111 / 178
第三章 名無しのエトランゼ
3‐12
しおりを挟む
「ヨハン殿」
ヨハンが要塞を出て、兵達のところに向かおうとしたところで、背後から声を掛けられて振り返る。
立っていたのは先程まで同じ部屋にいた、ディッカーだった。
「ディッカー卿」
空は晴天。
戦いの気配を感じてか、辺りの兵達は慌ただしく動き回っており、ヨハン達二人に注目する者は誰もいない。
「エレオノーラ様を頼みます」
「うむ。それから兵站の手配も私がやっておこう。責任者は誰かな?」
「アラーモという男に一任してあります。手を貸してやってください」
「承知した。……しかし、よかったのかな? 君の言う通り、エレオノーラ様には事を語らずにおいたが」
「代償がこれだけなら安いものです。間に合わなくなるよりは」
張られた頬を指さすと、それを見てディッカーは苦笑した。
「いやいや、笑い事ではないな。なるほど、確かに君の言葉通りに事は進んでいるようだが」
以前からディッカーには話を付けてあった。
エレオノーラを信頼していないわけではないが、彼女は少しばかり理想に縋り過ぎている。彼女のそのつもりがなくても、ヘルフリートは容赦なく戦いを仕掛けてくるであろうことは明白だった。
とはいえあくまでも保険程度のもので、まさか民間人を含めた虐殺行為などを行うとはヨハンとて予想できなかったことではあるが。
「だが、支払ったものはそれだけではないだろう?」
「……? 何も思い当たりませんが?」
「姫様の信頼を裏切った。これは大きな損失ではないのかな?」
「――ああ、はい。それはそうですね。ですが、大きな問題ではありませんよ。勝てばそのまま処分を待ち、負ければ……全てを俺の責任にしてもらえばいい」
負けるとしての精々無様に足掻いて死ねば、ヘルフリートも多少の溜飲は下がるだろう。
その間に、エレオノーラにはイシュトナルを放棄するなりなんなりして生きながらえるだけの時間は稼げる。
彼女の理想を完遂できないことは残念だが、それでも死ぬよりはずっといい。
「それが君の真意か」
何かを納得したような顔をするディッカーだったが、次の瞬間彼の表情は憤怒に染まる。それこそ、ヨハンだけでなく彼を知る誰もが見たこともないような顔だった。
「どうやら君は、随分と思い上がっているようだな」
「……は?」
「君のギフトはその目で見た。あれは凄まじい、全能と言ってもいいほどの力だ。だが、今の君にそれはない」
「そんなことは……」
「判っていないな、君は」
ディッカーの言葉は間違っている。少なくともヨハンの中では。
力は確かに失った。もう求めても帰ってこない。だから、自分の無力さに嘆くこともあった。
「全盛期の君は全知全能だったのだろう。全てが思い通りになり、ともすれば……不遜ではあるが、神のような視点で世界を見ていたのではないかな?」
ヨハンは否定も肯定もしない。
ギフトを持っていたときヨハンは人ではあったが、確かに人であることを遥かに超越していた。
「そして今も、何処か人とは違った視点で世界を見ている。だがな、私のような年寄りから見れば、それは世界を判ったようなつもりになっている若者の驕りに過ぎない。
君は人だよ、ヨハン殿。だからこそ人の視点で世界を見る必要がある」
「……仰ることの意味が、よく判りません」
「簡単なことだ。人として欲を持ち、何かに焦がれ、前に進む。ヨハン君、君の目的は何かな?」
「……エレオノーラ様の理想を」
「それはエレオノーラ様の目的だよ」
「……それは……」
切って捨てられた言葉が、宙に溶ける。
それ以上にヨハンが言えることは何もない。ヨハン自身に、そんなものはなかったのだから。
「まぁ、色々言ったがね。私の怒りの幹にあるのはただの一点。エレオノーラ様は君を信頼している、その上で自分を切り捨ててくれとは、残酷にもほどがあるだろう」
ディッカーが言いたいことは、つまりただのそれだけだった。
「私は幼いころのエレオノーラ様をよく知っている。娘、とは些か僭越だが、近い感情を抱かせてもらっている。君の物言いが我慢できなかったのだ」
「……それは、失礼しました」
「だから、君は生きて帰って来てくれ。そしてエレオノーラ様に謝り、その上で今後のことを決めてほしい。君達二人でね」
「何故そこまで俺を? 先程の言葉通りなら、俺は驕っているだけの若造なのでしょう?」
「簡単なことだ。エレオノーラ様が君を信頼しているからだよ。私が日に何度、あの方から君の話を聞かされてると思う?」
「いえ、それは……。判りませんが」
いつの間にかディッカーの顔からは険が取れている。
いつも通りの穏やかな表情で、ディッカーの手がヨハンの方に置かれた。
「私が見たいのだ。あの方と、君が作るこれから先の未来を」
「……はい」
ただ、そう返事をすることしかできなかった。
ヨハンが要塞を出て、兵達のところに向かおうとしたところで、背後から声を掛けられて振り返る。
立っていたのは先程まで同じ部屋にいた、ディッカーだった。
「ディッカー卿」
空は晴天。
戦いの気配を感じてか、辺りの兵達は慌ただしく動き回っており、ヨハン達二人に注目する者は誰もいない。
「エレオノーラ様を頼みます」
「うむ。それから兵站の手配も私がやっておこう。責任者は誰かな?」
「アラーモという男に一任してあります。手を貸してやってください」
「承知した。……しかし、よかったのかな? 君の言う通り、エレオノーラ様には事を語らずにおいたが」
「代償がこれだけなら安いものです。間に合わなくなるよりは」
張られた頬を指さすと、それを見てディッカーは苦笑した。
「いやいや、笑い事ではないな。なるほど、確かに君の言葉通りに事は進んでいるようだが」
以前からディッカーには話を付けてあった。
エレオノーラを信頼していないわけではないが、彼女は少しばかり理想に縋り過ぎている。彼女のそのつもりがなくても、ヘルフリートは容赦なく戦いを仕掛けてくるであろうことは明白だった。
とはいえあくまでも保険程度のもので、まさか民間人を含めた虐殺行為などを行うとはヨハンとて予想できなかったことではあるが。
「だが、支払ったものはそれだけではないだろう?」
「……? 何も思い当たりませんが?」
「姫様の信頼を裏切った。これは大きな損失ではないのかな?」
「――ああ、はい。それはそうですね。ですが、大きな問題ではありませんよ。勝てばそのまま処分を待ち、負ければ……全てを俺の責任にしてもらえばいい」
負けるとしての精々無様に足掻いて死ねば、ヘルフリートも多少の溜飲は下がるだろう。
その間に、エレオノーラにはイシュトナルを放棄するなりなんなりして生きながらえるだけの時間は稼げる。
彼女の理想を完遂できないことは残念だが、それでも死ぬよりはずっといい。
「それが君の真意か」
何かを納得したような顔をするディッカーだったが、次の瞬間彼の表情は憤怒に染まる。それこそ、ヨハンだけでなく彼を知る誰もが見たこともないような顔だった。
「どうやら君は、随分と思い上がっているようだな」
「……は?」
「君のギフトはその目で見た。あれは凄まじい、全能と言ってもいいほどの力だ。だが、今の君にそれはない」
「そんなことは……」
「判っていないな、君は」
ディッカーの言葉は間違っている。少なくともヨハンの中では。
力は確かに失った。もう求めても帰ってこない。だから、自分の無力さに嘆くこともあった。
「全盛期の君は全知全能だったのだろう。全てが思い通りになり、ともすれば……不遜ではあるが、神のような視点で世界を見ていたのではないかな?」
ヨハンは否定も肯定もしない。
ギフトを持っていたときヨハンは人ではあったが、確かに人であることを遥かに超越していた。
「そして今も、何処か人とは違った視点で世界を見ている。だがな、私のような年寄りから見れば、それは世界を判ったようなつもりになっている若者の驕りに過ぎない。
君は人だよ、ヨハン殿。だからこそ人の視点で世界を見る必要がある」
「……仰ることの意味が、よく判りません」
「簡単なことだ。人として欲を持ち、何かに焦がれ、前に進む。ヨハン君、君の目的は何かな?」
「……エレオノーラ様の理想を」
「それはエレオノーラ様の目的だよ」
「……それは……」
切って捨てられた言葉が、宙に溶ける。
それ以上にヨハンが言えることは何もない。ヨハン自身に、そんなものはなかったのだから。
「まぁ、色々言ったがね。私の怒りの幹にあるのはただの一点。エレオノーラ様は君を信頼している、その上で自分を切り捨ててくれとは、残酷にもほどがあるだろう」
ディッカーが言いたいことは、つまりただのそれだけだった。
「私は幼いころのエレオノーラ様をよく知っている。娘、とは些か僭越だが、近い感情を抱かせてもらっている。君の物言いが我慢できなかったのだ」
「……それは、失礼しました」
「だから、君は生きて帰って来てくれ。そしてエレオノーラ様に謝り、その上で今後のことを決めてほしい。君達二人でね」
「何故そこまで俺を? 先程の言葉通りなら、俺は驕っているだけの若造なのでしょう?」
「簡単なことだ。エレオノーラ様が君を信頼しているからだよ。私が日に何度、あの方から君の話を聞かされてると思う?」
「いえ、それは……。判りませんが」
いつの間にかディッカーの顔からは険が取れている。
いつも通りの穏やかな表情で、ディッカーの手がヨハンの方に置かれた。
「私が見たいのだ。あの方と、君が作るこれから先の未来を」
「……はい」
ただ、そう返事をすることしかできなかった。
0
あなたにおすすめの小説
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
冤罪で辺境に幽閉された第4王子
satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。
「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。
辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。
処刑された王女、時間を巻き戻して復讐を誓う
yukataka
ファンタジー
断頭台で首を刎ねられた王女セリーヌは、女神の加護により処刑の一年前へと時間を巻き戻された。信じていた者たちに裏切られ、民衆に石を投げられた記憶を胸に、彼女は証拠を集め、法を武器に、陰謀の網を逆手に取る。復讐か、赦しか——その選択が、リオネール王国の未来を決める。
これは、王弟の陰謀で処刑された王女が、一年前へと時間を巻き戻され、証拠と同盟と知略で玉座と尊厳を奪還する復讐と再生の物語です。彼女は二度と誰も失わないために、正義を手続きとして示し、赦すか裁くかの決断を自らの手で下します。舞台は剣と魔法の王国リオネール。法と証拠、裁判と契約が逆転の核となり、感情と理性の葛藤を経て、王女は新たな国の夜明けへと歩を進めます。
男女比がおかしい世界の貴族に転生してしまった件
美鈴
ファンタジー
転生したのは男性が少ない世界!?貴族に生まれたのはいいけど、どういう風に生きていこう…?
最新章の第五章も夕方18時に更新予定です!
☆の話は苦手な人は飛ばしても問題無い様に物語を紡いでおります。
※ホットランキング1位、ファンタジーランキング3位ありがとうございます!
※カクヨム様にも投稿しております。内容が大幅に異なり改稿しております。
※各種ランキング1位を頂いた事がある作品です!
裏切られ続けた負け犬。25年前に戻ったので人生をやり直す。当然、裏切られた礼はするけどね
魚夢ゴールド
ファンタジー
冒険者ギルドの雑用として働く隻腕義足の中年、カーターは裏切られ続ける人生を送っていた。
元々は食堂の息子という人並みの平民だったが、
王族の継承争いに巻き込まれてアドの街の毒茸流布騒動でコックの父親が毒茸の味見で死に。
代わって雇った料理人が裏切って金を持ち逃げ。
父親の親友が融資を持ち掛けるも平然と裏切って借金の返済の為に母親と妹を娼館へと売り。
カーターが冒険者として金を稼ぐも、後輩がカーターの幼馴染に横恋慕してスタンピードの最中に裏切ってカーターは片腕と片足を損失。カーターを持ち上げていたギルマスも裏切り、幼馴染も去って後輩とくっつく。
その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。
ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。
「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」
そして気付けは25年前の15歳にカーターは戻っており、二回目の人生をやり直すのだった。
もちろん、裏切ってくれた連中への返礼と共に。
クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?
青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。
最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。
普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた?
しかも弱いからと森に捨てられた。
いやちょっとまてよ?
皆さん勘違いしてません?
これはあいの不思議な日常を書いた物語である。
本編完結しました!
相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです!
1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…
エリクサーは不老不死の薬ではありません。~完成したエリクサーのせいで追放されましたが、隣国で色々助けてたら聖人に……ただの草使いですよ~
シロ鼬
ファンタジー
エリクサー……それは生命あるものすべてを癒し、治す薬――そう、それだけだ。
主人公、リッツはスキル『草』と持ち前の知識でついにエリクサーを完成させるが、なぜか王様に偽物と判断されてしまう。
追放され行く当てもなくなったリッツは、とりあえず大好きな草を集めていると怪我をした神獣の子に出会う。
さらには倒れた少女と出会い、疫病が発生したという隣国へ向かった。
疫病? これ飲めば治りますよ?
これは自前の薬とエリクサーを使い、聖人と呼ばれてしまった男の物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる