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10、夜会
しおりを挟む「婚姻無効の手続きを、お願いします」
役所の職員に、笑顔でそう伝える。
「婚姻……無効ですか?」
職員の男性は、驚いている。それは、無理もないことだ。無効にするには、白い結婚であると証明しなければならない。それを証明するのは、かなり難しいだからだ。
「はい、無効です。必要な書類は、こちらです」
この国では、白い結婚が1年以上続いていれば、婚姻を無効にすることが出来る。貴族にとって、跡取りを産むことは重要だからだ。
提出した書類には、使用人達の証言とサインもある。そして、医者の証言とサインも。
「あの……つい先程、ジュラン・ノーグル様から出生届が出されたばかりなのですが?」
「その子は、ジュラン様が愛人に生ませた子です。私の子ではありません。偽りの出生届です」
これで、私は自由を手に入れられると共に、ジュラン様は終わりだ。国を偽った罪で、投獄されることになるだろう。
罪悪感を全く感じていないことに、自分でも驚いている。もっと早く、ノーグル侯爵に全てを伝えていれば、ジュラン様は罪を犯さなくてすんだのかもしれない。そうしなかったのは、ノーグル侯爵を信じていなかったから……というのは言い訳で、ジュラン様に復讐したかったからだ。
数時間後、婚姻無効の申請は受理された。
「姉上、疲れてない?」
受理されるまで、ずっと待合室で待っていた私を、レイバンが気遣ってくれる。
疲れるどころか、最高にいい気分だ。
「全然疲れていないわ。こんなに清々しい気分になれたのは、何時ぶりだろう。次は、お父様に会いに行くわ」
軽い足取りで馬車に乗り込み、クルーガー侯爵邸へと馬車を走らせる。
「いつまでガーゼを貼っておくんだ? 傷跡は消えているんだろ?」
「これはね、今日の夜会で外すつもりなの」
役所から報告を受けた兵が、ジュラン様を捕らえる為に邸に向かっている。だけどジュラン様は、今日の夜会に出席すると使用人が話していた。兵が到着した頃には、ジュラン様は会場へと出発した後だろう。その夜会に、私も出席する。
「夜会に行くのか!? それなら、エスコート役が必要だな」
「レイバンが、エスコートしてくれるんでしょう?」
仕方ないなという顔で、頷いてくれた。
婚姻無効の申請が受理されたばかりだというのに、夜会に出るなんて言い出した私に、呆れているのかもしれない。
レイバンに呆れられても、私の復讐はまだ終わっていない。今日、ジュラン様が夜会に出席するのは偶然だったけれど、自分自身で決着をつけるいい機会だと思った。
「着いたようだね」
窓の外を覗くと、生まれ育った邸が見えて来た。邸に帰るのは、1年ぶりだ。嫁いだ娘が戻って来るだなんて、お父様は思ってもいないだろう。
邸の中に入ると、すごく懐かしく感じる。たった1年なのに、その1年が私にとって長かった。
「ローレン!? レイバンまで、どうしたんだ!?」
私が帰って来たことを執事のボーシュから聞いたお父様が、驚いた顔をしながら出迎えてくれた。
「お久しぶりです、お父様。お元気そうですね」
「急に帰って来たということは、何かあったのか?」
「ジュラン様との結婚は、無効になりました。お父様の期待を裏切ってしまい、申し訳ありませんでした」
お父様はゆっくりと私に近付き、気付いたら腕の中だった。
「……お父様……?」
「可哀想に、こんなにやつれてしまって……
帰って来ないのは、お前が幸せだからと思っていた。何があったかは知らないが、お前は大切な娘だ」
私を抱きしめる腕に、力がこもった。
お父様は考え方が古く、とても厳しい方で、結婚無効だなんて聞いたら激怒すると思っていた。
ジュラン様は私が選んだ相手で、私のわがままで嫁いだ。それなのに、お父様は何も聞かずに優しく抱きしめてくれた。
全てをお父様に話すと、
「ジュランめ! 絶対に許さん!!」
と、激怒した。
「貴族に愛人は当たり前だと、お父様は仰っていましたよ?」
「自分の娘は別だ! あいつは最低なクズだ! たとえ傷が残っても、お前は美しい。こんなにも美しい娘を、侮辱しただなど、許せるはずがないだろう!?」
お父様が、こんなに私を思ってくれていたことを初めて知った。
「父上、落ち着いてください。ジュランは、俺が殺します!!」
レイバンが真面目な顔をして、物騒なことを言い出した。
「お前を、人殺しになどさせられん! 私があいつを殴り殺す!!」
「2人とも、やめて! ジュラン様には、私が復讐するので、手を出さないでください」
私の顔を見た2人が、一瞬怯えた顔をした。
どうやら今、私はものすごく悪い顔をしているようだ。こんな私にしたのは、ジュラン様だ。報いを受けていただかなくてはならない。
「姉さん、今日の夜会に出席するなら、連れて行きたい人がいる。ドレスを借りてもいいかな?」
誰なのか聞いたら、『内緒』と言ってウィンクをした。ドレスを着るならば、女性ということになる。レイバンの彼女だろうか?
そう思っていたけど、レイバンが連れて来た人物は、意外な人だった。
夜会に出るための準備をする。
ドレスは、決まっている。ジュラン様に、3年前の夜会で、初めてお会いした時に着ていたドレスだ。
ガーゼを外し、鏡を覗き込む。1年間、まともに見ることのなかった顔。まるで、自分の顔ではないような錯覚に陥る。傷痕はすっかり消えているけど、1年前の純粋な私ではない。
「ローレン様……本当にお美しいです」
鏡の中で、ウットリしているベロニカと目が合う。それが可笑しくて、2人とも吹き出した。
「ベロニカには、感謝しているわ。ベロニカが居なかったら、とっくにあの邸から逃げ出していた。奥様というただのお飾りだった私を、ローレンとして見てくれていたのはあなただけだった」
私の心を支えてくれた……
ベロニカ、レイバン、キャロル、そしてロード侯爵。
「当たり前じゃないですか! 私は使用人ではありますが、ローレン様の友です。昔、ローレン様が仰ってくださったじゃないですか。一使用人の私を、そんな風に仰ってくださるのはローレン様だけです」
「今の私は、昔の私とは違う……
それでも、友で居てくれるの?」
「どのようなローレン様でも、大好きです」
ベロニカは、鏡越しに満面の笑みを見せてくれた。
支度を終えて玄関に向かうと、レイバンが待っていた。
「姉上、迎えの馬車が来ています」
迎え?
疑問に思いながら外に出てみると、とても豪華な馬車がとまっていた。
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