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一章 鉈切山の大神屋敷
(一)
農耕と狩猟が息づく、厳寒の『北国島』。
華やかな西洋文化が広がる新都『東国島』。
古来の風雅な文化が根付く古都『西国島』。
国内でも飛び抜けて外交が盛んな港を擁する『南国島』。
照日ノ国は、東西南北に浮かぶ四つの島で成り立っている。島はそれぞれ『大神』、『烏神』『狐神』、『蛇神』という四島守護神と呼ばれる神たちによって守られ、その庇護の下、人間とあやかしが領域を分けて生活していた。
さて、北国島の霊峰・鉈切山は、照日ノ国でも有数の豪雪地帯だ。
雲より高い鉈切山の中腹より上には『大神屋敷』と呼ばれる茅葺き屋根の屋敷があった。決して豪華絢爛とは言えない質素な見た目だが、吹雪程度ではビクともしない頑丈な造りで、あやかしたちにとっては厳しい冬を乗り越えるための仮の宿だった。
「ずいぶん奇特な方を拾ってきましたね。お館様」
そして現在――大神屋敷の最上階では、屋敷の主である大男と、彼の部下である薬師の男が向かい合って話していた。
「奇特? 大袈裟だな、物の怪の呪いを受けた人間なんてそう珍しくないだろう」
「人間をここに連れてくること自体が奇特だと申しているのです。ここはあやかしと神が住まう隠世なのですよ」
「そんなこと言って、目の前で今にも死にそうになっている女の子を見捨てられるかよ」
大男は、先ほど拾ってきた人間の少女の状態を思い出しながら、渋い顔をする。
誰が見たって分かる――彼女の状態は、酷いなんてものじゃなかった。体はあばらが浮き出るほど痩せこけていて、その上をいくつもの傷痕や痣が縦横無尽に走っていた。間違いなく、昨日今日につけられたものではない。長い期間をかけて、何度も何度も刻み込まれたものだ。
まだ年端もいかない少女になんという無体を働くのだ、と大男は彼女を傷つけた犯人に憤っていた。
「そんな四角四面なことを言ってると、せっかく綺麗に丸めた頭がサイコロみたくなっちまうぞ、薊」
「頭をつるつる撫でないでください」
剃髪の男――薊は、口を尖らせる。彼は右半分こそ端整な顔立ちではあるものの、左半分は顔面の皮や肉が完全にハゲていて、白い頭蓋骨がむき出しになっていた。文字どおりのハゲ頭ということである。本来目玉が入っているはずの眼窩からは、植物の蔓がにょろりと伸びていて、まるで風雨にさらされたしゃれこうべに生きた人間の体が生えているようだった。
「しかし、久々に山を降りると疲れるな」
「ならば、そのむき出しの胸をしまってはどうですか? 寒さでも疲れは出ますよ」
「嫌だ、胸がキツくなる」
そして、屋敷の主たる大男――大神は、眉目秀麗ながら素朴な出で立ちだった。元が荘厳な印象の美丈夫である分、質素な着物をざっくり身にまとうことで釣り合いをとっているかのようだ。後ろへさっと垂らした夜空色の長髪と、稲穂の海を思わせる黄金色の目が特徴的だが、右目は眼帯で隠れている。
「つるっぱげの寒そうな頭した奴に言われても、説得力皆無だぞ」
「誰がつるっぱげですか。頭を撫でない!」
円を描くように撫でる大神の手を、薊がぺっと払う。
「こんな漫才みたいなことばかりしているから、残念な美男などと言われるのです。見た目も声もよいものをお持ちなのですから、もっと威厳ある振る舞いを……」
「冗談。こんなデカブツが威厳なんか見せてたら、誰も寄りつかなくなっちまう」
そう言って、大神はぐっと伸びをした。
彼の全身を、柔らかな紺色の毛が覆い尽くしていく。頭頂部にはピンと尖った三角の耳が生え、着物の隙間からは下ろしたての筆のような尻尾が姿を現す。一秒と経たないうちに、大神は二足歩行の狼となっていた。
「ほら。こんなにいい毛並みなのに、怖がられて誰にも触ってもらえないなんて、悲しすぎるじゃないか」
「貴方、どんなに撫でられるのがお好きなんですか」
奔放な主に、はあ、と嘆息をもらす薊。
そんなことより、と大神が話題を切り替えた。
「あの子の状態はどうだった?」
「低体温症については、鬼火たちがいるので大丈夫でしょう。ですが、栄養状態がかなり深刻です。日常的に暴力を受けていた痕跡も見られました。意識はすぐに回復するはずですから、そのあとは少しずつ栄養を摂って治療していきましょう。そうすれば、日常生活も送れるようになるかと」
「そうか。……目については?」
その質問に対して、薊はかぶりを振りながら答える。
「酷いものでした。呪いが奥深くまで食い込んでいるのか、眼球そのものが白く濁っていて、何も様子が分からないのです。現状、視覚器として全く機能していないことだけは確かなのですが」
「呪いをどうにかしない限りは、対処法を分析することもできない、か」
大神は神妙な面持ちでため息を一つついて、かの少女が口にした言葉を反芻した。
「虫になってもいいから、明るい目が欲しい……か」
呪いを受け、目を奪われ、どんなにつらい思いをしてきたのだろう。大神は少女が不憫でならなかった。
なんとかして、彼女に明るい目を取り戻してあげられないものか、と大神は唸った。
「お館様。あの娘、本当に屋敷で保護するのですか?」
「当たり前だろう。なぁに、うちはワケありや流れ者もゴロゴロいるんだ。そこに一人くらい人間が混ざったところで、何も変わりゃしないさ」
「しかし、人間は害をなす『物の怪』と、温厚な『あやかし』を混同しがちです。彼女があやかしたちを、物の怪の仲間だと思って怖がったりしないでしょうか」
物の怪とあやかしの大きな違いは、邪気の有無にある。あやかしや神はある程度の邪気を感知できるが、人間は大半の者が邪気を感知できない。だから同じ異形であるあやかしを、物の怪と勘違いして怖がることも多いのだ。
心配する薊に対する大神の返答は、意外と楽観的だった。
「人間があやかしを怖がるのは、見た目が人間と違うからだ。見た目にとらわれないあの子なら、意外とあっさり打ち解けられるかもしれないぞ?」
「そう都合よくいけばいいのですが……」
「なんならいっそ、屋敷の奴らと顔を合わせながら、飯でも食ってもらうってのはどうだ?」
「いきなり食事を共にしてもらうのですか?」
「ああ。もちろん無理強いするつもりはない。あの子が嫌がったら、そのときに別の手を考えればいいさ」
少女が目覚める前からあれこれ気を揉んでいても、無駄に神経をすり減らすだけだ。なら、どうすれば仲良くできるかを想像したほうが、ずっと楽しいに決まっている。依然として浮かない顔をする薊に、大神はにっと笑いかけた。
*
「おかおのいろ、もどった?」「ううん、まっしろ」「もしかして、もともとまっしろ?」「ありえる」
大神屋敷の別の部屋では、幼い子供の声が囁き合っていた。
しかし、ここには一人たりとも子供はいない。いるのは、鮮やかな緋色の炎をまとった生き物たちだ。ちょうど大福餅のような形状の体からは、小さな手足がちょこんと生えていて、まるで丸々と太った蛙のようだ。
「ゆきんこかな」「おもちみたい」「かわいいねえ」「ねんねんころりん」
彼ら――鬼火たちが覗き込んでいるのは、本来ここに存在しえない、『すず』という人間の少女だった。
彼女は今、鹿や熊などの毛皮に包まって、穏やかに寝息を立てている。
「こら、お前ら。病人が寝てるんだから、静かにしな」
そこへ、大神が鴨居をくぐって部屋に入ってきた。彼は鬼火たちに向かって人差し指を立てながら注意すると、すずの傍らに腰を下ろした。
「おやかたさまだあ」「ねえねえ、おやかたさま」「このこ、へいき?」「しなない? だいじょうぶ?」
すずの首筋や腕の中、脇の下や膝の上に潜っていた鬼火たちが、キノコでも生えてくるようにひょこひょこと顔を出す。
「ああ。薊はもう大丈夫だって言ってた。お前らが頑張ったおかげだな」
お疲れさん、と大神が言うと、鬼火たちは安堵の表情を浮かべ、互いに微笑み合った。
「おんなのこ、たすかった」「よかったねえ、よかったねえ」「いいこ、いいこ」
彼らが必死に温めていた彼女は、つい先刻まで凍え死ぬ一歩手前だった。総出で温めた甲斐があったと、回復を喜ぶ鬼火たち。
大神はすずの前髪を払い、その下の額をまじまじと見た。
「ひえ、いたそう」「おっきいあざ」「やなかんじ」「おやかたさま、これなあに?」
鬼火たちは心の痛そうな表情を浮かべながら、すずの額を撫でたり、大神を見上げたりしていた。
「呪いの痕跡だ。しかも、俺が大嫌いなあの野郎のにおいがする」
こんなか弱そうな少女が背負うには、あまりに重すぎる呪いだ。
痣の見た目も赤黒くて不気味だし、人間社会の中で酷く虐められてきたであろうことは、想像に難くない。
大神はすずを慰めるようにそっと額を撫でた。すると、寝ていたはずのすずが「むうう……」と呻きながら身じろいだ。
「んふ、ふあふあ……いいにおい……んふふ……」
起こしてしまったかと思い、大神は慌てて手を引っ込めようとした。しかし、すずの手がそれよりも先に、大神の手に絡みついた。柔らかな獣毛の感触が心地いいらしく、すりすり頬を寄せてきている。
「お、おい、すず? あんまりされるとくすぐったいんだが……」
大神が寝ぼけているすずの肩を叩くと、彼女はぴたっと頬擦りをやめ、目を閉じたままぐりぐりと首を捻っていた。どうやら意識が覚醒したものの、状況を把握しかねているようだ。まぶたが閉じたままなのは、自力で開くことができないからだろうか。
「ここは……?」
「大丈夫か? お前は――」
「⁉」
大神が冷静に話しかけると、次の瞬間、すずは目の前にいる彼の顔面に頭突きを食らわせる勢いで起き上がり、
「もこもこの動物が喋ったあああ⁉」
と叫んだ。
彼女の肩や脇などにいた鬼火たちは、いきなり起き上がられた弾みで「きゃー」と転がり落ちた。団子のように弾力性がある彼らの体が、あちこちの床をぽいんぽいんと跳ね回る。
「お、落ち着け! 今、状況を――わふっ?」
「わあ、たまげたなあ! 浄土では動物も喋るんだあ~!」
初めてこちらの世界に来て混乱しているであろうすずに対し、大神は色々と事情を説明しなければと慌てたが――想定外なことに、すずは喋る獣を恐れるどころか、その頬を両手で包んでもにゅもにゅと揉み始めた。
「お、おい、お前……」
「おら、こんげおっきな動物を抱っこしてみたかったんだあ! うーん、いいにおいだなあ……今まで頑張ってきてよかったあ! 神様がおらに冥土のお土産くださったんだあ~!」
「冥土の土産、っておい! 話を聞いて――」
「それにしても、おっきい子だなあ。熊か? よしよし、いいこいいこ~」
いや、熊だったら呑気に撫で回している場合ではないだろう。
大神はそう言いたかったが、撫でているすずの手をうっかり噛んでしまったら申し訳ないので、「グウウ……」と黙らざるを得なかった。
「へへへ、おりこうさんだなあ。どこを撫でたらいいんろっかねえ。ここかなあ?」
大神が大人しくしているのをいいことに、すずは首や顎、額や耳などをふわふわ触り、くんくんにおいを嗅いでくる。あまりにも無遠慮なすずに戸惑っていた大神だったが、しばらく経つと、これがどういうわけか心地よくなってきた。
「ふ、ふへ、すずぅ、そこは、ふへへっ、んふへへへぇ」
すずの手つきはほどよくなめらかで、高級な絨毯の上でごろごろ転がっているときのような、贅沢な気分になってくる。しまいに大神は仰向けに転がり、飼い犬のようなだらしない姿になってしまった。
「あはは、おめさんはわんこだったがか! こんげいっぺこと撫でさせてくれる子だっけ、きっと飼い主に大事にされてたんろうなあ」
すずは大神が陥落したのに調子をよくして、ますます彼を撫で回してきた。衿の間からあふれんばかりに飛び出ている毛をもこもこと揉むように撫でられると、これがまたたまらなく気持ちがいい。大神はつい、きゃふんきゃふんと嬉しそうな声を上げてしまった。
「おやかたさま、たのしそう?」「ごまんえつ」「わおーん」「こっちもなでてー」「あつくないよ~」
楽しそうに盛り上がっている二人を見て、転がっていた鬼火たちも興味津々とばかりに周辺に集まってくる。中にはすずの背中に飛び乗り、自分も撫でろと催促する個体もいた。
部屋の空気が一気に賑やかになってきたところで、
「いや、違う違う違うっ!」
と、すずを引き剥がして正気に戻る大神。
「すず、状況を説明させてくれ。俺は犬じゃない!」
「えっ?」
すずは大神の声を聞くなり、ぽかんと口を開けて、固まった。
「あれ? その声、もしかして……大神、様?」
「そう。俺は大神だ」
固まっていたすずの表情筋がさらに、ぴきっと引きつった。真っ白な肌がサーッと青ざめるまでは、一秒とかからなかった。
「う、うわああああああああああ⁉ お、おお、おおお大神様あ⁉」
「おお、いい叫び声だな。思ったより元気そうだ」
大神は目の前ですずがあたふたしている様子に少し安堵した。しかし、すずはそれどころではないようで、
「なななな、なしてえ⁉ お、大神様、ええええ⁉」
と、見事に動転している。
「すみませんすみませんすみません‼ おらは大神様に対してなんて失礼なことをっ!」
「あははは、気にするな。むしろ気持ちよかったぞ」
様をつけて呼ぶような相手を犬扱いしてしまい、すずはひいひい萎縮した。しかし、神様の自分をここまで景気よく撫でてくれる人間はなかなかいないので、大神としてはむしろ嬉しい。状況が許すならいつまでも撫でられていたいと思ったくらいだ。
すずはしばらく謝り続けていたが、落ち着きを取り戻したところで、
「お、おら……じゃなくて、私は死んだんじゃ……?」
と、おそるおそる尋ねてきた。
自分の頬をつねったり、床や毛皮などの感触を念入りに確かめたりしているのを見るに、混乱はまだおさまっていないようだ。
「現世では死んだも同然だろうな。実際はこの隠世でこっそり生き延びてるんだが」
「かくりよ?」
さて、どこから説明したものか。
大神は顎に手をやりつつ、思案した。
「ここは『隠世』と呼ばれる世界でな。すずたち人間が住む『現世』とは別の世界だ。人間の世界からは隠れていて見えない、神様やあやかしが住む異界のことだな。普通、人間は隠世には入ってこられないんだが、すずは俺が特別に招いて連れてきた。神隠しと言ってもいいかもしれない」
「はあ~……私、神様の世界に招待されたんですか」
小柄で痩せっぽちな見た目に反し、すずの反応は実に鷹揚だった。
近年は隠世の存在自体を信じない人間も増えてきた。なのでこんな話をすると、ありえないと動転されたり、困惑されることもままあるのだ。
すずのようにどっしり構えて話を聞ける人間は、かなり稀な類いだ。ずいぶん肝の据わった少女だ、と大神は思わず感心してしまった。
「にしても、驚いたぞ。たまたま通りかかった神社の拝殿を覗いたら、人間の女の子が縛られて転がされているときたもんだ」
大神は光景を目にしたとき、この時代にまだ人身御供なんてことをする人間がいたのか――と、驚き呆れた。他の島では、文明開化だの新時代だのと声高に謳われて久しいのに、自分が管轄するこの北国島はなんとまあ古くさいこと。こんな誰も得をしない因習がまだ残っているのかと思うと、大神は少々悲しくなってくる。
「? 生贄を欲したのは、貴方のほうでしょう?」
「ん?」
きょとんとしたすずの台詞に、大神もわけが分からず、一緒に首を傾げた。
そんな物騒なものを欲した記憶はない。大神は獣の神ではあるが、人間が犠牲になる人身供物などは一切受け取らない主義だ。
どういうことだ、と大神が口を開く前に、すずはまくし立てるように話しだした。
「願いを叶えてもらえるなら、今ここで食べてもらっても結構です。さあ、どうぞ。煮るなり焼くなり、遠慮はいりません」
すずはその場に立ち上がり、それはそれは潔く、着物をガバッと脱いだ。包帯まみれの上半身があらわになったのを見て、大神は、
「待て待て、脱ぐな! 食べたりしないから、俺の話を一旦最後まで聞け!」
と慌てて目をそらしながら止めた。
すずはとりあえず着物を元に戻し、またその場にちょこんと正座した。
「なあ、すず。その額の痣はどうした?」
「私がまだ赤ん坊だったときに、物の怪に呪われたのでは、と言われています。私自身は全く記憶にありませんが」
「それは誰が言った?」
「村の神主さんです。そのときに、一緒にいた両親も亡くなってしまいました。きっと、同じ物の怪に襲われたんだろう、と」
「そうか……」
物の怪とは、現世の人間や温厚なあやかしたちを食らおうと襲いかかる、有害な化け物である。その多くは、人や獣から生まれた怨念や邪念などのなれの果てであり、大神にとっても討つべき敵だった。
「両親に関してはなんとも言えないが、額の痣は間違いなく物の怪の呪いだ。盲目になったのもその呪いの影響だろう。どうやら、すずは物の怪に狙われやすい体質みたいだな」
「そう、なんですか……」
すずは不安や嫌悪からか、苦虫を噛み潰したような顔をして自分の腕をしきりにさすっている。
「その呪いをかけた相手は、誰なんでしょうか?」
「猿神の野郎だ」
「猿神?」
「ああ。そのにおいは間違いねえ。奴は物の怪の中でも最上級にたちが悪い。話から察するに、俺の名を騙って、あらかじめ目をつけていたお前を手に入れようとしたんだろう。奴の常套手段だ」
猿神は人を騙してもてあそび、ときには人里を滅ぼすほどの嵐をもたらす、非常に危険な物の怪だ。神出鬼没で悪知恵も働くため、大神も手を焼いている。
目が見えなくなるようなきつい呪いをかけたのは、それほどすずに執着しているということに他ならない。
「だが、偶然出会ったとはいえ、これも何かの縁だろう。猿神は俺とお前にとって因縁の相手、討つべき宿敵というわけだ」
表情を曇らせていたすずに向かって、大神は口角を吊り上げ、牙を見せながら笑った。
「よし、任せな。その呪い、俺が解除してやる」
「本当ですか⁉」
大神が膝を叩いて断言すると、すずの表情は雲一つない青空のように、ぱああっと明るく輝いた。
「呪いを解除する方法は二つ。呪いをかけた物の怪に解除させるか、そいつを討つか、だ。物の怪は獲物に目印をつけるために呪いをかける習性がある。向こうが呪いを解かない限りは、必ずすずを襲いに来るはずだ」
「じゃあ、待っていれば、いずれは私の前に姿を現すということですね」
「そう。とはいえ、猿神は身を隠すのが上手い。奴の居場所が分からない今は受け身しかとれないし、向こうが逃げたり隠れたりすれば、かなり長丁場になる可能性もある。それでも頑張れそうか?」
「はい、もちろんです」
すずは覚悟を決めたような、きゅっと締まった真剣な表情で、もう一度深く頭を下げた。
「ありがとうございます、大神様。なんとお礼を申し上げたらいいか……」
「よせよ、困ってる人間を助けるのは神様として当然だろう」
自分はただ、神としての責務を全うしているだけだ。大神はそう言って、顔を伏せているすずの肩をぽんぽん叩く。
「そういうわけで、俺から一つ提案だ。お前さん、この屋敷に住み込んで、俺の世話人として働かないか?」
「ほへっ?」
「猿神から身を守るためとはいえ、屋敷の中でじっと身を潜めているだけってのは苦痛だろう。もちろん、働いた分の報酬は出させてもらう。飯も三食ついて、風呂と寝床もありだ。他にも必要な配慮があれば、相談に乗ろう」
すずはまたぽかんと口を開けた。
生贄として死ぬばかりだと思っていたところに予想外の提案をされ、戸惑っているのだろう。
「でも、私は盲目ですし、なんの取り柄もありません。大神様のお役に立てるとは、とても思えないのですが……」
確かに、盲目のすずにできることは限られているだろう。自分自身のことはある程度できたとしても、他者の世話となれば話は別だ。不安も大きいに違いない。
しかし、それでも問題はない――これまでのやり取りで、大神はある仕事をすずに任せたいと考えていたのだ。
「心配するな。すずにお願いしたいのは俺の毛づくろいだ」
「大神様の、毛づくろい?」
「おう。あんなに撫でるのが上手い奴は初めてだったなあ」
先ほどすずに撫でられた感覚を思い出すと、尻尾がぱたぱた揺れてしまう。あれを毎日してもらえるなら、どんなにきつい仕事でも頑張れそうだと、大神はうっとりしていた。
「そんなにお好きなんですか? 毛づくろい」
「もちろん。毛づくろいが嫌いな獣なんていない! むしろ、獣は毛づくろいでその日の調子が決まると言っても過言じゃない。お前の村の雪を止めて、猿神の調査も進めなきゃならねえ俺としては、疲れを労って調子を整えてくれる世話人が欲しいわけだ。自分で言うのもなんだが、俺は毛づくろいにものすごくこだわるし、俺を満足させられる奴はめったにいない。こんな逸材、今すぐ手に入れなきゃいつ手に入れるんだ!」
「は、はあ」
ついつい熱を入れて語ってしまった大神は、少し引き気味のすずに気づくと、「おっとすまん」と軽く咳払いをした。
「で、どうだ? 引き受けてくれたら非常に助かるんだが……」
「はい、もちろんです。それで大神様のお役に立てるのでしたら、精一杯やらせて頂きます」
すずの答えを聞き、大神の中に、ぎゅんぎゅんと体中を駆け回るような嬉しさがこみ上げてくる。
「~ぃよっしゃあっ! ついに念願の毛づくろい役を確保したぞ! これで俺の生活の質がぐっと上がる……くふふふ、楽しみだなあ! くふふふ~!」
「は、はあ……」
勢いよく拳を突き上げ、舞い踊るように喜ぶ大神の様子に、すずは困ったような愛想笑いを浮かべていた。しかし、大神は戸惑っているすずの視線など欠片も気にしない。彼にとって、専属の毛づくろい役ができたことは、それくらい嬉しい出来事だったのだ。
(一)
農耕と狩猟が息づく、厳寒の『北国島』。
華やかな西洋文化が広がる新都『東国島』。
古来の風雅な文化が根付く古都『西国島』。
国内でも飛び抜けて外交が盛んな港を擁する『南国島』。
照日ノ国は、東西南北に浮かぶ四つの島で成り立っている。島はそれぞれ『大神』、『烏神』『狐神』、『蛇神』という四島守護神と呼ばれる神たちによって守られ、その庇護の下、人間とあやかしが領域を分けて生活していた。
さて、北国島の霊峰・鉈切山は、照日ノ国でも有数の豪雪地帯だ。
雲より高い鉈切山の中腹より上には『大神屋敷』と呼ばれる茅葺き屋根の屋敷があった。決して豪華絢爛とは言えない質素な見た目だが、吹雪程度ではビクともしない頑丈な造りで、あやかしたちにとっては厳しい冬を乗り越えるための仮の宿だった。
「ずいぶん奇特な方を拾ってきましたね。お館様」
そして現在――大神屋敷の最上階では、屋敷の主である大男と、彼の部下である薬師の男が向かい合って話していた。
「奇特? 大袈裟だな、物の怪の呪いを受けた人間なんてそう珍しくないだろう」
「人間をここに連れてくること自体が奇特だと申しているのです。ここはあやかしと神が住まう隠世なのですよ」
「そんなこと言って、目の前で今にも死にそうになっている女の子を見捨てられるかよ」
大男は、先ほど拾ってきた人間の少女の状態を思い出しながら、渋い顔をする。
誰が見たって分かる――彼女の状態は、酷いなんてものじゃなかった。体はあばらが浮き出るほど痩せこけていて、その上をいくつもの傷痕や痣が縦横無尽に走っていた。間違いなく、昨日今日につけられたものではない。長い期間をかけて、何度も何度も刻み込まれたものだ。
まだ年端もいかない少女になんという無体を働くのだ、と大男は彼女を傷つけた犯人に憤っていた。
「そんな四角四面なことを言ってると、せっかく綺麗に丸めた頭がサイコロみたくなっちまうぞ、薊」
「頭をつるつる撫でないでください」
剃髪の男――薊は、口を尖らせる。彼は右半分こそ端整な顔立ちではあるものの、左半分は顔面の皮や肉が完全にハゲていて、白い頭蓋骨がむき出しになっていた。文字どおりのハゲ頭ということである。本来目玉が入っているはずの眼窩からは、植物の蔓がにょろりと伸びていて、まるで風雨にさらされたしゃれこうべに生きた人間の体が生えているようだった。
「しかし、久々に山を降りると疲れるな」
「ならば、そのむき出しの胸をしまってはどうですか? 寒さでも疲れは出ますよ」
「嫌だ、胸がキツくなる」
そして、屋敷の主たる大男――大神は、眉目秀麗ながら素朴な出で立ちだった。元が荘厳な印象の美丈夫である分、質素な着物をざっくり身にまとうことで釣り合いをとっているかのようだ。後ろへさっと垂らした夜空色の長髪と、稲穂の海を思わせる黄金色の目が特徴的だが、右目は眼帯で隠れている。
「つるっぱげの寒そうな頭した奴に言われても、説得力皆無だぞ」
「誰がつるっぱげですか。頭を撫でない!」
円を描くように撫でる大神の手を、薊がぺっと払う。
「こんな漫才みたいなことばかりしているから、残念な美男などと言われるのです。見た目も声もよいものをお持ちなのですから、もっと威厳ある振る舞いを……」
「冗談。こんなデカブツが威厳なんか見せてたら、誰も寄りつかなくなっちまう」
そう言って、大神はぐっと伸びをした。
彼の全身を、柔らかな紺色の毛が覆い尽くしていく。頭頂部にはピンと尖った三角の耳が生え、着物の隙間からは下ろしたての筆のような尻尾が姿を現す。一秒と経たないうちに、大神は二足歩行の狼となっていた。
「ほら。こんなにいい毛並みなのに、怖がられて誰にも触ってもらえないなんて、悲しすぎるじゃないか」
「貴方、どんなに撫でられるのがお好きなんですか」
奔放な主に、はあ、と嘆息をもらす薊。
そんなことより、と大神が話題を切り替えた。
「あの子の状態はどうだった?」
「低体温症については、鬼火たちがいるので大丈夫でしょう。ですが、栄養状態がかなり深刻です。日常的に暴力を受けていた痕跡も見られました。意識はすぐに回復するはずですから、そのあとは少しずつ栄養を摂って治療していきましょう。そうすれば、日常生活も送れるようになるかと」
「そうか。……目については?」
その質問に対して、薊はかぶりを振りながら答える。
「酷いものでした。呪いが奥深くまで食い込んでいるのか、眼球そのものが白く濁っていて、何も様子が分からないのです。現状、視覚器として全く機能していないことだけは確かなのですが」
「呪いをどうにかしない限りは、対処法を分析することもできない、か」
大神は神妙な面持ちでため息を一つついて、かの少女が口にした言葉を反芻した。
「虫になってもいいから、明るい目が欲しい……か」
呪いを受け、目を奪われ、どんなにつらい思いをしてきたのだろう。大神は少女が不憫でならなかった。
なんとかして、彼女に明るい目を取り戻してあげられないものか、と大神は唸った。
「お館様。あの娘、本当に屋敷で保護するのですか?」
「当たり前だろう。なぁに、うちはワケありや流れ者もゴロゴロいるんだ。そこに一人くらい人間が混ざったところで、何も変わりゃしないさ」
「しかし、人間は害をなす『物の怪』と、温厚な『あやかし』を混同しがちです。彼女があやかしたちを、物の怪の仲間だと思って怖がったりしないでしょうか」
物の怪とあやかしの大きな違いは、邪気の有無にある。あやかしや神はある程度の邪気を感知できるが、人間は大半の者が邪気を感知できない。だから同じ異形であるあやかしを、物の怪と勘違いして怖がることも多いのだ。
心配する薊に対する大神の返答は、意外と楽観的だった。
「人間があやかしを怖がるのは、見た目が人間と違うからだ。見た目にとらわれないあの子なら、意外とあっさり打ち解けられるかもしれないぞ?」
「そう都合よくいけばいいのですが……」
「なんならいっそ、屋敷の奴らと顔を合わせながら、飯でも食ってもらうってのはどうだ?」
「いきなり食事を共にしてもらうのですか?」
「ああ。もちろん無理強いするつもりはない。あの子が嫌がったら、そのときに別の手を考えればいいさ」
少女が目覚める前からあれこれ気を揉んでいても、無駄に神経をすり減らすだけだ。なら、どうすれば仲良くできるかを想像したほうが、ずっと楽しいに決まっている。依然として浮かない顔をする薊に、大神はにっと笑いかけた。
*
「おかおのいろ、もどった?」「ううん、まっしろ」「もしかして、もともとまっしろ?」「ありえる」
大神屋敷の別の部屋では、幼い子供の声が囁き合っていた。
しかし、ここには一人たりとも子供はいない。いるのは、鮮やかな緋色の炎をまとった生き物たちだ。ちょうど大福餅のような形状の体からは、小さな手足がちょこんと生えていて、まるで丸々と太った蛙のようだ。
「ゆきんこかな」「おもちみたい」「かわいいねえ」「ねんねんころりん」
彼ら――鬼火たちが覗き込んでいるのは、本来ここに存在しえない、『すず』という人間の少女だった。
彼女は今、鹿や熊などの毛皮に包まって、穏やかに寝息を立てている。
「こら、お前ら。病人が寝てるんだから、静かにしな」
そこへ、大神が鴨居をくぐって部屋に入ってきた。彼は鬼火たちに向かって人差し指を立てながら注意すると、すずの傍らに腰を下ろした。
「おやかたさまだあ」「ねえねえ、おやかたさま」「このこ、へいき?」「しなない? だいじょうぶ?」
すずの首筋や腕の中、脇の下や膝の上に潜っていた鬼火たちが、キノコでも生えてくるようにひょこひょこと顔を出す。
「ああ。薊はもう大丈夫だって言ってた。お前らが頑張ったおかげだな」
お疲れさん、と大神が言うと、鬼火たちは安堵の表情を浮かべ、互いに微笑み合った。
「おんなのこ、たすかった」「よかったねえ、よかったねえ」「いいこ、いいこ」
彼らが必死に温めていた彼女は、つい先刻まで凍え死ぬ一歩手前だった。総出で温めた甲斐があったと、回復を喜ぶ鬼火たち。
大神はすずの前髪を払い、その下の額をまじまじと見た。
「ひえ、いたそう」「おっきいあざ」「やなかんじ」「おやかたさま、これなあに?」
鬼火たちは心の痛そうな表情を浮かべながら、すずの額を撫でたり、大神を見上げたりしていた。
「呪いの痕跡だ。しかも、俺が大嫌いなあの野郎のにおいがする」
こんなか弱そうな少女が背負うには、あまりに重すぎる呪いだ。
痣の見た目も赤黒くて不気味だし、人間社会の中で酷く虐められてきたであろうことは、想像に難くない。
大神はすずを慰めるようにそっと額を撫でた。すると、寝ていたはずのすずが「むうう……」と呻きながら身じろいだ。
「んふ、ふあふあ……いいにおい……んふふ……」
起こしてしまったかと思い、大神は慌てて手を引っ込めようとした。しかし、すずの手がそれよりも先に、大神の手に絡みついた。柔らかな獣毛の感触が心地いいらしく、すりすり頬を寄せてきている。
「お、おい、すず? あんまりされるとくすぐったいんだが……」
大神が寝ぼけているすずの肩を叩くと、彼女はぴたっと頬擦りをやめ、目を閉じたままぐりぐりと首を捻っていた。どうやら意識が覚醒したものの、状況を把握しかねているようだ。まぶたが閉じたままなのは、自力で開くことができないからだろうか。
「ここは……?」
「大丈夫か? お前は――」
「⁉」
大神が冷静に話しかけると、次の瞬間、すずは目の前にいる彼の顔面に頭突きを食らわせる勢いで起き上がり、
「もこもこの動物が喋ったあああ⁉」
と叫んだ。
彼女の肩や脇などにいた鬼火たちは、いきなり起き上がられた弾みで「きゃー」と転がり落ちた。団子のように弾力性がある彼らの体が、あちこちの床をぽいんぽいんと跳ね回る。
「お、落ち着け! 今、状況を――わふっ?」
「わあ、たまげたなあ! 浄土では動物も喋るんだあ~!」
初めてこちらの世界に来て混乱しているであろうすずに対し、大神は色々と事情を説明しなければと慌てたが――想定外なことに、すずは喋る獣を恐れるどころか、その頬を両手で包んでもにゅもにゅと揉み始めた。
「お、おい、お前……」
「おら、こんげおっきな動物を抱っこしてみたかったんだあ! うーん、いいにおいだなあ……今まで頑張ってきてよかったあ! 神様がおらに冥土のお土産くださったんだあ~!」
「冥土の土産、っておい! 話を聞いて――」
「それにしても、おっきい子だなあ。熊か? よしよし、いいこいいこ~」
いや、熊だったら呑気に撫で回している場合ではないだろう。
大神はそう言いたかったが、撫でているすずの手をうっかり噛んでしまったら申し訳ないので、「グウウ……」と黙らざるを得なかった。
「へへへ、おりこうさんだなあ。どこを撫でたらいいんろっかねえ。ここかなあ?」
大神が大人しくしているのをいいことに、すずは首や顎、額や耳などをふわふわ触り、くんくんにおいを嗅いでくる。あまりにも無遠慮なすずに戸惑っていた大神だったが、しばらく経つと、これがどういうわけか心地よくなってきた。
「ふ、ふへ、すずぅ、そこは、ふへへっ、んふへへへぇ」
すずの手つきはほどよくなめらかで、高級な絨毯の上でごろごろ転がっているときのような、贅沢な気分になってくる。しまいに大神は仰向けに転がり、飼い犬のようなだらしない姿になってしまった。
「あはは、おめさんはわんこだったがか! こんげいっぺこと撫でさせてくれる子だっけ、きっと飼い主に大事にされてたんろうなあ」
すずは大神が陥落したのに調子をよくして、ますます彼を撫で回してきた。衿の間からあふれんばかりに飛び出ている毛をもこもこと揉むように撫でられると、これがまたたまらなく気持ちがいい。大神はつい、きゃふんきゃふんと嬉しそうな声を上げてしまった。
「おやかたさま、たのしそう?」「ごまんえつ」「わおーん」「こっちもなでてー」「あつくないよ~」
楽しそうに盛り上がっている二人を見て、転がっていた鬼火たちも興味津々とばかりに周辺に集まってくる。中にはすずの背中に飛び乗り、自分も撫でろと催促する個体もいた。
部屋の空気が一気に賑やかになってきたところで、
「いや、違う違う違うっ!」
と、すずを引き剥がして正気に戻る大神。
「すず、状況を説明させてくれ。俺は犬じゃない!」
「えっ?」
すずは大神の声を聞くなり、ぽかんと口を開けて、固まった。
「あれ? その声、もしかして……大神、様?」
「そう。俺は大神だ」
固まっていたすずの表情筋がさらに、ぴきっと引きつった。真っ白な肌がサーッと青ざめるまでは、一秒とかからなかった。
「う、うわああああああああああ⁉ お、おお、おおお大神様あ⁉」
「おお、いい叫び声だな。思ったより元気そうだ」
大神は目の前ですずがあたふたしている様子に少し安堵した。しかし、すずはそれどころではないようで、
「なななな、なしてえ⁉ お、大神様、ええええ⁉」
と、見事に動転している。
「すみませんすみませんすみません‼ おらは大神様に対してなんて失礼なことをっ!」
「あははは、気にするな。むしろ気持ちよかったぞ」
様をつけて呼ぶような相手を犬扱いしてしまい、すずはひいひい萎縮した。しかし、神様の自分をここまで景気よく撫でてくれる人間はなかなかいないので、大神としてはむしろ嬉しい。状況が許すならいつまでも撫でられていたいと思ったくらいだ。
すずはしばらく謝り続けていたが、落ち着きを取り戻したところで、
「お、おら……じゃなくて、私は死んだんじゃ……?」
と、おそるおそる尋ねてきた。
自分の頬をつねったり、床や毛皮などの感触を念入りに確かめたりしているのを見るに、混乱はまだおさまっていないようだ。
「現世では死んだも同然だろうな。実際はこの隠世でこっそり生き延びてるんだが」
「かくりよ?」
さて、どこから説明したものか。
大神は顎に手をやりつつ、思案した。
「ここは『隠世』と呼ばれる世界でな。すずたち人間が住む『現世』とは別の世界だ。人間の世界からは隠れていて見えない、神様やあやかしが住む異界のことだな。普通、人間は隠世には入ってこられないんだが、すずは俺が特別に招いて連れてきた。神隠しと言ってもいいかもしれない」
「はあ~……私、神様の世界に招待されたんですか」
小柄で痩せっぽちな見た目に反し、すずの反応は実に鷹揚だった。
近年は隠世の存在自体を信じない人間も増えてきた。なのでこんな話をすると、ありえないと動転されたり、困惑されることもままあるのだ。
すずのようにどっしり構えて話を聞ける人間は、かなり稀な類いだ。ずいぶん肝の据わった少女だ、と大神は思わず感心してしまった。
「にしても、驚いたぞ。たまたま通りかかった神社の拝殿を覗いたら、人間の女の子が縛られて転がされているときたもんだ」
大神は光景を目にしたとき、この時代にまだ人身御供なんてことをする人間がいたのか――と、驚き呆れた。他の島では、文明開化だの新時代だのと声高に謳われて久しいのに、自分が管轄するこの北国島はなんとまあ古くさいこと。こんな誰も得をしない因習がまだ残っているのかと思うと、大神は少々悲しくなってくる。
「? 生贄を欲したのは、貴方のほうでしょう?」
「ん?」
きょとんとしたすずの台詞に、大神もわけが分からず、一緒に首を傾げた。
そんな物騒なものを欲した記憶はない。大神は獣の神ではあるが、人間が犠牲になる人身供物などは一切受け取らない主義だ。
どういうことだ、と大神が口を開く前に、すずはまくし立てるように話しだした。
「願いを叶えてもらえるなら、今ここで食べてもらっても結構です。さあ、どうぞ。煮るなり焼くなり、遠慮はいりません」
すずはその場に立ち上がり、それはそれは潔く、着物をガバッと脱いだ。包帯まみれの上半身があらわになったのを見て、大神は、
「待て待て、脱ぐな! 食べたりしないから、俺の話を一旦最後まで聞け!」
と慌てて目をそらしながら止めた。
すずはとりあえず着物を元に戻し、またその場にちょこんと正座した。
「なあ、すず。その額の痣はどうした?」
「私がまだ赤ん坊だったときに、物の怪に呪われたのでは、と言われています。私自身は全く記憶にありませんが」
「それは誰が言った?」
「村の神主さんです。そのときに、一緒にいた両親も亡くなってしまいました。きっと、同じ物の怪に襲われたんだろう、と」
「そうか……」
物の怪とは、現世の人間や温厚なあやかしたちを食らおうと襲いかかる、有害な化け物である。その多くは、人や獣から生まれた怨念や邪念などのなれの果てであり、大神にとっても討つべき敵だった。
「両親に関してはなんとも言えないが、額の痣は間違いなく物の怪の呪いだ。盲目になったのもその呪いの影響だろう。どうやら、すずは物の怪に狙われやすい体質みたいだな」
「そう、なんですか……」
すずは不安や嫌悪からか、苦虫を噛み潰したような顔をして自分の腕をしきりにさすっている。
「その呪いをかけた相手は、誰なんでしょうか?」
「猿神の野郎だ」
「猿神?」
「ああ。そのにおいは間違いねえ。奴は物の怪の中でも最上級にたちが悪い。話から察するに、俺の名を騙って、あらかじめ目をつけていたお前を手に入れようとしたんだろう。奴の常套手段だ」
猿神は人を騙してもてあそび、ときには人里を滅ぼすほどの嵐をもたらす、非常に危険な物の怪だ。神出鬼没で悪知恵も働くため、大神も手を焼いている。
目が見えなくなるようなきつい呪いをかけたのは、それほどすずに執着しているということに他ならない。
「だが、偶然出会ったとはいえ、これも何かの縁だろう。猿神は俺とお前にとって因縁の相手、討つべき宿敵というわけだ」
表情を曇らせていたすずに向かって、大神は口角を吊り上げ、牙を見せながら笑った。
「よし、任せな。その呪い、俺が解除してやる」
「本当ですか⁉」
大神が膝を叩いて断言すると、すずの表情は雲一つない青空のように、ぱああっと明るく輝いた。
「呪いを解除する方法は二つ。呪いをかけた物の怪に解除させるか、そいつを討つか、だ。物の怪は獲物に目印をつけるために呪いをかける習性がある。向こうが呪いを解かない限りは、必ずすずを襲いに来るはずだ」
「じゃあ、待っていれば、いずれは私の前に姿を現すということですね」
「そう。とはいえ、猿神は身を隠すのが上手い。奴の居場所が分からない今は受け身しかとれないし、向こうが逃げたり隠れたりすれば、かなり長丁場になる可能性もある。それでも頑張れそうか?」
「はい、もちろんです」
すずは覚悟を決めたような、きゅっと締まった真剣な表情で、もう一度深く頭を下げた。
「ありがとうございます、大神様。なんとお礼を申し上げたらいいか……」
「よせよ、困ってる人間を助けるのは神様として当然だろう」
自分はただ、神としての責務を全うしているだけだ。大神はそう言って、顔を伏せているすずの肩をぽんぽん叩く。
「そういうわけで、俺から一つ提案だ。お前さん、この屋敷に住み込んで、俺の世話人として働かないか?」
「ほへっ?」
「猿神から身を守るためとはいえ、屋敷の中でじっと身を潜めているだけってのは苦痛だろう。もちろん、働いた分の報酬は出させてもらう。飯も三食ついて、風呂と寝床もありだ。他にも必要な配慮があれば、相談に乗ろう」
すずはまたぽかんと口を開けた。
生贄として死ぬばかりだと思っていたところに予想外の提案をされ、戸惑っているのだろう。
「でも、私は盲目ですし、なんの取り柄もありません。大神様のお役に立てるとは、とても思えないのですが……」
確かに、盲目のすずにできることは限られているだろう。自分自身のことはある程度できたとしても、他者の世話となれば話は別だ。不安も大きいに違いない。
しかし、それでも問題はない――これまでのやり取りで、大神はある仕事をすずに任せたいと考えていたのだ。
「心配するな。すずにお願いしたいのは俺の毛づくろいだ」
「大神様の、毛づくろい?」
「おう。あんなに撫でるのが上手い奴は初めてだったなあ」
先ほどすずに撫でられた感覚を思い出すと、尻尾がぱたぱた揺れてしまう。あれを毎日してもらえるなら、どんなにきつい仕事でも頑張れそうだと、大神はうっとりしていた。
「そんなにお好きなんですか? 毛づくろい」
「もちろん。毛づくろいが嫌いな獣なんていない! むしろ、獣は毛づくろいでその日の調子が決まると言っても過言じゃない。お前の村の雪を止めて、猿神の調査も進めなきゃならねえ俺としては、疲れを労って調子を整えてくれる世話人が欲しいわけだ。自分で言うのもなんだが、俺は毛づくろいにものすごくこだわるし、俺を満足させられる奴はめったにいない。こんな逸材、今すぐ手に入れなきゃいつ手に入れるんだ!」
「は、はあ」
ついつい熱を入れて語ってしまった大神は、少し引き気味のすずに気づくと、「おっとすまん」と軽く咳払いをした。
「で、どうだ? 引き受けてくれたら非常に助かるんだが……」
「はい、もちろんです。それで大神様のお役に立てるのでしたら、精一杯やらせて頂きます」
すずの答えを聞き、大神の中に、ぎゅんぎゅんと体中を駆け回るような嬉しさがこみ上げてくる。
「~ぃよっしゃあっ! ついに念願の毛づくろい役を確保したぞ! これで俺の生活の質がぐっと上がる……くふふふ、楽しみだなあ! くふふふ~!」
「は、はあ……」
勢いよく拳を突き上げ、舞い踊るように喜ぶ大神の様子に、すずは困ったような愛想笑いを浮かべていた。しかし、大神は戸惑っているすずの視線など欠片も気にしない。彼にとって、専属の毛づくろい役ができたことは、それくらい嬉しい出来事だったのだ。
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