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後日談
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しおりを挟む『君に万が一の事があったらと思うと……どうしても心配で……』
さっきから彼の言葉が離れない。
まるで本当に心底心配したような、嘘の色が見えないあの瞳が。あの人は僕を嫌っているはずだから、そんなはずないって普通に考えれば分かるのに。
でも、それなら指輪の説明がつかなくなる。仮に僕が都合の良い解釈をしているだけだとして、それじゃあはっきり『心配』と口にした彼の本心は……?
指輪に魔法が付与されているのも、彼の口から確かに聞いた。そこは都合の良い解釈でもなんでもなく、単なる事実。
けれどだとすれば、彼は本当に僕のことを心配していたということに……。
「うぅ、あぁもうっ……!意味がわからない……」
ベッドの上で頭を抱えて蹲る。
僕の知っている『公爵様』と、ついさっき僕を心配だと言って眉を下げた『彼』とで明らかな違いがあった。それの理解に追い付かなくて混乱する。
さっきの彼の表情はまるで、公爵様というよりは……そう、まるで。
僕が愛した人……ギルのようだった。
「……そんなわけない」
わかってる。そう自分に言い聞かせて首を振る。
彼はいない。ギルはもういないのだ。僕が愛した、あの時のギルはもういない。僕を妻として嫌々受け入れてくれたのは、ギルではなく『公爵様』だ。
かつて短い時間を共にした僕なんて、記憶の片隅にすら残っていない。ただのお飾りの妻としか僕を認識をしていない、そんな公爵様だけがここにいる。
わかっているのに……それなのに。
僕を心配そうに見つめた彼。あの瞳がどうしても忘れられないのは、一体なぜなのだろう。
「……だめだ。すこし頭、冷やさないと」
唐突に感情がスンと落ち着いて、ぽそりと呟きを零しながら立ち上がった。
ベッドから下りて真っ先に向かった先は部屋の扉。ぐちゃぐちゃで整理しきれない心を一旦落ち着かせなければ、と足早に部屋を出る。
僕はさっき、彼に『待ってほしい』と告げた。彼はそれに応えてくれた。
いや、実際はうじうじと迷惑ばかりかける僕に嫌気がさして、出て行ってしまっただけかもしれないけれど。それでも、万が一を考えたら……あの言葉の責任を果たさなければとも思う。
だから、少し落ち着こう。今はだめだ。頭の中がこんがらがって、冷静な思考を巡らせることが出来なくなっている。とりあえずここを離れて、まずは混乱する頭を冷やさないと。
そう思いながら、僕は静かに庭へ向かった。
***
そういえば、と不意にはっとしたのは、中庭に出てからのことだった。
混乱して頭が回らなかったからか、使用人に行き先を告げるのを忘れていた。誰にも言わずに外に出てきてしまったけれど……まぁ、大丈夫か。誰にも言わずに動くことなんていつものこと。邸の人たちは基本僕のことは放置気味で、僕の行動に口を出してくることなんて滅多にないから。
珍しく口を出してきたことと言えば……勝手に敷地外へ出ようとした時くらいだろうか。あの時は本当に驚いた。いつも無口な彼らが、突然話しかけてきたものだから。
冷静な表情にどこか焦りを滲ませて『奥様、どちらへ?』と尋ねる使用人たちの姿。一体何を焦っていたのだろうと、今になって少し不思議に思った。
まぁ、それも別にいいか。今は敷地外に出るつもりはないし、あの時のことも、きっと名ばかりの公爵夫人が外で面倒事を起こさないかと不安だったとか、きっとそういうことだろう。
大丈夫。今回は敷地内だし、誰も何も言わないはず。僕がどこで何をしようが、公爵様に関しては興味も抱かないだろうし。
「……噴水の花でも見に行こうかな」
興味無さげに僕の帰りを一瞥する公爵様を想像し、少し肩を落とす。
その落胆を振り切るようにふと声を上げて、目的地へ足を進めた。思い返すのは、かつて『ギル』と共に愛でた、辺境でしか咲かないあの小さな花。
噴水の足元にしか咲かないあの花に、なぜか突然会いたくなった。公爵様に、かつてのギルの面影を感じてしまったからだろうか。
ただでさえ弱った心が、幸せだったあの記憶に引っ張られているらしい。
それなら尚更、頭を冷やすためにも噴水へ向かわないと。そうして、公爵様とギルは違うのだと、今一度思い知らなければ。
僕を心配だと語った、あの穏やかな瞳に惑わされてはいけない。
焦燥感を抱きながらも足を速め、噴水へと向かう。
向かう途中で、もう大分混乱も落ち着いてきた頃かもしれないとふと思った。冷静に公爵様とギルの違いを思い知ろうと努めている辺り、ほとんど冷静な思考も取り戻せたのかも。
そう思ったけれど、足は止めなかった。今はどうしても、あの花に癒されたい。あの花に籠められた幸福な日々を思い返して、ギルの面影に包まれたい。
彼の温もりが、今はただ恋しいから。
「……早く、はやく」
知らぬ間に歩みを進める速度が速まっていることに気が付いたのは、噴水に辿り着いてからのことだった。
はぁはぁと切れた息で自覚する。ゆっくりと向かっていたはずなのに、いつの間にか走ってこの場所を追い求めていたらしい。
上下する胸を押さえながら噴水の縁まで進む。そこに半ば倒れ込むように腰掛け、足元の小さな花をそっと覗き込んだ。
「あぁ……ギル」
さっきまで体を気怠く支配していた疲労。それが一気に無くなって解放される感覚に息を吐き出す。
その花を境界に、まるで意識の向こう側、すぐそこに彼がいるかのような感覚。その幸福な感覚にゆったりと浸る。この瞬間が、窮屈なこの場所での一番の息抜きだ。
ギルを感じるこの花と一緒に過ごす時間。この時間だけは、まるで愛した彼がまだ存在しているかのような錯覚を受けるのだ。
「ギル、ギル……僕、今日は頑張ったんだよ……また、君に迷惑を掛けてしまったけれど……」
花を撫でながら小さく語る。きっとあの頃のギルなら、こうして肩を落とす今の僕を慰めてくれたことだろう。無表情を崩すことなく、けれど確かに優しさの滲んだ大きな手で、静かに僕の頭を撫でてくれたことだろう。
想像するとなんだか胸が騒いで、視界が微かに滲んだ。
優しく目元を緩めるギルと、冷徹な表情の公爵様が不意に重なって見えたからだろうか。
「違う、ちがう……ギルはギルだ。公爵様は、ギルじゃ……」
公爵様が、あんな顔をするから。
心の底から僕を心配しているような、あんな顔をするから。だから、いつもと違って境界線が曖昧になっている。彼らがいつもよりも、確かに重なっているように感じてしまう。
それは駄目だ。これじゃあいつか、公爵様に完全に彼を重ねてしまうかもしれない。
今は身の程を弁えて抑えているこの感情を、公爵様に押し付けてしまうかもれない。その可能性を考えると……とても怖い。僕はもう、彼に迷惑をかけたくないのに。
僕はただ、彼に幸せになってほしいだけ。それなのに、どうしていつも上手くいかないのだろう。どうしていつも、彼に迷惑をかけて、困らせてしまうのだろう。
やっぱり、僕にこの役目は重いのかもしれない。彼が望んだことだからと、自分の下心を見て見ぬふりしていたけれど……やっぱり、彼に話さないとだめだよな、なんて。
だって絶対に、僕は彼の役に立てない。ただでさえ面倒な処置や対応が必要な厄介な病を持っている上、こうして定期的に問題を起こす。だと言うのに、公爵家に対して普段の迷惑を挽回できるほどの恩返しも出来ていない。
こんな僕が、名ばかりでも公爵夫人の立場についてしまうなんて……やっぱり、不相応だ。
「やっぱり僕は……公爵様から離れた方がいいのかも。君もそう思うよね……?ギル……」
沈んだ声でそう呟いた瞬間、不意に背後から焦りを含んだ声が聞こえてハッとした。
「──そんなこと、絶対に思わない」
息切れの最中に紡いだような低い声。普段の冷静な色は掻き消えて、明らかな焦燥が滲んだその声。
驚いて振り返ると、そこには藍色の髪を乱した公爵様の姿があった。
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