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一八六話

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SIDE 子ワーウルフ

 子ワーウルフの朝は早い。
 子ワーウルフ用に用意された大きな客間にて日の出とともに目覚めると、この子用にあつらえられた籠の寝床から這い出し、カーテンを潜り少しだけ開けられた窓を通り抜けバルコニーへと出る。
 そして、昇り始めた太陽へと向かい……

「アオォォォーーーー!! アオォォォーーーー!!」

 と、遠吠えをした。
 僅かな鳥の声しか聞こえないこの空に、自分の声しか響かないこの瞬間が、子ワーウルフはたまらなく気持ちが良く好きだった。
 多少、近所迷惑であるようにも思えるが、セリカの住んでいる屋敷は非常に広かった。
 子犬程の大きさしかない子ワーウルフの遠吠えでは、隣の屋敷まで届くようなこともないので、苦情の心配はないのである。

 散々吠え散らかし、スッキリしたところで部屋へと戻り、部屋の隅に備え付けられた箱の中に入り出す物を出すと、別の意味でまたスッキリする。
 子ワーウルフは足取りも軽く寝床へと一度戻る。
 集落にはなかった、この草も藁とも違うフカフカした新たな寝床もまた、子ワーウルフのお気に入りの一つだった。
 入念にタシタシと前足で寝床を叩いて自分好みに整えると、そこで丸くなり暫し待つ。
 そして少しすると、コツコツと遠くから聞き慣れた足音が聞こえて来るのを、子ワーウルフの耳が耳聡く捉えた。
 子ワーウルフは丸めていた体を起こし、扉へと体を向ける。
 と、コンコン、コンコン、とタイミングよく扉から音が聞こえて来た。
 子ワーウルフは待ってましたとばかりに、アオンっ、と一声鳴く。それを合図に扉が開き、一人の女性が姿を現した。
 セリカだ。
 ただ普段の様な冒険者然とした革鎧姿ではなく、薄地のレギンスにフリル付のシャツというラフな姿をしていた。
 髪もお団子シニョンではなく、自然のままに流している。
 おそらく、スグミのナメクジ程度の観察眼では、街中ですれ違っても絶対に気が付くことはないだろう程の違いだ。

「キミは今日も朝から元気だな」
「アオンっ!」

 セリカの言葉に子ワーウルフは立ち上がり、尻尾をこれでもかというほど左右に激しく振って応えて見せた。
 それだけで、その場が綺麗に掃除出来てしまいそうなほどだ。

 セリカは自然な流れで子ワーウルフへと近づくと、そのまま頭をひと撫でしてから子ワーウルフを抱き上げる。
 子ワーウルフも抵抗することなく、素直に抱き上げられる。
 これから何が起きるのかを知っているからだ。

 そのまま部屋を出て、更に屋敷も出て庭に出る。
 芝が均一に切り揃えられ、少し離れた所には花壇も見える広く美しい庭である。
 そこに、セリカは抱いていた子ワーウルフを足元へと降ろした。
 
「さて、今日も訓練を始めるとするか。セレス女史からは、日々の適度な運動が健康には大事だと言われているからな」
「アオンっ!」

 言葉を理解しているのかいないのか。子ワーウルフはセリカへと元気よく返事をする。
 そんな子ワーウルフの様子に満足そうにうなずいたセリカは、懐から水色をした丸い何を取り出した。

 ちまたで子ども達の遊び道具として、昔から人気のあるスライム玉である。
 セリカ自身、子どもの頃にこのスライム玉でよく遊んだ記憶がある。そして、このスライム玉は当時セリカが使っていた物のお古であった。

 余談だか、スライム玉のスライムとは、ぬるぬるでベトベトした不定形な魔獣として有名な、あのスライムのことである。
 実はスライムは、高温で加熱すると液状に溶け、それを冷やすとある程度の弾力を持った固形物になる、という特性があり、その特性を利用して昔から主に衝撃吸収材や接着剤として様々な用途に使われて来た素材であった。
 現代に例えるなら、シリコンやゴムの代用品として使われている、ということだ。

 そして時に、その特性を利用してこうした子どもの玩具としても利用されている。
 ふにふにとした触感をしており、ニギニギしているだけでもそれなりに楽しく、また地面などに叩きつければ程よく弾むことから、古今東西の子ども達から愛され親しまれている玩具なのだ。
 大きさも、特大、大、中、小、と様々だ。
 ちなみに、セリカが手にしているのは小である。

「では始めるかっ!」
「アオっ!」

 セリカがそう声を掛けると、子ワーウルフはセリカに背を向けが猛烈な勢いで走り出した
 そして、ある程度離れた所でピタリと止まると、クルリを向きを変えセリカへと顔を向け「アオっ!」とまたひと鳴きする。
 これは子ワーウルフの「準備オッケー!」の合図であった。
 その合図を確認したところで、セリカは一つ頷く。

 「では行くぞっ!」

 セリカはそう声を張り上げると、手にしていたスライム玉を大きく振りかぶり、結構な高速で子ワーウルフへと目掛けて投げつけたのだった。
 キャッチボール、というには少々早い球速で投げつけられたスライム玉は、見る見る子ワーウルフへと近づいて行く。
 コースは真っ直ぐ。このままでは子ワーウルフへ直撃してしまう。
 そう思った瞬間……

 はぐっ!

 子ワーウルフは鋭く飛び上がると、飛んでくるスライム玉を空中で咥えキャッチしたのだった。
 そのまま、したっ、と華麗に着地を決めると、とっとっとっ、と軽い足取りでセリカの足元まで戻って来ると、ぺっと咥えていたスライム玉を吐き出した。

「ウゥ~、がうっ!」

 そして、何か不満そうに唸って吠える。

「何だ? 遅いとでも言いたいのか?」
「アオっ!」
「まずは準備運動からだ。これから少しずつ早くしてやるから安心しろ」
「オウっ!」

 「んじゃ、そんな感じて~」とでも言っているのか、子ワーウルフはまた所定の位置へと戻っていた。
 セリカは子ワーウルフが持ち帰ったスライム玉を拾い上げると、また子ワーウルフへと向かって投げつける。
 宣言通り、先ほどよりやや球速が上がっていた。
 しかし、それも子ワーウルフは難なく空中で咥えてキャッチして見せた。
 次も、その次も……

 次第に、常人では目で追うのがやっとという速度に達していたが、子ワーウルフは生来持ち合わせているその優れた動体視力によって、獲物を逃すことなく捕らえ続けた。
 コースも子ワーウルフへの直線から、やや外れたコースであったり、山なりであったり、時には大きく逸れたりもした。
 球種も、逆に急激に遅くなったり、飛んでくる途中で軌道が変わったりと変化球も織り交ぜられていたが、しかしそのことごくを子ワーウルフは捉えて見せた。
 是非ともセンター辺りに置いておきたい選手である。返球出来ないのが致命的ではあるが……

 そんな感じで、徐々に難易度が上がって行く中、子ワーウルフのテンションもまた上がって来ていた。
 それは激しく左右に揺れる尻尾からも見て取れた。
 その姿は然も「バッチコーイっ!」とでも言っている様である。
 
 そうして何度も、スライム玉がセリカと子ワーウルフの間を往復した頃。

「セリカお嬢様。そろそろ朝食の時間にございます」

 と、屋敷に務めている侍女の一人がセリカを呼びに庭へとやって来たのだった。
 
「もうそんな時間か……今日はここまでの様だな。では食事にしようか」
「あうっ!」

 食事の気配を察して戻って来た子ワーウルフを抱え上げ、セリカは庭を後にする。
 セリカはその足で食堂へ……は向かわなかった。
 セリカが足を運んだのは浴場だった。
 軽く運動して汗ばんでしまったので、身綺麗にする為だ。早朝鍛錬の後の湯浴みは彼女の日課だった。
 勿論、今回は子ワーウルフも一緒である。何たる役得か。

 今は暖かい時期であるため、お湯ではなく汲み置きされている水でさっと汗を流すセリカ。
 だが、子ワーウルフの方はそう簡単には行かない。

「こらっ! 少しは大人しくしないかっ!」

 子ワーウルフにとってはただの水遊び。はしゃぎ暴れる子ワーウルフに悪戦苦闘しながら、子ワーウルフの体を水で洗い流し、綺麗にする。
 やっとの思いで子ワーウルフを洗い上げ、乾いた布で体を拭いて水気を取り除く。
 確り乾かす必要はない。このまま放っておけば自然と乾くのだから。
 寒い時期ならそうもいかないが、今時分の気候を考えれば気にすることもない。
 セリカ自身も着替え終わったところで、二人は揃って食堂を目指す。

 食堂に着くと、白いテーブルクロスで飾られた大きなテーブルの上に焼きあがったばかりのパンに目玉焼きとベーコン、そして僅かな生野菜とスープが乗っていた。
 それがセリカの朝食だった。やや小食に見えるが、セリカは朝はがっつり食べない派なのである。
 一番確り食べるのは昼食か夕食のどちらかにしていた。
 昼が多めなら夜は少なく、夜を多く食べるなら昼は少なく、とそんな感じだ。
 これは別にダイエットをしているからというわけではなく、過食は体型の維持にも健康にもよろしくない、という騎士団の規律を律儀に守っているが故である。 

 そして、床の上に白い布を引き、その上に置かれた皿が一つ。
 こちらは、子ワーウルフ用に用意された皿である。
 セリカの食事とは一転。こちらは、ソーセージにベーコン、野菜やイモなどの穀物がぶつ切りにされたものが、これでもかも盛られていた。
 子ワーウルフは朝からがっつり食べる派であった。というか、子ワーウルフは毎食がっつり食べる。
 食べられる時に食べられるだけ食べる、というのが子ワーウルフ……というか、銀狼族の本能として体に刻み込まれているのだ。

「がうっ!! がうがうっがうっ!!」
「こらっ! 落ち着けっ! あっ!?」

 それを見た子ワーウルフの興奮は激しく、押さえようとするセリカの腕を蹴りとばし、子ワーウルフは食事へとまっしぐらに走って行ってしまったのだった。

「がふっ! がふがふがふがふがふがふ……」

 食前の祈りもクソもなく、ただただ貪るように食い散らかす子ワーウルフ。
 そこだけを見ていれば、もうただの犬だった。

「……ウマイ、マジデウマイ、ウマイマイマイマイ」

 で、唸りながら食事をする子ワーウルフの声が、時折まだ話せないはずの人の言葉に聞こえてくるのだから面白い物である。

「まったくこの子は、食べ物に目が無いのだから……」

 その様子を呆れるやら微笑ましいやら、複雑な感情で眺めていたセリカが、自分も食卓の席に着くと、用意された朝食を食べ始めた。
 広い食堂に、今はセリカ一人であった。
 二人の母親の食事はもう少し後で、父は何かの会議だと早朝から屋敷を出ていた。
 セリカも、食事が終わったら王城へと出勤である。

 差して量がある食事でもないため、さくっと食べ終わったセリカは、以降の子ワーウルフの世話を侍女へと託し、身支度を整えて屋敷を後にした。
 食事に満足したのか、床にヘソ天で転がる子ワーウルフ。
 その傍らには、あれだけ山盛りにされていた食事が見事にカラになった皿が転がっていた。
 
 セリカの出勤後、お世話を引き継いだ侍女が、床に転がる子ワーウルフを拾い上げ、この子の部屋へと連れてく。
 腹が満ちれば眠くなるのは生物の性だ。
 子ワーウルフはお気に入りの寝床に入れられると、そのまま二度寝を決め込むのだった。
 
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