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第三章
36. 連絡
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酔いつぶれた霧島をベッドに押し込むといつものことと言わんばかりに山口はキッチンに立った。戸棚から手のひらサイズの洗浄ロボを取り出すと手にスポンジを持たせて放つ。洗浄ロボはぷかっと宙に浮くと背中の羽で飛び回りながら食器を洗浄した。その様子を眺めていた山口が言いにくそうに口を開いた。
「ユーリさんて樹くんの知り合いなんだよね。どういう知り合い?」
「あー……っと、聞きこみの途中で休憩に寄った公園で会ったんですけど、知り合いというかなんというか」
知り合いと言うには距離が近すぎる。友達とは違う。何か言葉を選べと言われたら同じ色を持つ同士というのが近い気がした。
山口の目が樹の中にある声になっていない言葉を探ろうとして、ふと視線を逸らした。
「単刀直入に聞く。彼ってDだよね?」
樹の視線がハッと霧島の方を見たことに気がついた山口が「茜ちゃんはあの状態で寝たら起きないから大丈夫よ」と付け足した。
「あ……」
「その反応が答えそのもの、ね」
「俺の口からは言えません。すみません」
山口はそう、と答えた後何かを考えるかのように黙った。洗浄ロボが洗いを終え蛇口から水が流れる。水の音というものは人を引き付ける力があるのか二人はしばし水を眺めた。
「……ここだけの話、私はDに共感できる部分もあるのよ」
「え?」
「意外? だってDが殺しているのは全員が犯罪者でしょ。10年もこの仕事をしているとね、犯人を殺してしまいたいと思う瞬間が少なくとも一度はあるもの」
もしかしたらユーリを見逃してくれるのではないか、樹の淡い期待を山口は「だからと言って殺人は許されない」と言う言葉で打ち消した。
「私にできるのは彼が自首するのを少しの間待つことだけ。いい? 樹君。君は警察官なの。彼がDであることを知りながら何もしなければ当然君も罪を追うことになるし、この職を追われることにもなる」
山口と別れて戻った自室で樹は大きく息を吐き出した。ユーリがDだとバレた緊張感でその場を乗り切るのに精いっぱいだったのだ。自分の部屋に戻ってきてようやく息が出来た気がした。
「ユーリに自首を勧めろってことだよな」
出来るだろうか自分に、樹は自身に問いかけた。言うことは出来る。でももっとその奥、根本のところが樹をざわつかせた。
ユーリがどうして人を殺すようになったのか、どうして今も人を殺し続けているのか。
ユーリに自覚があるかは分からないが、救いを求める手をつかむのはかつてのユーリが家族を助けてくれる手を望んでいたからだ。誰かを助けることでユーリはあの頃の自分を助けようとしているのだ。そんなことをしても過去は変えられないと知っているのに。
誰かの為に人を殺して、殺した人や家族の恨みを自身が全て受け止めて死ねばいい、ユーリは自身のことをそう思っている。それでも。
「幸せになって欲しい……それって俺のエゴなのかな」
ユーリの過去が脳裏をよぎれば芋づる式に自身の過去が樹を飲み込もうと口を開ける。家族を失ったユーリの絶望と優愛を失った自身の絶望が交じり合って、足元から崩れる様にのまれそうになった時腕のリングが青白く光った。
「あー、樹?」
リングの向こうから緊張を伴った声が響く。声ひとつで、名前を呼ばれたただそれだけで足元に開いていた過去が口を閉じていった。
「アオさん、連絡よこすの遅い」
「だよな。なんかその……」
「何も言わないで勝手に異動するよりはマシですけど」
「ほんと悪かったと思ってる……」
青砥には珍しく歯切れの悪い様子だ。樹が怒っているか探っているのだろう。青砥が碧島への移動を願い出た理由を知り、自身の頼りなさを思い知れば怒れるはずもない。ご主人様に許しを請う上目遣いの犬の姿を連想して樹の頬が緩んだ。
「樹、寂しかった?」
「なっ、寂しくなんかないし」
とっさに出た言葉に驚いて口に手を当てるもその様子が青砥に見えることはない。そんな冷たく言うつもりじゃなかったのにとフォローの言葉を探して樹が口をあわあわと動かしている間に「俺は寂しかったけどな」という青砥の声がさらりと通り過ぎた。
「怪我したんだって?」
「あ、うん。でも大したことないから。アオさんは大丈夫なんですか? そっちも大変だったって」
「大変だったけど俺は何とか。丁度良い所で助けが入ったし、怪我もしてない。樹の怪我、大したことなくもないだろ。皮膚の再生を促しても1か月くらいかかるか」
「何で分かるんですか? あ……」
しまった、と言うように声を漏らしてところでもう遅い。咄嗟に出た言葉は全部認めたのも同然だ。どうせここにいないのだから何とでも誤魔化しようがあったのに。
「怖かったか? 死にそうになったりなんかしてないか?」
「してないよ。全然大丈夫。ってか怖かったって何ですか。俺も捜査官の一員なんですけど」
気合が入り過ぎたのか食い気味に、しかも僅かに早口で答えた樹の様子で青砥には樹がかなり危険な状況にいたのだと知った。生きていてよかったと思う安心感よりも、樹のすれすれを死が通り過ぎた恐怖心の方が強い。血の気が引くとはこのことだ。樹の様子から脳が勝手に作り出した再現が心を蝕み、いずれ来るかも知れぬ日を覚悟しろと樹がいなくなったその先の光景までも脳が再現しようとする。
「……さん、アオさん、聞こえてますか?」
「あ、うん。ちょっとぼーっとしてた。で、なんだっけ?」
「だから、そのっ……会いたいって」
樹は呟くように小さな声で言ったあと、ぎゅっと唇に力を入れた。
「本当はずっと、会いたいと思ってます」
過去形じゃなく現在進行形だ。無表情の青砥が嬉しいような切ないような表情をして顔を歪めた。勿論その表情も樹には見えない。
「なるべく早く戻るから。でなくても会いに行く」
「ユーリさんて樹くんの知り合いなんだよね。どういう知り合い?」
「あー……っと、聞きこみの途中で休憩に寄った公園で会ったんですけど、知り合いというかなんというか」
知り合いと言うには距離が近すぎる。友達とは違う。何か言葉を選べと言われたら同じ色を持つ同士というのが近い気がした。
山口の目が樹の中にある声になっていない言葉を探ろうとして、ふと視線を逸らした。
「単刀直入に聞く。彼ってDだよね?」
樹の視線がハッと霧島の方を見たことに気がついた山口が「茜ちゃんはあの状態で寝たら起きないから大丈夫よ」と付け足した。
「あ……」
「その反応が答えそのもの、ね」
「俺の口からは言えません。すみません」
山口はそう、と答えた後何かを考えるかのように黙った。洗浄ロボが洗いを終え蛇口から水が流れる。水の音というものは人を引き付ける力があるのか二人はしばし水を眺めた。
「……ここだけの話、私はDに共感できる部分もあるのよ」
「え?」
「意外? だってDが殺しているのは全員が犯罪者でしょ。10年もこの仕事をしているとね、犯人を殺してしまいたいと思う瞬間が少なくとも一度はあるもの」
もしかしたらユーリを見逃してくれるのではないか、樹の淡い期待を山口は「だからと言って殺人は許されない」と言う言葉で打ち消した。
「私にできるのは彼が自首するのを少しの間待つことだけ。いい? 樹君。君は警察官なの。彼がDであることを知りながら何もしなければ当然君も罪を追うことになるし、この職を追われることにもなる」
山口と別れて戻った自室で樹は大きく息を吐き出した。ユーリがDだとバレた緊張感でその場を乗り切るのに精いっぱいだったのだ。自分の部屋に戻ってきてようやく息が出来た気がした。
「ユーリに自首を勧めろってことだよな」
出来るだろうか自分に、樹は自身に問いかけた。言うことは出来る。でももっとその奥、根本のところが樹をざわつかせた。
ユーリがどうして人を殺すようになったのか、どうして今も人を殺し続けているのか。
ユーリに自覚があるかは分からないが、救いを求める手をつかむのはかつてのユーリが家族を助けてくれる手を望んでいたからだ。誰かを助けることでユーリはあの頃の自分を助けようとしているのだ。そんなことをしても過去は変えられないと知っているのに。
誰かの為に人を殺して、殺した人や家族の恨みを自身が全て受け止めて死ねばいい、ユーリは自身のことをそう思っている。それでも。
「幸せになって欲しい……それって俺のエゴなのかな」
ユーリの過去が脳裏をよぎれば芋づる式に自身の過去が樹を飲み込もうと口を開ける。家族を失ったユーリの絶望と優愛を失った自身の絶望が交じり合って、足元から崩れる様にのまれそうになった時腕のリングが青白く光った。
「あー、樹?」
リングの向こうから緊張を伴った声が響く。声ひとつで、名前を呼ばれたただそれだけで足元に開いていた過去が口を閉じていった。
「アオさん、連絡よこすの遅い」
「だよな。なんかその……」
「何も言わないで勝手に異動するよりはマシですけど」
「ほんと悪かったと思ってる……」
青砥には珍しく歯切れの悪い様子だ。樹が怒っているか探っているのだろう。青砥が碧島への移動を願い出た理由を知り、自身の頼りなさを思い知れば怒れるはずもない。ご主人様に許しを請う上目遣いの犬の姿を連想して樹の頬が緩んだ。
「樹、寂しかった?」
「なっ、寂しくなんかないし」
とっさに出た言葉に驚いて口に手を当てるもその様子が青砥に見えることはない。そんな冷たく言うつもりじゃなかったのにとフォローの言葉を探して樹が口をあわあわと動かしている間に「俺は寂しかったけどな」という青砥の声がさらりと通り過ぎた。
「怪我したんだって?」
「あ、うん。でも大したことないから。アオさんは大丈夫なんですか? そっちも大変だったって」
「大変だったけど俺は何とか。丁度良い所で助けが入ったし、怪我もしてない。樹の怪我、大したことなくもないだろ。皮膚の再生を促しても1か月くらいかかるか」
「何で分かるんですか? あ……」
しまった、と言うように声を漏らしてところでもう遅い。咄嗟に出た言葉は全部認めたのも同然だ。どうせここにいないのだから何とでも誤魔化しようがあったのに。
「怖かったか? 死にそうになったりなんかしてないか?」
「してないよ。全然大丈夫。ってか怖かったって何ですか。俺も捜査官の一員なんですけど」
気合が入り過ぎたのか食い気味に、しかも僅かに早口で答えた樹の様子で青砥には樹がかなり危険な状況にいたのだと知った。生きていてよかったと思う安心感よりも、樹のすれすれを死が通り過ぎた恐怖心の方が強い。血の気が引くとはこのことだ。樹の様子から脳が勝手に作り出した再現が心を蝕み、いずれ来るかも知れぬ日を覚悟しろと樹がいなくなったその先の光景までも脳が再現しようとする。
「……さん、アオさん、聞こえてますか?」
「あ、うん。ちょっとぼーっとしてた。で、なんだっけ?」
「だから、そのっ……会いたいって」
樹は呟くように小さな声で言ったあと、ぎゅっと唇に力を入れた。
「本当はずっと、会いたいと思ってます」
過去形じゃなく現在進行形だ。無表情の青砥が嬉しいような切ないような表情をして顔を歪めた。勿論その表情も樹には見えない。
「なるべく早く戻るから。でなくても会いに行く」
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