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四章 大河に告げる夏の小嵐

30.飴色の酒の味

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「……って、こんな出入り口で、立ち話は良くないな。何か奢ってやるから、こっち来いよ」
「えっ、冥界だから飲めないですよ」

 何気なく言われた為、ゼネスは慌てる。

「まぁ、そこはシャルシュリアが気を利かせて……」
「原材料ならびに製造が地上でなければ、認めない」

 きっぱりと言ったシャルシュリアに、エーデは不敵な笑みを浮かべる。

「おっ? 地上の酒なら良いんだな?」

 エーデは広い袖の中へと手を入れ、中から飴色の液体が入った未開封の酒瓶を取り出した。

「人間の川の渡し守が、安全祈願に俺へお供えした酒。これならどうだ?」

 シャルシュリアは瓶とその中身をじっと見つめた後、小さくため息をついた。

「……確かに、それは地上で作られたものだな。許可しよう」

 時折見せるシャルシュリアの仕草に、目は何かを見抜く力を秘めているのだろうとゼネスは思う。
 地上の材料を使い、そこで製造されたのであれば掟には該当しない。容易な条件に思えるが、多くの試練が待ち受ける冥界の中では、当然のように持ち込めるのは神のみだ。

「やった! それじゃ、一緒に中へ入ろうぜ」

 エーデはゼネスとシャルシュリアの背中を押し、嬉々としてもう一度酒場へと入っていく。
 亡霊達が遠巻きに動揺する中、居心地の悪そうなシャルシュリア、辺りを見回すゼネス、バーテンダーを務める亡霊に酒瓶を渡すエーデの順に、立ち飲みのカウンター席に並ぶ。
 酒瓶を一旦カウンターテーブルに置いたバーテンダーは、落ち着いた様子で食器棚から水晶の様に美しく繊細な彫刻が施されたロックグラスを3個取り出した。

「そういや、ゼネスは酒が飲めるのか? 俺が覚えている限りでも、宴に参加した事は一度もないだろ?」
「大丈夫です。母から出席は許されていませんでしたが、ここ数年で飲むようになりましたから」

 周りをよく見ているのだと感心しつつ、ゼネスは答えた。
 母であるメネシアは、いずれは神々の宴にと考えていたのか、ここ数年で信仰される街で開催される祭りの日には、ゼネスに葡萄酒を飲ませてくれるようになった。最初はすぐに酔い、眠ってしまっていたが、今では瓶一本飲んでもほろ酔い程度で済んでいる。

「よし。それなら、一杯くらい問題ないな。ロックで入れてくれ」

 エーデの注文を聞きバーテンダーはロックグラスに大きめの氷を入れ、酒を注いだ。持ち手の長いバースプーンで氷を回転させるように静かに混ぜた後、グラスを三人の前に並べられる。

「あの氷は……」
「水に関わるものは、エーデ達の領域故に不問だ」

 シャルシュリアの答えに、安心したゼネスはグラスを手に取る。
 瓶自体を冷やす事はあっても葡萄酒には氷を入れない為、彼はまじまじと飴色の酒を見つめる。

「氷を入れないで飲むのも良いけど、これは入れた方が美味いんだ。でも結構に強いから、一気に飲まない方が良いぞ」
「はい。いただきます」

 ゼネスは酒を一口飲んだ。
 バニラの花に似た香りの中に、木を焼いたような香ばしさがある。まろやかな口当たりに、ハーブの僅かな刺激と蜂蜜に似た柔らかな甘みを感じる。

「……おいしい、のでしょうか」

 思っていたよりも飲みやすいが、ゼネスは遠慮がちに言った。

「あっ、もしかして舌に合わない?」
「この種類は初めて飲むので、よく分からなくて」
「そっか。なら、仕方ない。こういうのは、色々飲んでいくうちに美味しさに気づくもんだ。そのうち分かるさ」

 そう言うとエーデは先程とは違い、一口、二口と少しずつ飲んだ。シャルシュリアも同様に飲んでいるが、運びがかなりゆっくりだ。

「シャルシュリアはどうよ?」
「ゼネスと同じだ」
「えー? ゼネスに比べたら、圧倒的に飲んでるくせに」
「おまえの様に好んで飲まないのだから、仕方ないだろう」
「腕の立つバーテンダーが居て、古今東西の酒が揃っているっていうのに、勿体ない……」

 エーデの嘆きを聞きながら、ゼネスは棚に立ち並ぶ様々な銘柄の酒瓶を見た。寸胴もあれば、丸みを帯びたもの、水晶の様な細工や刻印、持ちやすさ重視の括れ等、瓶の形状は様々あり、飲まずとも見ているだけで楽しめる程に種類が豊富だ。

「冥界の酒って言えば、ザクロの果実酒だけだったんだ。今では、地上の酒場よりもずっと種類が増えてる」

 シャルシュリアと会話中、ゼネスが瓶を眺めている事に気づいたエーデはそう言った。

「地上よりも、ですか?」

 意外な話にゼネスは驚いた。シャルシュリアが気に入った職人が館に集まっていると知ってはいるが、地上よりも発展している文化があるとは思いもしなかった。

「ほら、地上だと酒蔵の後継者いなかったり、戦争や感染症で町を棄てないといけなかったりで、潰える銘柄があるんだよ。死者の中には、ずっと酒を造り続けたいって希望者がいて、ここで働く亡霊達の娯楽のためにも、シャルシュリアは意欲的に聞き入れた。だから、種類が自然と増えたてっわけ」
「へぇ……死んでもなお、酒を造り続けたい人間達がいるんですね」
「そんで、御相伴に預かってんのが俺だ」

 エーデはそう言って、酒を美味しそうに飲む。
 何かを生み出す職人達に、終わりというものは存在しない。一つ作れば、其れよりもっと良いものを、新しいものを、と作り続ける。
 単に葡萄酒と言っても原料である葡萄の出来具合によって、味が左右される。それは冥界でも変わりなく、館の一角に設けられた畑や果樹園で採れる作物であっても味の違いが生じる。毎年変わる其の味わいをどう引き出すか、より品質の良い酒をどう作るか、その研究は死後も続けられている。彼等は死後も自分の理想を追い求めている。

「あぁ、そうそう。冥界まで流れてる弟の〈憎悪の川〉が言ってたんだけど、自分の中にはゼネスの剣と装備品は無かったってさ」

 思い出したようにエーデは言い、ゼネスは酒を吹き出しそうになり噎せ返る。
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