夢幻世界

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第二章 3120番の世界「IASB」

第51話 半端者

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「……すごい雨だね」

 秋は零の元へと向かいながら、颯太と話していた。

「傘なんて持ってなかったから、天宮が一緒で助かったよ。雨をクラリスで操って俺たちにかからないようにするってすごいな」
「ありがとう。KIPに入って操作技術を磨いたんだ。おかげで今までとは比べ物にならないくらい操れるようになったよ。……零は濡れて寒くないのかな」

 零を見ながら秋は呟く。そんな秋を見て、颯太が話題を零へと変えた。

「天宮はさ、零の過去を知ってどう思った?」
「私は……申し訳なくなったよ」
「え、なんで?」
「私、零と一緒に過ごしていたから勝手に零を弟のように思って、家族のように接してた。それで前にね、海に行きたいって話をしたの。陸斗さんも誘って三人で」
「いいじゃんそれ」
「でもね、その時私『海は家族で行きたい』って言っちゃった。そしたらそれまで楽しそうに話してた零の表情が、少し変わったんだ。その時はどうしてかわからなかったけど、今ならわかる。あの時すでに記憶を取り戻していた零は、家族っていうものに良いイメージを持ってなかった。それなのに私は彼に家族を意識させることを言っちゃったからなんだって」

 そう言う秋の声は少し震えていた。自分の理想を相手が受け入れてくれるとは限らない。秋の理想の関係は零にとって最悪な関係でしかなかったのだ。

「……それならさ、天宮が教えてあげればいいじゃん」
「え?」
「零にとって家族や親は最悪なものかもしれない。でも天宮は知ってるんでしょ? 自分の母親のこととか、陸斗さんのこととか。だから零に天宮の想像する家族っていうのを伝えなよ」
「零に……」

 思いもよらない颯太の提案に、秋は言葉を詰まらせる。

「そんなことどうやって……」
「それは天宮次第だけど、後悔するくらいならやれることはやっておいた方がいいんじゃない? ほら、もう目の前にいるよ」

 いつの間にか一本の岩の柱の前まで来ていた。上には一匹の狼が立っている。

「……とりあえず地面に下ろさないとね」
「どうやって?」
「まあ見ててよ」

 そう言って秋は空中の雨粒を零の真上に集めた。どんどん雨粒は結合して大きくなり、数十秒後には大きな塊となってフヨフヨと浮かんでいた。

「落ち着かせるには頭を冷やしてもらわないとね」

 そして水の塊をそのまま零に向けて落とした。上から水が滝のように流れ、一時的に秋と颯太の周りも水に浸かる。秋の水操作で、相変わらず水が二人を避けるように流れていった。

「……さっきまで零が雨で濡れて寒くないか心配してたくせに」
「それとこれとは別。おかげで零もこっちに気づいたみたいだし」

 大量の水を浴びた狼が、秋と颯太を見下ろしていた。そして岩から飛び降り、目の前にフワリと着地する。
 近くで見ると思っていたより大きかった。さらに、あの量の水を浴びたにもかかわらず、毛は風で揺れていた。

「ね、ねえ、これ本当に零なんだよね?」

 普通の狼の何倍も大きい大狼を目の前にして、颯太が不安そうな声を上げる。

「……今更引き返せないよ。信じるしかない」
「お、俺フェンリルなんて初めて見た」
「みんなそうに決まってる」

 これが零だと伝えられていても、噛み付かれる想像をするだけで恐怖心が湧き上がってくる。じっとこちらを見つめてくる零に向かって、秋は震える足で一歩進んだ。
 零の元に向かいながら会話をしていた時が懐かしく感じる。

「れ、零……? 私だよ、天宮 秋。分かるよね?」

 先ほどアースが零に話しかけていた時のやり方の真似をして零にゆっくりと手を伸ばす。零はその手をじっと見つめていた。
 まるで獲物を狙うかのような鋭い目つきに、秋のなかの恐怖心は増していく。

――本当にこれは零なのか、ただの危険な猛獣ではないのか、もし怒らせたら腕がなくなるかもしれない。

 どんどんと悪い方向に思考が傾いていく。心臓の音が大きくなり、伸ばしていた手は零に届くことなく震え始めた。

「天宮……」
「わ、わかってる。目の前にいるのは零だよ……零なんだ。でも……」

 頭で理解していても、目に映るのは大狼という今までに見たことのない猛獣だった。そして震える手は零に届くことなく下に下がっていき、ついには秋は目の前の大狼に目を向けることさえできなくなっていた。脳裏に一緒に過ごした "人間の姿の" 零が浮かぶ。
 俯いたまま秋が後ろに下がろうとすると、前から低い唸り声が聞こえた。ハッと顔を上げると、様々な感情が入り混じったかのような紫の瞳と秋の目線が交わった。秋がその目から初めに読み取ったのは『怒り』だった。

(天宮さん、成瀬さん! 離れて!)

 頭の中にアースの声が聞こえた。それと同時に秋と颯太は後ろに走り出す。直後に大きな遠吠えが聞こえた。





 しばらくがむしゃらに走り、慎吾たちのもとへと戻る。いつの間にか雨はやんでいた。

「すみません、私……」

 荒れた呼吸を整えてから顔を上げて声を出す。慎吾や昭、真衣は聞こえていないかのように零の方をポカンと見つめていた。アースとエンドも秋の声には何も答えなかった。
 その少しあと、秋の横で颯太が「えっ……」と声を上げた。秋は颯太の視線の先、全員が見ている方向を見る。

「何……これ」

 白銀の大狼はいつの間にか真っ黒に変わっており、項垂れるように下を向いていた。背中からは黒い光の柱が天まで伸びている。
 先程まで雨雲に覆われていたはずの空は、黒い光の線を中心に円形状に赤く、ゆっくりと染まり始めていた。

「……遠吠えの後、急に足元から影のようなものに侵食され始めて、すぐに真っ黒になったんだ」

 喉から絞り出すように慎吾が声を出した。

「なんで……」
「それは……私の判断ミスです」

 状況の理解が出来ていない秋に対してアースが口を開いた。しかし、それ以上は何も言わなくなってしまった。
 代わりにエンドが言葉を続ける。

「諦めたんだ」
「それってどういう……」
「……アースは言わなかったが、あえて言うならお前に "も" 裏切られたからだろうな」

 エンドの言葉に秋は更に困惑する。

「裏切るってなんのことですか、私は裏切ってなんか――」
「自覚なしか」
「え……」
「お前、目の前でレイを否定したろ」
「否定なんて……」
「口に出してないから良い、聞こえない、とでも思ったか? 自分の思う『零』の姿は怖い大狼ではなく『人間の零』だと感じた。違うか?」
「それは……」
「これがレイにとって何を意味するかお前に分かるか?」

 言葉を詰まらせる秋に代わって、昭が声を上げた。

「すみません、我々にも分かるように説明してください」

 いつの間にか全員がアースとエンド、秋を見ていた。
 表情の暗いアースが、重々しく口を開いた。

「皆さんにレイの過去は話しましたよね? それを思い出してください。彼は神と妖怪の間に生まれ、どちらの力も持つ生き物になりました。二つの相反する力が合わさったことで中和し、見た目は人間のような生き物に。ただ、そのせいで神からは『妖怪の力を持つ半端者』、妖怪からは『神の力を持つ半端者』として扱われます。今まではそこまででした。そして今回、天宮さんが彼の目の前で『人間である零』を望み、『妖怪の力と神の力を持つ零』を拒絶したんです」
「いや、俺は近くで見てたからわかるけど、天宮は零を拒絶したんじゃなくて、ただ大狼が怖かったんだよ! だってそうだろ、狼だって肉食で怖いのに、それの何倍もの大きさのが目の前にいるんだ、怖くないわけない。俺だって同じだ!」

 颯太が必死にアースの説明を否定する。しかしアースは首を振った。

「恐怖心がある時点で否定になるんです。もしレイが人の姿で暴れていたとしたら、天宮さんはレイに触れられたのでは? 大狼を怖がるということは妖怪の力を怖がるのと同じ意味です。さらに人間姿のレイを望むことで人間ではない自分を拒絶した。と彼は受け取ったんでしょうね」
「……つまり、神からも妖怪からも、そして今回人間からも自分を拒否された、と零の中では解釈されたってことか」

 慎吾のまとめにアースは頷いた。

「天宮さんと成瀬さんがレイの元に向かった時、イグニスが止めに入らなかったんです。その時点で気づくべきでした。イグニスはこうなることを分かっていて、わざと止めなかったんだと。まだ真実を知ったばかりで状況を呑み込めていない天宮さんを頼ってしまったこと、イグニスの行動に疑問を持たなかったこと……。すべて私の判断ミスが原因です」

 そう言って自責の念に駆られるアースにエンドが声をかけた。

「それは違う。危険が伴うことを伝えても自信満々に自分が行くと言ったのに、実際に行ったら怖くて逃げ出し、挙句の果てに人間であるレイを望んだコイツが原因だ」

 あまりの直接的な批判に、秋は何も言えずに固まった。すぐにエンドに向かって拳が飛んでくる。颯太が怒った顔でエンドを睨んでいた。

「勝手なこと言うな! そもそも天宮が人間の零を望んだかどうかなんて分かんないだろ。それにあんなの誰だって怖いに決まってる。俺たちの世界には存在してない生き物だし、そもそも狼は人を襲うって言う認識なんだよ。零の仲間かなんだか知らないけど、そっちが勝手に俺たちの世界を滅茶苦茶にしてるクセに、そっちの都合のいいように俺たちを使って、失敗したら俺たちのせいって、ふざけんなよ! そもそもお前たちが来なければ、俺や天宮が拉致されることも、大狼なんかと対峙することもなかったんだ!」

 早口で捲し立てる颯太を、エンドは何も言わずに見下ろしていた。そしてアースをチラリと見てから、零の方へと歩き出す。そのまま影に溶けるように消えていった。少しだけ、零がこちらを向いているように見えた。

 颯太はしばらく立ちつくしてから秋の方を向いた。いつの間にか地面に座り込み、声を押し殺して泣いている。真衣が秋に寄り添っていた。
 
「ごめん、何も間違ってないんだ。私、大狼の零を見ながら今まで一緒に過ごしてきた人間の零を思い浮かべてた。家族として迎え入れたいと思ってた零も人間で、助けたい零も人間だった。人じゃない零を受け入れたら、零が遠い存在になっちゃう気がして拒否してた。助けに行くって言った時だって、心のどこかで『私を見たら人の姿に戻ってくれるかも』なんて思ってた。でも、いざ近くに行ってみたら全然そんなことなくて、私を見てくる目も、初めて目が合った時の、あの綺麗な青色じゃなくて紫だった。こんなの零じゃないって思っちゃった」

 秋は泣きながらそう言う。その言葉に、颯太は何も言えなくなってしまった。

「……ここで反省会をしてても状況は良くならない。失敗なんて誰にでもある。大事なのは失敗したことじゃなくて、その後の対応だ。今はできることをやろう。ちなみにあの赤い空が広がったらどうなるんだ?」

 重苦しい空気の中、慎吾が秋への励ましの言葉と共にアースに尋ねる。アースは言いづらそうに答えた。

「あれは空ではありません。……世界の器です」
「世界の器?」
「はい、つまり世界が入っている入れ物です。それが見えているということは、世界が……消えかけているということです」
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