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九月『子猫の嫁さがし』

その二

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 音音は大変居心地悪そうに、そわそわしていた。無理もない──三八と双子、それに柄田も合わせ、四人の男から一挙に視線を浴びなければいけないこの状況。元々引っ込み思案の彼女にとっては、凄まじい威圧感だった。

「これは……大変? ですね……」
「うわー、本当に猫の耳じゃん」

 音音の頭上でしきりにぴこぴこ動いている三角の物体は、単なる飾りなどではない。間違いなく、生物の一部だった。
 三八が横から指でちょんとつつけば、音音は少しだけ擽ったがって身をよじる。きちんと感覚も通っているらしい。

「虫干しは終わったのではなかったか」
「そのはずなんだけどねえ」

 三八と柄田も、この由々しき事態に顔を顰めている。なぜ、禁書の虫干しがひと段落ついた今、どう考えても禁書の仕業としか思えない事態が発生しているのか。
 禁書の【毒】たちは昨日、確かに全員本体の本に帰ったはずである。三八と双子で点呼を取っていたから間違いない。

「どうなんだ、七本。貴様の鼻はなんと言っている」
「うーん……これ、多分うちにいる子じゃないねえ。外のにおい……というか、泥のにおいがするなあ」
「泥、か……」

 泥のにおいと言われて、音音は明らかに嫌そうな顔をするが、実際本当に泥臭いわけではない。
 三八の嗅覚が捉えているのは、現在音音に猫耳を生やしている禁書の【毒】の気配である。
 どこの禁書の仕業であろうかと探るためにも、三八は先ほどから音音の体のあちこちを、『変態』などと罵られることも辞さない覚悟で嗅いでいるが、外から来ている以上の情報は分からないらしい。

「唯助、お前も何か感じねーのかよ。おっさんみたいに姉御のにおいを嗅ぐとかさ」
「それはおれにはちょっと……」

 夫の三八はまだいいとして、そうでもない唯助が若い女性のにおいを嗅いではいよいよ犯罪である。まだ未成年なのに変態犯罪者扱いされるのはごめんだと、唯助は首を振って拒否した。

「なんでもいい。唯助もにおい以外でなにか感じることはあるか?」
「うーん、特になにも………あっ」
「なにか気づいたか?」

 柄田が食い気味に反応する。

「そういえば、姐さんは最近、猫を触ってました」
「猫を?」
「ああ、それならおれも一昨日見た。おっさんが外に出てる時に、裏手から三毛猫が来てな」
「それは本当かな、音音?」
「ええ、確かに。最近、度々猫ちゃんが訪れてきていたので、触っておりました」

 音音によれば、彼女が初めてその猫を見かけたのは、最近のことである。
 今から一週間ほど前のその日、音音は買い物に出かけて帰ってくる道のりで、怪我をした三毛猫を見かけた。
 他の野良猫と喧嘩した直後だったのか、体を引きずるようにして路地裏を歩いていたその猫には、左目がなかった。
 猫を哀れに思った音音は丁度誰もいなかった七本屋に猫を連れ帰り、怪我の手当てをした。
 猫は皆が帰ってくる前に帰って行ったが、それからというもの、たびたび七本屋を訪れてはどこからか盗んできた魚やら、捕まえた蛇やら、まだ熟しきっていない柿やらを持ってきていた。
 まるで、どこかの不思議な伝承のような話である。

「恩返しですかね?」
「笠かぶったお地蔵様みてえなことするやつだな」

 嬉しいような嬉しくないようなものばかりである。
 特に蛇など、音音が見たら悲鳴をあげて飛び上がりそうなものだが、無事だったのだろうか。
 双子の心配をよそに、音音はにっこりと笑っている。

「とっても甘えん坊で、可愛い猫ちゃんなんですよ」

 音音はまるで自分の腕の中に猫がいるかのように、ふわふわと見えない毛並みを撫でている。
 笑顔の乙女と猫が戯れあう光景が浮かんできそうだ。

「けど、その猫、姉御にしか懐かねえみたいなんだよな。おれらが近づこうとすると、すぐに逃げちまって」
「まあ、野良猫って警戒心が強いから無理もねえよな。姐さんは優しいって分かってたから、あの猫も懐いたのかもしれないし」
「……それだけなら良いのだがなあ」
「「え?」」

 音音を後ろからゆるりと抱きしめている三八は、なにやら暗雲たちこめる表情をしていた。隣の柄田も同様である。

「もし、その三毛猫が禁書の【毒】だった場合――音音殿を気に入ったのだとしたら、ことは非常に厄介だ」

 唯助と世助は、つい先月のことを思い出していた。
 禁書『先生の匣庭』の【毒】・珱仙――彼により異界に連れ込まれてしまった二人も、言うなれば珱仙に……禁書の【毒】に気に入られた人間なのだろう。

「つまり、姐さんもおれらみたいに禁書に連れ込まれるかもしれない、ってことですか?」
「そういうことだ」

 柄田が肯定する。

「けれど、猫という要素が被ってるだけで、あの子が禁書だと決めつけるのは横暴では……」

 音音は懸念を示す。
 ここにいるのは、普段から禁書との戦闘を任務としている柄田。それに、禁書士としては本職よりも腕の立つ三八である。
 可愛がっていた猫があらぬ嫌疑をかけられ、乱暴されるのは、音音にとって非常に心痛いことだ。

「もちろん、そうと決まったわけではない。ただ、音音殿になにかあってからでは遅い。警戒はすべきだろえ」
「だね。どの道、君のその猫耳はどうにかしないといけない。君のところに来ている猫も、一度関連性を調べねばなるまいよ」
「……そう、ですか。でしたら、せめて優しくしてあげてくださいまし。なにせ、怪我をしている子ですから」
「ああ、善処する」


*****


 柄田が休暇中、たまたま棚葉町に滞在していたのは、多方面で幸運なことであった。
 もし事が運び、禁書と遭遇することになった場合――この舞台は世助にとって、将来的に上司になるかもしれない柄田の目の前で己の実力を披露するにうってつけである。
 さらに、禁書回収部隊を率いる柄田の立ち回りを見て学ぶこともできる。柄田にしてみても、部隊員候補として世助を見定める良い機会となるであろう。
 相手は音音に既に手を出してしまっている。つまり、人質を取られているようなものだ。三八は禁書士としての能力も高いが、それでも妻を人質に取られては身動きが取りにくい。柄田のように即断即決で物事を処理して動ける要員がいることで、その懸念事項もある程度緩和することができる。

「音音殿にはいつも通り過ごしてくれと伝えておいた。私たちは音音殿とその周囲を観察する。猫が近づいたら、まずはこちらから接触せずに気配を消せ。逃げないよう音音殿には押さえていてもらうから、直ちに七本と私を呼ぶ。それ以外になにか異変が起きた時も同様だ。良いか?」
「おう」
「わかりました」

 そんなこんなで万全の警戒体制を敷き、音音の猫耳事件の調査は開始された。


 普段、音音は起きて身支度を整えると、まず初めに朝市に出かける。
 音音と、彼女と共に出かけた三八が戻れば、すぐに朝餉の支度が始まる。
 朝餉が済んで後片付けを終えれば、そこからは各自の仕事時間である。
 通常、双子は協力して貸本屋の日常業務(加えて禁書騒ぎで壊れた箇所の修繕)に取りかかるのだが、今回は交代で業務を進め、手が空いた片方が柄田と共に音音の周囲の警戒にあたった。
 唯助はこの日、初めて音音の家事をじっくり目の当たりにしたかもしれない。
 音音は食器の後片付けからすぐに休むことなく、昼餉の仕込みに取り掛かっている。
 先に捌いておいた魚をぬか床に漬けたり、米を洗って水につけておいたり、他にも様々な作業をしてから、ようやくひと息。
 ……かと思えば、次は洗濯である。
 洗濯板と石鹸で丁寧に洗い、すすいだ衣服ほ唯助や柄田も手伝って干していく。
 終えたかと思えば、次は掃除。本日は裏庭を軽く掃くだけなので手伝わなくても大丈夫だと言われて、二人は少し離れたところで腰を落ち着けた。

「すごいですね、姐さん。いっつもこれを一人でやってたなんて。おれらが手伝ってる家事なんて、ほんの一部だったんだ」
「改めてやってみると、ありがたみもまたひとしおだな」

 唯助や世助は女手の少ない家庭であったから多少は家事をしていたが、それでもここまでマメにこなしたことはない。粗野な野郎ばかりの道場、多少ちゃらんぽらんにしたところでお互い様なのである。それだけに、この七本屋で暮らす日々の快適ぶりは、音音のマメな家事があってこそのものなのだと痛感させられた。

「洗濯など久しぶりだ。ここにいた時にしかやったことがない。七本は家事がとことん苦手だったからな」
「どれくらいです?」
「洗濯をさせたらだいたいシワだらけ、飯は生米か黒焦げ、裁縫に至っては針に糸を通そうとして毎度指を刺す有様だ」

 ……思っていたより酷い。唯助は思った。
 あぁ、そういや旦那の書斎もめちゃくちゃ散らかってたっけ……などと、雑然としたあの風景を思い出す。

「奴に任せられる家事は、皿洗いとぞうきんがけまでがせいぜいだな」

 しかし、これに至っては三八が特別できなすぎるというわけでもない。三八の場合はドジが目立つが、身の回りの家事が全くできず、妻に任せっきりという男性も少なくはない。多少雑であっても、双子のような煮炊きなどできればまだ上等である。

「でも、旦那はちゃんと分かってますよね。自分ができないってこと」
「そうだな。七本はできないことを謙虚に受け止める。意外と難しいことでな」

 思い返せば、三八は音音よりも先に飯に手をつけた試しがない。いくら音音が良いと言っていても、必ず音音が卓に座るまで待っている。他にも後片付けを率先して手伝ったり、音音が気を配ってなにかをする度に礼を言う。当たり前といえば当たり前の姿勢なのだが、柄田の言うように、当たり前を当たり前にすることは意外と難しいことだ。

「なんていうか、いい夫婦ですよね。旦那も、姐さんも、お互いを思いやってて」
「あぁ。ぜひ見習うべきだな……… ――!」

 不意に、柄田のまとう空気が、キリリと鋭くなる。唯助もそれに倣って息を潜め、柄田と同じ方向へ視線を向けた。
 その先は、鼻歌を歌いながら落ち葉を掃いている音音――の、向こう側である。

「……あれか」

 会話に必要な最小限の声量で柄田は言う。
 『あれ』は、唯助の目もすでに易々と捉えていた。
白と黒と茶色の三毛猫――話に違わない、尻尾を食いちぎられ、左目が潰れた野良猫。
 その猫は見張りがいるとは気づかず、堂々と正面から音音に近づいていた。

「唯助、なにか感じ取れるか?」
「いえ、特に何も……」

 柄田は足音や物音を立てることはせず――手に隠していた小石を一つ、奥の部屋へと繋がる襖に投げた。三八が仕事をしている書斎だ。ほどなくして静かに襖が開き、三八が顔を出す。
 三八は猫を見るなり柄田に目配せすると(いや目は見えないのだけど)、ひたひたと二人に近寄った。

〈あれだ。左目のない三毛猫〉

 柄田と三八の間でのみ通じるハンドサインで、柄田は三八にそう伝える。
 音音は手にすりすりと近寄ってきた猫の頭を撫でていた。顎を撫で、指で頬や耳を按摩するように撫で、恍惚としている猫を愛でて微笑んでいた。
 しかし、をとらえた三八は、その光景に微笑むことはなかった。

〈大当たりだね〉

 三八はただ頷く。
 柄田のみならず、唯助にも理解できるように。ただ頷いて、二人に伝えた。
 ――「禁書だ、捕まえよう」と。
 音音が猫を抱き上げ、しっかりと膝の上に乗せて固定した時を狙い――

「音音、その猫を離すな」

 と、三八は命じた。
 猫はまさか他に人間がいたとは思わなかったらしい。自身の嗅覚が及ばない風下に三人がいたということもあって、非常に慌てていた。音音の膝の上でじたばたともがいている。

「音音、こいつだ。この猫は禁書だ。君を狙ってる。早く対処しないと」
「で、でも……」

 猫を渡せと差し出された三八の手と、三八から逃げ出そうとする猫。音音の視線は双方の間をさまよっていた。

「あ、あまり乱暴なことは……」
「それはこいつ次第だ。こんな町中で暴れられたらかなわん。その前に封じて本に帰さなければ」

 それでもなお、音音は渋ってしっかりと猫を離さなかった。
 音音には、この猫が怯えているようにしか見えないのだ。禁書だというならなおのこと、禁書士の三八や柄田の手に渡ればこの猫に何をされるか分からない。封じるなんて言葉を選んだところで、逃げようと暴れている禁書に、禁書士が手荒な真似をしないはずがないのだ。

「音音、早く!」

 三八が強制的に猫を音音から剥がそうとし、逆に音音の拘束が緩んだその一瞬。
 猫はそれを見逃さなかった。
 大きく身を捩り、逆に三八の眼前に飛びかかり――強烈な後ろ足の蹴りを、顔面に見舞ったのである。

「ぶッ!?」
「みや様っ!?」

 猫は三八の顔面を足蹴にし、そのまま七本屋の廊下を暴走し始めた。

「捕まえるぞ、唯助! 外に出すな!」
「はいっ!」

 猫一匹を引き金に、七本屋は一気に騒がしくなった。
 猫のすばしっこさは人間のすばしっこさとは違う。人間の形をした禁書であれば唯助の動体視力や反射神経で対処はできたかもしれないが、猫の形となればそうもいかない。
 なにしろ身が軽いぶん動きが速い上に、その動きも全く読めないのである。

「あっ、この! 待ちやがれ、このドラ猫ぉっ!」

 唯助が何度腕に抱えて捕まえようとしても、猫はそれをすり抜け、また走り抜けていく。まるで水で濡れた粘土のようだ。いくら捉えてもぬるぬるふわふわ滑るのだ。

「……! しめた!」

 猫が逃げている先には、店先の掃除をしていた世助がいる。世助のことだ、この騒ぎを聞いて構えているに違いない。
 そんな唯助の思惑通り、世助は店先の扉や他の部屋への扉も全て閉め切り、猫を待ち構えていた。
 脇道に逸れないよう誘導すれば、そこはもうふくろの鼠、否、ふくろの猫である。

「唯助、こっちだ! 挟み撃ちにすんぞ!」
「おう!」

 さすがは双子、連携においては柄田と三八以上の円滑さである。
 猫はまっすぐ世助にむかって突進し、――しかし、二人の予想と外れて、空中でいきなり体を捻って進路を変えた。

「なっ!?」

 人間にはできようはずもない無茶な動きで、猫は世助の腕もすり抜け、そして間に猫のいなくなった世助は――真正面からもろに唯助の体当たりを食らった。

「うぉわっ!?」
「ッッてぇ!?」

 勢いを殺そうとしていたからまだ軽かったとはいえ、自分と同じ体重、同じ体格をした肉体による突進は重い。双子はそのまま団子になって転倒した。

「ちぃッ! この――いッッ!?」

 逃げ回る猫を本棚に追い込み、進路を制限しようとした柄田だったが、それも上手くいかず。脇道を塞いだ箒の上を猫は即座に駆け上がり、柄田の顔面に爪痕を残しながら彼の横を駆け抜ける。

「くそッ、なんだあいつ! 変な動きばっかしやがる!」

 一瞬の隙をついて三八を蹴飛ばし、双子の連携も躱し、柄田の追い込みすらものともしない。想像以上に手強い猫である。

「捕まえたか!?」

 顔を蹴飛ばされた三八が追いつき、締め切った空間の中で四人体制。隅へ追い込み、逃げられてはまた本棚の間へ誘導し、と、猫と男四人による激しい攻防が繰り広げられる。

「世助、そっちから奥の棚に追い込め!」
「あいよ!」

 そして遂に。
 世助が本棚の狭い通路に追い込み、その先にいた唯助が上から籠を被せたことで――ようやく決着はついた。

「や……やっと、捕まえた……」
「散々、手こずらせやがって……!」

 体力自慢の双子にしては珍しく息が上がっていた。柄田も同様である。一番体力のない三八に至っては汗だくだ。
 予測不能な動きばかりする猫に翻弄され、その癖や法則を掴むまでに時間がかかってしまったのだ。
 そこへ、事態の収束を見計らった音音も部屋に入る。

「あ、あの……この子は……」
「はぁ……はっ……見ての通りだ……悪いが音音殿……これはさすがに、見逃しておけん……」

 戦闘慣れした双子と柄田をもってしても、このざまである。もう一度この猫を捕らえられるような自信など、この場にいる誰にもない。

「致し方ない。少し大人しくしていてもらう」

 数秒席を外していた三八が臙脂色の暖簾の向こうから出してきたのは――ほつれて淀んだ黒い糸を放出させている猛毒の禁書・『糜爛の処女』である。
 音音はそれを見て青ざめた。
 目にしておらずとも、その凶悪性は音音も知っていたからだ。

「そんな! この子が可哀想です!」

 禁書・『糜爛の処女』の猛毒は、使い手である三八が選んだ全ての物質を、例外なく爛れさせる。それも通常の火傷による爛れとは異なり、まさに毒薬のようにじわじわと侵食し、蝕むのだ。三八が禁書の【毒】たちを管理できているのは、悪い言い方をすれば――その強烈な毒によってねじ伏せているからである。

「しかし、音音。このままでは君に悪影響が出る。本体に帰すまでだ、すぐにこの猫の本を見つけてくるから、それまで……」
「でも、この子は既に怪我をしているんですよ? そんなところへ毒なんて使ったら、弱って死んでしまうかもしれません! 逃げないようにしたいのであれば、わたくしがこのまま見ております」
「それは駄目だ。その猫は音音殿に何をするか分からん。接触させるのは危険だ」
「ただ甘えにきただけではありませんか!」

 柄田と三八、音音の押し問答が続く。
 三八の言葉には素直に従う音音が、ここまで強く反発するのも珍しい。双子どころか、付き合いの長い三八や柄田でさえ、音音が真っ向から反論する場面を見たことはなかった。
 いくら説得しようにも、音音は猫を庇って譲らなかった。

「どうするんです? 暫く檻に入れて出られないようにするとか」

 仕方ないので、四人は籠を押さえながら円になって談議を始める。猫一匹に男四人が頭を悩ませる光景は、いささか滑稽である。

「けどこの猫、暴れてしょうがねえ。籠で押さえつけてもこじ開けようとしてきやがる。さっきの瞬発力といい、こっから上手く檻に入れられるとは思えねえよ!」
「なら、禁書を置いている部屋のように、このまま籠に栞を仕込んで結界を張るのはどうだ?」

ガリガリガリ

「ダメだ、それでは毒が強すぎる。籠の中では狭いし、触れる度に栞が反応してしまって、中で焼死しかねん。いくら禁書といえど、【毒】を殺すわけにはいかん」
「じゃあ姐さんに手を出さないよう猫を見張る役とこいつの本体を探す役で、二手に分かれるとか」

ガリガリガリガリ

「そうするしかなかろうな。時間との勝負になるが……」

ガリガリガリガリガリガリガリガリ

「──ちょっと待て、さっきからなんの音だ?」

 いつの間にか、会話をしているうちに足元からしていた音。ちょうど、猫が爪を研ぐような音である。まさか……と、双子が押さえていた籠を四人は注視する。
 円になっていた四人の、ちょうど死角である。竹で編まれた籠の編み目を、猫がガリガリ引っ掻いていた。しかも、猫を閉じ込めている籠はそろそろ買い換え時かと思われるような、そこそこに使い古したものである。

「……やべぇッ!!」

 世助が気づいて阻止しようにも、時すでに遅し。
 鋭い爪でボロボロにされ、ほつれたその穴から、猫が弾丸のごとく飛び出した。

「いってぇぇッ!?」
「世助っ!?」

 猫は妨害しようとした世助の手を力強く引っ掻くと、怯んだ一瞬のうちにまた部屋を駆け回った。
 さらに、猫を捕まえようと再び臨戦態勢をとった四人の後ろで、――がらりと扉の音がした。

「「「「なっ!?」」」」

 ばっ! と振り返って、四人全員が同時に目をむいた。約一名、目が見えない者がいたが。
 なんと、音音はあろうことか――店先の扉を開け放ってしまったのである。

「早く! こっちへお逃げ!」

 猫は音音の声に従うまま、硝子扉の隙間からすり抜けていった。
 なんたることか、音音は四人がかりで捕まえた猫、もとい禁書の【毒】を逃がしたのである。
 ――
 すぐさま追いかけようとした三八を、音音は硝子扉を後ろ手に閉めながら立ち塞がることで阻んだ。

「なんてことをするんだ! あれは禁書だぞ! しかも君は狙われているのに!」
「猫の耳を生やされただけではありませんか! 他には何も支障はありませんわ」
「今はなかったとしても、少しずつ侵食される可能性だってある! 早めに手を打つべきだ」
「だとしても、怖がって逃げている相手を乱暴するなんていけません!」

 三八は思い出した。
 音音は基本的にとても素直で聞き分けのいい性格だが――そのぶんというか、反動なのか、自身がこれと決意したことに関しては、信じられないほど頑固であった。
 結婚してからというもの、そんな姿を見ることもなくなっていたから、三八はすっかり忘れていたのである。
 そんな音音をどう説得しようかと思案していた三八に、初撃にしてとんでもなく高威力な一撃が、音音の口から炸裂した。

「乱暴なみや様なんてっ!」

 ――ぐさり。

 三八の脳天を、音音のたった一言が殴り抜く。一撃にして、必殺。一撃必殺の威力で脳天を殴られたことにより、脳細胞の神経伝達を全停止させられたかのような衝撃であった。
 ベタベタに溺愛する愛妻から発された、『嫌い』という二文字を前に――七本三八の心は無惨に折られた。
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