虹の軍勢

神無月 紅

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23話

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 地面を揺らしながら、上位種は地面に倒れる。
 最後の一撃を放った白夜は、微かに感じられた上位種の頭蓋骨を砕いた手応えに眉を顰めつつも、すぐにこれからどうするべきかを考える。

「猛さん、蛟さん、これからどうしま……す?」

 言葉の途中で一旦途切れ、最終的に疑問調な様子になったのは、自分の影が蠢いていることを理解したからだろう。
 影が……いや、白夜の影から伸びた闇は、周囲にあるゴブリンの死体を次々と呑み込んでいく。
 白夜が上位種に追われてここにやってくるまで、この場所では猛や蛟とそれを援護する杏たちとゴブリンの戦闘が行われていた。
 そして猛や蛟がゴブリン程度の相手に負けるはずもなく、周囲には広い範囲でゴブリンの死体が散らばっている。
 一ヶ所に集まっている訳ではないのは、猛と蛟の二人が死体が地面にあることで動きにくくなることを避けるため、ある程度移動しながら戦っていたためだろう。
 そんな訳でかなりの死体があったのだが……白夜の影から伸びた闇は、明確に自分の意思を示すかのように枝分かれしては死体に触れ、それを呑み込んでいく。
 百匹には及ばないが、それでも数十匹のゴブリンの死体は十秒かそこらで完全に闇に呑み込まれ、地上から消滅してしまった。
 それも、通常のゴブリンの死体だけではなく、白夜が苦労して倒した上位種の死体までをも呑み込んで。
 つい数秒前までは地面にたくさんのゴブリンの死体があったにもかかわらず、今はもう見える範囲にゴブリンの死体は皆無となっている。
 それは、まさにどこか違和感を覚え……異常と呼ぶに相応しい光景だった。

『……』

 そんな光景を言葉も出ない様子で眺めているのは、白夜たちだけではない。
 上位種に手を出さないようにと命令されていたゴブリンたちですら、絶句しながらその光景を眺めていた。
 沈黙に満ちた中で、真っ先に我に返ったのは白夜。
 今までにも何度か同じことを経験しているため、その辺りの判断は的確だったのだろう。

「猛さん、蛟さん、とにかくゴブリンを!」

 実戦慣れしている猛や蛟であっても、今の光景には驚き、目を奪われて唖然としていた二人は、白夜の声で我に返る。

「っ!? 皆、攻撃するんだ!」

 猛が槍を構えながらゴブリンたちとの間合いを詰めつつ指示を出し、そんな猛の横を、こちらもようやく我に返った蛟が短剣を手に走る。
 当然最初に我に返った白夜は、そんな二人よりも前にゴブリンに向かって駆けだしていた。

「はあああああああああああぁっ!」

 ゴブリンに向けて、白夜の持つ金属の棍が振るわれる。

「ゲギョ!?」
「ギャギョ!?」

 二匹のゴブリンが、悲鳴を上げながら吹き飛ばされた。
 一匹は頭部の骨を砕かれ、もう一匹はそんなゴブリンがぶつかって地面に倒れ込む。
 上位種の命令で動けなくなっていたゴブリンたちだったが、その上位種がいなくなり、その上で仲間のゴブリンが吹き飛ばされたのを見て、すぐに我に返り……だがその瞬間、猛と蛟がゴブリンの群れに突っ込んだ。
 そんな二人の行動が、さらにゴブリンたちの混乱を誘う。
 その上、追撃とばかりに空を飛んでいたノーラから毛針が無数に放たれ、杏からも風の刃が放たれ、弓奈と音也は石を投げつけていた。
 上位種すら倒した集中攻撃だけに、ゴブリンは逃げる者、反撃する者、混乱してどうすればいいのか分からない者……といったように、態度が分かれる。
 そんな中で当然のように白夜たちの攻撃が集中したのは、反撃をしてきたゴブリンたちだった。
 だが、反撃をするために行動したゴブリンたちも、目の前にいるのが自分たちよりも強い相手であればそう簡単に行動には移せない。
 いや、反撃をしようとはするのだが、実際に反撃をしようとすると猛の槍や蛟の短剣が妨害するように放たれるのだ。
 頭が良ければ、そんな状況でもどうにかなるのかもしれないが、曲がりなりにも自分たちに指示を出していた上位種は既に息絶えている。
 だからこそ、それぞれが自分で思うように勝手に行動しようとして、結局は次々に白夜たちによって仕留められていく。
 反撃しようと考えたゴブリンも、混乱していることもあって連携を取ることがないまま好き勝手に動いているのだから、白夜たちの攻撃に対応出来るはずもなかった。
 そうして最初に襲ってこようしたゴブリンたちが全滅すると、次に白夜たちが狙ったのは混乱しているゴブリンたち。
 白夜は逃げようとしたゴブリンを追おうとしたのだが、それは猛に止められる。

「白夜、今はまずゴブリンの数を減らすことを最優先にするんだ! このゴブリンたちも、放っておけば我に返ってしまう。それなら、叩ける今のうちに叩いておく!」
「逃げたゴブリンはいいんですか!?」

 白夜の目から見れば、逃げたゴブリンの方を先に倒した方がいいのでは? と思っていた。
 逃げたということは、混乱しているゴブリンたちよりも現在の状況が分かっているということだ。
 もちろん、逃げたゴブリンの中には周囲に流されて逃げ出したゴブリンも多かったのだが……
 ともあれ、出来るだけ頭のいいゴブリンを減らすというのは、この群れを倒すにしても優先事項だろうと。
 だが、猛の判断はとにかく倒せるうちにゴブリンの数を減らした方がいいというもの。
 これはどちらが間違っている訳ではなく、正解という訳でもない。
 単純に、お互いの考えが違っていたがための言葉。
 白夜は少し考えるも、今は猛の判断に従った方がいいだろうと判断すると、そのまま近くで混乱しているゴブリンに向かって金属の棍を振るう。
 他の者たちもゴブリンに攻撃をし……そして十分も経たないうちに、混乱しているゴブリンは全てが息の根を止められる。
 そうして戦いが終わったあとに残ったのは、地面に倒れている多数のゴブリンの死体。 
 それを見ながら、白夜たちは改めて周囲を見回す。
 ……が、その際に再び白夜の影から闇が伸びるとゴブリンの死体を次々に呑み込んでいく。
 今までの経験から、恐らくそうなるだろうと予想していた白夜だったが……

「ちょっと、白夜! あんた、いい加減にしてよね!」

 目の前で行われている光景に、我慢の限界と杏が叫ぶ。
 実際、ゴブリン程度のモンスターであっても、討伐証明部位や魔石をギルドに持っていけば、ある程度金になる。
 これだけのゴブリンの数であれば、相当の金額になるだろう。
 それが全て白夜の闇に呑み込まれているのだから、杏でなくても文句を言いたくなるだろう。
 いや、杏の性格を考えれば、ここまでよく我慢したというべきか。
 色々と予定外のことが起こったこともあってのことだったが、その我慢はゴブリンを……そして上位種までをも呑み込むという光景を見て、限界にきたのだろう。
 特に上位種は、ここにゴブリンの集落があったと説明する上で非常に大きな説得力を持つ。
 なのに、その上位種が消えてしまったのだ。
 ギルドに説明するにしても余計に手間がかかるようになるし、何より上位種を倒したことで得られる報酬は普通のゴブリンよりもかなり高い。
 トワイライトの隊員であればまだしも、ネクストの生徒だと当然のように自由に使える資金は多くない。
 それを邪魔した白夜を許せるかと言われれば、杏にとっては断じて否だった。
 特に魔法使いの杏は、魔法の実験で使う希少な素材を買うためにも普通の能力者よりも多くの金がかかるのだから。
 もっとも、そこまで怒っているのは杏だけなのだが。
 弓奈や音也は白夜たちがいなければ、ゴブリンの餌食になっていた。
 それを助けて貰っただけで、非常にありがたく思っている。
 猛や蛟は、そもそも音也を助けにこの山にやってきたのであり、ゴブリンと戦うという予定は最初はなかった。
 その上、二人ともトワイライトの隊員として、腕が立つ。
 上位種であっても、結局ゴブリンであればそこまで必死になることもなかった。

「落ち着きなよ、杏。とにかく今は、この集落を潰したんだ……か……ら……」

 杏を宥めようと声をかけた猛だったが、その言葉は途中で掠れ、次第に小さくなっていく。
 そんな猛の様子を疑問に思ったのだろう。
 先程まで怒っていた杏も猛の様子に疑問を抱き、そちらに視線を受ける。
 白夜たちも猛を見て……猛がどこか一点を見ながら動きを止めているのを見ると、その視線を追った。
 そして……理解する。何故猛が言葉が途中から小さくなったのかを。
 何故なら、白夜たちの視線の先……ゴブリンの集落の奥では、とてもではないがありえないことが起こっていたから。
 いや、ありえないということはないだろう。その存在によって文明が一度破壊されたのだから。
 ……そう、ゴブリンの集落の上では、空間にヒビが入っていたのだ。
 そして白夜たちが見ている前で、やがてそのヒビは次第に広がっていく。

「マジ……かよ」

 思わずといった様子でそう声を出したのは、白夜。
 他の者も直接声には出さなかったが、それでも気持ちだけは白夜と同様だった。

「何でこんな……まさか、さっきの上位種が何か関係を?」

 杏の言葉に、その場にいた全員の視線が白夜に向けられた。
 もしかして、白夜の闇があの上位種を呑み込んだのが原因だったのではないかと、そう思ったためだ。
 実際、タイミングとして考えれば杏の予想は決して間違っている訳ではない。
 だが……上位種を殺し、それが闇に呑まれて何故このようなことになるのかと言われれば、首を傾げざるをえない。
 いや、元々異世界と繋がる件についてまだ完全に解明された訳ではない以上、上位種が闇に呑まれたのが原因ではないと断言も出来なかった。
 そもそも、上位種というのはそれなりに珍しいが、他の地域で全く見ないという訳ではない。
 ゴブリンだけに限っても、これまでの歴史で殺されてきた上位種がどれだけいるのかを考えれば、今回だけが特別という訳ではない。

「と……とにかく、一旦山を下りよう! 異世界と繋がったなら、それこそ僕たちの手でどうにか出来る可能性は小さい!」

 普段は落ち着いた様子の猛だったが、今は緊張からかそのような余裕もないまま叫ぶ。
 それも当然だろう。異世界と繋がったことにより起きた被害は、被害額、それと人命。その両方で天文学的な被害が出ているのだから。
 むしろ、どうにも出来ないではなく、どうにか出来る可能性は小さいと、そう言っているのは甘い見積もりだとさえ言えた。
 猛もそれは分かっているのだが、ここでそれを完全否定するような真似をすれば、他の面々の士気が落ちてまともに行動出来ない。
 そう判断したがゆえの言葉だった。
 幸いにもと言うべきか、そんな猛の声で我に返った白夜たちは動き始める。
 空に存在するヒビが、今こうしている間にも広がっている。
 そのヒビがどれだけの大きさになるのかは分からないが、ヒビが小さければそれだけ異世界と繋がる空間も小さくなり、向こうから巨大なモンスターはこの世界にやってくることは出来ない。
 そうである以上、白夜たちに出来るのは可能な限り早くヒビが限界に達して異世界と繋がるのを祈ることだった。
 ……もっとも、異世界と繋がってしまうということは、向こうからこっちにやってくる存在がいる可能性が高いということだ。
 ヒビの近くにいる白夜たちにとっては、早く異世界と繋がると自分たちが逃げる余裕がなくなるが、それが遅くなると巨大な……危険なモンスターが来る可能性が高いという、非常に嫌な二択となる。
 その上、白夜たちではどちらも選ぶことが出来ないのだから、最悪に近い状況と言ってもいいだろう。

「走れ、走れ、走れ!」

 猛の声に急かされるように、白夜たちは山を走っていく。
 今の自分たちに出来るのは、可能な限り異世界と繋がるだろう場所から逃げることだ。
 何も言葉を出せないまま、ただひたすらに山を走る。
 途中で枝によって小さな傷が出来たりする者もいたが、本人は傷が出来たというのにも全く気にした様子も見せず、走り続けていた。
 今、もしここで足を止めてしまえば、それが何を意味するのか……それが明らかだった為だ。
 多少の傷で足を止め、結果としてそれにより命を失うことになる可能性を考えれば……それは、とてもではないが許容出来ることはでない。

「ギョギャ」
「ギャ?」
「ギャギョギュ」

 そして、白夜たちが逃げているのを何匹かのゴブリンが見つける。
 そのゴブリンは、先程上位種が倒された混乱の中で真っ先に逃げ出したゴブリンたちだ。
 相手が逃げた。つまり、自分たちの方が強い。
 上位種が倒されたにもかかわらずそう判断するのは、ゴブリンだからこそだろう。
 そうして逃げ出した白夜たちを追おうとしたゴブリンたちだったが……その瞬間、空間のヒビは完全に割れ、地球と異世界が繋がるゲートが生み出されるのだった。
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