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第四章 半年後
1.ひかりのもり
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人工物の木々の中にまだ背丈の小さな本物の木が混じっている。そこに周囲に溶けこむように建てられた一見新しくは見えない建物があった。ここ【ひかりのもり】はドリシアが建設した精神に疾患を持つ人たち専用の支援施設だ。周囲を高い壁で囲まれたこの施設を見上げると京子は「ほんと外見は最悪よね」と呟いた。地味な外見とは裏腹、内部はビビットカラーがあちこちに配色されなかなか挑戦的な内装になっている。
網膜認証でドアを開け敷地内に入ると、建物の外にいた人たちの視線が一斉に自分に集まった。
「京子さま、おかえりなさい」
10人程が代わる代わる声をかけてくる。その声に「ただいま」と言葉を返しながら、聞こえてくる声のどれもに京子を敬う色があるのを確認して京子は微笑んだ。
「京子さま」
きらきらとしたガラス玉のような声たちの中から大地を思わせる落ち着いた声が聞こえた。声を発したのは腰までの黒髪を後ろで一本に結んだ女性だ。手には可愛らしいレースの手袋をしている。手のひらに無数の吸盤があり、N+能力の無かった両親からは気持ち悪いとののしられて育ったのだという。随分長い事引きこもり状態にあったが昨年、GYUBUチャンネルを通してこの施設にやってきたのだ。
「私、明日行ってきます」
「そう、しっかりね」
京子はその女性、有賀佐代子の手を両手で優しく包んだ。こうしてやると佐代子はコロコロとした喜びを表す声を発するのだ。
「京子さま……」
思った通り佐代子の声に喜びが混じる。
「あなたの行動がこの国の未来を変えるのよ」
「はい、精一杯務めを果たしてきます」
玄関を通り、寄ってくる人たちに同じように挨拶をしながら建物の奥へと向かうとそこには選ばれた者しか入れない部屋がある。京子がまたもや網膜をスキャンすると小さな音をたてて扉のロックが解除された。
皆の中央にいた男、和信が京子を見たが何も言わずに視線を逸らす。京子はわざと大きな音をたてながら歩いて和信の前に立った。
「ちょっと和信、無視は酷いでしょ」
「無視はしてない。こうして今話してるだろ」
京子がぷくっと頬を膨らませながら和信の隣に座ると、和信はポンポンと京子の頭を撫でた。こういうところだ、と京子は思う。素っ気なくしたと思えば急に優しくなる、だからこそ妙な期待を抱いてしまうのだ。
和信と初めて出会ったのは京子が高校生の頃だ。あの頃の和信は顔が良いと一部の女子に人気だった。物静かでクラスには馴染めず浮いた存在、言い換えれば誰にも属さず一人でいる事にも臆しないということ。京子と視線が合うことはほぼ無かったように思う。家柄がよく外見も悪くはない、そんな京子に興味を示さない和信。だから京子も和信に興味を持つことはなかった。いや、持たないようにしていた。そのまま卒業し、和信と会うことはもうないと思っていたのに。
和信と再会したのは神崎との婚約話が本格的に持ち上がった頃だった。
いつもと同じ、いつものルーティン。行きつけのカフェを訪れた時に和信はいた。そして驚くべきことに京子に「こんにちは」と声をかけたのだ。「隣のクラスだった京子さん、だよね?」京子は和信が自分の名前を憶えていたことに驚いた。彼の視界の中、しかもその真ん中に自分が映っている。彼の目に微笑み返しながら京子は自分の指策が震えているのを感じていた。
両親に敷かれたレール、高級な洋服、指ひとつ動かさなくても整えられていく人生。中学生の頃、そういう自分の人生に疑問を持ったことはあったが、両親にこんなに素晴らしい環境なのに疑問を持つなんてと鼻で笑われたことで疑問に思った自分が急に恥ずかしく思えた。確かに周りを見れば、お金が無くて欲しい物が買えなかった、大好きなアーティストのコンサートに行けなかったなどという不満があちこちから聞こえ、そのどれもが京子は本当に望めば手に入るものばかりだったからだ。
「退屈じゃない? そういうの」
と和信は京子を馬鹿にするでもなくむしろ同情するかのような眼差しで言った。
「俺は自分で考えて、道を選んで歩いていきたいけど。京子さんはそうじゃないの?」
京子の心に小さな揺らぎが起こった瞬間だった。
京子の頭をぽんぽんと撫でていた和信の手が膝に戻っていくのを京子は名残惜しい気持ちで見つめていた。でもいい。学生時代とは違い和信は今、手を伸ばせば届く距離にいる。学生時代の和信を熱い眼差しで見つめていた女子たちの姿が京子の脳裏をよぎった。京子は膝に戻った和信の手に自身の手を重ねた。
「ねぇ、そろそろ動いてもいいんじゃない?」
樹は住民に頭を下げながら家に上がり込むと部屋の奥の壁にぴったりと耳をくっつけている山口に声をかけた。
「山さん、どうですか?」
「どうって、さっぱりよ。物音ひとつ聴こえない。建築法が変わる以前の建物だからもしかしたらと思ったんだけどね」
通っているスポーツクラブの様子がおかしいと通報があったのはいまから20分前のことだ。スポーツクラブの中で友人と待ち合わせをしているのだがスポーツクラブが閉まっているというのだ。友人がここにいるのは間違いなく、店の様子も何となくおかしいから見に来てくれというものだった。
通報を受けた山口と樹は窓からスポーツジムの内部を覗いたが部屋が幾つもあるようで内部に人は確認できず。内部の地図を広げて目星を付けたのが隣の家の壁に寄り添うように作られた部屋だったのだ。
網膜認証でドアを開け敷地内に入ると、建物の外にいた人たちの視線が一斉に自分に集まった。
「京子さま、おかえりなさい」
10人程が代わる代わる声をかけてくる。その声に「ただいま」と言葉を返しながら、聞こえてくる声のどれもに京子を敬う色があるのを確認して京子は微笑んだ。
「京子さま」
きらきらとしたガラス玉のような声たちの中から大地を思わせる落ち着いた声が聞こえた。声を発したのは腰までの黒髪を後ろで一本に結んだ女性だ。手には可愛らしいレースの手袋をしている。手のひらに無数の吸盤があり、N+能力の無かった両親からは気持ち悪いとののしられて育ったのだという。随分長い事引きこもり状態にあったが昨年、GYUBUチャンネルを通してこの施設にやってきたのだ。
「私、明日行ってきます」
「そう、しっかりね」
京子はその女性、有賀佐代子の手を両手で優しく包んだ。こうしてやると佐代子はコロコロとした喜びを表す声を発するのだ。
「京子さま……」
思った通り佐代子の声に喜びが混じる。
「あなたの行動がこの国の未来を変えるのよ」
「はい、精一杯務めを果たしてきます」
玄関を通り、寄ってくる人たちに同じように挨拶をしながら建物の奥へと向かうとそこには選ばれた者しか入れない部屋がある。京子がまたもや網膜をスキャンすると小さな音をたてて扉のロックが解除された。
皆の中央にいた男、和信が京子を見たが何も言わずに視線を逸らす。京子はわざと大きな音をたてながら歩いて和信の前に立った。
「ちょっと和信、無視は酷いでしょ」
「無視はしてない。こうして今話してるだろ」
京子がぷくっと頬を膨らませながら和信の隣に座ると、和信はポンポンと京子の頭を撫でた。こういうところだ、と京子は思う。素っ気なくしたと思えば急に優しくなる、だからこそ妙な期待を抱いてしまうのだ。
和信と初めて出会ったのは京子が高校生の頃だ。あの頃の和信は顔が良いと一部の女子に人気だった。物静かでクラスには馴染めず浮いた存在、言い換えれば誰にも属さず一人でいる事にも臆しないということ。京子と視線が合うことはほぼ無かったように思う。家柄がよく外見も悪くはない、そんな京子に興味を示さない和信。だから京子も和信に興味を持つことはなかった。いや、持たないようにしていた。そのまま卒業し、和信と会うことはもうないと思っていたのに。
和信と再会したのは神崎との婚約話が本格的に持ち上がった頃だった。
いつもと同じ、いつものルーティン。行きつけのカフェを訪れた時に和信はいた。そして驚くべきことに京子に「こんにちは」と声をかけたのだ。「隣のクラスだった京子さん、だよね?」京子は和信が自分の名前を憶えていたことに驚いた。彼の視界の中、しかもその真ん中に自分が映っている。彼の目に微笑み返しながら京子は自分の指策が震えているのを感じていた。
両親に敷かれたレール、高級な洋服、指ひとつ動かさなくても整えられていく人生。中学生の頃、そういう自分の人生に疑問を持ったことはあったが、両親にこんなに素晴らしい環境なのに疑問を持つなんてと鼻で笑われたことで疑問に思った自分が急に恥ずかしく思えた。確かに周りを見れば、お金が無くて欲しい物が買えなかった、大好きなアーティストのコンサートに行けなかったなどという不満があちこちから聞こえ、そのどれもが京子は本当に望めば手に入るものばかりだったからだ。
「退屈じゃない? そういうの」
と和信は京子を馬鹿にするでもなくむしろ同情するかのような眼差しで言った。
「俺は自分で考えて、道を選んで歩いていきたいけど。京子さんはそうじゃないの?」
京子の心に小さな揺らぎが起こった瞬間だった。
京子の頭をぽんぽんと撫でていた和信の手が膝に戻っていくのを京子は名残惜しい気持ちで見つめていた。でもいい。学生時代とは違い和信は今、手を伸ばせば届く距離にいる。学生時代の和信を熱い眼差しで見つめていた女子たちの姿が京子の脳裏をよぎった。京子は膝に戻った和信の手に自身の手を重ねた。
「ねぇ、そろそろ動いてもいいんじゃない?」
樹は住民に頭を下げながら家に上がり込むと部屋の奥の壁にぴったりと耳をくっつけている山口に声をかけた。
「山さん、どうですか?」
「どうって、さっぱりよ。物音ひとつ聴こえない。建築法が変わる以前の建物だからもしかしたらと思ったんだけどね」
通っているスポーツクラブの様子がおかしいと通報があったのはいまから20分前のことだ。スポーツクラブの中で友人と待ち合わせをしているのだがスポーツクラブが閉まっているというのだ。友人がここにいるのは間違いなく、店の様子も何となくおかしいから見に来てくれというものだった。
通報を受けた山口と樹は窓からスポーツジムの内部を覗いたが部屋が幾つもあるようで内部に人は確認できず。内部の地図を広げて目星を付けたのが隣の家の壁に寄り添うように作られた部屋だったのだ。
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