虹の軍勢

神無月 紅

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24話

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「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」

 山の中を走りながら、白夜たちは少しでも後ろから距離を取ろうとする。
 すでに空間は完全に割れて別の世界と繋がるゲートが出来てしまった以上、いつ異世界からこの世界にモンスターが現れるかは分からない。
 これまでにも、地球は何度となく異世界と繋がり、そこから多くのモンスターが侵入してきた。
 それでも幸いだったのは、今回繋がった異世界とのゲートは小さいことだろう。

(遠くからだからはっきりとは分からなかったけど、五メートル程度のように見える)

 走りながら、白夜は後ろを振り向く。
 そんなことが出来るのも、一行の中で白夜が一番後ろを走っているためだ。
 一行の先頭を走っているのは猛だ。
 全速力……とまではいかないものの、かなりの速度で走りながら槍を振るい、邪魔な茂みや木の枝を的確に排除していく。
 この辺りの技量は、同じ長物を使っていても明らかに白夜より上だった。
 そして猛の後ろを走る蛟は、その背に音也をおぶっている。
 普段であれば、音也は人に……それも女におぶわれて移動するといった真似は絶対に許容出来ないのだが、音也も現在がどのような状況なのかは理解している。
 今は自分が我が儘を言えるような状況ではないのだ。
 もしそんな真似をすれば、下手をすれば東京が……いや、日本そのものが大きな被害を受ける危険すらあるのだから。
 だからこそ、自分の現状を悔しく思いながらも、音也は黙って蛟におぶさっている。
 そんな蛟の後ろを走っているのは、杏。
 魔法使いであるため、体力的な面では一行の中でかなり低い。
 何とか子供の音也には勝っているが、年齢差を考えればそれはとても喜べることではないだろう。
 そんな杏の背後を守るように、弓奈が杏の後ろを走っていた。
 ……正確には杏を守るのではなく、杏を急かす牧羊犬の如き役割なのだが。
 そして一番後ろを、白夜が背後を警戒しながら走り、そんな白夜の少し上をノーラが飛ぶという陣形となっていた。

「ほら、急いで杏。もっと足を動かして!」
「はぁ、はぁ、はぁ……無理を言わないで。元々私は魔法使いで、肉体労働は専門じゃないんだから」

 口では不満を言いながらも、杏の足が止まることはない。
 ここで足を止めれば、自分は間違いなく死ぬということを理解しているためだ。
 それは、異世界からやって来る未知の存在に殺されるのか、それとも背後からグギャグギャといった鳴き声を上げながら追ってくるゴブリンに捕まってか……

(それは遠慮したいわね)

 未知の存在はともあれ、ゴブリンに捕まれば死ぬ前に女として最悪の結末を迎えることになってしまう。
 絶対にそれを避けたいと考えるのは、冒険者として……いや、女として当然だった。

「みゃーっ!」

 白夜の上を飛んでいたノーラが、鋭い……それでいて、どこか聞いた者の力が抜けるような声を発する。
 だが、白夜はその声を発するノーラがどのような存在なのか……そしてどのような行為が出来るのかというのを十分知っているため、後ろから自分たちを追ってくるゴブリンの群れに哀れみすら覚えてしまう。
 そして事実、背後からはギョギャギョギャといった悲鳴が多く聞こえてくる。

(ゴブリンに同情する訳じゃないけど、ノーラの毛針は痛いんだよな)

 普段からノーラの毛針を食らっているだけに、白夜はそのその痛みを嫌というほどに知っていた。
 自分でも関係ないことを考えているという自覚はあるのだが、そうでもしなければ背後の上空に存在する、異世界と繋がった場所に視線を向けそうになってしまう。

「なっ! くそっ、先に探索に出てきた奴か!」

 不意に前から聞こえてきた猛の声に、白夜は視線を前に向ける。
 その瞬間、視界に入ってきたのは五匹のゴブリンたちだった。
 不運……と言ってもいいだろう。
 だが、ゴブリンたちにとっては、自分たちの集落の上に突然空間の割れ目が出来たのだ。
 ゴブリンの知能ではその空間の割れ目が何なのかを正確に理解することは出来ないだろうが、それでも異常事態だというのは理解出来る。
 白夜たちを探しに山の中に散らばっていたゴブリンたちが、そんな異常事態を見て集落に戻ろうと考えるのは不思議なことではない。
 そんなゴブリンたちではあったが、猛にとっては道なき道を走っているところでゴブリンたちと遭遇したのだかから、不満の声を漏らすのは当然だった。

「突っ込むぞ! 倒さなくてもいい、多少なりとも傷を付ければ足は鈍る!」

 現在の状況からか、いつもの丁寧な言葉遣いとは違う猛の叫びに、他の者たちは特に文句もなくそのまま猛を追う。
 ゴブリンたちも武器を構えようとするが、明らかにその行動は遅かった。
 そのまま猛たちが突っ込んでくるとは思ってもいなかったし、何よりゴブリンたちも自分たちの集落の上に突然現れたその存在に動揺していたというのもある。
 真っ直ぐ走ってきた猛が素早く槍を突き出し、次々にゴブリンたちへ傷を与えていく。
 一撃で倒すといったことはせず、本人が口にしたように少しでも傷を――出来れば足に――与えればそれでいいと考えているような攻撃。

「ギョギャ!」
「ギュア!」
「ギャオギョ!」

 そして実際、通り抜けざまに放たれた攻撃は、ゴブリンたちに小さくない傷を与えていく。
 特に狙われたのが、自分たちを追ってこないように足だ。
 動けない……もしくは動けても走ることは出来ないように、猛の槍が、蛟の短剣が次々にゴブリンを傷つけていく。
 相手は五匹のゴブリンとはいえ、特に打ち合わせもなく即興で連携出来るのは、普段から共に行動しているからか。
 そんな二人とは裏腹に、音也はゴブリンを攻撃している蛟から振り飛ばされないようにしっかりと背中に捕まり、魔法使いの杏は全速力で走りながらでは魔法を使えず、弓奈はそんな二人を護衛するために大人しい。
 白夜は金属の棍という長柄の武器だったとこともあり、ゴブリンの足をめがけて大きく振るう。
 ゴブリンの膝の骨が砕ける感触を金属の棍越しに感じつつ、それでも走る速度を落とさない白夜の上では、先程背後から追ってきているゴブリンに向かって放ったように、ノーラが毛針を放つ。
 足を攻撃され、目を潰され……と、散々な目に遭ったゴブリンたちをその場に残しながら、白夜たちはひたすら山を下りていく。
 登るときはかなりの時間がかかったのだが、下りではそこまでの時間がかからない。
 それは坂道になっていることもあるのだろうが、同時にそれだけ山を降りる……異世界と繋がった場所から逃げるために集中していたというのもあるのだろう。
 大変革においてどれだけの被害が出たのか、そして今も世界中で異世界と繋がってはどれだけの被害が出ているのか……それを理解しているからこその集中力だった。
 少しでも早くギルドに……そしてトワイライトに知らせなければ、と。
 もちろんトワイライトでも、ゲートが生み出されたことは観測されているのだろうが、それでも情報は多い方がいいのは間違いない。

(東京じゃなくて、この山の中で異世界と繋がったのは、運が良かったのかもしれないな)

 出てきたゴブリンを後ろに置き去りにしながら山を下りつつ、白夜はそんな風に考える。
 もしこれでゲートが山の中ではなく、東京のど真ん中に現れようものなら……下手をすれば、東京そのものが壊滅していた可能性すらあった。

(異世界と繋がった穴、ゲートはかなり小さい規模だった。それを考えれば、巨大なモンスターとか、そういうのが出てくることはないと思うけど……小さいモンスターでも、厄介なのは厄介だしな)

 この山に巣くっていたようなゴブリンは、純粋な戦闘力という意味ではかなり弱い。
 だが、人間、他のモンスター……もしくは動物といった相手との間でも子供を作ることが出来るゴブリンは、こと繁殖力という意味では屈指の存在だろう。
 そうである以上、どのような存在であろうとも、ゲートの向こう側からやってくるというのは厄介な存在で間違いない。
 今まで何度となくゲートは開かれてきたのだが、異世界からやってきた相手で友好的な存在は数えるほどだ。

(ノーラみたいなのが大挙してやってくれば、それはそれで厄介だろうけど)

 基本的に友好的な存在のノーラだが、色々と堅苦しいところがある。
 特に白夜が女を口説こうとすると、邪魔をするのも珍しくはない。
 そんなノーラと同じ種族が大挙して地球にやってくる……それは、白夜にとってあまり面白い出来事ではなかった。
 もちろん、ゴブリンのような存在がやってくるよりは何倍、何十倍、何百倍もマシなのだが。

「木が切れるぞ!」

 先頭を走っていた猛の声で我に返り、白夜は視線を自分たちの進行方向に向ける。
 猛の声に、白夜たちの表情には笑みが浮かぶ。
 もちろん、もう山を完全に下りた……という訳ではない。
 山に生えている木々が、多少なりともそこには生えていない。そんな場所なのだろう。
 だが、それでも白夜たちにとっては見通しがいいという意味で嬉しい出来事だった。
 少なくても、木々の間から突然ゴブリンが突っ込んでくるということはないのだから。

「はぁ、はぁ」

 軽く息を整えながら、白夜は素早く後ろを確認する。
 そこには、最初よりも大分数が少なくなってはいたが、それでもまだ二十匹以上のゴブリンの数があった。

(ちっ、しつこいな)

 苛立たしい気持ちと共に内心で吐き捨てる白夜だったが、ゴブリンたちにしてみれば、自分たちの集落を荒らされたのだ。
 また、かなりのゴブリンの命が奪われている以上、それを行った白夜たちを見逃すはずもない。
 ……もっとも、ゴブリンの知能を考えれば、すでに何故自分たちが白夜たちを追っているのかすら忘れている可能性もあるが。
 ただ、目の前にいる白夜たちが逃げる。
 だから、本能に従ってそれを追う。
 ゴブリンたちがしているのは、ただそれだけ……という可能性は十分にあった。

(鳥……いや、鶏だったか? 三歩歩けば忘れるって奴)

 何となくそんなことを考えながら走っていた白夜たちだったが、やがて木の生えていない場所は終わりを告げ、再び木の生えている場所に入る。
 木の生えていない場所ではゴブリンに襲撃されるようなことはなかったが、再び木の生えている場所に入ったのだ。
 そうなると、再び木々の間からゴブリンが突っ込んでくることに警戒しなければならない。

「猛さん! このままだと体力が保ちません!」

 戦闘を走る猛に声を掛けたのは、弓奈。
 それは自分の体力が限界だから叫んでいるのではなく、弓奈が護衛をしている杏が体力がもう限界であるという叫びだった。
 魔法使いの杏は、能力者の他の面々に比べるとどうしても体力が少ない。
 ましてや、今日杏がどれだけ動き回ったのか、どれだけの戦闘を経験し、魔法を使ったのかを考えれば、体力が限界に近づいてもおかしくはないだろう。
 ……いや、寧ろ今でもまだ走れるだけの体力が残っているのだから、魔法使いにとしてはそこそこの体力があると言ってもいい。
 だが、結局のところその体力は白夜たち能力者には及ばない。
 子供の音也よりは上だろうが、その音也が蛟におぶさっている以上、現在の一行の中で一番足が遅く、体力が少ないのは杏だった。

「っ!? 悪いけど、ここで足を止める訳にはいかない! 死ぬ気で走ってくれ!」

 猛もそんな杏の状況を理解したのだろう。走りながら何とか叫ぶ。
 一行の殿でそれを聞きながら、白夜はこのままでは、不味いと考える。
 杏の体力もそうだが、やはり一番不味いのは後ろから追ってきているゴブリンたちだろう。
 何度かノーラの毛針が放たれ、それを食らってはいるのだが、それでもゴブリンの数は減らない。
 正確には減ってから暫くすると山狩りをしていたゴブリンたちが合流してきて元の数に戻るというのが正しい。
 今のところはゴブリンたちとの間にそれなりの距離があるのだが、それがいつまでも続くかと言われれば……それは、否だった。

(杏の体力が保たない)

 そもそも、能力者は前衛、魔法使いは後衛というのが一般的な認識だ。
 もちろん能力によって能力者が後衛に回ることも多いのだが。
 ともあれ、魔法使いは後衛である以上、これだけ走らせるというのが前提と違う。
 ……それでも、鍛えている分、魔法使いは能力者ではない普通の人間よりも能力的には上なのだが。
 とにかく、このままではジリ貧だ。
 そう思いながら走っている白夜たちだったが……

『左右に分かれなさい!』

 不意に、そんな声が聞こえてくる。
 それは格別に大声という訳ではなかったが、それでも間違いなく白夜の……そして他の全員の耳に届いた。
 何かの強制力の類があった訳ではないが、白夜たちは本能的に走っている速度そのままに左右に分かれる。
 そして、次の瞬間……その分かれた隙間を何かが通りすぎ……気が付けば、白夜たちを追ってきていたゴブリンたちは、皆がその場に倒れ込んでいた。
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