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15年前の親子 Ⅲ

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 新中野駅で男性が降りた。

 「おい」

 僕も手を引かれて一緒に降りた。
 どこへ連れて行くんだろう。
 男性は何も言わずに黙って駅を出て歩いて行った。
 しばらく歩いて、マンションの前に来た。
 先ほどとは違い、男性は微笑んで優しい声で言った。

 「ここ、俺のうちなんです。上がって下さい」
 「あの……」
 「いいから」

 僕はもう何も、考えられず、男性に黙ってついていった。
 男性の部屋へ入り、リヴィングに座らされた。
 ようやく僕も少しずつ落ち着いて来た。
 男性のマンションが3LDKの広いものであり、男性の服装も高級なスーツであることが分かって来る。
 お金がある人のようだ。
 それに、先ほどは怖かったが、今はとても優しい顔をしている。
 綾子に向かって微笑んだ。

 「あの、何ちゃんだっけ?」
 「綾子」
 「綾子ちゃんか。お腹空いてるだろう?」
 「……」

 男性は黙って立ち上がり、キッチンへ行った。
 手早く何かを作って来る。
 オムライスだった。
 綾子が嬉しそうな顔をした。
 そうか、そう言えば今日はアイスクリームくらいしか綾子に食べさせて無かった。
 空腹だったのを、僕に気を遣って言わなかったのか。
 僕の前にもオムライスが置かれた。

 「さあ、食べて下さい」

 綾子がスプーンで掬って一口食べた。

 「!」

 それから夢中で食べ始めた。
 僕も口に入れて驚いた。
 本当に美味しい。

 「美味しいです」
 「そうですか」
 「お父さん、美味しいよ!」
 「うん、そうだね」

 二人でどんどん食べた。
 男性は何も食べなかった。
 僕たちが夢中で食べているのを見て、紅茶を淹れてくれた。
 僕はやっと落ち着いて、自分の名前を名乗った。

 「佐伯さん。俺は石神高虎と言います」
 「はい」

 僕は石神さんに話した。
 話すように言われたわけではないのだが、この人に聞いて欲しかった。
 愛する妻を喪って、今日綾子と一緒に死のうと思っていたことを。
 自然に、妻と出会ってから夢中で交際を申し込み、結婚生活がどんなに楽しかったのかを話した。
 石神さんは黙って聞いていた。
 
 「それはさぞお辛いことでしょう」
 「はい……」

 石神さんも、学生時代に最愛の恋人を喪ったことを話してくれた。
 話しながら、何度も苦しそうにし、涙を流していた。
 最初の恐ろしい程の強さでも、先ほどの優しい石神さんでもなかった。
 途轍もない苦しみに、今も苛まれている石神さんだった。

 「俺も何度も死にたいと思いましたよ」
 「はい」
 「でも、耐えた。耐えなければいけなかった」
 「どうしてですか?」
 
 石神さんは涙を流しながら僕を見た。

 「追いかけても、奈津江は絶対に嬉しくない、喜んでくれない。だからですよ」
 「!」

 衝撃を受けた。
 その瞬間に、自分がどれほどの間違いを犯しそうだったのかを分かった。

 「石神さん!」
 「そうでしょう、佐伯さん? 奥さんは喜ぶと思いますか?」
 「いいえ! いいえ、絶対に喜びません!」
 「そうです。だから生きなきゃいけない。どんなに辛くてもね」
 「はい!」

 石神さんは本当に辛そうだった。
 僕にも少しは分かる。
 石神さんにとって、奈津江さんの死は今でも血を噴き出すような辛さなのだ。
 それほど、奈津江さんという女性を愛していたのだ。

 「綾子ちゃんは、お二人にとって掛け替えのない子どもでしょう?」
 「その通りです! ああ、僕は綾子になんてことを!」
 「優しいお嬢さんですよね。佐伯さんがそれほど苦しんでいるから、自分の命もどうなってもいいと」
 「ああ、綾子ぉー!」

 僕は綾子を抱き締めた。
 綾子も泣いていた。
 黙って涙を零していた。

 石神さんは、偶然に僕たちの傍にいて、僕の様子がおかしいことに気付いてくれていた。
 そして僕たちの話が聞こえたそうだ。
 あの短い遣り取りで、石神さんは僕が何をしようとしているのか悟ってくれた。

 「今日は泊って行って下さい」
 「でも、御迷惑をこれ以上は」
 「いいじゃないですか。これも何かの縁です」
 「はい」

 風呂を頂き、寝間着も貸して頂いた。
 驚いたことに、綾子にも少し大き目な女性用の寝間着があった。

 「親友の娘がたまに泊まりに来るんでね。少し前に置いて行ったものなんですよ」
 「そうなんですか。あ、石神さんはお食事は?」
 「ああ、さっき炊いていた米を全部使っちゃいましてね」
 「え! それは申し訳ない!」
 「いいえ。なんだかすぐに食べさせないとと思って不安になっちゃって」
 「もう大丈夫ですから、どうか!」
 「そうですか」

 石神さんは笑って蕎麦を茹でて食べられた。
 綾子にもうちょっと食べるかと、それも分けて下さった。
 また綾子が美味しいと喜んでいた。

 石神さんが食べながら、いろんな話をして下さった。
 子ども時代の楽しいお話を。
 綾子が大笑いで喜んでいた。

 「石神さんは、どのようなお仕事なんですか?」
 「まあ、医者のはしくれです」
 「そうなんですか!」

 僕も自分の仕事を話し、名刺をお渡しした。
 石神さんからは名刺はいただけなかった。

 一晩泊めて頂き、石神さんのベッドに綾子と一緒に寝かせていただいた。
 翌朝も美味しい朝食をご馳走になり、駅まで見送ってくれた。

 「この御礼を必ず」
 「いりませんよ! あの、蹴ったりしてごめんなさい」
 「そんな!」

 もちろんその後に石神さんのマンションへお礼に伺った。
 でも、お忙しいのかいつもいらっしゃらなかった。
 そのうちに引っ越され、何も出来ないままになった。





 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■





 「そんなことが!」

 亜紀ちゃんが喜んでいた。

 「一度ポストに100万円が入ってましたよね!」
 「ええ、すぐに送り返されましたが」
 「当たり前ですよ!」

 みんなが笑った。

 「本当にずっとお礼を言いたくて。時間が経てば経つほど、どんどんお礼をしたくて」
 「俺の方こそですよ」
 「え?」
 「あの当時、奈津江の話は誰にも出来なかった。親友の聖にも御堂にも山中にも。どうしようもなく辛くて、口に出せなかった。奈津江を愛していると言えなかった」

 「石神さん……」

 「佐伯さんだけだったんです。何とか話すことが出来た。俺と同じく最愛の人を喪った方だからですよね。俺が奈津江のことを本当に話せるまで、20年かかりました。あなただけだったんですよ」
 「石神さん!」

 佐伯さんが泣いておられた。
 綾子さんが背中に手を回し、慰めていた。
 やはり、今もお辛いのだろう。

 「僕は石神さんのお陰で、妻になんとか顔向け出来ます。あの時に停めて頂いたお蔭で」
 「もういいんですって」
 「僕はあれから、妻と綾子に恥ずかしくない人生をと、そればかり考えてここまで来れました」
 「そうですか」
 「本当に石神さんのお陰なんです」
 「佐伯さんが頑張ったんですよ」

 佐伯さんはゼネコンで修理請負の部署で長年働いていたそうだ。
 だから今も基地のあちこちの修繕をする部署にいる。
 綾子さんは「虎病院」のスタッフとして働いている。
 綾子さんは俺が医者をしていると聞いて、いつか俺に恩返しがしたいと看護師になったそうだ。

 「今後もよろしくお願いいたします」
 「「はい!」」

 二人が笑顔で部屋を出て行った。
 楽しそうに、嬉しそうに笑っていた。

 「タカさん!」
 「あんだよ」
 「最高ですってぇ!」
 「うるせぇ」

 亜紀ちゃんと柳も笑っていた。
 
 「「虎」の軍って、ああいう人たちばっかりですよね!」
 「そうだな」
 「石神さん、私、ますます頑張りたくなりました!」
 「そうかよ」

 二人にまたどんどん食べさせ、亜紀ちゃんはガンガン飲んだ。
 二人は数日後にまた戦場へ行く。
 俺は酷いことをしている。
 だが、こいつらは嬉々として、それをやってくれる。

 「おい、今日は「光明」を呑むかぁ?」
 「はい!」
 「あ、それは私もぉ!」
 「おし!」

 雑賀さんに頼んで出してもらった。
 またつまみが変わる。
 俺も楽しくなってきた。
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