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四章 大河に告げる夏の小嵐

29.大河の化身

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 葡萄を食む牡山羊の石像が目印となる酒場は、冥界の館でも珍しく〈生活〉の息遣いを感じられる場所だ。重厚感のあるカウンター席の中では、酒を提供する亡霊のバーテンダーが金の杯やグラスを磨き、料理人が冥界で採れる食材の調理を行っている。4層からなる冥界の全体図を細部まで丁寧に刺繍された絨毯が敷かれ、壁には様々な職場の案内や予定が張り出された掲示板が掛っている。テーブル席では亡霊達が集まり、酒を飲み交わしながら談笑をしている。
 ここは、亡霊達の集う憩いの場。酒蔵担当等の食に携わる職人達を除き、館で働く亡霊はこの空間のみ生前の様に味覚が戻り、飲食を取ることが出来る。ある地上の国の王が、巨大な建造物を建てる際に労働者に食事と酒を提供したように、シャルシュリアもまた亡霊達の為にこの場所を作った。

「あれー?」
「何故ここに」

 亡霊達はシャルシュリアの登場に驚いている中、彼の目線の先にはカウンター席で立ち飲みをする神がいた。

 身長はアイデン程ではないが、人間ではかなり高い部類に相当する。黒灰色の肌に、黒い乱雑に切られた短い黒髪。目尻がはっきりとした琥珀色の瞳。ローブにも法衣にも見える袖の広がった着古された黒服、首や手首には何枚も並ぶ硬貨に似た金の装飾品を着けている。特に目を惹くのが、竹と思しき植物で編まれた大きな笠だ。笠には、遠く離れた国の文字が描かれた細長い布二枚が垂れ下がっている。
 修道者や修道者にも見えるが、決定的に違う不思議な格好だ。

「珍しい事もあるもんだな」

 その神は、ロックグラスの飴色の酒を飲み干すと、シャルシュリアとゼネスの元へ歩み寄る。

「なになに? デートってやつ?」

 楽しそうに笑う神の言葉に、ゼネスは驚き思わず口籠り、隣に立つシャルシュリアは呆れたように小さくため息をついた。

「馬鹿を言うな。行った事が無いと彼が言うから、館の様子見がてら案内してたまでだ」
「噓でしょ? 確かここへ落ちたのって、一か月近くいるのに一度も?」

 男神は目を丸くして驚くと、頭の笠を上へと傾け、ゼネスをまじまじと見た。
 神は人間を超越する光を瞳に宿している。そこは共通しているが、その男神の持つ光に曇りが一切見られない。こんこんと湧き出す水の様に透明であり、涼やかでいながら虚を掴むように捉えどころがない。有るが無い、そんな印象を受ける。

「親父さん相当だけど、あんたも真面目ちゃんだなぁ。息抜きに一杯くらい良いと思うぞ」

 シャルシュリアが気を許している様子から、大方誰なのか予想が付いたゼネスだが、返答に困った。母ではなく、父を引き合いに出されるのは相当稀だったからだ。

「あぁ、悪い。自己紹介してなかったな。シャルシュリアとは古い付き合いのエーデだ」

 ゼネスの困り様に気づいたエーデはそう言い、手を出しだした。
 一瞬何なのか分からなかったが、直ぐに挨拶であると理解したゼネスは握手をする。

「ゼネスと申します。よろしくお願い致します」
「おう。よろしく」

 ギザギザとした白い歯を見せて笑顔のエーデはそう言った。
 神秘的で上位の存在を思わせるニネティスとは全く印象が異なり、エーデの身に纏う空気はとても親しみやすい。少し年上の昔馴染みのような印象だ。
 実りを育むには、水は必要不可欠。豊穣の女神の血が流れるゼネスにとって、彼の持つ性質に自然と好意を抱いたのだろう。

「シャルシュリアは、もう部屋から出ても大丈夫なんだ?」
「とうに動ける」
「ふーん……なら良かった」

 エーデは、含みを持たせて言った。

「それにしても、エーデは何故ここに? 冬の宴に参加していると思っていた」

 シャルシュリアの問いかけを聞き、確かに、とゼネスは思った。エーデは地上と冥界を行き来し、宴に参加をしている。今はシャルシュリアの療養のためニネティスと共に冥界を担っているが、上質な酒が出される冬の宴に出席しそうなものだ。

「ここ6年くらいは、地上の酒を飲む気分じゃないんでね」

 エーデはお道化た様に言ったが、シャルシュリアの表情は少し険しくなる。

「6年前からとは、初耳だ」
「あれ? 前に言った……いや、あれはニネティスか。まぁ、そんなわけで、俺は最近宴には出席していないんだよね。行きたがってた弟妹達が、代理で出席してる」
「そういう話は、彼女だけでなく私にもちゃんと伝えてくれ」

 シャルシュリアの眉間に小さく皺が寄った。

「え? そこまで重要な話ではないから、心配する事はないと思うけどな。可愛い弟妹には、みっちり報連相を叩き込んでるから、何かあれば包み隠さず話してくれるぞ。おまえ宛に三女神の報告と俺らの情報に共通点があった時なんか、誤差はないだろ?」

「今のところ問題が無くとも、万が一を考えなくては。情報経路を明確にしなければ、全ての報せは信ぴょう性に欠けてしまう。そうなれば指示が出し辛くなり、判断の遅れを生む。おまえが臨機応変に対応できても、こちらに伝わっていなければ意味がないんだ。ちゃんと連絡網を紙に書いて提出してくれ」

「えー、そんな非常事態は起こらないと思うけどなぁ」
「エーデ」
「わかってるって。組織としては、必要なんだろ? あとで弟妹達と相談して、提出する」

 強く言われては仕方ない、とエーデは早々に引き下がり、承諾した。もともとニネティスに話していたので、面倒ではあるが抵抗する気はない様子だ。
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