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第一章 騎士たちの邂逅

1-9 燃える冬の夜

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 夜が燃えている。遠くエリクソン平原の人の篝火が、冬の夜を彩る。

 少女を担いだまま、オッリは黒騎兵隊長マクシミリアン・ストロムブラードの幕舎に足を運んだ。
 暗闇から現れた全裸のオッリに驚いたのか、警護の黒騎兵が剣に手をかけ身構えるが、オッリが目で威圧するとすぐに剣から手を離した。
 隊長に会いに来たと告げると、従者が幕舎の中に入り、そして中に招き入れた。
 暖房器の薪が小気味いい音を立て燃えている。机と椅子、あとは寝台と暖房器しかない簡素な室内。部屋の隅には磨かれた黒い兜と胸甲が置かれている。机上のロウソクの仄かな灯りの元、〈帝国〉騎士の証である竜の勲章ドラゴンフォースを付けた軍服姿のマクシミリアン・ストロムブラードは、手元のペンを走らせ、本の紙面に何かを書いていた。
 紙面のインクを乾かしつつ顔を上げたマクシミリアンは、全裸の男と背中に担がれた半裸の少女を見て、ぎょっとした表情をしたあと、おもむろに本を閉じた。
「……オッリ……お前寒くないのか……?」
「女を抱いてきたばかりだ。むしろ熱い」
「……まず服を着ろ」
 マクシミリアンが従者を呼び、外套を二枚運ばせる。
 ふと、オッリは背中に担いでいる少女が震えているのに気づき、二枚の外套で包んで地面に降ろしてやった。
 相変わらず全裸のオッリを呆れたような目で見ながら、マクシミリアンは再び本を開く。どうやらインクは乾いていなかったようで、紙面にできたいくつもの黒い染みを見て、マクシミリアンは深い溜息をついていた。
 内容はわからないが、軍用書類には見えないので、おそらく妻のストロムブラード夫人・ユーリアに宛て何か書いているのだろう。
「それはユーリア夫人レディ・ユーリアに?」
「いつもの手記だよ。こうして記録を残すことが妻との約束だ。戦が終われば持って帰る」
 言いながら、マクシミリアンは紙面の染みに目を落とした。
「相変わらず真面目な夫婦だねぇ……。ところで今回の戦、ユーリア夫人レディ・ユーリアはどう思ってるんだろうな……?」
「聖職者の孫娘だぞ。〈教会〉相手の戦など、納得はしていないだろう。それに、しばらく町の教会には足を運ぶなと言ったことも不満に思っているだろう」
「礼拝くらい好きにさせてやれよ。帝国軍の兵士だって、戦の前には神に祈ってんだから」
「ただでさえ我らは他の騎士連中から疎まれてるんだ。あらぬ疑いをかけられ、戦が終わって帰ったら魔女狩りで処刑されました、などと馬鹿げたことは避けたいのだ」
「じゃあ、うちのガキどものお勉強会もしばらく中止か……」
 オッリは文字の読み書きができない。簡単な単語なら読めるが、ほとんど読めないに等しい。
 昔、必ず役に立つからと世話焼きのユーリア夫人レディ・ユーリアに強制的に教会へ連行され学問を教えられたが、ほとんど身についていない。むしろ読み書きや学問といったことは、ヤンネを始め息子たちの方がよくできる。
 夫人の善意には申し訳なかったが、町の教会に行くのは退屈だった。読み書きや学問など戦いには必要ない。同様に神への信仰も必要ない。戦場で信じるべきは己が武勇一つであり、強ければ生き、弱ければ死ぬ。現にオッリは生まれたときから今に至るまで、力こそを信じ生きてきた。
 従者が椅子と外套を用意したので、オッリは大股に椅子に腰かけ、外套はまだ震えている少女にかけてやった。
「私の妻を気にかけるより、自分の妻の心配をしたらどうだ? 毎度毎度戦場で女を抱かれて知らん子供を増やされては、奥方も気が気でないだろう」
「俺が捕らえた女は俺の物だ。どうしようと俺の勝手だろ」
「捕虜を抱くのは構わんが丁重に扱え。使い道はいくらでもあるのだ」
「死んでねぇから丁重には扱ってるよ。部下たちもせっかく奪った女子供を快楽目的で殺すほど鬼畜じゃねぇしな。でもこんな小娘、抱く以外に使い道なんてあるのか? 精々、奴隷が関の山だろ」
「……まぁ馬賊ハッカペルで捕らえた連中に関しては、そちらで面倒を見る限りは何も言うまい」
 話しながら、マクシミリアンは再び紙面にペンを走らせる。
「随分とまぁお優しいことで……。ま、女どもは俺らが養うし、他も奴隷として使うから殺しはしねぇよ。ところで、そっちで捕らえた月盾騎士団の奴らはどうしたよ?」
「あぁ、士官はウィッチャーズといったかな……。彼とその麾下はまだ手元に残している。いくつか話したいこともあるからな」
 先の戦闘で黒騎兵は月盾騎士団を三十名ほど捕虜にしていた。ウィッチャーズという将校率いる五百騎はほぼ壊滅するまで戦い抜き、最後には降伏を受け入れた。
「そいつらはどうするんだ? 端金はしたがねでクソのマンスフェルト軍団長閣下様へのご機嫌取りの贈答品にして、営倉送りか?」
「捕虜は尋問ののち処遇を決める。交渉次第だが、自力で動けぬ者やこちらに鞍替えする者は我々で面倒を見る。それと……軍団長への悪態は止めろ。あんな屑の無能のクソ野郎でも一応は上官だ」
 オッリが鼻で笑うと、マクシミリアンも薄っすらと微笑みを浮かべた。
「それで……近いうちに月盾のクソ騎士団とはまたやるのか?」
「まぁいずれは戦うだろうが……今すぐはないだろう」
 にわかに目を輝かせるオッリに対し、マクシミリアンは深々と椅子に腰かけ、会話をはぐらかした。
 現在、教会軍に対し動いているのは第四軍団のみであり、主力のほとんどは休息している。第四軍団は教会遠征軍の指揮官ヨハン・ロートリンゲン元帥と第六聖女セレンの捜索、及び教会軍敗残兵の掃討に当たっている。
 黒騎兵ら第三軍団騎兵隊は待機中だが、陽が昇って三日も経てば敵はもうボフォースの城に逃げ込んでいる可能性が高い。第六聖女と月盾騎士団ら敗残兵がボフォースに籠城した場合に関してはまだ正式な命令が出ていないが、攻城戦となれば騎兵の出番はほとんどなくなってしまう。
「まぁいいさ……。奴らはいずれ俺が殺す」
 オッリの呟きに対し、マクシミリアンは一瞥だけくれたあと、読むでもなく本のページを捲り始める。
「──そういえば背中の傷は大丈夫か?」
 マクシミリアンに言われて、オッリは背中の傷の不快な痛みを再認した。残った酒を肩から背中の傷にかけ流す。一瞬の刺激のあと、燻りが洗い流されていく感覚が、酒と血の臭いに混じって鼻を突く。
 一方、酒臭くなる室内にマクシミリアンは眉を顰めた。
「独りで獲物を捕らえに行こうなどと、思っていても絶対やるなよ。そんなつまらんことで私に処罰をさせるな」
「……つまらんことねぇ……。俺にとっては、この背中の傷は重要なことなんですけどねぇ……」
「朝まで兵と馬を休ませろ。貴重な休息だ。それにヴァレンシュタイン軍との戦も残っている」
 オッリの体の奥底で燻る熱情に気づいているのか、マクシミリアンは無感情に釘を刺した。
 第六聖女セレンとヨハン・ロートリンゲンの軍勢を蹴散らした今、帝国軍にとって目下最大の脅威は、教会遠征軍の第二軍であるヴァレンシュタインだった。ボフォース周辺の掃討が終われば次の目標はヴァレンシュタイン軍であり、帝国軍上層部の関心はすでにそちらに移っている。特に、皇帝グスタフ三世はヴァレンシュタインと因縁があるらしく、開戦前から闘志を燃やしていた。
 ヴァレンシュタインに関して、現状オッリは関心がなかった。今日の相手よりも手強いと誰もが言うが、本当のところは戦ってみないとわからない。月盾騎士団でさえ、直接刃を交えるまではその名さえ知らなかった。敵の技量は、干戈を交えたときにこそはっきりする。そこで初めて、戦うに値するかどうかがわかる。
 今オッリの頭を支配しているのは、月盾騎士団と第六聖女セレンをいかにして蹂躙するか、それだけだった。
「第四軍団からの引き継ぎ連絡があり次第、追撃部隊を出す。編制は追って連絡するが、先鋒はヤンネに任せようと思っている」
「何で俺のガキが先鋒なんだよ?」
「その傷だ、お前は少し休め。それにヤンネには俺も期待している。色々と経験を積ませてやれ」
 そう言ってマクシミリアンはインク瓶にペン先を浸し、会話を打ち切った。オッリもそれ以上は何も尋ねなかった。 

 外套に包んで置いていた少女は目を覚ましていた。怯えたような目で顔を逸らすが、構わず肩に担ぐ。
「それから、次に来るときは服を着ろ」
 オッリは振り返らず、後ろ手を振って答えた。
 すきま風が二人の沈黙の間を抜け、燭台のロウソクの灯りが揺らめいた。


*****


 幕舎の外に出ると、深まる夜は冷え込みを増していた。
 体が急激に冷えていく。とりあえず服を着ようと、オッリは馬賊ハッカペルの野営地へと歩き出した。
 北風がまた背中の傷を舐める。全身に刻まれた古傷が疼き、背中の傷から滲む血が、オッリの心中のあらゆる感情を煽り立てる。

 ──不意に、夜空が妙に明るいことに気づいた。雪雲の漂う濁った空が、煌々と燃えている。

 第三軍団騎兵隊の野営地がにわかに騒めき始めている。遠い夜空に浮かぶ、エリクソン平原で焚かれる人の篝火よりも遥かに激しい火の手。平原の向こうに広がる枯れた森が燃えるように輝き、そこから夜より暗い黒煙が立ち昇っている。
 近くにいた黒騎兵に担いでいた少女を預け、オッリはマクシミリアンの幕舎へ走った。
 不穏な空気に気づいたのか、マクシミリアンも外に出て、燃える夜空を眺めていた。
「綺麗な景色だとは思わんか、オッリ。乾いた枯れ木の森だ、これから強い北風ノーサーに煽られてもっと燃え広がるぞ」
 薄闇の下、マクシミリアン・ストロムブラードは笑っていた。
「随分と派手にやったものだ。敵か味方か知らんが、今宵の戦場には放火魔でもいるんじゃないか?」
 マクシミリアンが口元を歪め笑いかけてくる。
 〈騎士殺しの黒騎士〉と言われた男の顔がそこにはあった。その爛々と黒く澱んだ瞳と目が合い、オッリはどうしてか目を逸らした。

 黒煙に覆われる空から、雪が降り始めた。燃える夜空と北の大地を、雪化粧が彩り始める。
 冷気を湛えた冬の色が、夜闇と燃える空の狭間で揺らめいては消えていく。

 そしてその男は笑い続けていた。
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