モノマニア

田原摩耶

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イレギュラーは誰なのか

共有する敵意

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 ちーちゃんから貰ったメモを片手に学校を飛び出した俺は、なんとしてでもついてくると言って聞かない純の運転するバイクで例の病院へとやってきていた。
 大きいが綺麗とは言えないその病院前。
 あまり気分は良くない。勿論マコちゃんが心配だというのもあるが、あまり病院は好きじゃなかった。いい思い出がない。
 体は丈夫な方だし病気とも無縁だったが、ヒズミに奇襲を掛けられたあのあと俺は病院で何度か夜を過ごすことになった。
 ――体に繋がった点滴。誰もいない、真っ白な部屋。固定され、動かない体。
 入院中、ヒズミが来るかもしれないとビクビクしていた。病院が悪いとは思わないがやはり思い出というものは大きいようだ、病院というだけで身構えてしまう。

「仙道さん」
「…ん?」
「俺がついてます」
「うん」
「だから、そんなに怖い顔しないで下さい」
「……」

 どうやら、純には全て悟られていたようだ。
 ――病院内、受付前。
 怖い顔をしているのはどちらだろうか。険しい顔して辺りに目を向ける純に、少しだけ緊張が緩む。

「……生意気」

 純にまで心配掛けてしまうとは、先輩失格だな。
 なんて思いながら微笑んだら、バツが悪そうに眉を潜めた純は「あのなぁ」とこちらを見る。

「ありがと」

 それを遮るように呟いた俺は、更に足を進めた。
 今は、純に顔を見られたくなかった。きっと、相当情けないことになってるであろう自分の顔を。
 純も純で気遣っているのか、それ以上何も言わずに俺の後ろをついてきていた。

 さて、どうやってマコちゃんを探そうか。
 思いながら、広い院内を見渡した時だった。
 そう離れてはいないロビーにて、同じ制服の生徒を見つけた。小柄な後ろ姿はどこか見覚えがある。それは純も同じだったようで。

「あ、お前…」

 声を掛けたのは純だった。
 呼び掛けられ、その小柄な生徒はこちらを振り返る。明るい茶髪のその生徒には記憶に新しい。

「確か、君、かいちょーの」

 生徒会会長親衛隊隊長と無駄に長い肩書きを持つその生徒は、俺の顔を見ると少しだけ驚いたような顔をし、すぐに人懐っこそうな笑みを浮かべる。

「こんにちは、仙道様。それと、仙道様のおまけ」
「うるせえな、お前だって会長のおまけだろうが」

 確か、花崗というその生徒の慇懃無礼な態度に純は吼える。
「一緒にしないでよ」と強気な態度に出る花崗。二人が面識あることも意外だったが、それよりも気になることがあった。

「ってことは、会長も来てんの?」
「はい、…といってももう、帰るところなんですけど」

 その言葉に、咄嗟に辺りを見渡してみたが、会長の姿はない。
 もしかしたらもう外に出ているのかもしれない。だとしても、なぜ会長がここに来ているのか甚だ理解できなかった。
 ただわかることは、マコちゃんに会いに来ているということ。その事実が酷く不快だった。

「そう。じゃ、気をつけてね」

 あまり引き止めるのも悪いし、会長と顔を合わせることも避けたかった。別れを告げ、さっさと花崗から離れようとした時。
「あ、仙道様」と、思い出したように花崗に引き止められる。何事かと振り返れば、花崗は目を細め、猫のようにはにかんだ。

「風紀委員長なら、三階のラウンジにいると思いますよ」

 ◇ ◇ ◇

 花崗春日と別れ、俺たちは三階へとやってきた。
 エレベーターを降りてすぐ、窓際で佇む見慣れた後ろ姿。

「あ…」

 マコちゃんだ。制服姿のマコちゃんはお年寄りが多い病院内では浮いている。

「なら、俺その辺彷徨いてるんで。……話、終わったら呼んで下さいね」

 そのまま駆け寄ろうとしたとき、隣の純がそんなことを言い出した。

「余計な気遣わなくていいのに」
「目の前でイチャつかれるとくるもんがあるんで」

 苦笑する純を無理矢理引き止める必要はないだろう。
 こちらとしても二人きりで話したいのも事実だった。「わかった」とだけ頷き返し、その場で純と別れる。そして一人になった俺はゆっくりとロビーへと向かった。

「マコちゃん」

 その後ろ姿に声を掛ければマコちゃんはゆっくりとこちらを振り返った。いつもの眼鏡はなく、その代わり右目には白い眼帯が付けられている。
 唇の端が僅かに切れていたが腫れはない。一見軽症のマコちゃんは、目の前の俺に僅かに目を細める。

「京か?…なんでここに」
「ちーちゃんからここの場所、聞いたから」

 眼鏡がないから、見えないのだろうか。そっと手を伸ばし、俺はマコちゃんの目を覆う眼帯に触れる。

「……これ、ヒズミに?」

 そっとなぞれば、ぴくりとマコちゃんの肩が揺れた。
 僅かに表情が強張る。この下にも傷があるのかもしれない。

「痛い?」
「これくらいどうってことない」
「強がり」
「別に強がってなんか……」

 そうマコちゃんがそっぽ向いたとき。ようやく俺の脳はマコちゃんに会えたということを実感したらしい。
 安堵のあまり堰き止めていたものが一気に溢れ返り、じわりと涙腺が緩んだ。ぼろぼろと涙が零れ、それを隠すように俺はマコちゃんの胸にしがみつく。

「あんま、無茶なことしないでよぉ…っ、俺、マコちゃんになにかがあったら……っ」
「…悪かった」

 止まらない涙に恥ずかしさを覚える余裕はなかった。
 胸に顔を埋めるように俯く俺に、わしわしと頭を撫でるマコちゃんの手に目を細め、ゆっくりと顔を上げればそのまま額に優しく唇を寄せられる。
 胸の不安を掻き消すように、俺はマコちゃんの手を握り締める。包帯で覆われた手から体温は感じないが、それでもよかった。

「…マコちゃんって、喧嘩、得意じゃない人かと思ってた」
「好きじゃない。嫌いだ」
「なら、どうして」
「お前が傷つくくらいなら、俺はお前を泣かせるやつを殴る」

 ハッキリとしたその口調に、目を丸くした俺はマコちゃんを見上げた。
 冗談を言っている気配はない。いや、元々マコちゃんは詰まらない冗談を言うようなやつではない。――だからこそ、その言葉に驚いた。

「自分でも、相当おかしいこと言ってると思う。けど、ダメなんだ。…京のことになると、なにも考えられなくなる」

 もしかしたら口の中を切っているのだろうか。喋る度に苦しそうに顔を歪めるマコちゃんに、俺はそのまましがみつく。
 そこで頬を緩ませたマコちゃんは、悲しそうな顔をして俺の頭を撫でた。

「呆れるだろ」
「ううん。多分、俺だって…俺だって、マコちゃんが誰かに虐められたらそいつのこと、泣かしちゃうよ」
「そうか」

 冗談だと思っているのだろう、俺の言葉にぎこちなく笑うマコちゃん。

「でも、無茶はしないでくれ」
「それ、俺のセリフだから」

 目を合わせれば、お互いに小さく笑いあう。この時間が、この空気が、マコちゃんと共有する全てが俺を癒してくれる。
 マコちゃんは笑うが、俺はマコちゃんになにかがあれば本当に相手を泣かすだろう。否、泣かすだけでは気が済まなくなるだろう。
 今だって、マコちゃんの顔の傷を見るだけでこんなに腸が煮え繰り返りそうになるのだから。

「京」

 ふと真面目の顔をしたマコちゃんに名前を呼ばれる。
「ん?」とマコちゃんの横顔を見詰めれば、マコちゃんは会った時と同じ苦しそうなかおをしていて。

「二週間、悪いが我慢してくれるか」
「にしゅーかん?」
「停学処分二週間だそうだ。これで退学にならないんだから、あそこの緩さも大概だな」

 自嘲気味に笑うマコちゃんだけど、その笑みは引き攣っている。
 本当は、マコちゃんは停学したくなかったかも知れない。そう思ったが寧ろ処分受ける覚悟はないとは思えない。マコちゃんの思案が別のところにあるとすぐにわかった。
 だから、

「…うん、わかった」
「俺がいない間になにかあったら、千夏を頼れ。あいつはああだけど信用できるし、力になってくれるだろう」
「も~、マコちゃんは心配し過ぎだよぉ」

 せめて、マコちゃんが安心できるように俺は表情を崩した。しかし、マコちゃんの表情は相変わらずどこか硬いままだった。

「わかってる。これが性格なんだ。勘弁してくれ」

 その表情、声からは隠し切れないほどの焦燥感を感じた。どうすればマコちゃんがリラックスしてくれるのだろうか。
 怖い顔のマコちゃんは、見てて少しだけ悲しくなる。
 だから、その緊張が解れるようにと俺はマコちゃんの固く握った拳に掌を重ねた。

「わかってる」

 だから、そんなに一人で考え込まないで。俺のことは心配しなくていいから。
 言葉にする代わりに、俺は硬くマコちゃんの手をぎゅうっと握り締める。流れ込んでくる体温。マコちゃんにも、同じように俺の熱が流れ込んだら、と考えたら顔が熱くなっていく。
 それでも、マコちゃんから目を離したくなかった。

「京」
「ありがとう、マコちゃん。ごめんね」

 たかが二週間、されど二週間。マコちゃんと一分一秒でも長くいたい。それが叶わなくとも、せめて、瞼の裏に焼き付けておきたかった。いつでも思い出せるように、マコちゃんの顔を、存在を。
 マコちゃんはやっぱり悲しそうな顔をしていた。それでもマコちゃんも必死にそれを隠そうとしているのだろう。

「日桷和真も処分を受けるだろうから、少しは楽に過ごすことが出来るだろう」
「そんなの、マコちゃんがいなかったら意味ないよ」
「……」
「また、連絡するよ。いっぱい。朝も昼も夜もうぜーくらいメールするから。あと、電話も。そんで、マコちゃんちにも遊びに行くからね!…あ、俺、マコちゃんちいったことねえや」

 マコちゃんを忘れたくないように、俺もマコちゃんに忘れられたくない。だから、寂しくならないよう、忘れられないよう、とにかく必死だった。
 半ば強引に取り付ける俺に、マコちゃんは嫌な顔をするわけではなく寧ろ、安堵したように頬の筋肉を緩ませる。

「わかった。掃除しとくよ」

 それは、ようやくマコちゃんが見せてくれた隙だった。
 話している間も抜け切れていなかった殺気が消え、いつものマコちゃんに戻った。
 それが嬉しくて、釣られるように力を抜いた俺は「うん」と笑い返す。そこで今まで自分が緊張していたことを知った。
 本当はもっと色々話したかったが、これからマコちゃんは用事があるようだ。恐らく教師たちがやってくるのだろう。
 マコちゃんは何も言わなかったが、なんとなく聞かれたくないという雰囲気を感じた俺は渋々その場で別れた。



「あの、仙道さん」

 純と落ち合い、そのまま病院をあとにしたとき。
 どこか落ち着かない様子の純に呼ばれる。

「んー?」
「仙道さんって、あの、風紀のやつと…その…つっ、つ、付き合ってんですか?」

 なんでそこで吃るのだろうか。
 かなり恐る恐る、といった感じで尋ねてくる純に俺は歩きながら少し考え込む。

「……さあ?どうなんだろ」
「そんないい加減な」
「でも、好きだよ」

 それだけは言えた。マコちゃんが困ってたら助けたいし、マコちゃんが幸せになってくれたら嬉しいし。
 真顔で答えれば、「え」と純が足を止める。自分から聞いておいてその反応はなんなのだろうか。俺は立ち止まった純を振り返る。

「純も、好き」

 いつもごめんね、と小さく付け足せば、少しだけ意外そうな顔をした純が顔を上げ、俺を見詰めた。

「……仙道さん?」

 どうしてそんな顔をするのだろうか。
 悲しそうな目をして俺を見上げてくる純に、俺は口元を緩め、微笑んだ。

「そろそろ帰ろっか」

 これ以上遅くなったら締め出されるかもしれない。
 まあ、そうなったら校門なり飛び越えればいいのだろうが、今はあまり波風を立てたくなかった。
 俺は純の視線から逃げるように病院の前に停めてあったバイクへと足を進めた。
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