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十月『蹴鞠童』

その二

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 翌日、三人は店を出た。朝餉を食ったばかりだというのに待ちきれない様子でいた三八に、双子が半ば急かされるような形であった。もうじきすれば、商人の町・棚葉町は活気にあふれ賑やかになることだろう。三八はそんな賑わいかけの町の中を真っ直ぐ行く。迷わず行く。

「すげーご機嫌だな、おっさん」
「だな。まあ、こうなるのも分かるけど」

 三八がこうまでご機嫌麗しいのは、久々にめぼしい譚を見つけ、それを味わえるという期待と喜びからであった。
 というのも、五月に唯助が譚の読み解きをしてから現在に至るまで、三八は良い譚とはとんと巡り会えなかったのである。しかもその間、三八は七本屋の者たちや柄田も巻き込むほどのひどい禁書案件に振り回され続けており、先月はあわや夫婦離婚の危機にまで発展してしまったのだ。どうにかそれらはすべて丸く収まったものの、三八の心は干物のように疲れ果て、ぺっそりとつぶれていた。
 そこへ大好きな譚本案件が舞い込んだのだから、三八の欣快きんかいぶりはまさに水を得た魚である。後ろを歩く双子から見ても、その足取りは湖面を跳ねる魚のように軽やかであった。

「で、おっさん。おれらは今どこに向かってんだ?」
「草村堂という古本屋だ。小生も十年ほど前から世話になってる。その店の知人から昨日、困ったことがあると相談されてな。なんでも、店の中に座敷童子が現れるのだとか」
「「座敷童子ぃ?」」

 座敷童子といえば、大陽本の北方に伝わる妖怪である。めったに人前には姿を現さないが、座敷童子のいる商家などは繁盛すると昔からまことしやかに囁かれてきているし、加えて運良く遭遇できた者は将来的に成功をおさめるという口伝まであるのだから、福の神と言い換えてもいいかもしれない。
 それを知っていた双子は小首を傾げた。

「なんでだ? 古本屋やってるところに座敷童子がいるなんて最高じゃねえか。そのうち繁盛しだすかもしれないぜ?」
「座敷童子は悪戯好きだから、もしかして悪戯が酷くて困ってるとか、ですか?」
「それもあるのやもしれん。が、問題は座敷童子そのものだけではない」

 三八はそう言うと、ぴたりと唐突に足を止めた。

「ほら、見てみろ」

 三八が指さした先を双子も目で追う。
 そこは渋い草色の暖簾を掲げた店であった。建物はところどころ改修されているようだが、一部の黒ずんでひび割れた壁材や朽ちかけの木材を見るに、随分と年季が入っている。
 その開け放たれた硝子戸には、複数の人影があった。人垣とまで言ってもいいかもしれない。目を凝らせば、その人影たちの手には各々キャメラや手帳がある。

「記者、ですか?」
「あぁ、そうだろうな」

 新聞だか雑誌だか分からないが、記者らしき人影はなにやら店の中の人物と言い争いをしているようであった。離れていたので内容までは聞き取れなかったが、片方の声は大きくなりつつも少し震えていて、もう少し行けば涙声だった。暫く言い争いが続いたあと、店の中にいた人物が「もうたくさんだ!」と店先にごった返した記者たちを押し返す。

「いい加減にしてくれ!」

 悲鳴じみた男性の声を受けた記者たちはぴしゃりと閉め出されてから、渋々と引き上げていった。中には舌打ちをする輩もいた。

「なんだよあれ。感じ悪ぃな」
「もしかして、みんな座敷童子を求めて?」
「おそらくな。詳細は本人から聞いた方がいい。行くぞ」

 三八は記者軍団が去ったあとの店に向かって歩き出した。


 草色の暖簾を潜ると、店先には中年の男がいた。男は中肉中背だったが、泥だらけになった店先の掃除をするその後ろ姿は、本来よりも丸く小さく見えた。
 三八の足音を敏感に捉えると、男は苛立たしげに声を上げる。

「しつこいな! 今日は休業日で……」

 そして、三八の姿を捉えるなり、「あっ」と小さく声を漏らす。ぽかんと口を開けていて、声に出さずとも「しまった」という台詞が聞こえてきた。

「やあ、佳孝よしたか殿。朝早くから大変だねぇ」

 佳孝と呼ばれた男は三八に向き直って一度背筋を伸ばすと、深々と頭を下げて非礼を詫びた。

「失礼しました、七本さん。てっきり野次馬かなにかだと……」
「気にするな。先ほども迷惑な客がいたみたいだしね」

 朝っぱらからあれだけの人数にドタドタと押し入られた直後ならば、苛立つのも仕方ない。先ほどの口ぶりからして、あの人だかりは今日が初めてではないらしいし、事情を聞いていない双子にもそれだけで苦労が察せられた。

「いや、お見苦しいところをお見せしてしまって申し訳ない」

 佳孝はばつが悪そうに頭をひとかきすると、三八の背後に見慣れない少年たちがいることに気がついた。

「その子たちですか? 昨日言ってた新しい店員さんは」
「ああ。紫色の着物が兄の世助、萌黄色が弟の唯助だ」

 三八に促されるような形で前に出た双子は

「どうも」「はじめまして」

 と頭を下げる。佳孝は同時に頭が下がった双子を見てくすりと笑った。

「初めまして。店員の草村佳孝です。七本さんとは父共々お世話になっております」

 店員、という単語が出てきたことを、双子は意外に思う。佳孝は白髪が混じった頭髪で、さらに顔にも皺が出始めている。若く見積もったとしても明らかに四十路は行っているだろう。双子はその見た目年齢から、てっきり佳孝が店主だと思ったのだ。

「しかし、君らのところも随分と息が長いな。世知辛いこの世の中、譚本中心の古本屋が生き残ってくれているのは嬉しい」
「そちらこそ、このご時世なのに譚本専門の貸本屋を営み続けているなんてすごいですよ。その信条、尊敬します」

 古くから多くの『本』の売買がなされてきたこの棚葉町には、一万の人口をゆうに上回る冊数の『本』が存在する。しかし譚本を取り扱う本屋は十年前の震災を発端として、急激に軒数を減らしている。今や譚本のみを取り扱う本屋はこの棚葉町でも七本屋のみ、術本の取り扱いを増やすことで生きながらえた本屋もあったものの、大半は店を畳んでしまっていた。数えるほどしかなくなってしまった譚本中心の本屋の一つが、この草村堂である。

「ここで話すのもなんですから、どうぞ上がってください」

 そんな稀有な本屋の店員・佳孝は、三人を奥の部屋へ招き入れた。


奥の部屋にはもう一人、人がいた。佳孝よりもさらに背中の丸くなった老人である。杖をつきながらも足元はぷるぷるしていて覚束ないし、恐らく歯が残っていないのだろう口元は萎れた花のようである。瞼は開いているのか閉じているのか分からないほど垂れ下がっていて、というよりもはや、顔全体の皮が全てだらんと垂れている。双子はこの姿を見て、初めて『よぼよぼの老人』という言葉の体言を目の当たりにしたような気がした。

伝吉でんきち殿~! 久しいなぁ!」

 三八はその老人を見つけると、それはそれは嬉しそうに老人に近寄って、一際大きく声をかけた。

「……あい?」

 老人の返事は、なんとも間抜けな返事だった。もそっと口を動かしているので、あぁ今返事をしたんだろうな、となんとなく分かるような、抜けた声であった。

「あーと……えぇ、誰だい?」
「っとと、そうだった。初めまして、伝吉殿。小生は三八だよ。七本屋の三八」
「おぉ、おぉ、そうかい。初めまして、ミヨコさん」
「ミヤだよ、みーや。耳が遠いねえ、伝吉殿は」
「あぁ、ごめんねぇ、ミヨコさん。男の子みたいな声してるんだねぇ」
「そりゃぁ小生は男だからねぇ」
「えぇ? 男の子なのかい? ミヨコさんなのに?」
「だから、ミ・ヤ! ミヨコじゃなくて、みーや!」
「そうかい、そうかい、ミヨコさん」
「あぁもういいや、ミヨコさんでいいよ。元気にしてたかい?」

 顔中が皺だらけなのに、老人の振る舞いは幼子のようである。耳も遠いらしい老人は、しかしてそれを苦にするどころか気にも留めてないようで、三八に握られた手を嬉しそうに揺らしている。こんな感じの年寄りが実家の村にもいたなぁ、などと考えながら、双子は老人と三八のやり取りを見守っていた。

「と、とりあえず! お三方はこちらにかけてください」

 見ている双子の頬もつい緩みそうになるほど和やかな会話が、佳孝の声によって断ち切られる。
 佳孝に誘導された双子がそれぞれ椅子に腰をかけ、三八は伝吉の傍を離れるつもりがないと見ると、佳孝も手近な場所へ腰をかける。

「それで、改めて経緯を説明してもらっていいかな?」

 伝吉をゆっくりと椅子に座らせながら、三八が話を切り出す。「よっこいしょ」と伝吉が腰をかけたところで三八が佳孝に向けた眼差しは、興味津々とばかりに輝いているようだった。髪で目が隠れているから、あくまで輝いているように見える、というだけだが。

「座敷童子が出るせいで困っている、と聞いたのだが」

 三八に続きを促された佳孝は経緯を述べ始めた。

「ええ。座敷童子が現れ始めたのは、だいたい半年くらい前でしょうか。一番最初は本棚の本を荒らされたり、ページに落書きをされていました。別の日には買っておいた羊羹が丸かじりされたり、駄菓子の欠片で床が汚れていたり……」

 まるで子供の悪戯のような荒らされ方だ。そう考える双子も、かつてはやたらやんちゃな性格であった。周りの大人がお茶請けに買っておいた菓子をこっそり盗み食いしたり、寝ている隙に顔へ落書きしたりなど、大人が手を焼く悪戯小僧どもであった。

「最初は親父の仕業かと思って注意していたんですが、いくら言っても荒らしがおさまらなくて」

 ここで双子は同時に「ん?」と違和を覚える。というのも、杖をついてもよぼよぼで、三八に助けられながら座った伝吉に、そのような行動が取れるものだろうかと疑問に思ったからである。

「ここの店は、佳孝さんと伝吉さん以外に誰か住んでいないんですか?」
「親父と私だけです。元々は親父が一人暮らしで住んでいたんですが、足腰も立たなくなってしまったものですから、今は私が世話をしながら店を手伝っているんです」

 店の中に住まうは中年と認知症になった老人。なるほど、これでは佳孝が伝吉をまず疑うのも無理はないか、と双子は理解する。
 佳孝は話を続ける。

「ある日、親父が誰もいないのにやたら人の名前を呼ぶんですよ。『吉次郎』って。知り合いや店の常連にそんな名前の方はいませんし、妙だなぁと思って。そしたら今度は私の目の前で、本棚に入っていた絵譚本がいきなり散らばったんですよ、ばさばさーって。だいたい五歳くらいの子供がこんなふうに本を掴んで、えいっ! って投げたように飛んでいました」

 佳孝は皮が白くボロボロになった指先で、摘まれた厚みの薄い本を後方に向かって『えいえいっ!』と乱暴に投げる真似をして見せた。

「それを見て親父がしきりに『吉次郎』って呼んでいたので……少し、その、怖くなりまして」

 あぁ、これは……と予感したままを、世助がさらりと口に出した。

「なんつーか、座敷童子っていうよりも子供の幽霊って感じがするな」
「やめてくれよ、おれそういうの駄目なんだって!」

 大のお化け嫌いの唯助は鳥肌を立てながら、世助の着物の袖を掴んでいる。お化けのような存在が同じ建物にいるかもしれないという事実だけで、唯助を震え上がらせるには十分であった。

「そうだねぇ、確かに幽霊のようだ。……が、吉祥の象徴である『座敷童子』としたほうが、幽霊よりは聞こえはよかろうさ」
「まさにその通りなんです」

 三八の言葉に、佳孝は大きく相槌を打ちながら返す。

「どうしたものか、『座敷童子のいる古本屋』なんて噂が広まったようでして、おかげさまで客足も伸びたものですから、最初はありがたいと浮かれていました」

 ですが、と言いながら、佳孝は店先のほうへ目をやる。掃除の途中であった店先は泥のついた靴跡だらけで、硝子戸にもべったりと白い手形がついている。一体どれだけガサツに押しかければこんな酷い形跡が残るのだと言いたくなるような光景だ。

「噂が大きくなりすぎて、今度は記者が押し寄せる羽目になった……ってか?」
「そういうことです。記者だけじゃありません。普通に買い物をしてくれるお客さんなら良いのですが、単に座敷童子を見るためだけに来る方も増えてしまって。……なんと言いますか」

 佳孝は言葉尻を濁しているが、言わんとせんことは双子もすぐに察した。

「立派な営業妨害ってことか」

 世助が明確に続きを述べると、佳孝は無言のまま頷く。
 双子はもう一度、酷い有様になった店先を見やる。七本屋の店員として店内の掃除も日常業務としてこなしている双子は、この汚れようを見てやるせない思いになった。一度だけでも気分を害するに十分なこの床を、佳孝は連日始末しているのである。店に入った時の佳孝の背中が小さく見えたのを思い出すと、彼の心境も非常に痛ましいものだ。

「では、佳孝殿。君の依頼というのは『記者や見物客を遠ざけるために、座敷童子をどうにかしてほしい』。そういうことでいいかな?」

 話を聞くに徹していた三八がそう問えば、佳孝はそれに「ええ」と頷いて返した。

「条件が二つある。一つ目は対価として『譚』を頂戴すること。二つ目は修行中のこの子らが依頼に携わること。同意していただけるか?」
「この事態が収拾するなら」
「契約成立だな」

 三八が右手を差し出せば、佳孝は両手でそれを取り、頭を深々と下げた。

「おっさん、おれらは何をすればいいんだ?」
「譚の読み解きするんでしょう? なにを手伝えばいいんです?」

 意気込んだ双子が早速と言うように、上司の三八に指示を仰ぐ。しかし三八は二人を見て、なぜかきょとんとしたようだった。

「おいおい、譚の読み解きをするとは一言も言ってないぞ」
「「は?」」

 譚好きの三八の口から予想を大きく裏切る発言が出たのに、双子は揃って一驚とばかりに声をあげた。

「何事も経験だ。言っただろう、実践授業だと。君たちの能力を生かすときだ、この譚の読み解きは二人で協力してやってみなさい」
「はぁ!? 待て待て待て、実践ってそういうことかよ!」

 一度譚の読み解きを経験した唯助ならばいざ知らず、譚とは何たるかをやっとこさ勉強しただけの世助は、語尾がひっくり返るほどの素っ頓狂な声で喚いた。

「そういうことだ。あ、小生は今回本を紡ぐことしかせんのでな。助太刀は期待するなよ。依頼人も修行中の君らの糧になればと了承してくれたんだ、責任重大だぞ。頑張れ、若人たちよ!」
「おい、人の話をっ」
「よろしくお願いしますね、お二人とも」
「うっ」
「諦めな、世助。旦那は聞いちゃくれねえよ」

 佳孝の笑顔で反論を完封された世助の肩に、既に観念した唯助の手がぽんと乗せられた。
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