江戸の夕映え

大麦 ふみ

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美しい比丘尼に宿を貸す一家の話 ─『神国愚童随筆』より

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 その比丘尼びくには、曼荼羅まんだらを見せ諸国を回っている、そうやってありがたい熊野神社の教えを広めていると答えたが、熊蔵は鼻くそほどもその言葉を信じなかった。

 菅笠すげがさをかぶり、あい消しの衣をまとって、腰高の帯に高下駄を履いたその比丘尼は、巡礼者とは思えない美しさを放っていた。肌は透きとおるように白く、顔立ちは錦絵でみる役者のようだった。背丈も小柄な熊蔵よりあって、小股のきれあがったとはこういう体つきをいうのかと、おのずと知れる姿形だった。

 長崎の市中で荒物あらものの店を構える熊蔵は、商用でときどき田舎にむかう。その途中、茶屋でいきあわせた比丘尼に暇つぶしの会話を仕掛けたのは、もちろんその美貌に引き寄せられてのことだった。

 比丘尼に他の比丘尼や子供などの連れはみえず、独り旅だとしれた。熊蔵の、お前様は何者かという問いかけに気安く応じて身のうえを語り、これから長崎の真ん中に向かうのだと教えた。

「比丘尼様、ご存じですかな。長崎というところは、宿りの取り締まりがとても厳しい。……なにしろ、海を渡ってくる異人たちとの商売は大変に儲かる。全国からそれを目当てに商人共が集まってくるところなのですよ」

 熊蔵は親切めかして長崎の事情を茶を飲み終わった比丘尼に告げて、少し声を落としてさらに続けた。

「この地の者は大なり小なり、みんなそんな商いに手を染めているくらいですからな……。お上はそれは見張っておるのです。どこの土地から来たかで、泊まらねばならん旅籠が決められとるんです。そのほうが取締りが楽なんでしょうな。だからその宿が一杯で断られようものなら、たいへん難儀なことになります」

 比丘尼は美しい眉根をすこし寄せた。

 ──しめたっ。

 熊蔵は笑いがこみ上げてくるのを抑えるのに苦労した。思いつきで長崎に足を伸ばそうとする者が時々いて、準備の足らない旅人をこっそり家に泊めてやることが、市中のものの割のいい稼ぎとなっていた。だがこのたびの熊蔵の狙いは、金ではなかった。

「どうか、それがしの宅をお宿にお使い下さい。新町のほうになりますが、新紙屋町で荒物屋やっとる、よろずや熊蔵です。町まで来れば、誰に聞いてもらっても、迷うことはありません」

 それは小さな店ではあったが、離れに使われていない小さな隠居所があった。そこに寝かせて、真夜中に忍びこむ。そうしてたっぷり一晩中犯してやるつもりだった。熊蔵には確信があった。

 ──こいつは、まちがいない、売女ばいただ。お大層にお釈迦さまの話をしてるがよ。路銀をちらつかせれば、誰にでも体をもてあそばせる便利な女だ。なら飯と寝間さえくれてやれば、その見返りに楽しませてもらっても、まあ文句はあるまいさ。

「お代なんぞは結構です、比丘尼様。仏様のありがたい教えや、全国を見聞きしたおもしろい話を聞かせてもらえばよかです。どうか必要なだけお泊まり下され」

 熊蔵はそういって比丘尼と別れると、飛び出すように茶屋をでた。これから田舎まわりをして長崎に戻るのに二、三日はかかる。早くしないと比丘尼が他のやつらに目をつけられるかもしれない、丸山楼でもあれくらいの上玉はそうはいない、そうおもって心は焦れた。
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