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第1章 帝都レベランシア編

第7話 悪党には悪党の末路が待っている

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 神歴1012年、2月7日――ガルバン商会所有、黒レンガ倉庫。

「なあ、ばあさん。金が払えない、は通用しないんだよ。八十年以上生きてるんだ、そいつは理解できるよな?」

 年代物の座椅子にどっかと腰を落としながら、ガルバン・グロースは威圧するように言った。

 Gスリーなどと呼ばれ(ガルバンのGにグロースのG、そして三つ目のGは帝都の通貨『ゴーロ』のGである)、帝都の裏の金融界を牛耳ってきた彼も今年で齢六十になる。でっぷりと肥え太った身体でも、真冬の寒さはさすがに堪える。多少不機嫌になるのも、無理からぬことだった。

「は、払わないとは言ってません。ですが、もう少しだけ……せめて夫の葬儀が終わるまでは……」

 正面に座る小柄な老婆が、懇願するように何度も頭を下げる。

 ガルバンはカッと喉を鳴らすと、突き放すように言った。

「そいつはおたくの都合だ。俺たちには関係ない。借りたのはおたくの旦那で、貸したのは俺たちだ。借りた金は返すのが世の中のルールだろ? ルールを守れない大人は、立派じゃないね」

「ですから、返さないとは――」

「返さないと言ってんのと同じなんだよ、ババア!!」

「ひぃ!?」

 ドン、とテーブルを叩いてガルバンがすごむと、老婆は短い悲鳴と共にビクリと縮こまった。

 が、彼は委細構わず、同じ語調のまま、

「支払い猶予日は今日までだ! それはもう何日も前から言ってる! 旦那が死のうが娘が死のうが、今日返さないって選択肢はテメエにはねえんだよ! 二百万ゴーロ、耳を揃えてとっとと返しやがれ!!」

「二百……!? そんな、借金は百万ゴーロだったはずじゃ……」

 老婆が青ざめた表情で、縮こまった身体をさらに小さく丸める。

 短く嘆息すると、ガルバンは隣に立つ長身痩躯の男を見上げた。

 長年、彼の右腕を務めてきた四十がらみの男である。

 彼は黒縁メガネのフレームをくくっと上げると、

「利息ですよ、おばあさん。我々は商売をしている。百万ゴーロを貸して百万ゴーロを返してもらったんじゃ商売にならない。原価でパンを売るのと同じだ。そんなことをしていたら、下の者たちに給金を払うこともできない。お分かりですか?」

「そ、それは分かりますが、でも半年足らずで倍になんて……」

「倍になるんだよ。そういう契約で、おたくの旦那には金を貸した。契約書にもちゃんとそう記されてる。文字が小さすぎるとか、文量が多すぎて隅々まで目を通せなかったとか、そんな物言いは当たり前だが通用しないぜ。人生ベテランのあんたなら、それは分かってくれるよな?」

「そ、そんな……」

 ガルバンが容赦なく言い切ると、老婆は愕然と両の瞳を震わせた。

 それまで気丈に抑えていたそれが、堰を切ったように彼女の目から零れて落ちる。

 しばらくして、見かねたように口を挟んできたのは、黒縁メガネの相棒だった。

「ふむ、だいぶ困り果てているようですね。では、こういうのはどうでしょう。金の工面が難しいのであれば、別の方法で支払うというのは」

「そ、そんなことが可能なのですか? では――」

「可能ですよ。あなたのお孫さんのルーシアさんなら、一年もあればそのくらいの額は稼ぎあげるでしょう。なかなかの器量持ちですし、何より十八という若さは大変な武器になる」

 瞬間、老婆の顔色が分かりやすく変わった。

 彼女は不安げな表情を包み隠さず浮かべて晒すと、金切り声を上げて、

「何をおっしゃっているのです! ルーシアに何をさせるおつもりですか!?」

「何を? 取り立てて説明するような特殊なことでもないと思いますが。あなたが今、想像しているようなことで間違いないですよ」

「…………ッ! できません! お断りします! そのような提案は断じて――」

「なら、どうするつもりだ? 期日までに金は返せねえ、孫娘は差し出せねえ、老い先短けぇテメエのタマには一ゴーロの価値だってありゃしねえぞ?」

「…………」

 老婆が、黙る。

 今にも倒れそうな顔で、そうして彼女はただ小さな肩を震わせるばかりだった。

 ガルバンは、隣に立つ相棒にアイコンタクトを送った。

 その合図を受け取ると、長身痩躯の相棒はコクリと頷き、

「……困りましたね。あまり荒っぽいやり方は好きではないのですが――しかたありません。ボス、力づくで商品・・を確保いたしましょう」

「――――っ!」

「まっ、しかたねえか。丁重にさらってこいよ。言うこと聞かなくても、せいぜいビンタくらいに抑えとけ。くれぐれも残るような傷はつけるんじゃねえぞ。大事な商品だからな」

「了解しました」

「ま、待ってください! どうかそれだけはご勘弁を! 後生ですから、それだけは!! わたしは、わたしはどうなっても構いませんから!!」

「だから何度も言わせんなや! テメエをどうにかしたって、一文の得にも――」

「確かに、ばあさんをどうにかしたところで一文の得にもならねえな。おまえをどうにかすりゃ、世の中にとってとんでもない得になるが」

「……あ?」

 ガルバンは、片眉を上げてその方向を見やった。

 会話に割って入るように、突然と響いた第三の声――。

 それは五メートルほど離れた、出入り口の扉の向こう側から聞こえた。

 やがて、その扉がそろりとひらき、奥から見知らぬ若い男が姿を現す。

 ガルバンは、両目をむいて怒鳴った。 

「なんだテメエは!! ここがどこだか分かってんのか、ゴラァ!!」

「おまえこそ分かってんのか? 今のこの状況が、ってことが」

「……あ?」

「ボス、おかしいです。この部屋の外には――倉庫内には、百人近い若い衆が陣取っていたはず。奴らが黙ってこの男をこの部屋に通すわけが――」

「黙っては通してくれませんでしたね。通してくれなかったので、しかたなくまかり通ってきました。蹴散らしながら」

「蹴散らしたの、ほとんどトレドさんだけどね」

 言いながら。

 若い男の後ろから、さらに年若い少女が二人姿を現す。

 ガルバンは、をその段になって初めて理解した。

「お、おまえら……まさか、倉庫内の連中を……」

「ああ、倒したよ。にした。残る悪党はおまえらだけ。殲滅完了五秒前ってとこだな」

 そう言って、最後の侵入者が静かにゆっくりとその姿を視界にさらす。

 瞬間、ガルバンの脳内に電流が走った。

「黒髪黒目!?」

 悲鳴に近い叫声を張り上げ、ガルバンは反射的に椅子を鳴らして立ち上がった。

 

 満を持して、扉の奥から現れた四人目のその若者は――。

「きゃあああっ!」

「――――っ!?」

 唐突に、おびえた老婆の悲鳴が室内に木霊する。

 ガルバンは慌てて、視線を周囲に走らせた。

 、その残酷な理解が秒で彼の頭を席巻する。
 
 隣に立つ相棒の、

 ドサッ。

 間をおかず、残った相棒の茶褐色の床に崩れて落ちる。

 ガルバンは両目を見開き、わなわなとあとじさった。

「トレドさん、おばあさんの前ですよ? 残酷は控えてください。というよりも、なんで殺しちゃうんですか? 痛めつけるくらいに抑えてください。トレドさんはやりすぎです」

「ああ、悪い。力加減が難しくてさ。俺、おまえらと違って強すぎちゃうから」

「……嫌味ですか? まあ、事実なんで文句は言えませんけど……」

「トレドさんは最強だもんね。ブレナさんよりもっと強い」

「ふざけんなよ、俺のが強いわ。俺、強さ隠してるだけだからね。本気出せばトレドより強い」

「ブレナさん、その発言はめちゃダサいです。めちゃダサです。聞いてるこっちがいたたまれなくなります」

「うんうん、いたたまれないいたたまれぎゅっ!? んべー! うわーん、ルナ―っ! ベロ噛んじゃったよーっ!」

「あーもう、なにやってるんですか、アリスさん! 気をつけてください! ぶきっちょなんだから!」

「…………」

 

 気の抜けたやり取りをしているようで、この四人にはまったく隙がない。

 特に、目の前のこのには――。

「んで、どうするブレナ? 捕らえて憲兵隊に引き渡すか? ほかの奴ら、みんな殺しちゃったけど」

「いや、こいつだけはハナから始末するつもりだった。この男はガルバン商会そのものだ。こいつを殺して初めて、ひとつの巨悪をつぶしたことになる」

「了解。んじゃ――」

「いや俺が殺る。こいつだけは、俺に殺らせてくれ」

「なんか個人的な恨みでもあんの?」

「いやないけど。けど、三大組織の親玉だけは俺の手で始末したいんだ。としてね」

「うっわ、なにその主人公みたいなセリフ。主役、俺から奪う気か?」

「そんなつもりはねえよ。主人公はおまえでいい。悪党どもを退治するこの物語が、完結するまではな」

 言って、片割れの男が腰もとの『ダブル』を抜く。

 ガルバンはなりふりかまわず、一縷の望みにかけて懇願した。

「ま、待ってくれ! 金が目的じゃないってのはなんとなく分かるが、だが金があって困ることはないだろう? オレの全財産の半分を譲ろう! 証書も書く! これで手を打たないか!?」

「打たないね」

「じゃ、じゃあ七割だ! 七割譲る!」

「……救いようのないクズだな。この期に及んで、まだ自分の復活の目を残しておこうってのか? 最初の懇願で十割全てと言わないところが、おまえの浅ましさを物語ってるよ」

「なっ――」

「まっ、言ったところで結果は同じだったけどな。つまりは、これがおまえの定められた運命だ。天網恢恢疎てんもうかいかいそにして漏らさず。悪党には、悪党の末路が待っている」
 
「ま、待って――あぎゃああああッ!!」
 
 

 どこを斬られたのか、でもガルバンには分からなかった。

 一瞬、天井が見えたような気がしたが、それも一瞬だけ。

 その後は濃度の濃い暗闇だけが、ガルバン・グロースの視界を覆った。

 晴れることのない、永久の暗黒。

 嫌だ、いやだ、こんなところで死にたくない――。

 こんなところで、終わりたくない――。

 こんなところで――。

 ガルバンは、声にならない声を上げた。

 だが、終わる。

 他人の不幸を糧に形成された、ガルバン・グロースの六十年にも及ぶ激動の人生が今日この瞬間をもってみじめに終わりを迎える。

 そうして、物語は始まりのときへとさかのぼる。

 一か月前、彼らの物語は波乱の中で産声を上げた。

 運命の歯車が、静かにゆっくりと回り始める……。
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