渉と六花の冬

蒲公英

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あたたかな夜に

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 コホコホと咳をしている六花と、並んで歩く。ふたりともアルバイトに行く途中で、駅前で別れるときに六花は激しく咳込んだ。
「休んだ方が良くない?」
「休めないよ。高校生が期末考査だもの、シフトの調整が大変だったんだから」
「熱もありそうな顔してる」
「大丈夫だよ。タフなの知ってるでしょ」
 言うほどタフじゃないことは知っているけど、僕の言うことなんて聞かないことも知ってる。六花と一緒に過ごしたこの一年間、僕が六花に勝てたことはとても少ない。
 コンビニエンスストアのレジは、マスクをつけたままでできるのだろうか。僕は僕でこれから十時まで、スポーツジムで施設管理をするんだ。

 自分のアルバイトが終わったあと、気になって六花を迎えに行った。もう終わったかなと思いながら店を覗くと、ちょうど裏口から出てくるところだった。それほど風も強くないのに、口元までマフラーを持ち上げ、背中を丸めている。
「迎えに来てくれたの?」
「通りがかっただけだよ」
 返事をしながら繋いだ手は、びっくりするくらい暖かかった。
「やっぱり、熱があるだろ」
「測ってないもん。体温計で確認しちゃうと、動けなくなるじゃない」
 確かに自分は病気だと自覚してしまうと、途端に身体が病人モードになることはある。けれど自覚して療養しなくては、悪化することも多いんだ。
「とにかく暖めて寝なくちゃ。何か食べた?」
「喉が腫れてるのかも。プリンは食べたよ」
「部屋に桃缶ある?」
「好きじゃない。大丈夫、お風呂に入ったらすぐ寝るから」
 話しているうちに六花のワンルームに到着してしまい、具合の悪い人の部屋に上がり込むわけにもいかずに、そのまま帰る。寄って行かないのかと、六花は少し寂しそうな顔をして、僕は後ろ髪をぐいぐい引っ張られながら帰途についた。

 翌日の朝、僕のスマートフォンには体温計の写真が届いた。
『こういうわけで、学校はお休みします』
 三十八度二分の発熱は、心配に値する体温だ。病院に行くようにとメッセージを打ち、高熱で心細いのではないかと思いなおす。普段は甘えない六花だって、こんなときは幼い子に戻りたいかも。少なくとも僕は、熱が出たとき六花に世話を焼いてもらったことがある。

 六花の部屋へ行くと、まだパジャマの六花がいた。
感染うつるから、来なくていいのに」
 フラフラしながら薬缶を火にかけようとするのを止め、病院への付き添いを申し出た。
「ただの風邪だと思う。寝てれば治るよ」
「解熱剤と抗生物質貰ってこないと、バイトに穴が開くでしょ」
 責任感の強い六花には、こんな説得が有効だ。
「何それ。大事な六花だから心配だ、とか言わないわけ?」
「言って欲しいわけ? 僕がそんなこと言ったら、笑うくせに」
 会話をしながら顔の赤い六花を着替えさせ、もう一度体温を測る。体温は下がっていない。

 寝ていれば治ると言い張る六花を連れて、近くの小さな診療所に行った。おじいちゃん医師が処方箋を出してくれて、水分を摂って暖かくしてよく寝なさいと言ってくれたらしい。六花は頼りない顔で診察室から待合室に戻ってきて、僕の横に寄り添って座った。セーター越しの体温は、やはり高い。
「ひとりで帰れるから、渉は学校行っていいよ。寝るだけだし」
 高熱の人にこんなことを言われたって、ハイそうですかとは言い難い。
「六花が布団に入ったらね。コンビニでアイスとスポーツ飲料買って帰ろう」
 アパートまで送って、六花がおとなしく布団に入るのを確認してから部屋を出た。お互いに渡しあったばかりの合鍵が、心強い。もしも六花がもっとひどく体温が上がって動けなくなったとしても、助けに入ることができる。
 勝手に六花の部屋に入るつもりはなくても、まるで信頼のアイテムのようにふたつの鍵は同じキーホルダーに繋がっている。

 アルバイトを終えて、六花の部屋へ急ぐ。十二月になったら、急に気温が下がったみたいだ。夜半近い夜に、息が白い。遅すぎる時間だと思いながら、こんな時こその合鍵なのだと思いなおす。もし眠っているのなら、こっそり寝顔を確認して帰れば良いのだから。薬がしっかり効いているのかの確認をして、まだ辛いならば水分補給をさせて、着替えさせなくては。

 音を立てないように気をつけて鍵を開けると、部屋には灯りが灯っていた。消すのを忘れたのかなと思い、そのまま靴を脱ぐと、六花はベッドの上で本を読んでいた。
「遅くにごめん。具合はどう?」
「ずいぶん楽になった。明日もう一日寝てれば、復活すると思う」
 ベッドの横にはスポーツ飲料のペットボトルが置いてあった。けれど何か食べた形成はない。昼に買ったアイスクリームさえ、口に入れていないみたいだ。
「何か食べないと」
「食欲、全然ないんだもん。一日や二日食べなくたって、人間は死なない」
 それでも何か食べなければ、身体が冷える気がする。

 夜半を過ぎた台所に立ち、冷蔵庫を開ける。少しの野菜とベーコン、卵。僕ら学生の冷蔵庫の中身は、そんなに充実していないのだ。フリーザーの中に、一食分ずつ綺麗に小分けされたごはんが入っていた。それを見たら、僕が寝込んだときに母が作ってくれたものを思い出した。
 ごはんを少し解凍して、湯を沸かした鍋に入れる。
「渉? 何作ってるの?」
「すぐできる。少しでいいから、食べて」
「それより、こっちにいて欲しいなあ」
 強気な六花がそんなことを言うこと自体が珍しくて、それだけ心細かったのだと思う。具合が悪くなると、人恋しくなるのはなぜだろう。

 鍋の中でご飯が潤びたので、味噌を入れた。火を止めて、溶いた卵をひと回しして蓋をする。単純な味噌味の卵おじやのできあがり。小さいころにこれが食べたくて、おなかが痛いと嘘を吐いたこともあった。作ってくれとダイレクトに言えば、億劫がらずに作ってくれるような簡単なものなのに。
 茶碗に継いで、ベッドまで持っていく。少しでも六花が食べてくれれば良いんだ。
「あ、いい匂い」
 本当は青葱か何か散らすとビジュアルに訴えるのかも知れないけれど、それを購入しに外出するよりも、部屋の中にいるほうが良いような気がする。
 スプーンですくって六花の口元まで運ぶと、六花は照れながら口を開いた。一口入れて、ゆっくりと飲み下す。そして僕から茶碗を受け取り、笑った。
「口に入れたら、おなかが空いたの思い出したみたい。お味噌味なんてはじめて。おいしいね」
 六花が食べ終わるのを確認して、残った鍋の中身を自分で食べた。懐かしい味がした。

 遅い時間だし翌日も朝は一コマ目から講義があるし、帰らなくてはいけない時間だ。具合の悪い六花のベッドで一緒に眠ることはできないから、鍋を片づけて帰り支度をしていたら、こちらに向いた視線に出会った。
「こんな時間に、ありがとう。お腹、ぽかぽかになった」
「どういたしまして」
 上着を羽織ろうとすると、また視線がある。振り向くと、六花の泣きそうな顔があった。
「もしかしたら、帰らないほうが良いの?」
「ううん。渉だって忙しいし、風邪感染しちゃうかもだし」
 表情が見事に言葉を裏切って、駄々をこねてるみたいだ。なんだか六花にとても頼られている気がして、それが嬉しい。
「じゃ、六花が寝るまでいる」
「私、眠くならないかも知れないよ。渉が疲れちゃうから、大丈夫」
 否定する六花に布団をかけて、横に座って手を握った。まだ熱は下がりきっていないらしく、掌が暖かい。
「病人は我儘言っても大丈夫。早く治しなさい」

 三十分もしないうちに六花の手から力が抜け、規則正しい寝息が聞こえてきた。ゆっくり眠って、いつもの闊達な六花に戻るのは明日の晩くらいかな。
 部屋の明かりを消して、そっとドアを開けた。母親が子供の病気を気にかけるように、親鳥が雛に餌を運ぶように、親猫が子猫の毛並みの手入れをするように、僕も六花を愛おしみたい。

 夜の道を歩きながら、眠る六花の安らいだ顔が嬉しかった。息が白く僕の後に流れる。
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