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聖なる愚か者の話 ─『耳囊』より
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そうこうして源坊は、文化五辰年七月に死んで、野辺送りが、同月二十一日(二十二日とも)に行われることとなった。
正式の得度すら怪しい源坊だったが、その弔いは真福寺のなすところとなった。ただ、源坊らしくささやかに、という寺の思惑はまったくはずれた。
われもわれもと名乗りをあげた葬儀の世話役たち、なんでもいいから参加させろと集まった四谷の町中はおろか、江戸中の人たちのせいで、源坊がみたら逃げ出したに違いない、貴人や人気役者のような派手なものとなってしまったのである。
葬列はまず、市松がらの半纏でそろえた人足の二人が、ひばしに下げたぶら提灯を掲げて先供を果たした。
その後ろには、僧侶とともに、麻の裃(かみしも)を着て、玩具とはいえなほど作り込まれた極彩色の菖蒲太刀を腰に差した者が続き、葬列の格式を高く見せた。
南無阿弥陀仏と書かれた何本もの幟がぞろぞろと続き、それらは吹き流しのように揺れた。それに負けまいかとするように高張提灯も林のように掲げられた。
その他の者も一緒になって、口々に掛け念仏を唱え、鉦や木魚を叩いた。周囲の音が聞こえなくなるなるほどのこれ音声が、参列者に日頃のうさを忘れさせ、至福の喜びにみちびいた。ありがたやありがたやと源坊を希代の高僧のようにあがめ立てた。
神輿のように担がれた棺の前には、花を飾り付けたどでかい笠鉾が先行し、戸板の大きさほどもある奉書紙が張り付けられていた。
──源坊極楽入(源坊、極楽いり)
墨痕あざやかにそうしたためられ、文字の読めないものにさえ、湿っぽさよりも厳かな気持ちを掻き立てた。
棺の後ろにもたくさんの幟が立ったが、下々の葬祭にはご禁制のはすの管弦、めでたく賑やかな笛や太鼓を鳴らす者達まで混じっており、いっしょに葬列を練り歩いた。
祭りさながらの賑やかな音を聞きつけ、それが源坊を見送るためと知った者がまた加わって、葬列はさらに長く太くにぎやかになった。先供の到着からかなり遅れて、棺が真福寺本堂の脇へようやく到着した。
幟、笠鉢がそこに立てられ、葬祭のはじまりをつげた。そこに寺が用意した台が据えられ、源坊の冥福を祈るための銭が奉納された。近隣の長屋の者達だけでな、大小の商人、身分もばらばらの武士たち、遊女、乞食までが銭を置いた。積まれていく銭の山に記帳がまにあわず、丸やら波線やら書きつけて済ますものが多かった。皆がみな布施の喜びにひたった。
その額があまりに莫大なものとなると見た寺は、かねてから用意しておいた籠詰めの夏蜜柑のほかに、籠入りのお菓子をとにかく手当たり次第に出入の商人にもってこさせた。供養にもってこられた供物もその横におかれ、正月準備の市が寺内に現れたようになった。
しめやかというより、熱っぽく葬式が終わって、今度は寺がふいご祭りに集まったごとくの多くの者達に、お礼を示す番となった。
いちいち手渡していたのでは終わりがないとみて、境内より一段高い縁台に大量の供物が移され、そこから寺の者が総出でそれをばらまきをはじめた。黄色い蜜柑、菓子、餅などが宙を舞い、みながあらそってそれをうけとった。全てを投げ尽くすのに小半時もかかり、湯屋横丁のあたりいったいは、成田山からの参詣から帰る時ような、これからの幸福が約束された満ち足りた気分をが充満していた。
裕福な商人の豪華な葬式を許さないお役人達も、なぜかこのときばかりはお目こぼしを与えた。これも馬鹿な坊主の語り草に、最後の花を添えることとなったのだった。
源坊の迷子札は、真福寺がながく保管していたという。源坊は生涯いちども迷子にはならなかったのだ、まるで迷っているように、江戸のいたるところを漂っていても。そう信じる人が、いつまでもその札をみせてもらいにきたからだという。(了)
正式の得度すら怪しい源坊だったが、その弔いは真福寺のなすところとなった。ただ、源坊らしくささやかに、という寺の思惑はまったくはずれた。
われもわれもと名乗りをあげた葬儀の世話役たち、なんでもいいから参加させろと集まった四谷の町中はおろか、江戸中の人たちのせいで、源坊がみたら逃げ出したに違いない、貴人や人気役者のような派手なものとなってしまったのである。
葬列はまず、市松がらの半纏でそろえた人足の二人が、ひばしに下げたぶら提灯を掲げて先供を果たした。
その後ろには、僧侶とともに、麻の裃(かみしも)を着て、玩具とはいえなほど作り込まれた極彩色の菖蒲太刀を腰に差した者が続き、葬列の格式を高く見せた。
南無阿弥陀仏と書かれた何本もの幟がぞろぞろと続き、それらは吹き流しのように揺れた。それに負けまいかとするように高張提灯も林のように掲げられた。
その他の者も一緒になって、口々に掛け念仏を唱え、鉦や木魚を叩いた。周囲の音が聞こえなくなるなるほどのこれ音声が、参列者に日頃のうさを忘れさせ、至福の喜びにみちびいた。ありがたやありがたやと源坊を希代の高僧のようにあがめ立てた。
神輿のように担がれた棺の前には、花を飾り付けたどでかい笠鉾が先行し、戸板の大きさほどもある奉書紙が張り付けられていた。
──源坊極楽入(源坊、極楽いり)
墨痕あざやかにそうしたためられ、文字の読めないものにさえ、湿っぽさよりも厳かな気持ちを掻き立てた。
棺の後ろにもたくさんの幟が立ったが、下々の葬祭にはご禁制のはすの管弦、めでたく賑やかな笛や太鼓を鳴らす者達まで混じっており、いっしょに葬列を練り歩いた。
祭りさながらの賑やかな音を聞きつけ、それが源坊を見送るためと知った者がまた加わって、葬列はさらに長く太くにぎやかになった。先供の到着からかなり遅れて、棺が真福寺本堂の脇へようやく到着した。
幟、笠鉢がそこに立てられ、葬祭のはじまりをつげた。そこに寺が用意した台が据えられ、源坊の冥福を祈るための銭が奉納された。近隣の長屋の者達だけでな、大小の商人、身分もばらばらの武士たち、遊女、乞食までが銭を置いた。積まれていく銭の山に記帳がまにあわず、丸やら波線やら書きつけて済ますものが多かった。皆がみな布施の喜びにひたった。
その額があまりに莫大なものとなると見た寺は、かねてから用意しておいた籠詰めの夏蜜柑のほかに、籠入りのお菓子をとにかく手当たり次第に出入の商人にもってこさせた。供養にもってこられた供物もその横におかれ、正月準備の市が寺内に現れたようになった。
しめやかというより、熱っぽく葬式が終わって、今度は寺がふいご祭りに集まったごとくの多くの者達に、お礼を示す番となった。
いちいち手渡していたのでは終わりがないとみて、境内より一段高い縁台に大量の供物が移され、そこから寺の者が総出でそれをばらまきをはじめた。黄色い蜜柑、菓子、餅などが宙を舞い、みながあらそってそれをうけとった。全てを投げ尽くすのに小半時もかかり、湯屋横丁のあたりいったいは、成田山からの参詣から帰る時ような、これからの幸福が約束された満ち足りた気分をが充満していた。
裕福な商人の豪華な葬式を許さないお役人達も、なぜかこのときばかりはお目こぼしを与えた。これも馬鹿な坊主の語り草に、最後の花を添えることとなったのだった。
源坊の迷子札は、真福寺がながく保管していたという。源坊は生涯いちども迷子にはならなかったのだ、まるで迷っているように、江戸のいたるところを漂っていても。そう信じる人が、いつまでもその札をみせてもらいにきたからだという。(了)
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