七補士鶴姫は挟間を縫う

銀月

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第五話⑤・ほっとけないでしょう

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叔母は逆夢に自室に案内してくれた。
叔母がノックをすると、逆夢は何かを言うわけではなく大きめの鈴をリンリンと二回鳴らした。
「入っていいみたい。元々七補士さんが来るなら…って言ってたけどね」
叔母の反応は、思春期の子供を見守る人、というような雰囲気だった。
暴行事件だったのだから、恐怖だとか腫れ物扱いを…と予想していたが、どうもそういうことはなさそうだ。
叔母は先に逆夢の部屋を開け、「ゆっくりしてって」とすぐに居間に戻っていった。

一年の間に、逆夢は随分変わっていた。

七補士よりやや低かった身長は急激に伸び、180㎝近くある。
天パはひどく伸び、整えることもしていないのか収拾のつかない髪型になっており、あごには無精ひげが目立つ。

―――そして、印象的だった彼の瞳の輝きはすっかり失われ、その目にはもはや光は欠片も残らず失望の具現といっていいものになって悪い意味で印象的な眼になっていた。
目の下には広く隅ができており、目つきも悪い。
ダルダルに着まわされた灰色のスウェット上下をだらしなく着て、口には煙草を咥えていた。机の上には簡素なアルミの灰皿…昔よく無料配布されていたものの中には、吸い殻が大量に入っていた。

部屋の中は整然としている部分と煩雑な部分が半々だった。
昔に買ったと思われる本は丁重に左右の壁を埋め尽くす本棚にしまわれ埃も被っていないが、床には数式や言葉を書きなぐった紙屑が散乱し、足元のゴミ箱にはこれでもかというくらいに半ばやけくそにぎゅうぎゅうに押し込まれた紙が詰め込まれている。
だが、紙ゴミがあるだけで埃っぽさはない。
おそらく掃除はしているものの、七補士が来る少し前にこの状態になったのだろう。

「…」
逆夢はドア側の七補士の方を向いていたが、言葉をうまく紡げないのかバツが悪そうに視線を露骨に逸らし、煙草の煙で一つ輪っかを作って浮かべた。

「…何しに、こんな一年も通い続けたんだ」
耳の後ろをガリガリと掻いて、やっと言葉を見つけたのか声変わりしたガサガサの低い声で逆夢は問いかけた。
「あんなことをしても、すぐお前が来るなんて思わなかった。突っぱねてもここまで毎日来るなんて思ってもいなかった。そんなお前に、俺は逃げ続けたんだ。なのに七補士、お前は諦めなかった。…なんでだよ」
いっそのこと見捨ててくれた方が諦めがついた、と逆夢は心境を吐露した。

「見捨てられるわけ、ないでしょう。ほっとくなんて、出来るわけないでしょう」
七補士は静かに、だがハッキリと告げた。
「あの日のことは、彼らがあのままならいずれどこかで起きることだった。私たち、じゃなくてもね。暴力になったのは褒められる行為じゃなかったし、認められる行為でもない。でもあの時、貴方は私の『代わりに』怒ってくれた。だから、私は止めるべきなのに止める行動を選ばなかった。…ごめんなさい」

それに、と七補士は付け足す。
「正直貴方のいない学校は、思ってたよりつまらなかった。いや、呆れを通り越したに近いかも。だってあの人たち、怪我が治ったらまた同じことを繰り返しているんだもん。貴方が居なくなったら、別の人に変えるだけの人種だったの」
「ふうん。ま、俺にはもう関係がない話か…。学習しない馬鹿に付ける薬はないって本当なんだな」
咥えていた煙草をギリギリまで吸い、灰皿に押し付けて火を消す。
七補士が嘘を言っていないのが分かる。彼女は無責任な発言などしないのは、逆夢が一番分かっている。
彼女が本気で自分を見捨てていないことを知って内心は嬉しいと思ったが、それを素直に表現できる性格でもなくなっていた。

「私たち、そろそろ進路決めだけど…貴方はどうするの?」
「進路、か。テスト一本で合否が決まる本馬ほんま高校にしようと思ってる。あの学校の連中はまず選ばないところだし、ここから離れてるから。七補士はどこにした?」

「…私も、本馬高校」
「え?」
「私も、この周辺で行きたい高校なかったし。ここから通える範囲で遠いところ探してたの。貴方が言った通り、本馬高校は実力重視だしね」

完全に偶然の話ではあったのだが、逆夢は以前のようにアワつかずにじっと七補士を見つめた。
「本気かよ?責任感じてくっついてくるわけじゃないよな?」
「本気。というより、私もびっくりしてる。志望校が被るなんてね」

逆夢の志望校など、退学している以上知ることもできない。
七補士側から謀ったことではない。

「こんなこともあるんだな」
特にクスリともせず、逆夢はまた煙草を一本咥えた。

「受験突破して、また入学式で会いましょう。…楽しみにしてる」
「…おう」

逆夢はのっそりと玄関外まで一緒に付いてきてくれた。
「…またな」
言葉少なではあるが、部屋に最初に通された時よりは血色が良くなって少し機嫌がいいように見える。
「じゃあね」
七補士は曲がり角に入って逆夢の家が見えなくなる前に、一度振り返ってみた。
ムスッとはしているが、まだ逆夢が玄関前に立って、遠くなっていく七補士をぼんやりとみているようだった。
そして曲がり角に消えていく七補士に見えないように、小さく手を上に掲げるのだった。

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