ルサルカ・プリンツ 外伝《瑠璃の玉響》

るなかふぇ

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第四章 御子誕生 

6 かもめ園

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 園長に通されたのは、どうということもない施設内のひと部屋だった。小さな部屋に小ぶりのベッドが二つと勉強机。それに、本棚が各一つずつ。あとは壁に造り付けのクロゼット。調度といったらそのぐらいの、ごく簡素な部屋だった。
 もちろん殿下と同室にするわけにはいかないので、殿下のお部屋は隣の一人用の部屋ということになっている。
 薄いグリーンのカーテンを、海からの風が微妙にゆらしている。それを通して部屋を照らしている陽光は柔らかく、藍鉄の心をもなごませた。
 壁の傷。天井の不可思議な染み。
 懐かしさに胸が詰まる。

「あの……この部屋は」
「君が使っていた部屋だよ。ちょうど、今あいていたものだからね」

 一瞬、胸を衝かれたようになって、藍鉄は園長を凝視した。

「その方がいいかと思って。余計なお世話だったかな?」
「いえ……。ありがとうございます」

 園長は「そう。よかった」とにっこり笑って、「食事の時には声を掛けるね」とだけ残し、静かに部屋から出て行った。
 殿下は片方のベッドに腰を下ろされ、透明な瑠璃色の瞳をして、園長を見送る藍鉄の横顔をじっと見つめていた。
 ピピ、とその手首の機器が音を立てる。

『お前が昔、いた場所なのか?』
「はい。申し訳ありませぬ。ほかに適当な場所を思いつきませず──」
 殿下は首を左右に振った。
『何歳ごろからここに? ああ、すまぬ。まず、先に座ってくれ』
「……恐れ入ります」

 一礼し、藍鉄は向かい側のベッのすみに腰を下ろした。
 かつて自分が、様々な思いを抱えて座ってきた場所である。
 思わぬ事故のためにいっぺんに家族を喪い、茫然自失しているうちに、気が付けばここに連れてこられていた。そのあたりの記憶が曖昧なのだが、相当呆然としていたのだろう。
 基本的には様々な事情があって親と暮らせない子どものための施設だが、ここには実はもっと大きな意味がある。
 心に特に大きな傷を抱えた子供を積極的に受け入れている施設なのだ。

 藍鉄がかつての自分の身に起こったことをかいつまんでお話しすると、瑠璃殿下の目が次第しだいに見開かれてきた。
 とりわけ、父と弟を自動車事故で喪ったことに話が及んだときには、膝の上の両手をぐっと拳に握りしめられた。

『そうだったのか。忍びたちには様々な背景を持つ者が多いことは知っていたが。そなたも──』
 藍鉄は頬をわずかにゆるめた。
「どうぞ、お気になさいますな。そうは申しても、ここには自分よりもよほどつらい過去を背負って来ている子どもも多うございました。みな、親と暮らせぬという意味では心に傷を抱えているのは同じでございましょうしね」
 殿下は困ったように目を伏せた。
「ここならば、殿下も少しはお心をお安めになりやすいだろうと……自分のつまらぬ愚考によることですゆえ。もし、ご不快ということでしたら──」
 殿下の手首から、またピピッと電子音がした。見れば画像に「いいや」とあった。
『そなたにとって、とても大切な場所なのだろう』

 それから少し、間があった。
 そして。

『礼を言う』
 画像を示し、殿下がぺこりと頭を下げた。
「なっ……」
 藍鉄は慌てて両手を上げた。
「とんでもないことにございます! 左様なことはどうか。どうかご勘弁を。さ、お手をお上げくださいませ」

 殿下はやや不満げな目をしてこちらを睨んだが、それ以上は何もおっしゃらなかった。




 その後ふたりは園長から子どもたちに紹介されることになった。
 子どもたちは、この非常な美貌の人といかつい巨躯の男という二人組の珍客を、最初のうちは遠巻きに見ていた。子どもたちの瞳には、興味と遠慮と臆病、気おくれなどがないまぜになって溢れているのが見てとれた。
 とりわけ瑠璃殿下については、みんな最初はぽうっとなって完全に言葉を失っている様子だった。女の子は特に、顔を真っ赤にしてもじもじしている子が多かった。「絵本の天使さまみたいだね」という、小さな子どものささやき声がきこえてきたものだ。

 が、園長の口から藍鉄がこの施設の出身者だと知ると、子供たちは次第に親しげにまとわりついてくるようになった。まあ、おもに藍鉄にだけだったが。

さん、あしょんで、遊んで!」
「きのうはあの子に、たかいたかいしてたでしょ? 今日はぼくの番! ぼくにしてよう!」
「ぼくはぐるんぐるーんがいい!」
「ちょっとどいてよ、今日はあたしってやくそくしたんだからあ!」
「えーっ。うそだあ! そんなこといってなかったぞー!」

 こんな調子ですぐに大騒ぎになってしまう子どもたちの輪の真ん中で、藍鉄は腰をかがめて苦笑していることが多かった。

「わかったわかった。いいから並べ。みんなしてやるから、仲良くな」
「はーい!」
「うわあい!」

 思春期に差し掛かった子どもたちはさすがに距離を置いて見ていたが、小さな子たちの間ではあっという間に藍鉄の──おもに大きなその体が──奪い合いになってしまった。
 瑠璃殿下はそれを、大体いつも少し離れた場所から苦笑しつつご覧になっている。そんな殿下をまた、年ごろの少女たちが顔を赤らめてちらちらと遠巻きに見ているのだった。

 殿下が言葉を発することができないことは、すぐにみんなの知るところとなった。が、だれもそれについて言及しない。施設の中には心を病んで、ほとんど部屋に閉じこもっているような子もたくさんいる。
 子どもたちは言葉にこそ出さないが、人の観察眼に優れ、心の状態にも非常に敏感なのだった。ひと一倍傷ついてきたぶんだけ、一般の子どもたちが鈍感に見過ごしてしまう部分にも大人のように対処してしまう様子は、見ていて胸が痛むものがあった。
 だが、藍鉄がここを殿下の滞在場所に選んだ理由のひとつはそれだった。
 殿下のお心には何人なんぴとたりとも、土足で上がり込んで欲しくはなかったのだ。

 施設内には自傷を繰り返すような子もいるので決して目は離せないが、この場合だけはAIによる監視システムを利用して、大事に至る前に対処できるようになっている。
 もちろん人間の心療内科医や心理カウンセラーも常駐しており、なるべく家庭的な雰囲気の中で日常的に子供たちの心のケアに当たっている。
 実は殿下も、それら医師やカウンセラーに話を聞いてもらうことになっていた。
 かれらだけはこの方の身分を知らされているけれども、もちろん口外しないことを確約してもらっているのだ。

(なんとかここで、お心が癒されればよいのだが──)

 小さな子どもたちと遊んでやりつつも、藍鉄の心の中を占めるのはひたすらにそれだった。

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