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しおりを挟むピンポーン……とインターホンが鳴ったのは、今晩の用意がひと段落ついて、明日香にコーヒーを淹れてやったときだった。外はすっかり暗いが、時間は十八時前だ。今日は荷物が届く予定もないはずだし、星川が来るのも二十時過ぎの予定だ。
怪訝に思いながらモニターを確認すると、そこにはなんと星川が映っている。
ぎょっとして二度見して、やっぱり星川で間違いないことを確認すると慌ててスマホをチェックした。
『予約がキャンセルになったので、今から行ってもいいですか?』とメッセージが届いていた。三十分前だ。
「まずい」
「伊織? どうしたの?」
コーヒーとともにラムレーズン入りのバニラアイス(どうしても食べたいと言うので、すこし出してやった)を頬張っていた明日香がのんびりと尋ねる。
「明日香、隠れて!」
「えっ⁉ あ、待って、アイスがまだ……!」
状況を把握しきれていない明日香を立たせ、玄関から取ってきた靴を持たせると、ひとまずバスルームに押し込んだ。
「テレビ付けるから、それが合図だと思って。こっそり帰れ!」
明日香は困惑した表情で何か言いたそうに口を開きかけたが、聞いている時間はない。扉をぴしゃりと風呂場の開き戸を閉めた。
「いらっしゃい、星川さん。早かったですね。仕事お疲れさま」
部屋に星川を招き入れたのと、普通に幼馴染の親友として明日香を紹介すればよかったのではないか、と気付いたのはほとんど同時だった。
過去、明日香との関係を疑われ、当時の彼女と仲違いした経験が幾度となくある身としては、咄嗟の行動だった。明日香をそういう対象として見たことがない伊織としては、その嫌疑は甚だ遺憾なものでしかなかったが、黙っていればスラっとしたモデル体型の美人なのだ。不安になるのも無理もないのかもしれない。
「スマホ、今さっき見たんです。まだ料理中で、ちょっと散らかってるけど……」
「すみません、こっちこそ電話すればよかったです。それにしても、すごくいい匂いですね」
扉を開けた瞬間から、部屋にはニンニクと魚介の匂いが充満しているはずだ。
「これからパスタ茹でるから、ちょっと待っててくださいね」
星川をソファに促し、テレビを付ける。
いつもより、ボリュームをいくつか上げると「今だ、明日香!」と心の中で叫んだ。
一度隠そうとした手前、今見つかったら拗れること必須だ。バスルームと玄関に神経を集中させていた伊織は、明日香がひっそりと部屋から出ていく気配を感じて安堵する。
「ツリー、出したんですね」
星川がキッチンカウンターのそばに出してあるツリーを見て言った。前回彼が来たときにはなかったものだ。
「ああ、生徒さんも出入りするので、少しは見栄えのいい部屋にしておこうと思って……」
ツリーは伊織の肩ほどの高さで、それなりに存在感がある。
一昨日、年末年始のおもてなし料理の教室を開いた。立地的にお金持ちの奥さまばかり、というわけではないけれど、志麻の教室に入れなかった人(志麻の料理教室はいつも人気で、大抵抽選になる)やアシスタント時代から伊織を知っている人など、品のいい奥さま方が生徒さんとしてやってくることが多い。安っぽく見えてもいけないので、悩みに悩んで選んだのだ。
「ご自宅で料理教室もされているんでしたっけ。本物の木みたいですね」
つけたテレビには見向きもせず、星川はツリーに興味を惹かれたらしい。ツリーなんて、きっと星川の職場にもあるだろうに。
「星川さんのお店はどんなツリーなんですか」
「木に直接飾り付けてますよ。何でしたっけ、ゴールドクレスト?」
「あっ、入り口の横にあった大きいやつだ」
伊織の身長を越える大きな木だ。想像して思わず顔が綻ぶ。それはさぞかし見物であろう。
しかしカウンターに下げてあった食器を見つけた星川に「あれ、誰か来てたんですか?」と言われた瞬間、心臓が飛び出るかと思った。二組のコーヒーカップ。食べかけのアイスクリームの皿(幸い、残ったアイスクリームは溶けている)。なぜとっとと洗ってしまわなかったのか。
「ああ、ええ。あの、昼間編集さんが来てて……散らかったままですみません」と伊織は笑って誤魔化した。
「すみません、俺が予定より早く来たから」
「いえ、早く来てくれて嬉しいです。お店としてはこんなこと言うのもあれですけど、キャンセルしたっていうお客さんに俺は感謝ですよ」
バクバクと嫌な感じにざわめきだした心臓を落ち着かせるため、冷やしていたシャンパンを出して星川に押し付けた。
「今お湯沸かしてるので。先に乾杯しません?」と、シャンパングラスも用意する。
ひとまず先につまもうとアーティチョークのソテーを持っていくと、星川が音もなくシャンパンのボトルを開けるところだった。伊織は惚れ惚れとその様子を見つめた。
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