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聞きたいこと
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「あの、私……今日はそろそろ帰ります」
もう情報量が多すぎて、何も考えられない。
とりあえず頭の中を整理したくなってそういうと、長瀬さんは優しい笑顔のまま、
「では、ご自宅までお送りしましょう」
と言ってくれた。
「いえ、そこまでしていただくわけには……」
「ここは住宅街ですから、流しのタクシーも通りませんし、それに私ならご自宅の住所もわかっていますから、乗っているだけですぐに到着しますよ」
「でも、お店が……」
「この時間はお客さんも少ないですし、私がいなくてもスタッフがいますから大丈夫ですよ。彼もコーヒーを淹れるのはとても上手なんです」
そこまで言われると、断ることなんてできなくて、
「あの、じゃあお願いします」
と言ってしまっていた。
「宗方くん、少し出てくるから店を頼むよ」
「はい。任せてください」
スタッフさんの自信満々な声を背に、私は長瀬さんに案内されて店の裏側にある駐車場に向かった。
「さぁ、どうぞ」
「あの……これ、ここまで来た車ですか?」
「ええ。そうですよ。千鶴さんがタクシーだと思われているようだったので、黒い車にしておきましたが気づかれなくてホッとしました」
あの時はタクシーを呼んだはいいけど、密室に二人っきりになってしまうことに気づいて緊張しまくっていたから、車はよく覚えてなかった。
乗り心地が良かったことは覚えているけれど、今考えてみれば、中もタクシーっぽくなかったかもしれない。
それだけ、私の頭の中が<haju>に行くことでいっぱいになってしまっていたんだろう。
ちゃんと聞いてから車を見れば、これがタクシーじゃないとすぐにわかったのに……。
だって、ものすごい高級車だもん。
つくづく自分の注意力が散漫になっていたことを思い知らされる。
「千鶴さん、どうぞ」
後部座席の扉を開けて座らせてくれるけれど、これだと本当にお客さまみたいでなんとも話しにくい気がする。
「あの……助手席に、座らせていただいてもいいですか?」
「えっ? 座っていただけるんですか?」
「あ、他に乗せてらっしゃる方がいらっしゃるなら――」
「そんな人いませんからお気になさらず。座ってくださるなら嬉しいです」
長瀬さんは焦ったように言葉を遮ると、そのまま後部座席の扉を閉めて、助手席の扉を開けてくれた。
「どうぞ」
「は、はい」
送っていただく身なのに、後部座席で堂々と座らせてもらうのも気が引けて、助手席に座らせてもらったけれど考えてみたら今まで助手席に座った経験が思い出せないくらい全然ない。
家族で車に乗るときは、後ろの席ばかりだったし、お兄ちゃんとお父さんと三人で出かける時も、お父さんが運転でお兄ちゃんが助手席だったし……普段は電車ばかりだったしな。
もしかして、本当に今日が初めてかもしれない。
うわっ、なんか緊張してきちゃった。
「シートベルトつけてくださいね」
「は、はい」
慌ててつけようとシートベルトに手をかけたけれど、緊張しているのか全く引っ張れない。
焦れば焦るほどできないでいると、
「失礼しますね」
と、さっと長い腕が私の前に出てきて、スッとベルトを引いてくれる。
決して私の身体には触れないように気遣ってくれているのがよくわかる。
カチャリとベルトが締まる音が聞こえてお礼を言うと、
「いいえ、慣れないと締めにくいものですからね」
と笑顔を見せてくれる。
その優しい笑顔に緊張が放たれていくのを感じた。
長瀬さんは運転席に颯爽と乗り込み、ゆっくりと車を走らせた。
「送っていただいてすみません」
「気になさらないでください。私から申し出たことです。それよりせっかくの時間ですから、何かお話ししませんか? 聞いておきたいことはありませんか? なんでも答えますよ。私は千鶴さんに秘密を作るつもりはありませんから」
「そんな……っ」
「本当ですよ。でも、安心してください。無理に気持ちを押し付けようだなんてする気はありません。私のことでなくてもなんでも聞いてくださって構いませんよ」
長瀬さんが私からの質問を待ってくれているのがありありと感じられて、それでもプライベートなことを聞くのは憚られて、とりあえず気になったことを聞いてみた。
「あ、あの……じゃあ、あのシナモンロールなんですけど……私が、好きなお店のシナモンロールによく似ていて、あれは偶然ですか?」
「ふふっ。千鶴さんの好きなお店は、『アイノアベーカリー』ですか?」
「えっ? どうしてわかったんですか?」
「あのお店のシナモンロールは、うちの店のレシピで作られたものなんです」
「えっ……」
「元々、<haju>は祖父の店なんですが、祖父のシナモンロールを気に入ってくださっていた常連客の方があの『アイノアベーカリー』の店主なんです。自分が店を出す時にはぜひこのシナモンロールを出したいと懇願されて、祖父はレシピを教えたと聞いています」
「じゃあ、あのシナモンロールは<haju>が元祖ということですか?」
「そういうことになりますね。千鶴さんもお好きだったなんて嬉しいです。私も祖父から引き継いだ時にあのパンだけはメニューから外さないでおこうと思ったくらい気に入っているんですよ」
長瀬さんと話をすればするほど、好みが同じなことに驚いてしまう。
「また食べにきてください。美味しいコーヒーを淹れますから」
「は、はい」
そんな話をしているうちに、車はおばあちゃんの家に到着した。
もう情報量が多すぎて、何も考えられない。
とりあえず頭の中を整理したくなってそういうと、長瀬さんは優しい笑顔のまま、
「では、ご自宅までお送りしましょう」
と言ってくれた。
「いえ、そこまでしていただくわけには……」
「ここは住宅街ですから、流しのタクシーも通りませんし、それに私ならご自宅の住所もわかっていますから、乗っているだけですぐに到着しますよ」
「でも、お店が……」
「この時間はお客さんも少ないですし、私がいなくてもスタッフがいますから大丈夫ですよ。彼もコーヒーを淹れるのはとても上手なんです」
そこまで言われると、断ることなんてできなくて、
「あの、じゃあお願いします」
と言ってしまっていた。
「宗方くん、少し出てくるから店を頼むよ」
「はい。任せてください」
スタッフさんの自信満々な声を背に、私は長瀬さんに案内されて店の裏側にある駐車場に向かった。
「さぁ、どうぞ」
「あの……これ、ここまで来た車ですか?」
「ええ。そうですよ。千鶴さんがタクシーだと思われているようだったので、黒い車にしておきましたが気づかれなくてホッとしました」
あの時はタクシーを呼んだはいいけど、密室に二人っきりになってしまうことに気づいて緊張しまくっていたから、車はよく覚えてなかった。
乗り心地が良かったことは覚えているけれど、今考えてみれば、中もタクシーっぽくなかったかもしれない。
それだけ、私の頭の中が<haju>に行くことでいっぱいになってしまっていたんだろう。
ちゃんと聞いてから車を見れば、これがタクシーじゃないとすぐにわかったのに……。
だって、ものすごい高級車だもん。
つくづく自分の注意力が散漫になっていたことを思い知らされる。
「千鶴さん、どうぞ」
後部座席の扉を開けて座らせてくれるけれど、これだと本当にお客さまみたいでなんとも話しにくい気がする。
「あの……助手席に、座らせていただいてもいいですか?」
「えっ? 座っていただけるんですか?」
「あ、他に乗せてらっしゃる方がいらっしゃるなら――」
「そんな人いませんからお気になさらず。座ってくださるなら嬉しいです」
長瀬さんは焦ったように言葉を遮ると、そのまま後部座席の扉を閉めて、助手席の扉を開けてくれた。
「どうぞ」
「は、はい」
送っていただく身なのに、後部座席で堂々と座らせてもらうのも気が引けて、助手席に座らせてもらったけれど考えてみたら今まで助手席に座った経験が思い出せないくらい全然ない。
家族で車に乗るときは、後ろの席ばかりだったし、お兄ちゃんとお父さんと三人で出かける時も、お父さんが運転でお兄ちゃんが助手席だったし……普段は電車ばかりだったしな。
もしかして、本当に今日が初めてかもしれない。
うわっ、なんか緊張してきちゃった。
「シートベルトつけてくださいね」
「は、はい」
慌ててつけようとシートベルトに手をかけたけれど、緊張しているのか全く引っ張れない。
焦れば焦るほどできないでいると、
「失礼しますね」
と、さっと長い腕が私の前に出てきて、スッとベルトを引いてくれる。
決して私の身体には触れないように気遣ってくれているのがよくわかる。
カチャリとベルトが締まる音が聞こえてお礼を言うと、
「いいえ、慣れないと締めにくいものですからね」
と笑顔を見せてくれる。
その優しい笑顔に緊張が放たれていくのを感じた。
長瀬さんは運転席に颯爽と乗り込み、ゆっくりと車を走らせた。
「送っていただいてすみません」
「気になさらないでください。私から申し出たことです。それよりせっかくの時間ですから、何かお話ししませんか? 聞いておきたいことはありませんか? なんでも答えますよ。私は千鶴さんに秘密を作るつもりはありませんから」
「そんな……っ」
「本当ですよ。でも、安心してください。無理に気持ちを押し付けようだなんてする気はありません。私のことでなくてもなんでも聞いてくださって構いませんよ」
長瀬さんが私からの質問を待ってくれているのがありありと感じられて、それでもプライベートなことを聞くのは憚られて、とりあえず気になったことを聞いてみた。
「あ、あの……じゃあ、あのシナモンロールなんですけど……私が、好きなお店のシナモンロールによく似ていて、あれは偶然ですか?」
「ふふっ。千鶴さんの好きなお店は、『アイノアベーカリー』ですか?」
「えっ? どうしてわかったんですか?」
「あのお店のシナモンロールは、うちの店のレシピで作られたものなんです」
「えっ……」
「元々、<haju>は祖父の店なんですが、祖父のシナモンロールを気に入ってくださっていた常連客の方があの『アイノアベーカリー』の店主なんです。自分が店を出す時にはぜひこのシナモンロールを出したいと懇願されて、祖父はレシピを教えたと聞いています」
「じゃあ、あのシナモンロールは<haju>が元祖ということですか?」
「そういうことになりますね。千鶴さんもお好きだったなんて嬉しいです。私も祖父から引き継いだ時にあのパンだけはメニューから外さないでおこうと思ったくらい気に入っているんですよ」
長瀬さんと話をすればするほど、好みが同じなことに驚いてしまう。
「また食べにきてください。美味しいコーヒーを淹れますから」
「は、はい」
そんな話をしているうちに、車はおばあちゃんの家に到着した。
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