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【聖者の薔薇園-プロローグ】

172.愛か命か(フレデリックside)

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 前世で起こった全てを語り終えた魔塔主は、黙り込む俺を見据えて静かに沈黙を貫いた。喧しくされると情報を整理出来ないから有難いことだ。
 一通り語られた内容を纏め、未だ困惑と混乱が残るなか話を再開した。黙っていても何かが進展する訳でも無い。


『つまり何だ。帝国の破滅を止めようってか?んなことして貴様らには何の得がある』


 苛立ちを無意識に収める為、姿勢を僅かに崩して足を組んだ。真剣に聞いてもまともに理解出来ないのだから礼儀を気にする必要は無い。
 一応魔塔主だからと軟い態度を取っていたが、この男が対等な立場を主張しているならそれも無しだ。それなりの仮面を被ることすら、本来は面倒で仕方がない。


『俺が手を貸すメリットも感じられねぇ。そもそも今の話が事実なのかすら微妙だ。取り引きする気あんのか?』


 話をどんな纏め方で整理しても、どうしたって魔塔側のメリットが考え付かなかった。
 そもそも愛国心なんざ欠片も持ってねぇような陰湿魔術師共の巣窟だ。何故そんな奴らが帝国の破滅をわざわざ止めようとする。逃げようと思えばいつだって逃げられる、何処でだってやっていける魔術師が。

 真意を問う俺に魔塔主は目を細める。どんな切り札を提示されるのかと身構えていれば、返ってきたのはまたもや予想外の言葉だった。


『……メリットならある。未来を変えることが出来れば、貴方が命よりも大切にする妻と子も救えるのだから』

『……』


 妻と子。魔塔主が前世の話をする上で語った、俺に近い内出来るらしい家族の存在。
 悪魔の生まれ変わりと呼ばれた俺に家族が出来るのだと。それも政略的なものでも何でもなく、心から愛し愛される存在が。
 全く、笑える冗談としか思えない。肉親からもまともな愛情を注がれず、愛し方も愛され方も知らない俺に家族が出来る?想像も付かない。有り得ないとしか言えない。

 マーテルを愛せない人間に愛される資格は無い。
 実の父が俺に吐いたクソみてぇなあの言葉。下らないと切り捨てながら、その言葉をずっと忘れられないでいた。
 マーテルを愛せない異常な俺を、一体誰が愛するというのか。


『なに、案ずることは無い。時が来れば否が応でも理解することになるだろう』

『…今信じられねぇと意味ねぇだろうが。この話も無かったことになるんだぞ』

『構わぬ。貴方の未来が確かに成った後でも遅くはない』


 そう言って魔塔主は立ち上がる。どうやら今回は本当に話をしに来ただけのようで、一言語ると直ぐに城を出て行った。俺が信用を確かなものに出来ないということは、魔塔主も予想済みだったようだ。

 再び訪れた独りの空間で息を吐く。こんなにも他人と長話をしたのは久々で、その後の喪失感や空虚な胸の痛みに自分自身が一番驚いた。
 俺にもこんな感情が残っているのかと。魔塔主が語った未来の家族のことが、それ以来頭から離れなかった。
 だがどうせ出鱈目だ。俺を真に愛する人間が現れるはずがない。逆も然りで、自分が他人を愛するという未来が想像すら出来ない。無理やり想像したとしても気味の悪さしか感じなかった。


『……有り得ねぇ…』


 俺に家族だとか。そんなものは絶対に…そう、思っていた。





『──…フレッド。漸く産まれて来てくれたわ。貴方の子よ』


 産まれたばかりの赤子を抱き、多幸感に溢れた笑みを浮かべる一人の女。
 出会った頃から感じていた妙な擽ったさ。その感情の名前が愛であることに気が付いたのはいつだったか。つい最近のような、たった今のような。いや、彼女と…アグネスと目が合って直ぐに自覚したような気もする。

 だが、漠然と抱いていたそれを純粋な愛として認めたのは、子を胸に抱く姿を見たその時だったという確信がある。
 俺の血を継いで生まれ落ちたとは思えない、小さく弱々しい赤子。俺の子だと言われても実感があまり湧かず、半ば呆然としながら小さな体をアグネスから受け取った瞬間。

 その瞬間、全身を駆け巡った衝撃。絶え間なく湧き上がるこの感情に名前を付けるなら、きっとそれは。


『……俺の子?』

『えぇ。私と貴方の子よ。金色の瞳…貴方にそっくりね』


 小さな瞳。確かに、俺と同じ色をしている。
 慣れない手つきで抱いてみれば、それは予想以上に軽く壊れやすいように感じて手が震えた。少しでも力を入れれば潰れてしまいそうだ、なんて。初めの頃は本気でそんなことを思っていた。


『俺の、子……』


 ストンと何かが腑に落ちるような、そんな感覚。

 あぁそうか。魔塔主が言っていたことは、こういう事だったのかと。
 己の命よりも他人を優先するなんざ馬鹿馬鹿しい。愛なんて所詮紛い物。そんなものは存在しない。全て分かったようなふりして偉そうに語っていた当時の自分を殴ってやりたい気分だ。

 この脆い存在には、己の命がちっぽけに見えるだけの価値がある。
 たとえ死ぬことになったとしても、どんな下劣な手を使ってでもこの小さな存在だけは守り通す。守らなければならないと。


『……あぁ…ありがとう、アグネス』


 無意識に零れた掠れた声。アグネスは普段冷静に細められている瞳を大きく見開いて、かと思うと泣きそうな微笑みを浮かべて頷いた。

 絶対に守る。魔塔主が言っていた俺の運命なんざどうでもいい。ただ、俺が愛した人間が無事であればそれでいい。
 この小さな存在を守ることが出来るなら、何を犠牲にしたって構わない。


 その為に必要になるのなら、命なんて喜んで捨ててやる。

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