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栞は息を呑み、頬をかすかに朱に染めた。
小さく「馬鹿」と呟く。
それから潔く顔を上げて言った。
「私は、自分の人生におおむね満足してるわ。誰の言いなりにもならず、最後まで自分の愛を貫くことができたんだから」
栞は真っすぐな瞳でヴァンを見つめて、
「でもあの子には……聖には、私と同じ思いはさせないであげて。お願い」
「……」
ヴァンは水晶のような瞳で栞を見つめ返す。そこには揺ぎ無い決意と覚悟が宿っていた。
それでも栞は一歩も退かず、迷いのない目で決然と対峙した。
「酷なことを言っているのかもしれない。だけど、あの子には普通に幸せになってほしいの。普通に恋をして、普通に友達を作って、普通に家庭を持って……。私がしたような、辛い決断はさせたくない」
ヴァンは一切の口を挟まず、ただ黙って栞の言葉を聞いていた。何事かを考える瞳で。
「二百年前……血の契約が私を絶望の淵から救ってくれた。気の遠くなるような話だったけれど、また逢えると信じることができたからこそ、穏やかに死んでゆくことができたの。あの契約のおかげで私は、あなたを喪っても何とか狂わずにいられた」
栞はそう言って、哀しく微笑んだ。
「だけどそれは私のための契約であって、聖のためのものじゃない。転生した私の魂が激しくあなたを求めるせいで、聖の心がその影響を受けて翻弄されてしまっているのよ」
「ああ、そうだろうな」
ヴァンがあっさりと認めたので、栞は目を瞬かせた。
「あなた、もしかしてそこまで分かって……?」
栞の細い指先が震えている。
ヴァンは薄い笑みを浮かべて肯った。
「だからあいつは、俺を求めるしかない。どんなに抵抗しようとも、俺から逃れるすべはないのさ」
「でも、聖は聖なのよ。私の生まれ変わりだというだけの理由で、あの子の人生を奪ってしまうことはできないわ」
「何を言っている。お前はそれを全部承知の上で契約を結んだんだろう。自分の来世の意思を無視し、必ず俺に血と力を与えるよう計らったんだ」
栞は言葉を詰まらせた。美麗な顔が戸惑いに揺れる。
しばし視線を泳がせると、諦めたように息をついた。
「……変わらないのね、あなたは。ずっと昔のまま。欲しいものを手に入れるためには、手段を選ばない」
「当たり前だろう。愛する者を常に傍に置こうとして何が悪い」
ヴァンはその悪びれない様子に軽い怒りすら覚えるほど堂々と言い放った。
「あなたの愛って、周りが見えていないのよね。……それとも、敢えて見ないようにしているのかしら」
栞の呟きは、しかしヴァンには聞き取ることができなかった。
「何だ?」
「いいえ、何も。でも、月代のお屋敷では驚いたわ。あのときの聖は本当に、私そのものだった」
ヴァンは薄く笑って「ああ」と相づちを打った。
「あのときは度肝を抜かれたぞ。この俺が息が止まるかと思ったくらいだからな。二百年前、月代彼方から俺をかばったお前と、聖の姿が重なって見えた」
「じゃあ、あのときのキスは私のもの?それとも聖のもの?」
魔性を帯びた上目使いでからかうように栞は尋ね、ヴァンは素っ気なく応えた。
「分かりきったことを聞くな」
栞は声を立てて笑う。その姿が徐々に薄れていくのが分かった。
花を手向けるようにして佇むヴァンを一度だけ抱きしめて、栞は美しい目を潤ませて透明に微笑んだ。
「さようなら、ヴァン。あなたに逢えて、本当に幸せだったわ」
言葉の余韻を淡く響かせて、栞は気配すら残さずふっと姿を消した。
ヴァンは栞が幻のように溶け消えた絶海を見つめると、途方もなく長い間、ずっと瞑目し続けていた。
弔うように。祈るように。
*************************
小さく「馬鹿」と呟く。
それから潔く顔を上げて言った。
「私は、自分の人生におおむね満足してるわ。誰の言いなりにもならず、最後まで自分の愛を貫くことができたんだから」
栞は真っすぐな瞳でヴァンを見つめて、
「でもあの子には……聖には、私と同じ思いはさせないであげて。お願い」
「……」
ヴァンは水晶のような瞳で栞を見つめ返す。そこには揺ぎ無い決意と覚悟が宿っていた。
それでも栞は一歩も退かず、迷いのない目で決然と対峙した。
「酷なことを言っているのかもしれない。だけど、あの子には普通に幸せになってほしいの。普通に恋をして、普通に友達を作って、普通に家庭を持って……。私がしたような、辛い決断はさせたくない」
ヴァンは一切の口を挟まず、ただ黙って栞の言葉を聞いていた。何事かを考える瞳で。
「二百年前……血の契約が私を絶望の淵から救ってくれた。気の遠くなるような話だったけれど、また逢えると信じることができたからこそ、穏やかに死んでゆくことができたの。あの契約のおかげで私は、あなたを喪っても何とか狂わずにいられた」
栞はそう言って、哀しく微笑んだ。
「だけどそれは私のための契約であって、聖のためのものじゃない。転生した私の魂が激しくあなたを求めるせいで、聖の心がその影響を受けて翻弄されてしまっているのよ」
「ああ、そうだろうな」
ヴァンがあっさりと認めたので、栞は目を瞬かせた。
「あなた、もしかしてそこまで分かって……?」
栞の細い指先が震えている。
ヴァンは薄い笑みを浮かべて肯った。
「だからあいつは、俺を求めるしかない。どんなに抵抗しようとも、俺から逃れるすべはないのさ」
「でも、聖は聖なのよ。私の生まれ変わりだというだけの理由で、あの子の人生を奪ってしまうことはできないわ」
「何を言っている。お前はそれを全部承知の上で契約を結んだんだろう。自分の来世の意思を無視し、必ず俺に血と力を与えるよう計らったんだ」
栞は言葉を詰まらせた。美麗な顔が戸惑いに揺れる。
しばし視線を泳がせると、諦めたように息をついた。
「……変わらないのね、あなたは。ずっと昔のまま。欲しいものを手に入れるためには、手段を選ばない」
「当たり前だろう。愛する者を常に傍に置こうとして何が悪い」
ヴァンはその悪びれない様子に軽い怒りすら覚えるほど堂々と言い放った。
「あなたの愛って、周りが見えていないのよね。……それとも、敢えて見ないようにしているのかしら」
栞の呟きは、しかしヴァンには聞き取ることができなかった。
「何だ?」
「いいえ、何も。でも、月代のお屋敷では驚いたわ。あのときの聖は本当に、私そのものだった」
ヴァンは薄く笑って「ああ」と相づちを打った。
「あのときは度肝を抜かれたぞ。この俺が息が止まるかと思ったくらいだからな。二百年前、月代彼方から俺をかばったお前と、聖の姿が重なって見えた」
「じゃあ、あのときのキスは私のもの?それとも聖のもの?」
魔性を帯びた上目使いでからかうように栞は尋ね、ヴァンは素っ気なく応えた。
「分かりきったことを聞くな」
栞は声を立てて笑う。その姿が徐々に薄れていくのが分かった。
花を手向けるようにして佇むヴァンを一度だけ抱きしめて、栞は美しい目を潤ませて透明に微笑んだ。
「さようなら、ヴァン。あなたに逢えて、本当に幸せだったわ」
言葉の余韻を淡く響かせて、栞は気配すら残さずふっと姿を消した。
ヴァンは栞が幻のように溶け消えた絶海を見つめると、途方もなく長い間、ずっと瞑目し続けていた。
弔うように。祈るように。
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