訳あり侯爵様に嫁いで白い結婚をした虐げられ姫が逃亡を目指した、その結果

柴野

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第十話 求婚されたので逃亡してみた結果

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 国王と王妃との絶縁宣言――と言っても最初から他人だったわけだが――をし、腹違いの兄たちが取り押さえられるのを見終えると、侯爵様と共にパーティーの中央から退いた。

 わたしの出番は、これで終わり。
 虐げられてきた過去はある。国王や王妃、王子たちへの怒りもまだ健在で、どうしようもない恐怖も持ち続けていることに変わりはない。
 それでももう彼らとわたしは他人。そう思うと、とても気持ちが軽くなった気がした。

 そのあとの展開は目まぐるしかった。

「おわかりいただけましたかな。もうあなたがたに逃れる余地などないのだと」

 筆頭公爵がそう言い、口汚く言い返そうとしていた国王と王妃も身を拘束するように指示。
 国王夫妻は衛兵たちに連行されて牢の中へ。その一方で筆頭公爵が王になるとの宣言がなされたのだ。

 わたしもそうだけれど、他の貴族もこんな事態になるとは思っていなかったのだろう。
 パーティーなど続けていられないということで建国百周年記念の宴になるはずだったその場はお開きとなった――。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 短い時間に色々あり過ぎたせいか、馬車の道中はずっと泥のように眠っていた。

 屋敷に帰り着いたのは、翌日の夕暮れ時のこと。
 荷解きが終わり、ドレスを脱いで息を吐く。そうしてからやっと、現実に戻ってきたような心地になった。

 王家への断罪、王族たちの拘束、虐げられ姫だったわたしの実態が明らかになったこと。
 何もかもが信じられなさ過ぎて、いっそ夢だったと言われた方が信じてしまいそうだ。

 けれど全て現実の出来事であるのは確か。
 もう二度と苦しめられることはないのだと思うと嬉しいし、パーティーへ行ったことに後悔はない。それでも侯爵邸の部屋で一人きりになれば、恐怖でも困惑でも安堵でもない、これからのことについての懸念も湧いてきてしまうというものだった。

「わたしはこれから、どうすれば……」

 パーティーに参加する大きな目的だった逃亡は成し遂げられないままに帰ってきてしまった。
 国王……元国王たちがこれからどのような処遇を下されるにせよ、今までの王家はもう存在しない。それならわたしが連れ帰られるような事態は絶対にないわけで、別に急いで逃亡計画を進める必要性も無くなったということではあった。

 しかし、こうも思う。
 侯爵邸は居心地がいいし、見通しがつくまではお世話になりたい――そんな風にして言い訳をし、ずるずると滞在するのは本当にいいことなのだろうかと。

 侯爵様は優しい。侯爵様がいなかったらきっと、わたしが国王へ逆らうなんてことはできなかっただろう。
 わたしを抱き寄せてくれていた手の感触が、『よく、耐えたな』という囁きが思い出される。

 でもその優しさに本当に甘え続けていいわけがなかった。なのになんだか離れたくなくて、そんな自分に腹が立つ。

 悶々として頭を抱え、うぅぅと唸りながらベッドの上でうずくまる。
 そんな時だった、扉が静かにノックされたのは。

「――入るぞ」

 低く心地の良い声。侯爵様だとすぐわかる。
 慌てて姿勢を正すと同時、こちらの返事を待たずに侯爵様が入室した。

 一体何の用だろう。パーティーから帰ってきてもまだ、軟禁し続けるつもりなのか。
 そんな風に思考を巡らせたわたしはしかし、彼の澄んだ薄青の瞳を見て息を呑んだ。

「こ、侯爵様……?」

 いつも鋭かったそれが、なぜか今日は違っているように見えたのだ。
 そしてそのわたしの考えは正しかった。

「今回の件できみに話がある。ここで話したいのだが、いいか?」



 気づけばすっかり夜になり、月の光が窓から差し込んでいる。
 わたしのすぐ隣、わたしと並んでベッドに腰を下ろす侯爵様の横顔が照らされてとても美しかった。

 侯爵様から聞かされたのは、王家の断罪が行われたパーティーまでの裏話と言うべきもの。
 そしてそのような計画に至った理由などだ。

 最初は外面のために妻を欲しただけらしい。
 薄幸の姫という国王が流した噂を信じて疑うことをしていなかった侯爵様は、わたしが度々脱走することに違和感を持ったという。

 同じ部屋で過ごすうちわたしの様子が普通でないことに気がつき、素性を調べ上げた結果、王家での今までの扱いを突き止め――そして今回の件に至るわけである。

「どうしてそこまでやってくれたのですか」

 もちろん手を尽くしてくれたことはありがたい。けれど、話を聞けば聞くほど納得がいかなくなってくる。
 調べるのには相当な手間がかかっただろう。外面を保つためであれば、わたしの素性なんてどうでも良かったはずなのに。

「政治的思惑でも何でもない、完全なる私情だ。それを今から説明させてほしい」

「……はい」

 政治的思惑ではない? それなら、わたしを憐れんだ故だろうか。
 しかしその直後、想像もしていなかった言葉が侯爵様の口から飛び出した。

「結婚初夜、わたしはきみに『愛することはない』と言っただろう。あれを取り消したいと思っている。――アグネス、俺はきみが好きだ。どうしようもなく、好きになってしまった」

 …………。
 ……………………え?

 侯爵様の顔が近い。
 わけもわからず心臓が高鳴っている。

 彼は今一体、わたしになんと言ったのだろう。
 理解に至るまでたっぷり数秒。聞き間違いではなかろうかと考えるのにさらに数秒。そしてやっと受け入れてもなお、わたしの妄想ではないかと疑ったけれど。

「だから、俺ときちんとした結婚を――」

 聞き間違いでも妄想でも、なかった。

「ごめんなさい!!」

 わたしは大声で叫ぶなり、全速力で走り出していた。
 ものすごい勢いでベッドを立ち上がり、侯爵様の前を駆け抜け部屋を飛び出し、階段で一階まで一気に駆け降りて厨房へ。
 二度目の逃亡未遂の際に使った開閉式の扉をガラリと開け、外へまろび出る。いつも庭を巡回していた侯爵様は今いないから、逃げるのに絶好な場所は庭だ。

 どうして今逃げているか? そんなのわたし自身にもわからない。
 ただ、いっぱいいっぱいになってしまったのだ。

 わたしが侯爵様に好かれている? あり得ない。白い結婚の取り消しなんてきっと何かの間違いだ。
 だってわたしは誰からも愛されないのが当たり前。侯爵様は優しいからあのような扱いをしてくれただけだと思っていたのに、それが特別な感情故だったなんて言われても困ってしまう。

 それともそれは嘘で、侯爵様はわたしを利用しようとしている?
 その方がよほど納得がいくのに、あの目を見てしまえばそうは思えなくなっていた。

 庭を駆け回り、抜け道を見つけて外へ。
 月明かりだけが頼りの夜道が危険なのはわかっているけれど、関係なかった。

「このまま逃げてしまえば……」

 もう次の機会はない。これが最後だ。
 優しくされるだけならまだしも、愛されるとなれば話は別。束縛されてしまう可能性を考えると逃亡するのが得策のはず。

 しかしそう考えれば考えるほど、どうしようもなく胸が苦しくなってくる。
 その意味をわたしは、侯爵様の先ほどの言葉のおかげでようやくわかった。わかって、しまった。

 ――好きになってしまったと言われた時、わたしは嬉しかったのだ。
 それが意味することは一つだけだと気づいたのだ。

 いつの間にか足が止まっていた。
 背後から靴音がして振り返る。夜着のままで走ってくる侯爵様の姿が見えた。

 その時になって今更のように自分も夜着であることを思い出す。
 金目のものも持っていないのだし、こんな格好ではたとえ逃亡したとしても行き倒れるだけだ。自分の無謀さに苦笑した。

「また見つかってしまいました。わたしって逃げる才能がないですね」

 どうして逃げたのだと、怒られてしまうかも知れない。
 それでも良いと思った。

「……きみがどれほど足の速い野獣であれ、俺はもう逃がすつもりはないからな」

 侯爵様が近づいてきて、わたしの背後に立つ。
 そして静かにわたしを抱きしめ捕まえる。抵抗は、しなかった。

 わたしの金の髪に静かに落とされる口付け。
 それがとても優しくて、心地良くて、わたしは侯爵様に身を預けたのだった。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 それからしばらくの月日が経った。

 王都の方では、牢に入れられていた元王子たちが処刑されたり元国王夫妻が病死するなど色々あったと風の噂で聞いたけれど、フレミング侯爵邸は平和そのものだ。

 わたしは毎日、行動で持って愛を示された。
 朝から晩まで常に触れ合い、隙あらば口付けられ、好意を囁かれる。こんなの、嬉しくないわけがない。

 わたしが陥落するのは早かった。
 うっかり「好きです」と言ったらその日のうちに結婚式のやり直しをされるのだから、侯爵様の行動力には驚いてしまう。

「そういえば侯爵様はわたしのどこに良さを感じたんですか?」

 結婚初夜、夫婦の部屋にて。
 ベッドの上で、わたしはずっと気になっていたことを訊いてみた。

「きみの特別な境遇と、態度だな。俺に媚びてこないところが気になって、あとはどんどん惹かれていった」

「……じゃあ、甘えない方がいいですか?」

「他の女は嫌だが、きみならいい。きみは裏がないからな」

 微笑みながら否定され、そのことにわたしは心から安堵する。
 そしてそのまま侯爵様の隣で横たわった。

「ありがとうございます。これからもよろしくお願いしますね、侯爵様。……おやすみなさい」

 わたし的にはこの日はもう眠り、明日も侯爵様に愛され抜く――つもりだったのだけれど。
 どうやら侯爵様はそうではないようだった。

「待て。まさかこのまま寝るとは言い出さないだろうな」

「そのつもりですが?」

 こてんと首を傾げるわたしに侯爵様が天を仰いだ。
 そして呟く。

「あの国王、仮にも他家へ嫁がせる閨教育も施していなかったのか。これは思いやられるな……」

 その言葉の意味が、この時のわたしにはわからなかった。
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