ぼくのともだち 【軍神マルスの娘と呼ばれた女 番外編 その1】 北の野蛮人の息子、帝都に立つ

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13 皇帝陛下の涙、の話、そしてぼくのスピーチ

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「これにて音楽会を終わります。皆さん、ありがとうございました!」

 皇后陛下がアンジェリーカ内親王と連れ立って席を立ち、来場した人の多くが広間を後にし、何人かの貴族が皇帝陛下に挨拶したそうだったけど、侯爵とヤン閣下に宥められて同じように出て行った後も、皇帝陛下はまるで怒っているみたいに顔を顰め黙ったまま座っていた。

 最後まで残っていたライヒェンバッハ伯爵夫人と話をしていたヤン閣下と目が合った。

「なんだ、ミハイルじゃないか! きみが来ていたとは知らなかったなあ」

 伯爵夫人をドアの外に見送った閣下はぼくに言った。

「タオの付き添いかね?」

「はい・・・。まあ・・・」

「そうか。でも、ちょうどよかった」

 え?

「ミハイル。今伯爵夫人には話をしておいた。皇宮の馬車で家まで送ってあげるから心配はいらない。悪いけどタオと一緒に少し残っててくれないかな」

「あ、はい・・・」

 広間のドアが閉まった。

 残ったのはヤン閣下にブランケンハイム侯爵。タオとぼく。それに、ムッツリと押し黙った皇帝陛下だった。緊張のあまり、ぼくはカチコチになっていた。見れば、ピアノの前のタオもカチコチだった。

 演奏者と話がしたい。

 そう言っていたのに、だけど陛下はなおも椅子に座ったまま、動かなかった。

 どうしたんだろう。

 そう思っていると、ふいに陛下は席を立った。

 広間の白い壁に向かってアタマを垂れ、時折上を見上げて、やっぱり黙ったままだった。

 ヤン閣下に促されて緊張しながらピアノのそばに座ったけど、これからどうなるのかさっぱりわからなかったから、不安になった。

 だけどヤン閣下と侯爵は落ち着いた風情で陛下を見守っていた。なんだかわからないけれど、この2人は全部わかってるのだ。そんな気がした。

 しばらくすると、陛下はぼくたちを振り向いた。顔はあの気難しい怖い顔のままだったけど、目が少し、赤かった。

 陛下は、泣いていたらしかった。

 あの帝国軍全軍30万の総司令官、ぼくの里のシビルの村には比べるべくもないこの巨大な帝国の指導者が、泣いていたのだ。

 ぼくは驚き、同時に陛下という人をより身近に感じた。皇帝陛下もぼくと同じ、人間なんだ。そう思えたからだ。

 陛下はゆっくりとピアノに近づいた。

 怖い顔でタオを見下ろすとトーガの端から手を伸ばし、黒いピアノの肌に触れた。大きな口をギュッと引き結んで、しばらく考え事をしていたようだったが、ギロ、と振り返ってヤン閣下を睨んだ。

 怖~・・・。

 陛下は、言った。

「常々、ウリルの音楽道楽を苦々しく思って来たものだが、どうも今夜は私の狭量と偏見を恥じねばならぬ夜のようだな、ヤン」

 後からタオに聞いたんだけど、「ウリル」というのはタオの「かっか」のことだ。皇帝陛下のお兄さんの息子。陛下にとっては甥御さんになるひとだ。陸軍少将で、タオのお母さんのヤヨイさんの部隊の上役の人でもある。そのカンケーでタオはウリル少将と出会い、ピアノに出会った。

 しかし、陛下の言い草はどうだろう。褒めているのか怒ってるのかサッパリわからない。もっとも、ヤン閣下にはわかるみたいだった。前に会った時と変わらない、穏やかな顔でお父さんである皇帝陛下を見上げていた。閣下は言った。

「そう思われますか、父上」

「うむ。ずいぶん久しく動かなかった私の心が、今夜は骨のズイまで揺り動かされた」

 陛下は言った。どうやら怒っているのではないらしい。よかった・・・。

「まず、ブランケンハイム少将!」

 はっ!

 侯爵はサンダルの踵を合わせ、直立不動の姿勢を取った。

「貴官には今宵の音楽会を開くにあたりずいぶんと骨を折らせてしまったようだな。礼を言わねばならん」

「もったいなきお言葉であります、陛下」

 陛下は侯爵を軍隊の階級で呼んだ。根っからの武人の人なんだろうなと思った。

「そして、何よりも、きみだ、タオ!」

 と、陛下は言った。その言葉にはとても大きな力が籠っていた。

「タオ、キミは素晴らしい!」

「あ、あ、ありがとうございます」

 小さなタオがさらに小さく、恐縮していた。

 すると皇帝陛下はタオのそばに歩み寄り、なんとタオの隣に片膝をついてしまった。陛下のアタマが、椅子に座ったタオよりも低くなった。そしてタオの手を取って、言った。

「最後の曲の前にきみが言ってくれたように、私も子供のころに見たターラントのサトウキビ畑に沈む夕日を思い出した。そして、30年前の西の戦場でここにいるヤンを助け出した日に見た夕陽も・・・。様々な思い出が心を駆け抜けて、私の頑なな心を掘り起こし、溶かしてくれた。

 おかげでいい歳をして久方ぶりに泣いてしまった。このカタブツの私の固い心をとかしたきみのピアノは、音楽とは、何と素晴らしいものだろうか・・・。

 ありがとう、タオ。もう一度言うが、キミの演奏は、とても素晴らしかった」

 そう言って皇帝陛下は立ち上がった。

「それで、ヤン。それにブランケンハイム少将。

 きみたちがここまで手の込んだことを企てたのには、何か存念があろう。ありていに言ってみたまえ。

 察するに、ヤン。以前お前が申し出ていた初等教育における情操教育の拡充の件ではないか」

 いつの間にか陛下はもう帝国の指導者に戻っていたようだった。いい音楽だった、よかったよかった・・・。で終わらないのだ。こういうところがスゴいと思った。

「ご明察の通りです、父上」

 ヤン閣下は言った。

「長年の宿敵であったチナを下して早半年が経とうとしております。

 国内経済は戦時中の高揚感が薄れその反動でやや停滞気味になっている感があります。民心もやや落ち着きを取り戻しましたが、戦時体制が解かれ経済の停滞と閉塞感が漂い始めているようです。

 チナが打倒されたことで当面我が帝国は大国に対する軍備を整え維持する必要がなくなりました。いまこそ戦時経済を改め民需を掘り起こして産業構造の変革を図るべき時と考えます」

 なんだ? 何のことを言っているんだ?

 ヤン閣下の言葉は何とかわかるけど、意味が解らない。

「新たな産業の創出の一環としての大衆娯楽は経済の拡大に大きく寄与するものであります。また、音楽教育を含めた情操教育の拡充を図り、それによって帝国国民の情感情緒を豊かにし、もって創造的個性的な人格形成を通じて一元的ではない、多種多様な社会構造の形成の一助と・・・」

「要するに、」

 陛下はヤン閣下の言葉を遮った。

「お前の要望を一言で言えば、なんなのだ、ヤン」

「初等教育における音楽教育の拡充のため、各小学校に一台ずつのピアノと音楽専門の教師を配置したいのであります」

「だったら、最初からそう言えばいいではないか。いつもながらいちいち回りくどいのだ、お前は!」

 あのヤン閣下が叱られている・・・。それがひそかに面白かった。それにしてもやっぱり皇帝陛下は気が短かった。でも、それでますます陛下に親近感が湧いた。

「で、少将。きみも同意見なのだな? だからヤンに賛同して・・・」

「左様であります、陛下」

 帝国皇帝はうむ、と頷いた。

「いいではないか。音楽に親しむことは、帝国の人々の心の豊かさを増進させるのに役立つ。今夜のタオのピアノのおかげで、私はそれを実感した。

 帝国は多民族で構成される複合国家だ。多種多様な人種、言語を包含する国だ。

 帝位に就いてより、私は施政の中心に帝国内の融和を掲げているのはキミたちも知っているだろう。

 今宵、音楽が言葉を超えて人の心を結び付けるのを知った。私の掲げる融和に、音楽は大きな役割を果たすであろう。できれば貴族の占有ではなくあまねく国民すべてに及ぼしたいものだな」

「まったく同感です、陛下」

「ではヤン。さっそくお前の案を予算を付けて法案の形にしたまえ。政府としてできることは何なのかを。

 ちなみに、このピアノはどれほどの値がするものなのか」

「海軍のシュトルム級駆逐艦一隻よりややお高いかと」

 ブランケンハイム侯爵が言った。

 すると、皇帝陛下が目を剥いた。

「それほどのものなのか!」

「まず試作をと、以前これの簡易型である箱型を製作したウリル少将に職人を紹介してもらい、私費で作らせました。なにぶん古代の文献だけを頼りに手探りで作らねばならなかったため高額になるのは止むを得ませんでした。ですが、これで知見が得られました。また量産すればコストはもっと抑えられるそうです」

「なるほど、それは理解できる。だが、依然高額であることには変わりがなかろう。とても小学校に一台ずつなどは無理な話だな」

「あの・・・」

 驚いたことに、皇帝陛下やヤン閣下の話にタオが口を挟んだ。

「なんだね、タオ。

 意見があれば言ってみなさい」

 ヤン閣下がタオを促した。

「オルガンなら、もっと安く作れると思います。バカロレアの先生から聞きました」

「オルガン。ほう、それはどういうものだね?」

 皇帝陛下がタオに尋ねた。

 この巨大な帝国の最高権力者が、強大な帝国軍の最高司令官が、まだ小学生に過ぎない、ぼくよりも3つも年下の少年にモノを尋ねている。

「はい、陛下。オルガンはパイプにふいごで空気を送り込んで音を鳴らす楽器です。こんな風にパタパタ足でペダルを踏んで。このピアノと同じ、鍵盤で演奏できるものです。まだ図面だけで実物はないらしいんですが・・・」

「なるほど。それはいいことを聞いた。さっそくそのバカロレアの先生に話を聞いてみよう」

 ヤン閣下が受けた。

「陛下。ピアノであれオルガンであれ、それでまた新たな産業が生まれます。新たな雇用も生まれる。需要と供給が膨らめば経済が活性化します。国民は物心両面でより豊かになりますな」

「そういうことだな」

  と、陛下は言った。

「だが、さしあたっては政府が先鞭をつけねばならぬ。他の産業の育成もせねばならぬであろうな。新たな財源が必要となろう」

「仰る通りです、陛下。そこで、もう一つお話が・・・」

「なんだね、ヤン」

「はい」

 ヤン閣下が進み出た。

「以前からの懸案であった軍備の縮小を急がせる必要があろうかと。それによって浮いた国費を新たな産業育成に振り向けることができましょう」

「まさに、そういうことだな。で、差し当たってどの方面が適当か」

「まず高度な軍装備についてですが、対チナ戦において兵員の損耗を回避するための打撃手段、つまり戦車や長距離砲は縮小の方向で。さらに戦線ですが、西のチナ戦線はもちろんですが、偵察機や飛行船による空挺部隊のプレゼンス、及び北の国境に迅速に兵力を輸送する軍用道路の設置により、北部戦線に大量の兵員を配置する必要性が低下しております。統合参謀本部の見解では現在の5個軍団を3個軍団に減らしても十分に国境の守りは担保出来得ると・・・」

 うわ・・・。

 音楽の話をしていたと思ったら、いきなりぼくにはわからない軍隊の話になってしまっていた。

 政治というのはいろんなものが複雑に絡み合っているとても難しいモノなのだな・・・。

「なるほど。かなりの軍費を節約できそうだな」

「はい、父上。そこで、その一助になり得る、北の防衛線の再編計画に際し、まず元老院対策を講じねばと考えております・・・」

 あまりに、むっちゃ、ムズかしい話だ・・・。

 ボーっとしているぼくの肩に急にヤン閣下がぽん、と手を置いた。

 え?

「彼はタオの友達でミハイルと言います。例の北の民族の留学生です。昨年わたしが会ったシビル族という村の族長の息子です」

 急にぼくに話が移って来てめっちゃ、ドキドキした。

「おお、話は聞いているぞ。そうか、きみが北の留学生か」

 皇帝陛下のめっちゃ怖い厳めしい顔が迫って来て、思わず膝が震えてしまった。

「は、はい・・・」

「ミハイル、さっき『ちょうどよかった』と言ったのはね、実はキミのスピーチをもう一度、別のところでやって欲しかったからなんだよ」

 と、ヤン閣下は言った。

 え?


 


 


 

 何が何だかサッパリわけがわからないままに、タオとぼくは皇宮の馬車で家まで送ってもらった。

 一緒に乗ってくれたブランケンハイム侯爵が、

「ミハイル、今日は初めてのことだらけで疲れたろう。ゆっくり休むといい。キミのスピーチを聴くのを楽しみにしているよ」

 と言ってくれた。

 じゃあ、また明日。学校でね。

 疲れた顔のタオにおやすみを言い、エントランスに入った。出迎えてくれた執事のフランツにただいまを言ったら・・・、驚いた。

 なんと、奥様とコニーとリタとクララがエントランスでぼくを待っていてくれたのだ。

「・・・ただいま」

 コニーは口をあんぐりと大きく開けて、ぼくを見てた。

「ミーシャ、なに、あれ・・・」

「え?」

「あの馬車よ」

「え?」

「国の大事なお客さんしか乗れないのよ。なんであんたがあんなのに乗って帰ってくるわけ?」

「え?」

 行きはタオのところのライヒェンバッハ伯爵夫人に送ってもらったから、てっきり同じ馬車で帰って来ると思っていたのだろう。ぼくが皇宮のキンキラキンの馬車から降りて来たのにびっくりしたんだと思う。

 やっぱ、マズかったのだろうか・・・。でも、そんなこと言われてもなあ・・・。

「ミーシャ!」

 奥様までがビックリした顔をしていた。

「あなた、スゴいわ・・・」

「スゴいわ」

「わ」

 もちろん、リタとクララは奥様のマネをしていただけだけれど。

 で、夕食の席で、ぼくは質問攻めにあったわけだけど、めっちゃ疲れてたんで何を話したかも覚えていない。たぶん、皇宮って思ったよりジミだったとか、タオのピアノはめっちゃよかったとか、ノールのお姫様を見たこととか・・・。そんなカンジ。

 でも、これだけは言った。言っとかなきゃいけなかったからだ。

「でね、あのね、ぼく・・・、またスピーチしてって頼まれちゃったんです」

「誰に?」

 コニーがテーブル越しにムネの谷間を寄せて来てこまった。

「前と同じ、ヤン閣下から・・・」

「で、いつ?」

「まだわかんないけど、近々」

「で、どこで? また学校で?」

「あの、・・・元老院で」

 ぼくよりもずっと年上の女の人なのだけど、一瞬、キョトンとしたコニーが、なぜか可愛く見えた。

「えええっ、げん・・・、なん、のん・・・、どえええええええええええええええっ!?」

「ねえままー、げんろういんてなにー?」

 娘のクララの質問にも答えられないほど驚きまくっているコニーの顔を見ていたら、北の里の川で獲った魚を思い出した。パクパク口を開けたまんまのコニーをチラと見て、奥様は言った。

「ミーシャ、・・・スゴいわ。男爵が聞いたら、『なんと!』とか言って腰抜かしちゃうかも。

 誉れよ、ミーシャ。あなたはこのビッテンフェルト家の、誇りだわ・・・」
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