ぼくのともだち 【軍神マルスの娘と呼ばれた女 番外編 その1】 北の野蛮人の息子、帝都に立つ

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09 「いじめっこ」エイブとのPK対決

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 帝国には、とりわけ帝都には馬車が多い。騎乗して都心に来る人もいるし都心を騎馬のケンペータイがパトロールしていたりもするし郊外の軍隊との連絡で軍人もしょっちゅう馬で行き来する。だから街路に落ちている馬のウンコはごくありふれた、見慣れたものだった。気温が高くても空気が乾燥しているせいかさほど匂わない。そうしたウンコたちはいつの間にかカラカラに乾いて干からび砕けてなくなっていく。そしてたまに降る雨がいつの間にかキレイに洗い流してしまうものなのだ。

「・・・ひどいね」

 ぼくのロッカーから転がり落ちて来た馬糞を見て、タオは言った。

「・・・どうして、こんなことが起こるんだろう・・・」

「?」だらけになったぼくのアタマではまったくわけがわからなかった。

「少なくとも、道端のウンコたちがひとりでにキミのロッカーを開けて入ったりはしないと思うけどね」

 こんな状況なのに、タオの言葉にはどこか可笑しみがあって思わず吹き出しそうになったけれど、笑っている場合ではない。

「あのさ、ミハイル。こんなことするヤツって一人しかいないと思うけどね」

 いつの間にかジョンがぼくの肩越しにロッカーを見下ろしていた。校庭でぼくに声をかけてくれたヤツだ。

「ねえ、ミーシャ。とりあえずアンネリーザ先生に言うべきだと思うよ。そうじ、手伝うよ」

 そう言ってタオは箒とちりとりを取りに行ってくれた。

「ぼくもそう思うよ、ミハイル。キミは言うべきだよ」

「うん、ありがとう。でも、まだ誰がやったかはわからないしね。今は何も言わない方がいいと思う。ちょっと、ぼくに考えがあるんだ。」

 ふとジョンの向こう側に人影を見つけた。

 エイブたちだ。

 彼らはぼくのほうを見てニヤニヤ笑っていた。

 始業の鐘が鳴った。廊下に出ていた子供たちは一斉に教室に入った。

 アンネリーザ先生がテキストを抱えてやって来て、ロッカーを掃除しているぼくとタオとジョンを見つけた。

「まあ! ・・・。ミハイル、いったいどうしたの?」

「あ、すいません、先生。ぼく、ここ掃除してから教室に入ります。いいですか?」


 


 

 イリアの帝国語講習が再開された。

 ぼくたちはスピーチの準備をする中で新たに出て来たわからない単語をまとめ、イリアに訳語を教えてもらった。そしてそれをみんなで共有した。簡易辞書はたちまちに真っ黒になり、何枚も追加で紙をはさみ、次第に厚みを増していった。それだけ、ぼくたちの帝国語の語彙が増えていく。

 その日の講習は早めに終わった。その分、それぞれ家に戻ってスピーチの練習をしなさい、というわけだ。

 ぼくは校庭に出た。

 講習が早めに終わったから、まだ校庭で遊んでいる子たちが大勢いた。

 サッカーも、まだ終わっていなかった。その中にエイブの姿を見つけたぼくは、彼に近づいていった。そして、呼びかけた。

「ねえ、エイブ! ちょっと、いい?」

「なんだよ! 試合中なのに」

 彼はメンドくさそうに吐き捨てた。

「すぐ済むよ」

 ぼくは答えた。

 エイブだけじゃなく、いつもの取り巻きたちも、それ以外の子たちも、プレイを中断してぼくの方にやって来た。

「なんか、用かよ」

 エイブはぼくよりも10センチは背が高い。大きなヤツだ。その彼が、ぼくを威圧するように目の前に立った。取り巻きのやつらも、ぼくを取り囲むように。

 でも、ぼくは怯まなかった。ぼくは、言った。

「あのさ、ぼく、キミと勝負したいと思って・・・」

「勝負?」

「そう。いつでもキミの都合がいい時。なんなら、今でもいい」

 エイブの向こうに、ボールを持って心配そうにぼくを見ているジョンの姿があった。

「何の勝負だ」

 エイブは気難しそうな、だけどぼくを侮るような笑みを浮かべて睨んできた。


 

 話は逸れてしまうけれど、帝国に来る前になるけど、ぼくは人を殺した、かもしれないことがある。

 というのも。

 ぼくが村の友達と一緒に山へシカを獲りに行った時のことだった。

 獲物を追っていたぼくたちは、子どもや女が近づいてはいけない場所にいた村の小さな女の子とそのお母さんを見つけた。もちろん、声を掛けた。

「ねえ! ここは危ないから帰りな」と。

「ああ、ミハイル。ごめんなさい。ちょっと、迷ってしまって・・・」

 そのお母さんが答えているうちに、連れのヤツがぼくの村と仲が悪い隣村の男の影を見つけた。

「いけない! サーシャ、あの子とお母さんを連れて先に逃げろ」

 ヤツに聞えないよう、ぼくは小声で言った。

「ミーシャはどうするんだよ」

「ぼくはアイツが追って来た時に備えて待ち伏せする」

「わかった! 気をつけろ」

 連れのサーシャが女の子とお母さんを村の方に誘導するのを見届け、ぼくはスルスルと木に登った。そして、近づいてくるヤツを待ち伏せた。ぼくはいくさにはまだ出ていなかったが、剣と弓には自信があったのだ。それに、相手は一人だ。

 心配した通り、ヤツは逃げるサーシャたちの姿に気づき、追ってこようとした。ぼくは木の上から弓を絞って狙いをつけ、放った。

「ぐはっ!・・・」

 矢は男の脚の腿に命中した。ぼくは剣を抜いて木から飛び降り、男が気づいて剣を抜く前に男の首に切りつけた。だけど残念ながら狙いが外れ、男の肩を傷つけただけだった。それでも剣を取り落とした男は傷を負った足を引きずりながら、逃げていった。

 村に帰ったぼくは女の子の父親にとても感謝された。

 でも、父からは大目玉をくらった。

 なぜ連れや女の子たちと一緒に逃げなかったか。そして、なぜ相手にとどめを刺さずに逃がしたのかを叱られたのだ。

 不用意に相手に余計な恨みを抱かせるな。それほどならばちゃんととどめを刺し、殺してしまった方がいい、と。父が言いたかったことは、それだったのだ。

 ぼくのロッカーに馬糞を詰め込んだのはたぶんエイブたちだろうと思っていた。

 だけど、彼らがやったという証拠もないのに追求することは出来ないし、感情に任せてそんなことをすれば、余計に事態を悪化させるかもしれない。

 それに、ぼくたちは帝国に学ぶために来ている。もしケンカ沙汰なんかを起したりすれば、里に帰されたり、この留学自体が中止になってしまうかもしれない。そうなれば、ぼくたちのために協力してくれているアレックスやイリアやヤン閣下やビッテンフェルト家とか、大勢の人たちに迷惑をかけてしまうことになる。

 族長の息子として、絶対にそんなことをするわけにはいかない。

 父の叱責を思い出したぼくは、どうすればエイブたちに嫌がらせを止めさせることができるかを考えた。


 

「おい、何で勝負するかって聞いてるんだ」

 と、エイブは言った。

「PKで。5本ずつ交互に蹴り合って、多くゴールを決めたほうが勝ち、ってのはどう?」

「へえ・・・」

 エイブは何かを考えていた。

「キーパーはキミが選んでいい。どうする? 勝負を受けるか、それとも、勝負から逃げるか・・・」

「うるせえっ! オマエみたいな野蛮人から逃げるわけねーだろっ!」

 エイブはぼくの小さな挑発に、乗って来た。

「でもよ、なんでオレと勝負したいんだ」

「べつに。ただ、どっちが強いのか、試したかっただけだよ」

 と、エイブの太った顔を睨みつけながら、ぼくは言った。

 勝負はすぐやることに決まった。

 キーパーは彼の取り巻きの一人のルーベルトというヤツがやることになった。いつの間にかグラウンドにはぼくたちの勝負を見に来た子たちが集まり、校舎の窓にもギャラリーが並んだ。

「エイブ。キミから蹴っていいよ。それとも、後の方がいいかい?」

「オレが先だっ」

 こんなにギャラリーが集まるとは思わなかったのだろう。彼は動揺して苛立っているように見えた。

「いくぞっ!」

 エイブは蹴った。体格が大きいだけに、ボールには勢いがあった。真ん中で構えていたルーベルトの向かって右側に一直線に飛んでいったボールはゴールのネットを大きく揺らした。

 でも、ルーベルトの動きがあまりにも遅いことはサッカーをやっている子たちにはすぐにわかったろう。みんな、下を向いていた。ぼくには、そんなことは想定内だったから気にしなかった。

「エイブ、1点!」

 取り巻きの一人が高らかに宣言した。

 次は、ぼくの番だ。

 ゴール前で待ち構えるルーベルトが俄然気合を入れていた。彼は向かって左に来ると予想しているらしかった。ぼくの利き足が右だと思っている。だけど、ぼくは両方で蹴ることができるのだ。帝国に来てから始めたサッカーだったが、故郷の北の山で足腰を鍛えたぼくにはピッタリのスポーツだった。

 右で蹴ると見せかけて、左で蹴った。さっきのエイブの時とは違いホンキでセーブしようとしたルードルフは左に飛んだ。だけど、ボールは反対の右の隅に飛び込んだ。

 ワーッと歓声が上がった。

「・・・ミハイル、1点」

 取り巻きがやる気なさそうに宣言した。

 そうやって2つ目、3つ目、4つ目のターンをエイブとぼくは確実に入れていった。

 そして、5ターン目。

 エイブの蹴ったボールがゴールの上を飛び越えた。これでは、ルーベルトも何もできない。

「エイブ、・・・ミス」

 そして、ぼくの番だ。これを入れれば、ぼくの勝ちだ。

 サッカーのボールは爪先で蹴ったり足の甲で蹴ったり足のサイドで蹴ったりで、あるいはボールの右側や左側を蹴ったりで真っすぐに飛んだりボールに回転がかかって曲がって飛んだりすることをぼくは見つけていた。ただ真っすぐ蹴ってばかりじゃ面白くないから最後に遊んでみようと思った。

 ビミョーにボールのはじっこらへんを足の甲の片側でぽんっと蹴った。それまでの4球に比べてもっとも遅い球だ。さっきのエイブの蹴ったボールと同じように、球はゴールの上を飛び越えるような弾道で飛んでいった。ルーベルトはホンキでセーブするつもりだったらしいが、ボールがゴールを飛び越えると思ったのか構えていた両腕を下ろしてニヤッと笑った。

 だが、その直後。ボールは急に下に、やや左に曲がり始め、ゴールの上のバーの下らへんにゴン、とぶつかり、次いでルーベルトの後頭部にゴン、と当たり、ゴールの中にてんてん転がってネットで止まった。

 わあああああああっ!

 途端にまたまた、歓声が起こった。

 もう、取り巻きたちはカウントもしたくないようだったが、カンケーない。

 ぼくは隣で仁王立ちしてたエイブに右手を差し出した。

「楽しかった。またやろうよ」

 握手はムシされてしまったけど、それも、カンケーない。そして、ゴールの脇に置いたリュックを取り、そこでまだ唖然としているルーベルトに、

「ありがとうね」

 と声を掛けた。

 さて!

 ビッテンフェルト家に帰ってメリーに乗って「かっか」の家でタオのピアノを聞きながらスピーチのメモの手直しをしようかな、と思いながら校門に向かって歩き出したら、

「ミハイル!」

 ぼくは一個上の6年生に呼ばれた。彼はウチの小学校のサッカーチームのキャプテンだった。

「見てたよ! スゴイじゃないか」

 栗色の髪の目が灰色の人だった。

「あ、ありがとう・・・」

「キミ、来月の小学校対抗の試合、出てくれないかな。キミみたいなフォワード、欲しいよ。MFでも行けるよな。頼むよ。練習にも出てくれよ」

「でも、今スピーチの練習をしてて・・。それが終わったら、練習に出るよ」

「わかった。待ってるからな!」

 そう言ってキャプテンはコートに戻って行った。

 エイブが悔しそうにぼくを見ていたのが、ちょっと、気持ちよかった。

 

「かっか」の家からは例の「らふまにのふ」とかいう人が作曲した曲が流れていた。前に聴いた時よりも格段に上手くなっているのが音楽には疎いぼくにもわかるぐらいに。

「来たよ、タオ」

「やあ!」

 ピアノを弾きながら、タオは声を上げた。

 タオは気にしていた手が小さいことをコクフク? する方法を編み出していた。

「Verzierung ファツィーロングってんだけどね、装飾音符って言って一つの音の前や後に別のキーを叩くようにしたの。そしたら、手が小さくてもなんとかクリアできるし、こんな風に和音を強調できることに気が付いたんだ。どう?」

「スゴイね! 前よりスゴくキレイに聴こえるよ」

 タオのピアノを聞きながらメモに手を入れる。そうするとめっちゃはかどる。で、タオが一休みしてるときにメモを読んで聞いてもらう。

「前のよりずっといいと思うよ」

 タオは言ってくれた。

 エイブとのゲームのことは話題にもしなかった。

 タオの努力に比べれば恥ずかしいくらいのことだったし、ぼくの中ではもう、それはほんの些細な出来事に、校門の前に馬糞が落ちてた、くらいのごくありふれた、取るに足りないことになりはてていたからだ。

「6年生のキャプテンからね、来月の対抗試合に出てくれないかって言われたんだ」

 と話したら、

「やったね! スゴイじゃないか、ミーシャ!」

 タオはとても喜んでくれた。


 


 

 そんな日々が幾日かすぎ、いよいよぼくのスピーチの日がやって来た。
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