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壊れた祝福者

盲目、忘却

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 我が子の妻が再び意識を失ったという。
 今日で一週間になる。
 我が子は――リアンは酷く怯えている、狼狽えている。
 食事も睡眠も削り、妻の傍から片時も離れようとしない。

 大臣の中には、リアンが元の状態に戻ったらリアンと妻――ニュクスを引き離してはどうかという意見もあったが、一喝した。

 リアンは、ニュクスがいるから何とか己を保てるのだ、まだ妻が生きて、そして自分の傍らにいるから辛うじて意思疎通ができるのだ。
 ニュクスがリアンの手の届かぬ場所に行けば、ニュクスの命の火が消えてしまえば、リアンは再び「壊れる」だろう。
 前よりも、酷く。

 リアンは、ニュクスの喪失を何よりも恐れている。

 だが、リアンは気づいていない。
 ニュクスにお前の盲目的な「愛」が負担になっていた事に。
 ニュクスの声は私には聞こえぬ、リアンには聞こえていたようだが。
 リアン、お前はニュクスの事を幾度も「綺麗」と言っていたな。
 だが、その時のニュクスの、己の妻の表情を見たことはあるのか?

 まるで『自分の事を直視してくれていない、見てくれていない』そう言いたげな表情をしていたぞ。
 お前は自分の愛する者を、どのように見ている。
 あの痩せ細り、己を嫌悪する妻に、お前は救いの手を差し伸べているつもりなのか?




 ニュクスが意識を失って一週間が過ぎた。
 君は目を覚まさない。

 どうして、何故?

 口づけを幾度もしても、目は覚まさない。
 名を呼んでも、愛を語っても、君は目を閉じたまま。
 お願い、起きてくれ。

「リアン」

 父が部屋にやってきた。
「……何でしょうか?」
「――お前は本当に己が妻の事を見ているのか? 己が妻の『言葉』の意味を正しく理解しておるのか?」
「……なに、を?」
 父の言っている事が理解できない。

 君は、私の妻は、ニュクスは綺麗だ。
 壊れていても、歪んでいたとしても、美しい、どんな者達よりも綺麗な存在だ。

「……リアン、お前は間違っている」
 いいえ、私は間違ってなどいない。
「――己が妻の言葉を思い返せ。ニュクスの抱える『醜さ』故に、お前の言葉は薬ではなく刃として刺さり苦しんでいた。お前の『綺麗』は賛辞の言葉だろうが、目を覚ましていた時のお前の妻には鋭き剣の如く心を引き裂き苦しめる言葉でしかないように私には見えたぞ」
 父の言葉が、いきなり重く心を掴んだ。

 そんな、そんなはずは――

「リアン、お前がするべきだったのは『醜い』と己の『歪さ』に苦しむ己が妻の『毒』を吐き出させ、受け止めることではなかったのか? 受け止めるのが無理なら吐き出すだけでもさせるべきであろう」
 父の言葉が壊れた実子への言葉ならば酷いものと判断するだろう、他の者なら。
 違う、己が行い愛する者を死に至らせかねない行動をする愚者への叱責の言葉だ、これは。
「吐き出させ、そして支える。リアン、お前の妻の抱える『傷』は深い。自分ではもう耐えられぬほどにな、だから楽になりたいのだろう、お前の妻の言葉は私には分からぬ。だがお前の言葉から、妻は自分自身の存在が耐えがたい程傷ついている、だが『歪』故家族や私達の言葉など、何の支えにも、傷にもならぬ。リアン、お前だけがニュクスを救えるし、同時に――」

「心を『殺す』ことができるのだ。お前の妻はお前を深く愛しているから――」

 父はそう言って部屋を後にした。

 愛しているから、救えるのは、私、だけ。
 愛しているから、殺せるのも、私、だけ。

 今までの私は、後者?
 殺すつもりはなくとも、残った心をナイフでそいでいくように、傷つけ、傷つけ、傷つけ――
 君を追い詰めたのか?

 手放せば、君は楽になる?
 ああ、分かってる手放せば君は壊れる。

 だから、どうしたらいいのか分からない。
 受け止める方法が思い出せない、君の苦しみの吐露にどうすればいいのか分からない。
 だって、ニュクス。
 君はそれを言ってくれない。
 お願いだから言ってくれ、目を覚まして、もう一度、私に言ってくれ。
 君の、苦しみを――


 夢を見た、君が真っ黒な水に沈んでいく夢を。
 慌てて追いかける、酷く重くて、動きを阻害してくる、それでも必死になって追いかけて腕を掴んだ。
 ガラスが砕けるかのように腕が砕け折れた。
 連鎖的にニュクスの体にひびが入り崩れはじめた。
 頭部がぐらりと落ち、慌てて掴んだが、手の中で眠るような表情をしたそれは、砂の様に手からこぼれた。


「――!!」
 声にならない叫び声を上げて目を覚ます。
 汗がべとついて気持ち悪い。
 何より夢が怖かった、ニュクスが壊れる夢。

 手を伸ばしてもどうにもならない、お前が何をしたところで無駄だと言わんばかりの夢。

 私は横で眠り続けるニュクスの腕を恐る恐る掴んだ。
 砕けることはない、少し体温は低いが、それでも生きているのを感じる。
 顔に手を伸ばす。
 唇の感触、痩せているが、それでも柔らかな頬の感触。
「……」
 私は安堵の息をこぼした。
 だが、生きていても「心が死んでいたら」という考えが出てきて、再び恐ろしくなった。
「――ニュクス、起きて、起きてくれ」
 君は目を開ける事はない。
「……」
 これが自分への罰だというなら、何故君が苦しむのだろうかと私は泣きたくなった。
 私への罰で苦しむのは私だけで十分だ、何故君が苦しみ、壊れていかなければならない。
 ニュクス、君が何をしたというのだ。

 ただ、この世に産まれ。
 そう「祝福の子」として生まれ、愚者達には「魔の子」と命を狙われた。
 君はただ「普通」が欲しいかった、普通の、幸せが。
 ただ、普通の温かな家庭で、静かに生涯を終えたかっただけ。
 結婚しなくとも良い、愛してくれる人達が幸せで、それを見ることができるなら。
 でも、手に入らなかった。

 君は全て「自分の所為」だと責めて、責めて、責め続けた。
 君は自分を憎んだ、憎んで、憎んで、憎み続けた。

 その「傷」に家族は何もできなかった、気づかなかったわけではないだろう、だが君は家族の前では何もないようにふるまい続けた。
 それが、君をより歪にしていった。

 君をあの時、連れ去るべきだった。
 君の家族と共に、この国で保護するべきだった。
 全て、私の愚かさ故。


 ああ、全て、私の薄汚れた感情が原因だ。
 どうやって償えばいいのだろう。
 許されなくてもいい、ただ、ニュクスにだけは、君だけは、救われて欲しい。
 他者に言えぬ苦しみの生を歩き続けた君には、救われて欲しい。


 ニュクスが意識を失い、目を覚まさなくなって二週間が経過するという日の夜、自分の腕の中から何かがすり抜ける感触がした。
 目を開けると、腕の中にいたはずのニュクスが居なくなっていた、私は慌てて周囲を見渡す。
 扉から出た気配もないし、何処かの扉が開いた気配もない、ベッドの横を見るとニュクスは床に倒れていた。
 抱き起し、声をかける。
「ニュクス、ニュクス」
 軽く揺すりながら、声をかける。
 暫くすると、ゆっくりと目が開いた。
「……」
 ニュクスはぼんやりと視線をさ迷わせている。
 そして口を開いた。

「……誰だ?」

 耳を、疑った。
「――ニュクス、どう、したのだ? 私が、私が悪かった、お願いだから冗談は、そのような冗談はやめてくれ」
「……ニュクスって誰? 俺のこと?」

 ニュクスの反応に、私は自分が――


 どれほど取り返しのつかないことを繰り返していたのか、思い知らされた――




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