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十二月『消ゆ根雪』

その二

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「ごめんねぇ、ちょーっと天気悪くてさぁ。鉄道止まっちゃった」

 へらへらと笑いながら、その男――七本三八は部屋に入る。荘厳な雰囲気漂う一室にはいかにも相応しくない剽軽ひょうきんな態度に、修一郎は顔をしかめた。

「貴様、その調子でここまで歩いてきたのか」
「だったら何だって言うのさ」
「もう少し緊張感を持て。元隊長だろう」
「えぇ、隊長? なんのことやらさっぱりだねぇ」

 日常的に堂々ととぼけるこの男を追及するのは時間の無駄である。分かっていながらわざわざ咎めた自分が馬鹿だったと、修一郎はそれ以上余計なことは言わなかった。
 しかし、そんな修一郎の代わりに、今度はたまたまそこにいた綾城が声を上げた。

「……お久しぶりですね、光雪様。いえ、八田総隊長」
「うん?」

 伝説級の元帝国司書とは思えぬ、ゆるすぎる登場からずっとあんぐりと口を開けていた綾城に対し、とうの彼は今初めて彼女の存在に気づいたようであった。
 綾城が驚きのあまり間抜け面を晒してしまったのもむべなるかな。予想しなかった登場も、五十路とは思えない見た目の若さも、彼女の予想外だったのだ。それにも増して、なにより予想外であったのは。

「まさか、貴方が個人的に弟子を取っていたなんて、思いもしませんでしたわ。大金にも権力にも一切見向きしなかった貴方が――」
「何言ってんのかさっぱりだね、ご婦人。誰かと間違えていないかな?」

 この期に及んでまだとぼけ続ける三八に、綾城は笑顔を向ける。彼女は、あくまでも飄々とした態度を崩さない相手を小馬鹿にしたつもりであったが、この男は、それこそ馬鹿を見るような目で返した。毎度のごとく、目は前髪で見えないのだけど。

「この子はお利口だし、媚びへつらわないし、かといって傲らなければ努力も怠らない。なにより執念深い。どこぞの高慢ちきな女と違って、よほど出来の良い弟子だよ」

 悪戯っ子のようにちろっと舌を出す三八は、中年らしからぬ子供じみた印象であるが、それを見て般若のような恐ろしげな表情を顕わにする綾城はさらに子供じみていると言えよう。甚だ馬鹿馬鹿しいやり取りに呆れかえった修一郎は、

「『元・上司と部下か?』と、一応つっこんでおいてやろうか?」

 と言って強引に切り上げた。

「お気遣いありがとう。なに、語るに及ばないことさ。君と小生の仲睦まじさのようにね」
「気色の悪い言い方をするな」
「あいてっ」

 ふざけて擦り寄ろうとする三八の頭を、手に持っていた資料で叩く修一郎。師弟関係らしからぬ光景に口を挟みたいような気もしていた綾城であったが、さすがの彼女も、これ以上余計なことを言って自身のプライドを傷つけられるのは我慢ならないという結論に至ったらしい。

「――では、私は仕事がありますので、これにて」

 と、彼女は修一郎がちょうど話題を切り上げたのに乗じて、大人しく部屋を後にした。
 綾城の足音が聞こえなくなり、ようやくといった様子で修一郎は盛大なため息を漏らす。

「面倒くさい」
「あははは」
「笑うな。いたずらに人の神経を逆撫でしおって」
「いたずらにじゃないよ。ああいう高慢ちきの鼻はたまぁに折ってやらないと伸びる一方だから折っただけ。それに、可愛い弟子が虐められてるのかなぁって思ったからさ」
「それで虐めから救ったつもりか」

 修一郎は面倒だから敢えて口に出さないが、あれに対して虐めなんて言葉を用いるのは、あまりにも滑稽というものである。あれは単なる当てこすり、真面目に取り合うだけ無駄な言葉たちだ。

「性悪さは元上司に似たとか、元上司の癖が移ったとか言っていたが、やはりお前がその元上司だったのか」
「え、そんなこと言ってたの? やだなぁ、小生はあそこまで浅はかではなかろう」

 確かに、三八は必要以上に他人をコケにし尊厳を保つという三下のような振る舞いはしない。先ほどにしたってふざけているようではあったが、あれは相手を見極めた上で一番相手を煽るような振る舞い方をした結果に過ぎない。まあ、彼女よりは柔軟性と余裕を持って嫌みを言えるというだけで、つまりは彼女よりも性根が悪いということなのだが。

「まあいい。やっと静かになったのだから、さっさと仕事の話をするぞ」

 修一郎は資料の頁を捲る。そこに記されているのは、一連の連続殺傷事件に伴い調査していた――同時期に発生した行方不明者たちの一覧である。

「あぁ、君が関与を疑っていた事件か。どれどれ」

 三八は受け取った資料をバラバラと捲り、ものの数秒で内容を把握する。

「なるほど。行方がわからなくなった時間帯と、殺傷事件が起きたであろう時間帯――行方不明者の数と、落ちていた椿の数――確かに、全て一致しているな」

 だとすれば、この行方不明者が殺傷事件の被害者ということになるだろう。さらに、三八は資料に記載されていた行方不明者にある共通点を見出す。

「被害にあったであろう者たちは皆、武術の心得があった、と」

 鍔倉事件の被害者も、大半は道場を運営していた師範や門下生――居合の道を極めていた者たちであった。ここまで符号していれば、修一郎でなくともまず関与を疑いにかかるであろう。
 しかし、修一郎はそこで

「一つ解せんことがある」

 と不満げに言った。

「禁書『羅刹女』の能力を調査しても、誰一人それを知らんと言うのだ。帝国司書隊の隅から隅まで――今は引退した、発足時に在籍していた人物にも聞いて回ったのに」

 鍔倉事件と今回の事件を紐付けるならば、鍔倉事件の引き金となった禁書『羅刹女』の関与もまた、疑って当然なのだが――大陽本の本を管理する帝国司書隊においてもなお、その禁書についての詳細な情報があまりにも掴めなさすぎるのである。斬る以外にどんな力を持つのか――誰一人として分からない。ゆえに、鍔倉事件と今回の事件を線で結ぼうにも、その関連性を立証できないのだ。

「今回の事件は、厳密に言えばまだ禁書案件として成立していない。まだ『禁書の関連が強く疑われている』というだけの話だ。原因となった禁書を特定できない限りは、回収も逮捕もできん」

 修一郎としては事件解決のために一刻も早く部隊を動かしたいのだが、肝心の事項が不鮮明なのである。
 この国の本の権威ともいわれる八田幽岳が生み出した禁書――それを巡って、帝国司書隊の中で様々な思惑が渦巻いているのは確かだろう。しかし、市民にとっての一大事が発生している中で守る体面にいかほどの価値があろうものか――そんなわけで、修一郎としてもこの状況は手詰まりなのである。

「つまり、小生を呼んだのはその禁書について教えてくれ、ということかな?」
「そうだ」

 簡潔に頷く修一郎。しかし、三八もまた首を捻って困ったポーズをとるのである。

「昔から帝国司書隊で『羅刹女』の話を出すのは憚られていたからねぇ。小生もむかーし幽岳様に聞こうとしたんだけど、教えてくれなかったんだよねぇ。教えたら悪用される危険があるから駄目~って」

 言うまでもなく、それは都合のいい方便だ。八田幽岳にしてみれば、自分の紡いだ本が第一級禁書として扱われること自体バツが悪かったのだろうし、周囲もそれを推し量って言わないというのが強いのだろう。結局、八田幽岳を除いては誰一人、『羅刹女』の能力を知る者がいない。

「では七本。そうであるなら事件の調査に加わってくれ。事件が発生したら、現場で貴様の嗅覚を使ってもらいたい」
「要するに、次の事件が起こるまで備えてろってことだよねぇ。それ」

 三八はいやらしく笑っていた。にんまりと、口角を大きく吊り上げて、卑しく笑っていた。

「事件を未然に防ぐ方法があるなら是非ともお聞きしたいところだがな?」
「あはは、それは難しいねえ。回収部隊まで厳戒態勢を布くと、警察隊から嫌な顔されるんでしょ?」
「分かっているならわざわざ言うな。嫌な奴め」

 修一郎は忌々しそうに舌打ちをして、眉頭を指で押さえた。


 *


「事件を未然に防ぐ方法があった」
「は?」

 翌日、修一郎が三八の顔を見ざまに放った言葉がそれであった。いきなり言われた側の三八がぽかんと口を開けるのも当然である。

「ありがたいことに、向こうから犯行予告をしてくれた」

 そう言う修一郎の手には、一通の手紙がある。既に彼によって開封されたその封筒には真っ赤な封蝋が押してあり、これみよがしとばかりに特徴的な刻印が施されていた。

「……椿の花」

三八の言葉に修一郎は何も言わず、ただ中身の便箋を差し出す。

「……これは、呼び出しかね?」

 内容を五秒足らずで把握した三八が聞けば、修一郎はそれに黙って頷いた。

「間違いなく、妹の筆跡だ」
「『一人でいらして』、となると部隊を迂闊に動かすことはできんということか」

 まるで先手を打たれたようである。相手方はどういう手段を用いてなのか、帝国司書隊の動きを全て把握し読んでいるらしい。その事が面白くないとばかりに、三八は眉を顰めた。

「行く気なのか」
「当然だ」
「罠だとしても?」
「そんなことは関係ない」

 修一郎にとっては、復讐相手に会って攻撃できるまたとない好機である。それに、自身の部隊員に余計な手を出される可能性だってなくなる。

「羅刹女を奪った尾前一派も絡んでいる可能性は承知だろう? もし相手が妹一人ではなく多勢だった場合、君は死にに行くようなものだけど」
「どちらにせよ、今行かなくては死ぬ。あの愚妹に一矢報いて死ぬほうがマシだ」

 迷いも躊躇いもなく、修一郎はただ阿修羅のような顔をして手紙を睨んでいる。仇敵たる妹の存在を把握したこの機を復讐の絶好機ととらえて、呼び出しに応じるつもりでいるのだ。
 静かに燃える炎の熱さは、もはや三八ですら笑ってはいられないほどのものである。

「せめて、影に控えているくらいは許可してもらえるかね」
「構わない。羅刹女の被害を止めなければならん。私が倒れた時は貴様が妹を討ってくれ。だが、私が倒れるまでは余計な手を出すなよ」
「それは君の譚における重要な局面に限ってのことだ。もちろん、君の譚が破綻しないように小生も行動するが、君から結を聞く前に死なれたら困る。だから、その危険が迫った時だけは別だ」
「異なことを言う」

 修一郎は、そんな三八の言葉を一蹴する。

「私の譚は復讐譚だ。己の死を顧みない譚だ。例え相討ちになろうと、どころか犬死にになろうと、それは私の譚の形。それを横からねじまげるのは譚本作家の恥とすべきところではないか? 真央と私の勝負には決着がつくまで手を出すな。私の譚を得たいというのであれば、私の意志を妨げるな」

 反論をさせまいと矢継ぎ早に紡がれる修一郎の言葉。静かながらも全く止まる気配のない威勢に、三八はため息をひとつ漏らした。

「……分かったよ、分かった。好きに死ぬがいいさ。せめて満足のいく『結』を出しておくれよ。修」
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