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第二章 3120番の世界「IASB」
第63話 出会い……?
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チャイムが鳴った。今日は二学期の期末テストの最終日。最後の教科の数学が終わり、これであとは冬休みを待つだけになった。
「終わったー!」
思いっきり伸びをして、家に帰る準備を始める。鞄に教科書や筆箱を詰め込んでいた時、後ろから声をかけられた。
「秋、帰ろう」
聞きなじみのある落ち着いた声。私の親友の 暁 瑞希だ。
「おっけー、今帰る準備できたところだよ。行こうか」
テストだったために、あまり中身の入っていない軽い鞄を背負いあげる。そのまま瑞希と一緒に学校を出た。家と高校はあまり離れていないから、毎日歩きで瑞希と一緒に通っている。
「瑞希、テストどうだった? 私物理がやばかったんだよね、赤点かも……」
「私も今回あんまりできなかったな。特に古典とか。そういえば、試験もうすぐだよね?」
瑞希が会話の一環として聞いてくる。
私達は現在、普通の進学校に通っている。そのためほとんどの人が大学へと進学するが、私はなりたい職業は決まっており、就職試験が近づいていた。
「クラリス国際警察の高卒用試験のことだよね? あと一か月くらい先だけど、確かに気持ちの面ではもうすぐかな」
クラリス国際警察、通称【KIP】。主に普通の警察や国では解決できないような危険な事件や、取り調べを行っている機関で、すべての国に必ず一つは設置されており、一番力を持っている組織だ。
「1月13日試験だっけ? 秋は戦闘系のクラリスだから、絶対活躍するよ。クラリス国際警察なんて、誰もが憧れる職業だから頑張って。私は治癒系だから、さすがに目指せないし」
クラリスには主に、戦闘系、治癒系、強化系の三種類がある。しかし、ほとんどの人は、自分やある対象を強化する強化系のクラリスで、治癒系と戦闘系は保持者が少なかった。そして、私の持っているものは戦闘系だ。
KIPが世界一の力を持っているのは、強力な戦闘系クラリスの保持者が多くいるためだ。そのため、その強力なメンバーに憧れを抱き、戦闘系クラリスを持っている人はほとんどがそこを目指す。
「瑞希もKIPになりたいなら、医療の方で行けばいいんじゃない? せっかくの治癒系なんだし」
「そうしたいけど、KIPの医療係って絶対入りにくいよ。今の私じゃ到底無理」
そんなような会話をしながら家の近くで瑞希と別れた。一本道が違うだけだから会いたかったらすぐに会える距離だ。
私は親が離婚しており、母親に引き取られたものの、その後母親が一年で急逝してしまい、母親の兄の桜井 陸斗という人のもとに預けられた。
陸斗さんは、ある有名な会社の社長をしていて、私が学校へ通い易いようにと、学校の近くに家を立ててくれたのだ。一人で住んでいるため、家が近い瑞希を呼んで家で遊んだりすることもある。
今日もいつも通り、自宅に向かった。
家の前まで来てガチャガチャとカギを開ける。暖かい風が、ドアを開けると同時に体に当たった。
「あ、やばっ、暖房付けっぱなしじゃん……」
電気代もったいないなあ、なんて考えながら慌ただしく靴を脱ぎ捨ててリビングのエアコンを止める。昨日は寒かったけど、今日は割と暖かいほうだし暖房なしで生活しよう。
光熱費とかは陸斗さんに出してもらってるし、なるべく節約しないと申し訳ない。
リモコンを置いてソファに倒れるようにして寝転がる。テスト週間で疲れが溜まっていたのか強烈な眠気が襲ってくる。まあ今日はテスト最終日だし、久しぶりに昼寝くらいしたっていいでしょ、今日はやることもないし。
そうして眠気に負けてウトウトしてきた時、ガタンという鈍い音が聞こえてハッと目が覚める。音は方向的に、今は使っていない空き部屋で鳴ったのだろう。
あからさまに自分の心臓の鼓動が加速していく。私以外、この家に住んでいる人はいないはず。それならこの音は……泥棒とか?
なるべく音を出さないように立ち上がり、念の為一番手に取りやすい場所にあるエアコンのリモコンを装備する。
――ああ、動揺してる。こんなもの持っていったところでどうにもならないでしょ。
わかりながらも、遠くまで何か取りに行くのも怖いし、何も持っていかないのも不安だからか、リモコンを置くことはなかった。
空き部屋の前まで忍び寄ると、ゆっくりとドアノブに手をかける。勢い任せにドアを開けて、まるで拳銃を構えるかのようにリモコンを前に突き出した。
不審者はいない。代わりに、置いた覚えのないものが落ちていた。
一気に力が抜ける。何だったんだ、今の時間。ソファからここに来るまでの自分の行動を思い出して、誰に見られていたわけでもないのに恥ずかしさがこみ上げてくる。
でも、身に覚えのないものが落ちているという時点で誰かが侵入して置いていったという事実に変わりはない。気は抜けないな。
そうは思いながらも、置いてある物が気になる。警戒しながらも近づいてみると、それはボディバッグだった。そしてその後ろには、あまり使っていなかった見覚えのある大きな鞄。開けるとなぜか、私の持っている服が綺麗に畳まれて入っていた。
「なんで服がこの鞄に? それにこのバッグ、私こんなの買った覚えないけど……」
不審に思いながらもファスナーを開けて中を見る。目立ったものは入っていないが、底の方で何かがキラリと光った。
手を入れて光るものを取り出す。それは青い羽飾りのついたブレスレットだった。
それが目に入った途端、心臓が大きく鼓動した。そして耳鳴りと頭痛に襲われる。
キーンとうるさく耳に響く音の中で、聞き覚えのある声がした気がした。
呆然としながらしばらくブレスレットを見つめていた。いつの間にか、目からは涙があふれている。
不意にスマホが鳴った。目をゴシゴシこすり画面を見ると、暁 瑞希と表示されている。震える手で画面に表示された緑のボタンを押し、スマホを耳にあてる。
「……瑞希」
『秋! 今、秋の家の前にいる。ちょっと出てきてくれない?』
「わかった」
そう返事をして電話を切った。ブレスレットを強く握り、上手く力の入らない足で立ち上がると、フラフラと玄関まで向かい、扉を開ける。
ついさっき外の光景に包まれながら帰路に着いていたのに、今の私の目に映る景色はその時とは違っていた。
「……素直じゃないですね」
秋の家の屋根の上。そこから見る景色は、今までとは違っていた。
「『記憶を持ったままにはできない』なんて嘘、言わなければ良かったじゃないですか」
「……あの時は戻すつもりはなかったんだよ。別の世界があって、色んな生き物がいて、そんな広い世界を知ったままにしたら、今の世界の狭さに気づいて生きにくくなる。全て忘れた方が皆にとっては良い……はずなんだ。……なのに」
下で秋、瑞希、颯太、風がそれぞれ羽飾り付のブレスレット、ウミガメのキーホルダー、白い虎のぬいぐるみ、ガラスの首飾りを持って話をしている。
それを見下ろす零は、自分の行動に困惑を隠せずにいた。
「忘れた方があの人たちのためになると分かっていても、忘れて欲しくない。と心のどこかで思っていたのでしょう」
「俺が……?」
「私が貴方に聞いた事、覚えてますか?」
「『五か月の間、色々な人達と接してきて、何か感じなかったか』ってやつ?」
「はい、あの時私は貴方に自分で見つけろと言いました。今なら分かるのでは?」
右手に握った小さな犬のぬいぐるみに目を落とす。アースの問いの答えを、零は必死に探した。
心の世界の中で秋がくれた言葉が、鮮明に頭に響く。
「……初めてだった。誰かにあんな言葉をかけられたのは。だから――大好きだって言ってくれた秋を失いたくなかった。だからこうして記憶を戻したのに、それなのになんか、胸の奥が苦しいんだ。変だよね、病気になんてならないはずなのに」
自分の気持ちを表現できる言葉を必死に探した結果、零の口から最後に出たのはその一言だった。
それ以降は手に握ったぬいぐるみを、ただ見つめたまま黙り込んでしまう。アースは、その零の言葉を受け止めるように目を閉じ、小さく微笑んだ。
「今はそれが言えるだけでも十分な成長です。答え合わせをしましょうか、その苦しみの正体は恐らくこの世界を離れることへの寂しさだと思います」
「……寂しさ?」
「少し言い方は悪いかもしれませんが、貴方はこの世界で、初めて私たちのような契約関係の生き物以外としっかり関わり、初めて”普通”に接してもらえたんです。貴方が気づいていないだけで、神の世界での出来事は貴方の中に大きな傷を残しています」
零の目線が手元から秋たちに移る。アースはそのまま言葉をつづけた。
「そして、これも少し言い方が悪いかもしれませんが――貴方は普通であれば幼いころに家族から受けるはずの”優しさ”を受けていません」
ピクリと零の体が動く。目線は相変わらず下に向いていたが、その瞳は秋たちを捉えてはいなかった。
「貴方はそれを、この世界に来たことで初めて受けたんです。天宮さんが零という存在を家族当然に感じていたために。この世界で、貴方は多くの初めての感情に触れました。ただ、その感情を知らなかったために気付かなかっただけで、身体はしっかりと感じています。その結果、今レイの中にある苦しみ――寂しさが胸に残っているのでしょう」
瞳のピントが再び秋に合う。しばらく黙り込んだ後、零は「……そっか」と呟き、ゆっくりと立ち上がった。
「でも俺はここを離れないといけない。でしょ?」
「……はい。レイには0の世界がありますから」
「せめて、みんなから貰ったものくらい思い出として持って帰りたかったけど返しちゃったし。だけど俺には貰い物がもう一個ある」
「……?」
「名前だよ、零って名前。だから俺、それを持って帰ろうかなって」
何を言うか察しのついた様子で、今まで影の中にいたエンドとルークも姿を現した。
「名付けの儀なんて知らない。ラヴィバルプなんて称号もどうでもいい。だから俺、貰った名前を思い出に持って帰るよ。それと仲間の君らからも貰って――レインアーク」
「俺は『ン』かよ……」
不服そうなエンドに「それでも貰ったことに変わりないでしょ?」と笑顔で零は返す。
「でも長いから呼び方はレイのままでいいよ」
エンド、アース、ルークは頷き、それを受け入れると頭を下げる。彼らなりの誠意の表しなのだろう。
「……君らってほんと、ことあるごとに頭下げるんだね」
「私たちの主ですから。従者としての役目くらい、果たさせてください」
「覚醒したなら、今までよりも強いことは確実だ。そんな主には頭下げてでも仕えたいもんだからな」
「下げなくても縁切ったりしないって。あ、ルークは行っときたい場所ない? 一応、君の生まれの地であるこの世界を離れることになるけど……」
エンドとアースに倣い下げていた頭を、パッと持ちあげてルークは首を傾げる。そして少し考えたあと、何もないと零に伝えた。様子からして、早く0の世界に行きたいようだ。
「おーけー、じゃあ帰ろっか――」
言ったとたんに足元がふらつき、視界が暗転する。
「レイ!」
エンドが手を引き、倒れる直前で支えた。すぐに零は自分の足で体を支えるが、それと同時に姿が人に戻る。とてつもない疲労感が体を襲った。
「大丈夫ですか?」
慌てた様子でアースが声をかける。
「なんか急に力が入らなくなって……」
まだ少しだけグラつく視界でアースを見る。頭を振ったり、深呼吸をしたりしてみるが、治る気配はなかった。
「疲れがたまっていたんでしょう、帰って休んだ方がよさそうです」
「……そうだね」
安定しない手先で0の世界への扉を呼び出す。パッと現れたごく普通の大きさの扉はゆっくりと開き、来た時と同じように通路が伸びていた。
扉をくぐる直前、振り返った零と秋の目線が交わった気がした。その秋を見て、零は残る力を使い手の上に黄色の光を集める。
光が形を持ち、自分で動き始めた。手の上から屋根の上にぴょんと飛び降りると、その光に向かって今度は空から水色の小さな球が降りてくる。球は何か言いたげに零の周りを一周すると、座っている光の生き物にスッと溶けるように消えた。
同時に、全ての力を使い果たした零の視界は再び暗転した。
「あれ? なんか光った?」
秋が自分の家の屋根を見ながら言った。瑞希、颯太、風は不思議そうに秋の目線の先を見る。
「何もないよ? どうしたの、さっきから誰かに見られてる気がするとか……」
「えー、本当に何かいた気がしたんだよ」
「疲れてるんじゃね? いろいろあったしさ」
「……そうかも」
そんな会話をしていると、突然横から「にゃーお」と声がした。驚いて声の方向を見ると、秋の家の玄関前に真っ黒な猫が座っていた。
「え、猫?」
秋が近づくも、逃げる気配は全くない。むしろ猫の方から近づいてくるくらいだ。
「なんだろ、この子」
「さっきから秋が感じてた視線ってこの子だったんじゃない?」
「なるほどね、ありそう!」
近づいてきた猫を秋はサッと持ち上げる。なんだか少しだけ懐かしい雰囲気があった。
「首輪とかもついてないし、まだ子猫っぽいな」
「捨てられたってことかよ? 酷いな、こんなかわいいのに」
風と颯太は猫を見つめてそう言った。すかさず秋が「それなら私が飼お!」と声をあげた。
この猫が、まるで母親のように秋に絡んでくるのは、これから少し先のことだった。
「終わったー!」
思いっきり伸びをして、家に帰る準備を始める。鞄に教科書や筆箱を詰め込んでいた時、後ろから声をかけられた。
「秋、帰ろう」
聞きなじみのある落ち着いた声。私の親友の 暁 瑞希だ。
「おっけー、今帰る準備できたところだよ。行こうか」
テストだったために、あまり中身の入っていない軽い鞄を背負いあげる。そのまま瑞希と一緒に学校を出た。家と高校はあまり離れていないから、毎日歩きで瑞希と一緒に通っている。
「瑞希、テストどうだった? 私物理がやばかったんだよね、赤点かも……」
「私も今回あんまりできなかったな。特に古典とか。そういえば、試験もうすぐだよね?」
瑞希が会話の一環として聞いてくる。
私達は現在、普通の進学校に通っている。そのためほとんどの人が大学へと進学するが、私はなりたい職業は決まっており、就職試験が近づいていた。
「クラリス国際警察の高卒用試験のことだよね? あと一か月くらい先だけど、確かに気持ちの面ではもうすぐかな」
クラリス国際警察、通称【KIP】。主に普通の警察や国では解決できないような危険な事件や、取り調べを行っている機関で、すべての国に必ず一つは設置されており、一番力を持っている組織だ。
「1月13日試験だっけ? 秋は戦闘系のクラリスだから、絶対活躍するよ。クラリス国際警察なんて、誰もが憧れる職業だから頑張って。私は治癒系だから、さすがに目指せないし」
クラリスには主に、戦闘系、治癒系、強化系の三種類がある。しかし、ほとんどの人は、自分やある対象を強化する強化系のクラリスで、治癒系と戦闘系は保持者が少なかった。そして、私の持っているものは戦闘系だ。
KIPが世界一の力を持っているのは、強力な戦闘系クラリスの保持者が多くいるためだ。そのため、その強力なメンバーに憧れを抱き、戦闘系クラリスを持っている人はほとんどがそこを目指す。
「瑞希もKIPになりたいなら、医療の方で行けばいいんじゃない? せっかくの治癒系なんだし」
「そうしたいけど、KIPの医療係って絶対入りにくいよ。今の私じゃ到底無理」
そんなような会話をしながら家の近くで瑞希と別れた。一本道が違うだけだから会いたかったらすぐに会える距離だ。
私は親が離婚しており、母親に引き取られたものの、その後母親が一年で急逝してしまい、母親の兄の桜井 陸斗という人のもとに預けられた。
陸斗さんは、ある有名な会社の社長をしていて、私が学校へ通い易いようにと、学校の近くに家を立ててくれたのだ。一人で住んでいるため、家が近い瑞希を呼んで家で遊んだりすることもある。
今日もいつも通り、自宅に向かった。
家の前まで来てガチャガチャとカギを開ける。暖かい風が、ドアを開けると同時に体に当たった。
「あ、やばっ、暖房付けっぱなしじゃん……」
電気代もったいないなあ、なんて考えながら慌ただしく靴を脱ぎ捨ててリビングのエアコンを止める。昨日は寒かったけど、今日は割と暖かいほうだし暖房なしで生活しよう。
光熱費とかは陸斗さんに出してもらってるし、なるべく節約しないと申し訳ない。
リモコンを置いてソファに倒れるようにして寝転がる。テスト週間で疲れが溜まっていたのか強烈な眠気が襲ってくる。まあ今日はテスト最終日だし、久しぶりに昼寝くらいしたっていいでしょ、今日はやることもないし。
そうして眠気に負けてウトウトしてきた時、ガタンという鈍い音が聞こえてハッと目が覚める。音は方向的に、今は使っていない空き部屋で鳴ったのだろう。
あからさまに自分の心臓の鼓動が加速していく。私以外、この家に住んでいる人はいないはず。それならこの音は……泥棒とか?
なるべく音を出さないように立ち上がり、念の為一番手に取りやすい場所にあるエアコンのリモコンを装備する。
――ああ、動揺してる。こんなもの持っていったところでどうにもならないでしょ。
わかりながらも、遠くまで何か取りに行くのも怖いし、何も持っていかないのも不安だからか、リモコンを置くことはなかった。
空き部屋の前まで忍び寄ると、ゆっくりとドアノブに手をかける。勢い任せにドアを開けて、まるで拳銃を構えるかのようにリモコンを前に突き出した。
不審者はいない。代わりに、置いた覚えのないものが落ちていた。
一気に力が抜ける。何だったんだ、今の時間。ソファからここに来るまでの自分の行動を思い出して、誰に見られていたわけでもないのに恥ずかしさがこみ上げてくる。
でも、身に覚えのないものが落ちているという時点で誰かが侵入して置いていったという事実に変わりはない。気は抜けないな。
そうは思いながらも、置いてある物が気になる。警戒しながらも近づいてみると、それはボディバッグだった。そしてその後ろには、あまり使っていなかった見覚えのある大きな鞄。開けるとなぜか、私の持っている服が綺麗に畳まれて入っていた。
「なんで服がこの鞄に? それにこのバッグ、私こんなの買った覚えないけど……」
不審に思いながらもファスナーを開けて中を見る。目立ったものは入っていないが、底の方で何かがキラリと光った。
手を入れて光るものを取り出す。それは青い羽飾りのついたブレスレットだった。
それが目に入った途端、心臓が大きく鼓動した。そして耳鳴りと頭痛に襲われる。
キーンとうるさく耳に響く音の中で、聞き覚えのある声がした気がした。
呆然としながらしばらくブレスレットを見つめていた。いつの間にか、目からは涙があふれている。
不意にスマホが鳴った。目をゴシゴシこすり画面を見ると、暁 瑞希と表示されている。震える手で画面に表示された緑のボタンを押し、スマホを耳にあてる。
「……瑞希」
『秋! 今、秋の家の前にいる。ちょっと出てきてくれない?』
「わかった」
そう返事をして電話を切った。ブレスレットを強く握り、上手く力の入らない足で立ち上がると、フラフラと玄関まで向かい、扉を開ける。
ついさっき外の光景に包まれながら帰路に着いていたのに、今の私の目に映る景色はその時とは違っていた。
「……素直じゃないですね」
秋の家の屋根の上。そこから見る景色は、今までとは違っていた。
「『記憶を持ったままにはできない』なんて嘘、言わなければ良かったじゃないですか」
「……あの時は戻すつもりはなかったんだよ。別の世界があって、色んな生き物がいて、そんな広い世界を知ったままにしたら、今の世界の狭さに気づいて生きにくくなる。全て忘れた方が皆にとっては良い……はずなんだ。……なのに」
下で秋、瑞希、颯太、風がそれぞれ羽飾り付のブレスレット、ウミガメのキーホルダー、白い虎のぬいぐるみ、ガラスの首飾りを持って話をしている。
それを見下ろす零は、自分の行動に困惑を隠せずにいた。
「忘れた方があの人たちのためになると分かっていても、忘れて欲しくない。と心のどこかで思っていたのでしょう」
「俺が……?」
「私が貴方に聞いた事、覚えてますか?」
「『五か月の間、色々な人達と接してきて、何か感じなかったか』ってやつ?」
「はい、あの時私は貴方に自分で見つけろと言いました。今なら分かるのでは?」
右手に握った小さな犬のぬいぐるみに目を落とす。アースの問いの答えを、零は必死に探した。
心の世界の中で秋がくれた言葉が、鮮明に頭に響く。
「……初めてだった。誰かにあんな言葉をかけられたのは。だから――大好きだって言ってくれた秋を失いたくなかった。だからこうして記憶を戻したのに、それなのになんか、胸の奥が苦しいんだ。変だよね、病気になんてならないはずなのに」
自分の気持ちを表現できる言葉を必死に探した結果、零の口から最後に出たのはその一言だった。
それ以降は手に握ったぬいぐるみを、ただ見つめたまま黙り込んでしまう。アースは、その零の言葉を受け止めるように目を閉じ、小さく微笑んだ。
「今はそれが言えるだけでも十分な成長です。答え合わせをしましょうか、その苦しみの正体は恐らくこの世界を離れることへの寂しさだと思います」
「……寂しさ?」
「少し言い方は悪いかもしれませんが、貴方はこの世界で、初めて私たちのような契約関係の生き物以外としっかり関わり、初めて”普通”に接してもらえたんです。貴方が気づいていないだけで、神の世界での出来事は貴方の中に大きな傷を残しています」
零の目線が手元から秋たちに移る。アースはそのまま言葉をつづけた。
「そして、これも少し言い方が悪いかもしれませんが――貴方は普通であれば幼いころに家族から受けるはずの”優しさ”を受けていません」
ピクリと零の体が動く。目線は相変わらず下に向いていたが、その瞳は秋たちを捉えてはいなかった。
「貴方はそれを、この世界に来たことで初めて受けたんです。天宮さんが零という存在を家族当然に感じていたために。この世界で、貴方は多くの初めての感情に触れました。ただ、その感情を知らなかったために気付かなかっただけで、身体はしっかりと感じています。その結果、今レイの中にある苦しみ――寂しさが胸に残っているのでしょう」
瞳のピントが再び秋に合う。しばらく黙り込んだ後、零は「……そっか」と呟き、ゆっくりと立ち上がった。
「でも俺はここを離れないといけない。でしょ?」
「……はい。レイには0の世界がありますから」
「せめて、みんなから貰ったものくらい思い出として持って帰りたかったけど返しちゃったし。だけど俺には貰い物がもう一個ある」
「……?」
「名前だよ、零って名前。だから俺、それを持って帰ろうかなって」
何を言うか察しのついた様子で、今まで影の中にいたエンドとルークも姿を現した。
「名付けの儀なんて知らない。ラヴィバルプなんて称号もどうでもいい。だから俺、貰った名前を思い出に持って帰るよ。それと仲間の君らからも貰って――レインアーク」
「俺は『ン』かよ……」
不服そうなエンドに「それでも貰ったことに変わりないでしょ?」と笑顔で零は返す。
「でも長いから呼び方はレイのままでいいよ」
エンド、アース、ルークは頷き、それを受け入れると頭を下げる。彼らなりの誠意の表しなのだろう。
「……君らってほんと、ことあるごとに頭下げるんだね」
「私たちの主ですから。従者としての役目くらい、果たさせてください」
「覚醒したなら、今までよりも強いことは確実だ。そんな主には頭下げてでも仕えたいもんだからな」
「下げなくても縁切ったりしないって。あ、ルークは行っときたい場所ない? 一応、君の生まれの地であるこの世界を離れることになるけど……」
エンドとアースに倣い下げていた頭を、パッと持ちあげてルークは首を傾げる。そして少し考えたあと、何もないと零に伝えた。様子からして、早く0の世界に行きたいようだ。
「おーけー、じゃあ帰ろっか――」
言ったとたんに足元がふらつき、視界が暗転する。
「レイ!」
エンドが手を引き、倒れる直前で支えた。すぐに零は自分の足で体を支えるが、それと同時に姿が人に戻る。とてつもない疲労感が体を襲った。
「大丈夫ですか?」
慌てた様子でアースが声をかける。
「なんか急に力が入らなくなって……」
まだ少しだけグラつく視界でアースを見る。頭を振ったり、深呼吸をしたりしてみるが、治る気配はなかった。
「疲れがたまっていたんでしょう、帰って休んだ方がよさそうです」
「……そうだね」
安定しない手先で0の世界への扉を呼び出す。パッと現れたごく普通の大きさの扉はゆっくりと開き、来た時と同じように通路が伸びていた。
扉をくぐる直前、振り返った零と秋の目線が交わった気がした。その秋を見て、零は残る力を使い手の上に黄色の光を集める。
光が形を持ち、自分で動き始めた。手の上から屋根の上にぴょんと飛び降りると、その光に向かって今度は空から水色の小さな球が降りてくる。球は何か言いたげに零の周りを一周すると、座っている光の生き物にスッと溶けるように消えた。
同時に、全ての力を使い果たした零の視界は再び暗転した。
「あれ? なんか光った?」
秋が自分の家の屋根を見ながら言った。瑞希、颯太、風は不思議そうに秋の目線の先を見る。
「何もないよ? どうしたの、さっきから誰かに見られてる気がするとか……」
「えー、本当に何かいた気がしたんだよ」
「疲れてるんじゃね? いろいろあったしさ」
「……そうかも」
そんな会話をしていると、突然横から「にゃーお」と声がした。驚いて声の方向を見ると、秋の家の玄関前に真っ黒な猫が座っていた。
「え、猫?」
秋が近づくも、逃げる気配は全くない。むしろ猫の方から近づいてくるくらいだ。
「なんだろ、この子」
「さっきから秋が感じてた視線ってこの子だったんじゃない?」
「なるほどね、ありそう!」
近づいてきた猫を秋はサッと持ち上げる。なんだか少しだけ懐かしい雰囲気があった。
「首輪とかもついてないし、まだ子猫っぽいな」
「捨てられたってことかよ? 酷いな、こんなかわいいのに」
風と颯太は猫を見つめてそう言った。すかさず秋が「それなら私が飼お!」と声をあげた。
この猫が、まるで母親のように秋に絡んでくるのは、これから少し先のことだった。
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