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Encore*玉手箱はお受けいたしかねま…す?
玉手箱はお受けいたしかねま…す?[1]ー①
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三月も今日で終わり、というその日。わたしは仕事上がりに、一軒の店に立ち寄った。
年季の入ったガラス戸は、相変わらず“昭和”の香りが漂っていて、千客万来とばかりに温かく迎え入れてくれるが、開けるのにはちょっとしたコツがいる。
一瞬グッと手に力を入れて戸を引くと、ガラガラと大きな音を立てながら横に動き、暖簾をくぐるそばから「らっしゃいませっ!」と威勢の良い声が飛んできた。
「こんばんは、大将。ご無沙汰してます」
「おっ、静ちゃん!いらっしゃい」
小さな店は相変わらず常連で盛況。カウンターの奥と小上がり席は既に埋まっている。
カウンター一番手前に腰を下ろしたわたしは、お品書きを見ることなく口を開いた。
「大将、いつものお願いします」
「あいよ! 生、いっちょっ!」
「それと串カツは……豚バラ、うずら、玉ねぎ、れんこん、アスパラ……あと、ぎんなんは絶対!」
「あいよっ!」
大将の威勢の良い返事を聞くのもずいぶん久しぶり。最後にここに来たのは、一月半ば――そう、アキと出会った時だった。
何の因果か彼の『ビール克服』に協力することになり、晩酌はもっぱら我が家ですることに。
苦手なものをわざわざお店で頼んで、嫌々呑むのはどうだろう。わたしなら遠慮したい。
そう考えたのもあるけれど、本当のところはその“協力方法”のせい。
『静さんのビールなら飲める』
そんな意味不明なことを言い出した彼に、なんだかんだと丸め込まれる形で、“口移し”でビールを飲ませることになった。そんなこと、家以外で出来るわけないじゃない?
そんなわけで、アキと出会った後に【串富】に来るのは初めて。実に二か月半ぶりなのだ。
(アキが帰ってくるのは明日かぁ……)
ビールが運ばれてくるまでの間に、スマホをチェックする。ついさっき職場を出る前に送ったメッセージは未読のまま。
(きっと忙しいんだろうなぁ、アキ)
社内での正式発表にはまだ至っていないが、水面下では新会社設立に向けて着々と進んでいるようで、その中心となっているCMOはすいぶんとお忙しそうなのである。
先月末の本社プレゼン大会のあと、彼も関西に戻ってきてはいるが、以前にも増して出張が多く、この一週間は再び東京本社に戻っていた。
出張や本社《あっち》へ行くことが多い彼とは、会えない時はまったく会えない。
彼が電話やメッセージをマメにくれるから、変に不安になったりはしないのだけれど。
(ま、こっちもけっこう忙しくしているしね……)
明日から新年度なのだからそれも致し方ない。特に寒さが和らいできたこの時期は、春休みとも相まって、アテンド業務も忙しくなってくる。
彼も忙しいがこっちも忙しい。社畜上等。労働は尊い。
(でも近頃は、森ちゃんがずいぶん頑張ってくれるようになったから、ちょっとはマシになったかも……)
本社コンペ大会のあと、森に『本社にね、すごく綺麗で仕事が出来そうな素敵な女性が居たのよ』と報告した。
わたしなんかよりもああいう人を目指した方がいいんじゃない?――そう続けようとしたら、森は『東京の女になんか負けてられへんわぁっ!』とよく分からない闘志を燃え上がらせた。
そう言えば、あれから何かと慌ただしくて、森からまだ彼女の想い人の話を聞いていない。
だけどきっと、わたしの勘が正しければ――。
「はいよっ!生、お待っとさんっ!」
ぼうっとしていたところに、目の前にトンっと音を立ててあるものが置かれた。それは、琥珀色の液体で満たされたジョッキ。真ん中には、【丸に麻の葉】が描かれている。
良く冷えたジョッキには、完璧な比率の琥珀色と白い泡。さすが大将。
森のことなど考えている暇はない。一刻も早くビールを飲まねば!
わたしは急いでおしぼりで手を拭き、ジョッキを勢いよく呷った。
「くっ~~っ、うんまっ! やっぱサイコーっ!」
「おぉ~、相変わらずええ飲みっぷりやな、静ちゃんは」
「えへへ……だってほんとに美味しいんですもん、生トーマラガー」
中身が三分の一ほど減ったジョッキを、カウンタ―の上に戻す。
使い込まれたカウンターは、揚げ物が売りのお店特有の艶々とした光沢があり、くっきりとした杢目が何とも言えない味わいを醸し出している。
「静ちゃんはほんまに好きなんやなぁ、トーマラガーが」
「え、ええ……それはもちろん……」
いつもならすぐに「もちろんっ!」と答えるはずのところなのに、しどろもどろに返してしまったのは、少し前にやらかした案件が頭をよぎったせい。
あれから何度も自分がやったCEOへの盛大な告白を思い返しては、その度に羞恥にのたうち回りそうになった。
いまだにお尻の下がむず痒いような気持ちになるが、ここでは叫ぶことものたうつことも出来ない。なんとか落ち着こうとビールに口をつけた時、大将が言った。
「静ちゃんのトーマ愛は本物やな。こりゃいつか絶対トーマの社長に『ごっつ旨いビールをおおきに』言わなあかんなぁ」
「……ゔぐっ、」
ビールが気管に入った。
「ごほごほっ」と咽込むと、大将が「おいおい、大丈夫かいな……」と心配そうに言う。わたしはそれに手ぶりだけで「大丈夫」と返してから呼吸を整えた。
それ……わたし言いましたわ。Tohmaのトップに“愛”、伝えられました。
――なんて、口に出せるはずもない。
おしぼりで口元を拭きながら、わたしはうつむき気味で小さくなった。
年季の入ったガラス戸は、相変わらず“昭和”の香りが漂っていて、千客万来とばかりに温かく迎え入れてくれるが、開けるのにはちょっとしたコツがいる。
一瞬グッと手に力を入れて戸を引くと、ガラガラと大きな音を立てながら横に動き、暖簾をくぐるそばから「らっしゃいませっ!」と威勢の良い声が飛んできた。
「こんばんは、大将。ご無沙汰してます」
「おっ、静ちゃん!いらっしゃい」
小さな店は相変わらず常連で盛況。カウンターの奥と小上がり席は既に埋まっている。
カウンター一番手前に腰を下ろしたわたしは、お品書きを見ることなく口を開いた。
「大将、いつものお願いします」
「あいよ! 生、いっちょっ!」
「それと串カツは……豚バラ、うずら、玉ねぎ、れんこん、アスパラ……あと、ぎんなんは絶対!」
「あいよっ!」
大将の威勢の良い返事を聞くのもずいぶん久しぶり。最後にここに来たのは、一月半ば――そう、アキと出会った時だった。
何の因果か彼の『ビール克服』に協力することになり、晩酌はもっぱら我が家ですることに。
苦手なものをわざわざお店で頼んで、嫌々呑むのはどうだろう。わたしなら遠慮したい。
そう考えたのもあるけれど、本当のところはその“協力方法”のせい。
『静さんのビールなら飲める』
そんな意味不明なことを言い出した彼に、なんだかんだと丸め込まれる形で、“口移し”でビールを飲ませることになった。そんなこと、家以外で出来るわけないじゃない?
そんなわけで、アキと出会った後に【串富】に来るのは初めて。実に二か月半ぶりなのだ。
(アキが帰ってくるのは明日かぁ……)
ビールが運ばれてくるまでの間に、スマホをチェックする。ついさっき職場を出る前に送ったメッセージは未読のまま。
(きっと忙しいんだろうなぁ、アキ)
社内での正式発表にはまだ至っていないが、水面下では新会社設立に向けて着々と進んでいるようで、その中心となっているCMOはすいぶんとお忙しそうなのである。
先月末の本社プレゼン大会のあと、彼も関西に戻ってきてはいるが、以前にも増して出張が多く、この一週間は再び東京本社に戻っていた。
出張や本社《あっち》へ行くことが多い彼とは、会えない時はまったく会えない。
彼が電話やメッセージをマメにくれるから、変に不安になったりはしないのだけれど。
(ま、こっちもけっこう忙しくしているしね……)
明日から新年度なのだからそれも致し方ない。特に寒さが和らいできたこの時期は、春休みとも相まって、アテンド業務も忙しくなってくる。
彼も忙しいがこっちも忙しい。社畜上等。労働は尊い。
(でも近頃は、森ちゃんがずいぶん頑張ってくれるようになったから、ちょっとはマシになったかも……)
本社コンペ大会のあと、森に『本社にね、すごく綺麗で仕事が出来そうな素敵な女性が居たのよ』と報告した。
わたしなんかよりもああいう人を目指した方がいいんじゃない?――そう続けようとしたら、森は『東京の女になんか負けてられへんわぁっ!』とよく分からない闘志を燃え上がらせた。
そう言えば、あれから何かと慌ただしくて、森からまだ彼女の想い人の話を聞いていない。
だけどきっと、わたしの勘が正しければ――。
「はいよっ!生、お待っとさんっ!」
ぼうっとしていたところに、目の前にトンっと音を立ててあるものが置かれた。それは、琥珀色の液体で満たされたジョッキ。真ん中には、【丸に麻の葉】が描かれている。
良く冷えたジョッキには、完璧な比率の琥珀色と白い泡。さすが大将。
森のことなど考えている暇はない。一刻も早くビールを飲まねば!
わたしは急いでおしぼりで手を拭き、ジョッキを勢いよく呷った。
「くっ~~っ、うんまっ! やっぱサイコーっ!」
「おぉ~、相変わらずええ飲みっぷりやな、静ちゃんは」
「えへへ……だってほんとに美味しいんですもん、生トーマラガー」
中身が三分の一ほど減ったジョッキを、カウンタ―の上に戻す。
使い込まれたカウンターは、揚げ物が売りのお店特有の艶々とした光沢があり、くっきりとした杢目が何とも言えない味わいを醸し出している。
「静ちゃんはほんまに好きなんやなぁ、トーマラガーが」
「え、ええ……それはもちろん……」
いつもならすぐに「もちろんっ!」と答えるはずのところなのに、しどろもどろに返してしまったのは、少し前にやらかした案件が頭をよぎったせい。
あれから何度も自分がやったCEOへの盛大な告白を思い返しては、その度に羞恥にのたうち回りそうになった。
いまだにお尻の下がむず痒いような気持ちになるが、ここでは叫ぶことものたうつことも出来ない。なんとか落ち着こうとビールに口をつけた時、大将が言った。
「静ちゃんのトーマ愛は本物やな。こりゃいつか絶対トーマの社長に『ごっつ旨いビールをおおきに』言わなあかんなぁ」
「……ゔぐっ、」
ビールが気管に入った。
「ごほごほっ」と咽込むと、大将が「おいおい、大丈夫かいな……」と心配そうに言う。わたしはそれに手ぶりだけで「大丈夫」と返してから呼吸を整えた。
それ……わたし言いましたわ。Tohmaのトップに“愛”、伝えられました。
――なんて、口に出せるはずもない。
おしぼりで口元を拭きながら、わたしはうつむき気味で小さくなった。
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