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第八章 クリスタルレイクの戦い

8-1 オールブラックス出撃  ……マクシミリアン

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 朱の空が、白く染まっていく。

 束の間の冬晴れが終わる。
 クリスタルレイクの西岸、帝国軍第三軍団が進む側道が、砲火の白煙に覆われる。
 向かい合う〈帝国〉の黒竜旗と〈教会〉の十字架旗が、砲火の風に揺れる。帝国軍と教会遠征軍、両軍が大砲を押し出し、砲撃戦を繰り広げる。無数の砲口から立ち昇る白煙は、ただの雪道を戦場へと変えていく。クリスタルレイクの遠景は、とうに見えなくなっている。

 砲声が鳴り響くたび、馬の群れが小さく嘶く。
 無数の黒竜旗の後方、第三軍団の本営が置かれた丘の上から、黒騎兵オールブラックス極彩色の馬賊ハッカペルが白煙を見つめる。直接の被害はなくとも、押し寄せる砲火の圧は、その足下を小刻みに震わせる。

「そろそろ準備砲撃が終わる。今のうちに、最後の祈りを済ませておけ」
 全体としての事前礼拝は済んでいるが、それでも、マクシミリアンは部下たちに一言告げた。
 従軍司祭も兼ねる兵が、祝福の言葉を唱える。騎乗したまま、多くの兵がこうべを垂れる。ヤンネら若い極彩色の馬賊ハッカペルの兵士たちも、神の依り代たる十字架のペンダントを胸に、祈りを捧げている。
「隊長殿は祈らねぇのか?」
「誰にだよ?」
 神への祈りの傍ら、隣に馬を寄せるオッリが、ゲラゲラと笑う。昨夜から飲み続けているのか、異様に酒臭いが、酔っ払ってはいないようで、口調ははっきりしている。
 空気を読まぬ父親を、息子のヤンネが露骨に睨みつけるが、しかしいつも通りのやり取りに、マクシミリアンも思わず口元を歪めてしまう。
「人の心配してる場合か? お前らも、さっさと御先祖の〈東の王プレスター・ジョン〉に祈っとけよ」
「へっ! 殺した敵の血もなしに、先祖に杯を捧げれるかっての。戦が始まってもいねぇのに、ベラベラベラベラお祈りなんざ、女々しいったらねぇぜ」
 祈りを捧げる者たちを尻目に、オッリが唾を吐き捨てる。両腕の刺青いれずみが、神をも犯すその生き様を物語る。

 絶え間なく続いていた砲声の間隔が、長くなる。いつ終わるとも知れなかった砲撃が、一つ、また一つと、消えていく。
 やがて、両軍の準備砲撃が終わる。
 砲声が鳴り止む。耳鳴りが収まり、束の間の静寂が訪れる。
 静寂とともに、白煙が晴れていく。それと同時に、歩兵隊の行進曲マーチングが、男たちの鬨の声が、戦場にこだまする。

 そして、戦場が動き始める。

 マクシミリアンは遠眼鏡を取り出すと、敵陣を覗いた。
 十字架旗の群れの中に、ヴァレンシュタインの深海の玉座の軍旗が見える。淀みなき純白の十字架旗とはあまりに不釣り合いな、一切表情の読み取れぬ不気味なその軍旗が、白い軍勢の中で蠢く。
「敵はハベルハイムの野郎らしいが……。また厄介なのが相手だな……」
「強ぇのか?」
 一万以上はいるであろうハベルハイムの軍勢を遠目に、オッリが口元をつり上げる。
 見るからに戦いに逸っているオッリと違い、マクシミリアンは内心、胃が痛かった。ヴァレンシュタインの軍勢とは何度かやり合ったこともあり、その実力は肌で知っている。特に、ハベルハイムはその異名に違わぬ男であり、難敵である。
 そんな猛将を、両軍主力が陣取る王の回廊ではなく、クリスタルレイクの側道に派遣したということは、ヴァレンシュタインは本気で帝国軍の横っ腹をぶん殴り、勝つつもりでいる。
「お前も、弾丸公とは何度かやり合ってるだろ。忘れたのか?」
「覚えてる気もする」
 難しい戦になるのは明らかであるが、それでも、指揮官として部下の前で不安な表情を見せるわけにはいかず、マクシミリアンは表面的には平静を装っていた。だが、痩せ我慢で笑顔を作るマクシミリアンと違い、オッリは本当に楽しそうに笑っていた。

 その笑みは、頼もしくもあり、危うくもあった。
「何度も言うが、お前らは予備隊だ。いくら弾丸公とやりたくても、俺か幕僚長からの命令なしには動くなよ」
「はいはい。命令ね」
 事前に通達していることだが、マクシミリアンは再三、釘を刺した。
 予備隊という扱いに、オッリは心底不満そうだった。が、今回は個人のわがままを聞いている状況ではない。
 総勢四千の騎兵隊のうち、極彩色の馬賊ハッカペルの千騎は、予備兵力として待機を命じている。六千名いる歩兵隊も、同じように二千名を予備隊として後方に残している。
 恐らくは、長丁場の戦いになる。そして、どの戦線も拮抗した戦いになる。第三軍団の指揮を執るエイモット幕僚長ら、キャモラン軍団長以外の将官たちは、それを予想している。
 多数の予備隊は、援軍がなくとも、自軍団のみで戦い抜くための備えである。いずれ訪れる劣勢、均衡、血戦の局面のためには、少しでも余力ある兵を残しておかねばならない。

「何かあれば、ニクラスから命令を伝える。それまでは大人しくしてろ」
「はいはい。ニクラスね」
「あいつはリーヴァ家の跡取りで、これからの男だ。気に入らなくても、あんまり苛めるな」
「苛めてねぇっての」
 気まずそうなニクラスを睨みながら、オッリが溜息をつく。
 ニクラスへの引き継ぎの傍ら、ヤンネを呼ぶ。
「ヤンネ。親父を頼むぞ」
「わかりました」
 オッリのすぐ後ろで、ヤンネが答える。馬上の姿は堂々としており、こちらを見る目に揺らぎはない。
 いつの間にか、ヤンネはいつもの逞しさを取り戻していた。
 この数日で何があったかはわからないが、立ち直ってくれたことは素直に嬉しかった。反面、無責任に突き放してしまった己の言動は改めなければとも思った。
「何を頼むんだよ。お前は俺の保護者かよ」
 精悍な表情のヤンネとは対照的に、あからさまに不服そうなオッリは、馬上で胡坐をかき、酒を飲み始めていた。

 マクシミリアンは副官のニクラスに極彩色の馬賊ハッカペルを任せると、再び戦場に遠眼鏡を向けた。
 一糸乱れぬ軍靴と鼓笛が、戦場に交わる。
 火力では帝国軍が勝っているはずだが、盛大な準備砲撃も虚しく、敵の隊列は乱れていない。つまり、正面切った殴り合いになる──どちらかが心折れるまで。

 難しい戦いになる。だが、気圧されるわけにはいかない──出撃を前に、マクシミリアンは大きく深呼吸すると、声を上げた。
「さぁ始まるぞ! 各々、務めを果たせ!」
 軍靴と鼓笛の隅で、静まり返る黒騎兵オールブラックスが、一斉にマクシミリアンを見る。
 向かい合う三千騎の視線に、思わず身が震える。それでも、気圧されまいと馬上で背筋を伸ばす。

「みな、黒竜旗を見よ! 軍神たる皇帝陛下の紋章は、いつも我々のそばにある!」

 皇帝を軍神と妄信する者もいる。もちろん、そんなわけはない。それでも、マクシミリアンは皇帝を軍神と呼んだ。

「〈帝国〉のために戦う者たちよ! その手で勝利を掴め! 栄光へと突き進め! たとえ汚泥に塗れようとも、燃える心臓の男は、その勇姿を見ているぞ!」

 そして、皇帝の二つ名を叫んだ。
 それに呼応し、漆黒の胸甲騎兵たちが吼える。高々と掲げられる黒竜旗が、兵たちの士気を高揚させる。雄叫びが、馬の嘶きが、武具の擦れ合う音が、渾然一体となり、燃え上がる。

 黒騎兵オールブラックスの咆哮──こだまするそれを前にして、マクシミリアンの心に去来したのは、感謝だった。

 ゆえあって編成された三千の兵士たち。極彩色の馬賊ハッカペルという圧倒的に強い友軍に並び立とうと、共にもがいた騎兵たち。文句の一つも言わず、漆黒の軍装をまとってくれた仲間たち。
 落ちぶれた下級貴族に、親殺しと誹られる嫌われ者に、神も皇帝も国家も憎悪する不忠の輩に、部下たちは従ってくれた。どんな汚れ仕事も厭わず、ときに地べたを這いずりながらも、ただ勝利と栄光を追い求め、駆けて続けてくれた。〈教会〉からはおろか、自国民からも冒涜的殺戮と罵られる〈黒い安息日ブラック・サバス〉でさえ、命令とはいえ、つき従ってくれた。

 この者たちに報いる術は、あまりない。
 だからこそ、勝利を。称えられるべき、不滅の栄光を──。

 マクシミリアンは鞘からサーベルを抜くと、その切っ先を〈教会〉の十字架旗へと向けた。

 黒騎兵オールブラックスが動き出す。
 まず、当初の作戦通り、火縄式マッチロックマスケット騎銃カービンで武装した二千騎を、味方歩兵の援護に向かわせる。
 三千騎の黒騎兵オールブラックスのうち、それぞれ千騎の部隊を率いるアーランドンソンとイエロッテの両隊は、乗馬歩兵として歩兵戦列の援護に当たる。その機動力をもって、主力である歩兵戦列の穴を埋め、縦横に火力を展開する。
 騎兵でありながら、戦闘では下馬して戦うなど、騎士の称号に胡坐をかく連中はやりたがらない仕事だが、黒騎兵オールブラックスは違う。白兵戦から銃砲撃戦に至るまで、この部隊は、どんな状況でも、あらゆる戦場に対応できる。
 その間、敵騎兵に対処するのは、マクシミリアン麾下の千騎だけだが、いざとなれば二千騎を呼び戻せばいい。これも、騎兵としての機動力があるゆえにできる運用である。
 そして、たとえ劣勢になっても、予備隊の極彩色の馬賊ハッカペルは最後まで動かさない──いずれ訪れる、勝敗を決するそのときまで。

 別れ際、アーランドンソンとイエロッテが、マクシミリアンの前で敬礼する。
「それでは」
 イエロッテの言葉は短かった。
 イエロッテとは、下級将校だった頃からの付き合いになる。互いに語る言葉は多くないが、軍人としての信頼は揺るぎない。
「何かあればすぐ駆けつけます。くれぐれも無理はなさらぬように。それでは、ご武運を」
 もうすぐ殺し合いが始まるというのに、こんなときまで、アーランドンソンは人の心配をしていた。
 エリク・アーランドンソン。軍の要職を多数輩出する軍人貴族の出身者。オッリにも劣らぬ恵まれた体躯と、誰からも慕われる品格を兼ね備えたこの騎士が、黒騎兵オールブラックスに配属されたときは、左遷されたのかと思った。「前線の戦いを知りたい」と言い、自ら望んでの仕官したと聞いたときには、よくもこんな末端将校の配下に来たものだと呆れた。とにかく、自分には過ぎたる将である。

 二千騎が分離する。匂い立つ火薬の群れが、歩兵戦列に向かって駆けていく。
 残る千騎の麾下の前に、敵騎兵が近づいてくる。

 白い空のどこからか、また雪がちらつき始める。

 冬に向かって、マクシミリアンは吼えた。

「我ら、帝国軍第三軍団騎兵隊! 黒騎兵オールブラックス! 行くぞ!」

 神頼みなどしない。どんな状況であろうと、勝利も栄光も、己が手で掴み取る。たとえ神が敵でも、打ち負かし、蹂躙し、屈服させる──それが、騎士殺しの黒騎士の生きてきた道だ。
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