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伝わらないもどかしさ
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再び朝を迎えて、雪明は仕事の為に出仕して行った。
あやめは、この結界の張られた部屋を見回して、一晩中考えてみた。
雪明と出会った昔の事から、人間の肉体を離れたつい先日の事まで思い浮かべながら。
今は「あやめ」という人間の女性の姿で、透明な幽霊のような見た目である。
しかし、雪明と出会う前、雪明の式神となる前は…
『私は狐であった』
思い出を手繰り寄せる。
人間の罠にハマった私を助けたのが雪明だった。
人間は嫌いだった筈なのに、何故か雪明だけは違った光り方をしていて、罠を外すがままに任せていた。
その後は、傷ついた足を引きずり少し離れた所から雪明を見ていた。
雪明は微笑んで、衣に付いた土をパッパッと払いながら立ち上がると、二コリと微笑んできた。
「狐殿、良かったですね」
なんとなく、雪明の瞳を覗き込んだ。
黒い双眸には、透明な炎のような美しい光があるのを感じた。
それが、胸のあたりから発されているものだとも気が付いた。
人にしては美しいなと、魅入られてしまい、つい声をかけてしまった。
『人よ、もはやこの傷では私は助からない、そなたに助けてもらった魂ゆえ、今後はそなたに従っていこう』
雪明は、驚いた様子も見せず、ただ嬉しそうに口元を緩めた。
「あなたの名前は『あやめ』、私の式神となっていただきたい」
雪明は何やら呪文のような言葉を紡ぎ出し、右手を刀印の形にして空中に文字を書く。
あやめと名付けられた狐の肉体は横たわり、代わりに光る狐の形をした魂が浮かび上がる。
額には雪明の印。
その時から狐のあやめは、雪明の式神となった。
それから数年後、雪明から、あの出会いは偶然では無くて、
龍様から、あの時間にあの場所に行くように、とのお告げであったのだと聞かされた。
一通り回想して、あやめはハタと気が付いた。
『そうだ、龍様!』
龍様なら、どうすればいいのかを知っているかもしれない。
そう思い、あやめは一心に祈ってみた。
同じ妖同士、人が呼びかけるよりも近い世界にいる。
『龍様』
目を瞑り祈り続けてしばらくたったころ、光が広がる感じがして、あやめは目を開けた。
水干の童子姿、目の前には、自分と同じ透明に光る人型をとった龍様の姿があった。
『久しぶりだね、あやめ。あなたが私を呼んだのは何故?』
龍様は人のように二コリと微笑んだ。
『龍様、私は人の心を持ってしまったようです、この気持ちはどうすればいいのでしょうか?』
あやめが問いかけると龍様は目を瞑り静かに言葉をかけた。
『あやめ、今のあやめはどうしたいの?』
逆に問いかけられてあやめも目を閉じて、
少し間をおいてから、口を開く、
『私は、もう一度在御門家に行きたい、子供達、いいえ、忠保様にお会いしたいです』
目を細めて龍様はあやめを見守り、あやめはさらに言葉を続けた。
『でも、雪明との契約もあります…』
目を伏せる。
『雪明の事は好き?』
『好きです、変わらず、でも、それとは違う、なんていうか、
心がキュっとなる感じの…そういう気持ちがあるんです』
『忠保に?』
『はい』
『そう、だから、雪明の結界の中に抵抗もせずに素直にいるんだね』
龍様がふふっと笑う。
『式神としての契約者は雪明です、ずっと一緒にいたい、結界を破るために戦いたくはありません。
でも、忠保様の事も気になって仕方がないのです。
こんな気持ちになってしまったのも、人間として生活したせいだと思います、
作り上げた龍様にも責任があると思うんです』
そう言われてしまうと、龍様も困ってしまった。
『私にも責任があると?』
『一緒に肉体に宿っていたのですから、お分かりだと思いますけど』
あやめはちょっと口を尖らせた。
『そう、ね。私にも責任があるというのなら、どうにかするしかないかな』
鈴がなるようにフフフと笑う。
『ここを抜け出して会いに行けるようにしてあげよう』
あやめの顔が明るくなった。
『ただし、元の狐の姿でだけどね』
あやめが「え?」っとなった瞬間に、龍様の姿は周囲に溶けて消えてしまった。
気が付くと、屋敷の屋根の上にいる。
尻尾が三本で毛がもっふりとした透明な狐の姿で。
その時、龍様の声がこだました。
『思いを遂げるといいよ、雪明の結界の中にいる時以外はその姿だけどね』
あやめは空中で久しぶりの狐の姿にクルクルと動き回った。
これで身軽に色々な所に行くことができる。
忠保様はじめ、三人の子供達の顔を思い浮かべた。
『昴君(すばるぎみ)、翼君(たすきぎみ)、箕姫(みぼしひめ)』
それぞれの名前を口にする。
忠保が付けた名前で、三人とも二十八宿の星の名前に因んでいる。
あやめは、ウキウキとしながら、在御門家の方角に真っ直ぐ飛んで行った。
空中から、屋敷の様子を伺っていると、子供が一人渡殿を歩いているのが見えた。
『あれは、翼君だわ』
弟君の姿を見て取ると、あやめはす~っと下に降り立った。
翼は突然目の前に現れた三尾の狐の姿を見て、驚いて大声を出した。
「だ、誰か! 狐です!」
その声を聞いて、三つ子の兄、昴君が部屋から出てきた。
「どうした翼、狐?」
さらに、バタバタと足音が響いて、
光忠が現れる。
「あ、兄様、狐です!」
二人の弟に袖を掴まれて、光忠が陰陽師らしく印を結ぶ。
「この屋敷の結界を破るとは…」
あやめは焦った、このままでは、ここで光忠に封じられてしまうかもしれない。
『ち、違います、私です』
光忠は印を結ぶ手を緩めずに、あやめを睨み続けている。
「どの私なのか、お前は妖狐にしか見えないが」
昴も翼も光忠の後ろで恐々とした顔であやめを見ていた。
『どうすれば私だと分かってもらえるの?』
光忠が印と共に霊力を放った。
危機一髪であやめはかわす。
「ちっ、かわされたか! 今度こそ」
もう一度印を結び、光忠は狙いを定める。
すると、そこへ、忠保が走りながら現れた。
「光忠、妖狐とな」
「父上、手強いです」
「協力して封じるぞ」
「はい」
『ち、違うのに…』
それを見たあやめは、悲し気に呟くと、空へ舞い上がり、元来た道を帰って行った。
目から涙が溢れてきて止まらなかった。
あやめが空中に飛び去って行った後、
忠保と光忠は結界の話をしていた。
「父上、うちの結界力弱っているんじゃない?」
確かにあやめがいなくなってから、皆忙しくてそれどころではなかったのだ。
「そうだな、強化しておくか、光忠手伝え」
二人が話ながら部屋に入ると、昴と翼が話しかけてきた。
「父上、兄上、あれが妖狐ですか?」
「そう、尻尾が三本あっただろう?」
忠保が答えると、部屋の奥に居た箕姫がおずおずと出てきた。
箕姫も一部始終を部屋の中から見ていたのだ。
「お、お父様、お兄様、あの狐の声、お母様の声とよく似ていました」
一同が目を丸くした。
「みいは、まさか、あれがお母様だとでもいうの?」
昴が眉間にシワを寄せながら妹姫に言う。
忠保も箕姫の傍に片膝をついて、話しかける。
「箕姫、妖はね、大切な人に姿を変えて、人をだまそうとするんだよ」
もごもごと何かを呟いて、箕姫は目を伏せた。
忠保は箕姫の髪をそっと撫でながら、あやめに似た面影を愛おしそうに見つめた。
「次に現れたら、私が絶対に仕留めてみせます」
光忠がフンッと鼻を鳴らして頼もしそうに呟いた。
あやめは、この結界の張られた部屋を見回して、一晩中考えてみた。
雪明と出会った昔の事から、人間の肉体を離れたつい先日の事まで思い浮かべながら。
今は「あやめ」という人間の女性の姿で、透明な幽霊のような見た目である。
しかし、雪明と出会う前、雪明の式神となる前は…
『私は狐であった』
思い出を手繰り寄せる。
人間の罠にハマった私を助けたのが雪明だった。
人間は嫌いだった筈なのに、何故か雪明だけは違った光り方をしていて、罠を外すがままに任せていた。
その後は、傷ついた足を引きずり少し離れた所から雪明を見ていた。
雪明は微笑んで、衣に付いた土をパッパッと払いながら立ち上がると、二コリと微笑んできた。
「狐殿、良かったですね」
なんとなく、雪明の瞳を覗き込んだ。
黒い双眸には、透明な炎のような美しい光があるのを感じた。
それが、胸のあたりから発されているものだとも気が付いた。
人にしては美しいなと、魅入られてしまい、つい声をかけてしまった。
『人よ、もはやこの傷では私は助からない、そなたに助けてもらった魂ゆえ、今後はそなたに従っていこう』
雪明は、驚いた様子も見せず、ただ嬉しそうに口元を緩めた。
「あなたの名前は『あやめ』、私の式神となっていただきたい」
雪明は何やら呪文のような言葉を紡ぎ出し、右手を刀印の形にして空中に文字を書く。
あやめと名付けられた狐の肉体は横たわり、代わりに光る狐の形をした魂が浮かび上がる。
額には雪明の印。
その時から狐のあやめは、雪明の式神となった。
それから数年後、雪明から、あの出会いは偶然では無くて、
龍様から、あの時間にあの場所に行くように、とのお告げであったのだと聞かされた。
一通り回想して、あやめはハタと気が付いた。
『そうだ、龍様!』
龍様なら、どうすればいいのかを知っているかもしれない。
そう思い、あやめは一心に祈ってみた。
同じ妖同士、人が呼びかけるよりも近い世界にいる。
『龍様』
目を瞑り祈り続けてしばらくたったころ、光が広がる感じがして、あやめは目を開けた。
水干の童子姿、目の前には、自分と同じ透明に光る人型をとった龍様の姿があった。
『久しぶりだね、あやめ。あなたが私を呼んだのは何故?』
龍様は人のように二コリと微笑んだ。
『龍様、私は人の心を持ってしまったようです、この気持ちはどうすればいいのでしょうか?』
あやめが問いかけると龍様は目を瞑り静かに言葉をかけた。
『あやめ、今のあやめはどうしたいの?』
逆に問いかけられてあやめも目を閉じて、
少し間をおいてから、口を開く、
『私は、もう一度在御門家に行きたい、子供達、いいえ、忠保様にお会いしたいです』
目を細めて龍様はあやめを見守り、あやめはさらに言葉を続けた。
『でも、雪明との契約もあります…』
目を伏せる。
『雪明の事は好き?』
『好きです、変わらず、でも、それとは違う、なんていうか、
心がキュっとなる感じの…そういう気持ちがあるんです』
『忠保に?』
『はい』
『そう、だから、雪明の結界の中に抵抗もせずに素直にいるんだね』
龍様がふふっと笑う。
『式神としての契約者は雪明です、ずっと一緒にいたい、結界を破るために戦いたくはありません。
でも、忠保様の事も気になって仕方がないのです。
こんな気持ちになってしまったのも、人間として生活したせいだと思います、
作り上げた龍様にも責任があると思うんです』
そう言われてしまうと、龍様も困ってしまった。
『私にも責任があると?』
『一緒に肉体に宿っていたのですから、お分かりだと思いますけど』
あやめはちょっと口を尖らせた。
『そう、ね。私にも責任があるというのなら、どうにかするしかないかな』
鈴がなるようにフフフと笑う。
『ここを抜け出して会いに行けるようにしてあげよう』
あやめの顔が明るくなった。
『ただし、元の狐の姿でだけどね』
あやめが「え?」っとなった瞬間に、龍様の姿は周囲に溶けて消えてしまった。
気が付くと、屋敷の屋根の上にいる。
尻尾が三本で毛がもっふりとした透明な狐の姿で。
その時、龍様の声がこだました。
『思いを遂げるといいよ、雪明の結界の中にいる時以外はその姿だけどね』
あやめは空中で久しぶりの狐の姿にクルクルと動き回った。
これで身軽に色々な所に行くことができる。
忠保様はじめ、三人の子供達の顔を思い浮かべた。
『昴君(すばるぎみ)、翼君(たすきぎみ)、箕姫(みぼしひめ)』
それぞれの名前を口にする。
忠保が付けた名前で、三人とも二十八宿の星の名前に因んでいる。
あやめは、ウキウキとしながら、在御門家の方角に真っ直ぐ飛んで行った。
空中から、屋敷の様子を伺っていると、子供が一人渡殿を歩いているのが見えた。
『あれは、翼君だわ』
弟君の姿を見て取ると、あやめはす~っと下に降り立った。
翼は突然目の前に現れた三尾の狐の姿を見て、驚いて大声を出した。
「だ、誰か! 狐です!」
その声を聞いて、三つ子の兄、昴君が部屋から出てきた。
「どうした翼、狐?」
さらに、バタバタと足音が響いて、
光忠が現れる。
「あ、兄様、狐です!」
二人の弟に袖を掴まれて、光忠が陰陽師らしく印を結ぶ。
「この屋敷の結界を破るとは…」
あやめは焦った、このままでは、ここで光忠に封じられてしまうかもしれない。
『ち、違います、私です』
光忠は印を結ぶ手を緩めずに、あやめを睨み続けている。
「どの私なのか、お前は妖狐にしか見えないが」
昴も翼も光忠の後ろで恐々とした顔であやめを見ていた。
『どうすれば私だと分かってもらえるの?』
光忠が印と共に霊力を放った。
危機一髪であやめはかわす。
「ちっ、かわされたか! 今度こそ」
もう一度印を結び、光忠は狙いを定める。
すると、そこへ、忠保が走りながら現れた。
「光忠、妖狐とな」
「父上、手強いです」
「協力して封じるぞ」
「はい」
『ち、違うのに…』
それを見たあやめは、悲し気に呟くと、空へ舞い上がり、元来た道を帰って行った。
目から涙が溢れてきて止まらなかった。
あやめが空中に飛び去って行った後、
忠保と光忠は結界の話をしていた。
「父上、うちの結界力弱っているんじゃない?」
確かにあやめがいなくなってから、皆忙しくてそれどころではなかったのだ。
「そうだな、強化しておくか、光忠手伝え」
二人が話ながら部屋に入ると、昴と翼が話しかけてきた。
「父上、兄上、あれが妖狐ですか?」
「そう、尻尾が三本あっただろう?」
忠保が答えると、部屋の奥に居た箕姫がおずおずと出てきた。
箕姫も一部始終を部屋の中から見ていたのだ。
「お、お父様、お兄様、あの狐の声、お母様の声とよく似ていました」
一同が目を丸くした。
「みいは、まさか、あれがお母様だとでもいうの?」
昴が眉間にシワを寄せながら妹姫に言う。
忠保も箕姫の傍に片膝をついて、話しかける。
「箕姫、妖はね、大切な人に姿を変えて、人をだまそうとするんだよ」
もごもごと何かを呟いて、箕姫は目を伏せた。
忠保は箕姫の髪をそっと撫でながら、あやめに似た面影を愛おしそうに見つめた。
「次に現れたら、私が絶対に仕留めてみせます」
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