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ルシファー事変

死闘に次ぐ戦い

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「かぁっ……うぁ……」




 叩きつけられた衝撃でライフルが手から落ちる。
 体が力むに連れ血の巡りも良くなり、そのせいで出血も酷くなる。視界は徐々に明滅し意識が途切れそうなのを堪えながら、必死で苦しい息を吸う。
 背中で押された木もミシミシと音を立て、亀裂が奔り始める。獣は待ち切れんばかりに口を激しく動かしアリシアを喰らおうとする。
 不思議な事に涎などは垂れておらず、パサパサした黒い塵のようなモノが体から剥がれ舞う。

 まるで潤いの足りない粘土がひび割れているようだ。
 獲物も目の前にいる獲物に興奮が隠せないのか、獣は更に力を込めてアリシアを押し込む。
 体が更に押し潰され、息が余計に苦しく、肺でまともに呼吸が出来ない。
 出血も酷くなり、意識が朦朧として来た。
 向こうも何故か必死に生を繋ごうとしていると薄れる意識の中で感じながら、アリシアの意識が今にも途絶え、走馬灯を見た。
 微かな走馬灯だった。何故、それを見たのか、今でも分からない。
 強いて言うなら生き残るために必要な選択を本能が選んだと説明するしかない。
 それは断片的なこの場を生き残るための言葉だった。

  杜山が言った。
 
  相手の力を利用することが武術だ。

  あのお爺さんが言った。

  わたしはいつでもそばいる。

  ある人が言った。

  やれば、できる。




(死にたくない。わたしはまだ、やらないといけない事がある!この願いは決して不可能なものじゃない!やれば!できる!!)




 その瞬間、閉じかけた彼女の意識が僅かな間だが、再び芽生えた。
 僅かな間だが、彼女のいつも以上に高鳴り、その瞬間に願いを果たす為に死力を尽くす。
 虚ろなで瞳の色が消えかけた目をこじ開け、敵を見つめる。
 背中と木を密着させ、敵の突進する勢いを使い木に背中を反らせて滑り込むように獣の頭の下に潜り込む。
 そこで獣の首筋に両足を回しホールドした状態で上体を起こし、腰から取り出した刃渡り30cm近いナイフを獣の頭めがけ突き立てる。

 表皮の硬い獣にナイフなど歯が立たない。そんな理屈など考える余裕すらなかった。
 ただ、「生きたい」と言う気持ちと勢いが、遮二無二にナイフを何度も何度も何度も獣の頭に差し込む。
 獣が暴れてアリシアを振り解こうとしても、常に命懸けで肉体の限界まで鍛えてきた脚は疲弊した体とは感じさせない程に力強く両足で首筋を固定している。
 鍛え抜かれた腕は何度も震えながら、炉で熱した鉄板を何度も何度も打ち付け、強くしたように自分の体に鞭を打ち何度も鍛え上げた事で並みの事では「腕が上がらない」と弱音を吐けないまでに強くなっていた。

 彼女はただただ、「生きたい」と言う想いをナイフの一撃一撃に込める。ナイフと皮膚がぶつかるたびに火花を散らす。
 その時、浮かぶのは故郷に残した家族の事だ。自分が戦って生き残らねば母が悲しみ……父が死ぬ。




(死んで……死んでなるものか!必ず生き残る!わたしは!負けない!)

「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」



 天を揺らすほどの雄叫びと共にナイフにより力が篭る。
 アリシアは気づいていなかったが既に敵の皮膚には亀裂が奔っていた。
 黒い筋が今にも崩れそうで獣を危機感を抱いてか、更に激しく暴れ出す。だが、彼女は止まらない。



「生きて……生きて帰るんだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」



 放たれた一撃が何か別の手応えを得た。ナイフは深々と頭に刺さっていたのだ。
 それと共に獣の断末魔が周辺の空気を揺らす。
 悶えるようにその場で暴れ回り、その勢いでアリシアは振り落とされた。受け身を取り上手く着地した。
 獣は体をウネウネさせながら、その場をのた打ち回り、体の形もあり得ない方向に曲がっていく。
 すると、徐々に体が黒い霞となり霧散していく。
 最後に獣は盛大な叫び声を挙げ、その身は消滅した。
 辺りは、先ほどまでの目紛しい戦闘音が消え、静寂と草木を揺らす風の音しか聞こえなくなった。



「勝った……」



 アリシアは敵の消滅を確認すると事切れたようにその場で意識を失った。
 最後に誰かの足音を聞いた気がするが、もう確認する気力すら失せていた。




 ◇◇◇




 次に目を覚ますと空を見上げていた。
 蒼穹の如く澄み渡る空がよく見え、太陽光が目に差し込め、思わず目を覆う。
 太陽の上がり方からして、もう昼時だ。
 アレから数時間は眠っていたと思われる。

 首を横に向けて辺りを見渡すと目の前には金属で出来た塔があった。
 もう何十年も立っているのだろう。
 かなり錆びついて、足場の鉄骨の一部が錆びて無くなりかけている。
 今にも崩れそうな鉄塔で高さは大体7m前後だろう。
 何故、この場にあるのか分からない。
 だが、どこか懐かしさを覚える雰囲気と魅力があった。
 思わず近づいて見ようと体を起こし向かうとした。
 だが、思わず胸部辺りの痛みに声を漏らす。
 丁度、塔の側にいた誰かと目があった。



「あぁ……目が覚めたのか?」



 そこには男性が立っていた。体つきのがっしりしたアリシアよりも大きな男性。
 白い無精髭が生えたどこか暖かな目をしているが巌のような力強さを体と目から感じる。
 外見は60代前後だと介護士経験から大体予測した。
 だが、よく見ると見覚えるある顔だった。



「あなたは……」



 正体には気づいていたが、答えを言い切る前に男の方が答えた。



「わたしか?わたしはカエスト マーカスだ」



(やっぱり、この人が……)



 どうやら、目的の人物とは会えたようだ。
 無事だった事に心なしか安堵した。
 もう誰にも会えない事を覚悟していたから、こうして誰かと会うと生きていると実感できる。
 アリシアはこのままの姿勢では無礼と思い、立ち上がろうとした。
 だが、体の痛みに押されて右脇腹を抱える。
 触れてみて分かったがしっかり止血され、止血パットが脇腹に貼られている。
 恐らく、カエスト少将が手当てをしてくれたのだろう。



「無理に起き上がらなくて良い。安静にしていなさい」



 カエストはアリシアの事を諭し、横にあるように手で促す。
 アリシアも一応、上官に当たる人間の言葉を無下には出来ず、そのまま仰向けの姿勢に戻った。
 地面に背中を当たると僅かに濡れた地面がヒンヤリと心地よく今の彼女を再び眠りに誘いそうだったが、少将の前でそんな非礼は出来ないと心を鬼にしてカエストに目を合わせる。



「このような見苦しい醜態を晒してしまいすいません」

「何を言う。誰も見苦しいなどとは思っていない。寧ろ、よくやった。あの獣のせいで脱出もままならなかったのだ。君には感謝しかないよ」



 カエストは本当に感謝しかないようで慇懃な態度で頭を深々と下げる。
 彼にとって、「もう死ぬ」と思っていた状況を一変させてくれたこの少女には恩義を感じずにはいられなかった。
 これでもまた孫の顔を拝む事も出来るかも知れない。
 そう思うと自分の心の中に希望の光が沸く。
 彼女は絶望の中に差し込めた光なのだ。



「話は君の上官から聞かせてもらった。敵地への単身での潜入、大義である。よくぞ、ここまで来た」

「いえ、まだ任務は終わっていません。まだ、大義と言うには程遠いですね。すいません。私が未熟なせいで……脚を引っ張ってしまいました」



 彼女は諫言とも取れる言動の後に申し訳なさそうに目を瞑る。
 自分が怪我をしていなければ、今頃ここから脱出していた。
 自分が彼を守る立場なのに、こうして守られている事に不甲斐なさと負い目を感じていた。
 自分の体に鞭を打ち付けても任務を完遂したくて……戦える気力があるのに体が思うように動かず、歯痒くて仕方がない。



「少尉。気持ちは分かるが焦ってはいけない。耐え忍びながら体を休めるのも立派な仕事だ。それに万が一、少尉に何かあれば私の脱出にも差し支える。だから、気にするな。1人より2人の方が断然良いからな」



 カエストはアリシアの機敏な感情を読み取り、柔らかな物腰で諭すように語りかける。
 その目はどこか温もりがあり、アリシアの心にその言葉がフッと落ちる。
 こんな時に不謹慎だが、自分に祖父がいたらこんな感じなのかな?と夢想してしまった。
 難民第2世だっただけにアリシアには祖父や祖母と言う者に実感が沸かなかった。
 介護で御老人と接していたが仕事だったのもあり、深く関わる事も無かった。
 況して、自分の抱えている不安を悟り、庇われた御老人はカエストが初めてだった。
 そのせいか、彼の言葉には感慨深いモノがあり、心に染み渡るようだった。
 ちなみにアリシアはモーメント社所属の少尉待遇で扱われている。




「幸い、あの企業も今は迂闊に手が出せないからな」

「何故です?」

「あの獣だよ。あの敵は我が救出部隊と鉢合わせた企業の私兵諸共食い殺してな。パワードスーツやヘリ、T1系列のAP諸共破壊したのだ。企業も鉱山の封鎖でほとんど余力がない中で私に報復してきた。あの件でもう追撃する余裕すらないだろう。仮にあるとしても獣の対策に追われているだろうさ。彼此3日は獣以外の敵は見ていない。だから、大丈夫なはずだ」



 だが、その時アリシアの眉が微かに動いた。
 まるで小動物が危険を察知したような仕草にカエストは見えた。
 アリシアはその言葉に瞳を閉じ、何か困り果てたように考え込んでいた。
 カエストは「何か気に触る事を言ったか?」と内心思った。
 彼女を安心させようと言ったつもりだったが、彼女が何を困っているのか分からなかったからだ。
 アリシアは決心をつけたようで目を開き、カエストを見つめる。
 その瞳はさっきとは違い一段と鋭さを増していた。思わず、その瞳に息を呑む。



「閣下。諫言してもよろしいですか?」



 少しドスの入った堂々とした声色にカエストは「何だ?」と聞き返した。



「西600m先から高速で接近する車両があります」



 その言葉に周囲の空気が一気に張り詰める。
 その声を聞いた吉火も急いで半径600mを確認した。
 だが、レーダーにもカメラにも何も映っていない。
 一瞬、アリシアの勘違いとも思ったが、ある1つの可能性が頭に過った。
 低烈度紛争……だからこそ、使われる輸送車がある。
 その車両は光学迷彩にステルス機能を併せた輸送車だ。
 AP登場により光学迷彩が役に立たなくなり、現代戦ではほとんど活躍の場を奪われた兵器が確かにある。
 吉火はすぐさまアリシアは発した西側にカメラを向け、痕跡を探す。
 すると、保護区の大地に目には見えないが、土煙を立てながら移動する何があった。
 速度からしてもうすぐアリシア達がいるところに到達する。



「高速移動体接近!速く逃げるんだ!」



 人間の足で輸送車両に勝てるはずがない無意味だと分かっていながら思わず、吉火の「生き延びてほしい」と言う気持ちが言葉として現れる。
 しかも、輸送車両の大きさから10人程度の兵士が乗っていると推測された。
 数的な優位性から考えても勝ち目はない。

 カエストは後悔した。自分が油断せずに無理にでも彼女を連れて離れていれば、結果は変わったかもしれない。
 自分だけならまだよかった。だが、自分の判断でまだ年端もいかない少女を殺してしまった事に後悔と自責に駆られる。
 もし、自分の命を度外視してでも少女を追い返していれば……と悔やんで悔やみきれない。
 
 彼は呆然と立ち尽くし”終わった”と悟った。
 自分の経験則から言って勝てる見込みも退路も断たれている。
 雑木林も獣との戦いで大半が根こそぎ破壊され、隠れる余地すら見出せない。
 ほぼ、真っ向から勝負するしかない状況だ。
 あとは蹂躙されるだけだ。彼の中で彼にあるのは手持ちのハンドガンだけだ。
 勝てる見込みが無さ過ぎる。

 諦め、虚ろな目になった彼の前に、勢いよく立ち上がる影が見えた。
 彼はその影を一瞥する。
 そこにはライフルに弾倉を込め、装填する少女の姿だった。
 彼女の顔を横目に見た彼の背筋が思わず、ゾッと奔り総毛立つ。

 その目は炯々な眼差しですぐ目の前にいるであろう眼前の敵を見つめる。
 彼は思わず、息を呑んだ。
 実戦経験を積んでここまで出世した彼からしてもその目は印象的で力強い。
 彼女は生きる事を決して諦めない強い意志が感じられた。吉火から新兵とは聞いていたが、顔つきはもはや新兵らしからぬ精強で強靭さを伺わせる戦士の顔になっていた。
 あの獣と戦った事で更に強くなったのかも知れない。



「閣下。ここでお待ち下さい。始末してきます」



 彼女は何の動揺も躊躇いもない眼差しと頃色で一歩ずつ死地に向かう。カエストは止めようとした。
 だが、彼女の醸し出す覇気に気圧され、それを憚らせた。
 それにこのままではどうせ死ぬ……絶望した自分より戦う希望を持った彼女の気勢を削ぐのは無駄だと分かった。
 彼はそんなアリシアの意志に敬意を払って諦めかけた心を捨て、最後まで諦めないと誓い、ハンドガンをスライドさせ、弾を装填する。雑木林の前で部隊展開された。数は12人分隊規模だ。



 ◇◇◇



「ターゲットはこの中だ。目撃情報のあった獣に注意して進むぞ」



 分隊長の注意喚起に部下達は「了解」と答えた。
 隊員達は獣の脅威も恐れて全体に広がるように雑木林に迫る。
 固まっていると獣に一気に食い殺されると恐れたからだ。
 雑木林に入るとまるで木が伐採されたような激しい戦いの痕跡と無数の死体が転がっていた。
 その中には敵と味方の兵士の死体も混じっており「ひどいな」などと呟く者も現れた。
 実践慣れした彼らでもここまで異様な死体を見た事はなかった。
 まるで魑魅魍魎の巣窟にでも入り込んだような緊迫感が彼らの心を締め付ける。

 だが、お陰で林とは言え先方の視界が確保されており、敵がゲリラ的に襲ってくる心配はない。
 敵の兵士の死体もあった事から恐らく、ターゲットは孤立無縁だ。
 しかも、例の獣も今のところ現れない。上手くいく要素しかなかった。
 これでまた、化け物が出れば話は別だが……そのように分隊長は考察する。



「隊長。目の前に目標を確認しました」



 その連絡を受けたと同時に隊長も目視でターゲット カエスト マーカスを捉えた。
 カエストはまだ、反撃の意志を示すようにハンドガンを構え、威勢を見せている。潔く殺される気はないらしい。



「殊勝だな。だが、我々がそれに付き合う義理はない。全員構え!」



 隊長は最後まで諦めないその闘争心に敬意を払うが、仕事である以上、わざわざ敵の戦闘距離に合わせたりしない。
 ライフルとハンドガンでは射程が違う。
 この距離ならハンドガンはほとんど当たらない。
 使い手で異常に狙いが良いなら話は別だが、カエストの戦闘能力からして異常と呼べるレベルではないとデータから分かっている。



「よし!全員発……」


 
 隊長は発射を合図しようとした。構えたライフルの引き金に指がかかり、後コンマ数秒で全てに決着が着くと誰もが思った。
 周知として獣は出ず、楽な仕事で終わると彼らは油断していた。
 その時、引き金を引くよりも早く誰かが引き金を引いた音がした。
 だが、その時は誰も気にしなかった。
 この中には新兵もいる気が焦って引き金を引いたと思い、隊長はもう一度「発射」指示しようとした。
 その時、その新兵の悲鳴が聞こえた。



「た、隊長!先輩が先輩が!」



 新兵の慌てぷりから何かが起きたと察した。
 先輩とは新兵のサポートに回らせた先任兵士だ。
 新兵が錯乱しないように先導する役割を与えていた。



「的確に伝えろ。あいつがどうした?」

「女に……頭を……切られ……」



 彼の脳裏には今のその戦慄が焼き付いていた。
 カエストに狙いを定めていた2人の前に青白いダイレクトスーツの上に防弾チョッキを着た女がライフルを持って、いきなり目の前に現れた。
 先輩はハンドガンに持ち換え、咄嗟に反撃しようと発砲した。

 弾丸は女に当たったと思われた。
 だが、女の影はまるで残像を見たように消え、気づいた時には先輩の首は接近していた女のナイフで宙に舞っていた。
 その女の目はまるで手負いの獣のように鋭く彼に畏怖を印象づける。
 新兵はまともに状況を説明できないほど恐怖した。

 
 
(言動からして……女が接近戦で首を切ったのか?どう言う事だ?カエストには援軍がいるのか?)

 
 
 隊長は新兵の言動からそのように結論づけた。
 だが、見晴らしいの良いこの場所でゲリラ戦ならまだしもナイフで接近戦を挑むなど尋常ではない技量を感じされる。



「隊長!ライフルを持った女が接近!これより応戦する!」



 別の隊員が隊長に知らせる。離れた場所から銃声が木霊する。
 だが、僅か数秒でそれも鳴り止んだ。
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