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心安らぐ
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家の前に車が止まる音に気づいたのか、私が長瀬さんに扉を開けてもらい、助手席から降りていた時、
「千鶴、おかえり」
とおばあちゃんの声が聞こえた。
「うん、ただいま」
おばあちゃんは私が笑顔で挨拶を返したことに安堵の表情を見せていたけれど、私の隣に立っていた長瀬さんが誰なのか気になっている様子だ。
やっぱりここは私が紹介するべきところだよね。
でも、なんて言って説明したらいんだろう?
おばあちゃんは私と違って迎えに来た車も、降りてきた人も覚えているだろうし、今でも運転手さんだと思っているだろうに、私が助手席から降りてきたところを見られているし、なんと言って説明したらいいのか悩んでしまう。
「あ、あの――」
「千鶴さんのおばあさまですね。私は、先日、こちらにお邪魔しました弁護士の小田切の大学時代の友人で、珈琲店を営んでおります長瀬と申します。本日は、うちの店に千鶴さんがお越しくださるということで、私が送迎をさせていただきました」
私が話すよりも先に、長瀬さんがおばあちゃんに説明してくれた。
おばあちゃんは流石に驚いていたけれど、
「まぁまぁ、ご丁寧にありがとうございます。せっかく千鶴を送っていただいたのですから、よろしければ少しお上がりになって行かれませんか?」
と長瀬さんを誘い始めた。
「えっ、ちょ――っ」
「お誘いいただきありがとうございます。ですが、千鶴さんもお疲れの様子ですからまた次の機会にお邪魔させてください」
突然のおばあちゃんの誘いに驚いた私と違って、長瀬さんは冷静かつ優しい声でその誘いを断った。
きっと、私がいろんなことにいっぱいいっぱいになっていることを気遣ってくれたんだろう。
本当に優しい人だ。
「それじゃあ、千鶴さん。また連絡しますね」
「は、はい」
「それでは失礼します」
長瀬さんはおばあちゃんにも頭を下げて帰って行ったけれど、私はその車が見えなくなるまでしばらくその場から離れられなかった。
「千鶴」
「は、はい」
おばあちゃんに声をかけられて、慌てて中に入ると、
「珈琲店、どうだった?」
と声をかけられた。
「うん、すごく……素敵な、お店だった……」
「そう。千鶴がのんびりと過ごせたならよかったわ。夕食まで少し休む?」
「うん。そうしようかな」
「わかったわ。夕食の時間になったら声をかけるわね」
「あ、おばあちゃん……っ」
リビングに行こうとするおばあちゃんをつい呼び止めてしまった。
「どうかした?」
「あ、あのね……おばあちゃんは、運命とか、そういうのって信じる?」
「ふふっ。そうね……。あなたのおじいさん……統さんと出会った時、ああ、この人と結婚するんだろうなってピンときたわ。それが運命だったかもしれないわね」
「えっ? どうしてそう思ったの?」
「うーん、なかなか言葉で説明するのは難しいけれど、なんと言ったらいいのかしら。心が安らぐっていうのかしらね。すごく楽にいられたの」
「心が、安らぐ……」
「ええ。だから五十年以上も夫婦でいられたの。統さんじゃなかったら、こんなにはうまく行っていなかったかもしれないわね」
「おばあちゃん……」
一昨年亡くなったおじいちゃんは、私の記憶の中でもずっとおばあちゃんに優しかった。
いつだっておばあちゃん優先で……あの時代の人にしては珍しく、感謝の気持ちも愛の言葉も惜しげなく伝えていた。
そんな二人を見るのもこの家に遊びに来る楽しみでもあった。
「千鶴……運命に逆らっちゃダメ。自分の直感を信じて、あまり考え込まないようにしないとね」
「うん……ありがとう。少し休むね」
「ええ。あとで声をかけるわ」
運命に逆らっちゃダメ、か……。
――コーヒーの好みがピッタリ合う人は、運命の相手だと言われているんですよ。
長瀬さんの言葉が頭をよぎる。
何も考えずに飛び込んでみるのもいいのかもしれないな……。
部屋に戻り、長瀬さんに今日のお礼のメッセージを入れようかと思いながらもやっぱり最後の勇気が出ない。
どうしていいかわからなくなって、気づいたらお兄ちゃんに電話をかけてしまっていた。
数回のコール音に電話を切ろうとした瞬間、
ーもしもし、千鶴?
と少し寝ぼけた声が聞こえてきた。
もしかして、寝てた?
ハッと気づいて時計を見れば、夕方の五時過ぎ。
向こうだと……
ーごめん、お兄ちゃん。そっちは真夜中だったよね。すぐに切るから、ごめんね。
ー大丈夫だから落ち着け。
慌てて切ろうと声をかけると、さっきよりも少しいつもに近い声に戻ったお兄ちゃんの声が聞こえた。
ーごめん……時差があるのすっかり忘れてた。
ーいや、いいよ。今、寝ようとしたところで、熟睡していたわけじゃないから。
ー本当?
ーああ、それよりどうしたんだ?
ーうん……あのね、この前……小田切先生と北原さんが来てくれて――
私はその日からの出来事を全て話していた。
「千鶴、おかえり」
とおばあちゃんの声が聞こえた。
「うん、ただいま」
おばあちゃんは私が笑顔で挨拶を返したことに安堵の表情を見せていたけれど、私の隣に立っていた長瀬さんが誰なのか気になっている様子だ。
やっぱりここは私が紹介するべきところだよね。
でも、なんて言って説明したらいんだろう?
おばあちゃんは私と違って迎えに来た車も、降りてきた人も覚えているだろうし、今でも運転手さんだと思っているだろうに、私が助手席から降りてきたところを見られているし、なんと言って説明したらいいのか悩んでしまう。
「あ、あの――」
「千鶴さんのおばあさまですね。私は、先日、こちらにお邪魔しました弁護士の小田切の大学時代の友人で、珈琲店を営んでおります長瀬と申します。本日は、うちの店に千鶴さんがお越しくださるということで、私が送迎をさせていただきました」
私が話すよりも先に、長瀬さんがおばあちゃんに説明してくれた。
おばあちゃんは流石に驚いていたけれど、
「まぁまぁ、ご丁寧にありがとうございます。せっかく千鶴を送っていただいたのですから、よろしければ少しお上がりになって行かれませんか?」
と長瀬さんを誘い始めた。
「えっ、ちょ――っ」
「お誘いいただきありがとうございます。ですが、千鶴さんもお疲れの様子ですからまた次の機会にお邪魔させてください」
突然のおばあちゃんの誘いに驚いた私と違って、長瀬さんは冷静かつ優しい声でその誘いを断った。
きっと、私がいろんなことにいっぱいいっぱいになっていることを気遣ってくれたんだろう。
本当に優しい人だ。
「それじゃあ、千鶴さん。また連絡しますね」
「は、はい」
「それでは失礼します」
長瀬さんはおばあちゃんにも頭を下げて帰って行ったけれど、私はその車が見えなくなるまでしばらくその場から離れられなかった。
「千鶴」
「は、はい」
おばあちゃんに声をかけられて、慌てて中に入ると、
「珈琲店、どうだった?」
と声をかけられた。
「うん、すごく……素敵な、お店だった……」
「そう。千鶴がのんびりと過ごせたならよかったわ。夕食まで少し休む?」
「うん。そうしようかな」
「わかったわ。夕食の時間になったら声をかけるわね」
「あ、おばあちゃん……っ」
リビングに行こうとするおばあちゃんをつい呼び止めてしまった。
「どうかした?」
「あ、あのね……おばあちゃんは、運命とか、そういうのって信じる?」
「ふふっ。そうね……。あなたのおじいさん……統さんと出会った時、ああ、この人と結婚するんだろうなってピンときたわ。それが運命だったかもしれないわね」
「えっ? どうしてそう思ったの?」
「うーん、なかなか言葉で説明するのは難しいけれど、なんと言ったらいいのかしら。心が安らぐっていうのかしらね。すごく楽にいられたの」
「心が、安らぐ……」
「ええ。だから五十年以上も夫婦でいられたの。統さんじゃなかったら、こんなにはうまく行っていなかったかもしれないわね」
「おばあちゃん……」
一昨年亡くなったおじいちゃんは、私の記憶の中でもずっとおばあちゃんに優しかった。
いつだっておばあちゃん優先で……あの時代の人にしては珍しく、感謝の気持ちも愛の言葉も惜しげなく伝えていた。
そんな二人を見るのもこの家に遊びに来る楽しみでもあった。
「千鶴……運命に逆らっちゃダメ。自分の直感を信じて、あまり考え込まないようにしないとね」
「うん……ありがとう。少し休むね」
「ええ。あとで声をかけるわ」
運命に逆らっちゃダメ、か……。
――コーヒーの好みがピッタリ合う人は、運命の相手だと言われているんですよ。
長瀬さんの言葉が頭をよぎる。
何も考えずに飛び込んでみるのもいいのかもしれないな……。
部屋に戻り、長瀬さんに今日のお礼のメッセージを入れようかと思いながらもやっぱり最後の勇気が出ない。
どうしていいかわからなくなって、気づいたらお兄ちゃんに電話をかけてしまっていた。
数回のコール音に電話を切ろうとした瞬間、
ーもしもし、千鶴?
と少し寝ぼけた声が聞こえてきた。
もしかして、寝てた?
ハッと気づいて時計を見れば、夕方の五時過ぎ。
向こうだと……
ーごめん、お兄ちゃん。そっちは真夜中だったよね。すぐに切るから、ごめんね。
ー大丈夫だから落ち着け。
慌てて切ろうと声をかけると、さっきよりも少しいつもに近い声に戻ったお兄ちゃんの声が聞こえた。
ーごめん……時差があるのすっかり忘れてた。
ーいや、いいよ。今、寝ようとしたところで、熟睡していたわけじゃないから。
ー本当?
ーああ、それよりどうしたんだ?
ーうん……あのね、この前……小田切先生と北原さんが来てくれて――
私はその日からの出来事を全て話していた。
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