夢幻世界

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第二章 3120番の世界「IASB」

第18話 夢の中

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 1月12日、明日が秋の試験日だ。
 秋は、深夜まで勉強しているせいで、朝はぎりぎりまで起きない。零もなるべく起こさないように、朝は静かに行動して、早めに学校に出るようにしていた。

 今日もいつものように学校に行く。零が教室に入ると「おはよー」と先に来ていた数名が挨拶をしてくる。それに対して零も挨拶を返した。
 ふと窓側の隅の席を見ると、ひとりの男がうつむいて座っていた。今まで特に気にしてみていなかったのだが、よく見ると顔色が良くなかった。体調がすぐれないのかもしれない。
 近づいて聞いてみようとする零を、クラスにいる別のやつが止めに入る。

「零、あいつに近づくのはやめとけ。クラリスがないから桐島きりしまにいじめられてるんだよ」
「桐島? いじめ?」
「二年にいる、戦闘系クラリスの使い手だよ。敵に回さないほうがいいくらいおっかないんだ」
「へえー……」

 何も知らない零は、その男子生徒の言葉に従って、話しかけるのをやめた。





 六時間授業を終えて、帰りの時間になった。相変らず秋は学校に残ると言っていたため、零は一人で学校を出ようと歩いていると、校舎裏から何やら声が聞こえてきた。うまく聞き取れないものの、時折悲鳴に似た声が聞こえることもあった。
 不審に思い、そちら側に足を進める。近づくにつれ声は正確に聞き取れるようになっていき、それがいじめの現場だとわかるころには、もう数人の人影を目で捕らえることができる距離に来ていた。

「なぁ、無能のくせに今俺に口答えしたよなぁ?」
「……すみません」
「すみませんじゃねぇんだよ!」

 いじめの主犯らしき人物が手加減なしに腹部に蹴りを入れた。蹴られた方の口から「うぅ……」とうめき声が漏れる。
 苦しそうな声を上げている人物には見覚えがあった。今朝教室にいた人だ。桐島とかいうやつにいじめられている、と言っていたから、おそらく蹴ったほうが桐島だろう。

「お前、負けると分かって喧嘩吹っ掛けてきたのか?」

 蹴られて腹部を押さえている男の肩に笑いながら触れる。すると手から火花のようなものが散り、声も出せずに男は倒れた。

「先輩、死んでないっスよね……?」

 取り巻きの一人が不安そうに聞いた。

「安心しろ、ちょっと気を失っているだけだ。なんなら声くらいは聞こえているだろうよ」

 そう言って立ち上がり、「帰るぞ」と取り巻きを引き連れ、戻ろうとしたとき、零と目が合った。男は一瞬動きが止まったが、すぐに元に戻り話しかけてくる。

「お前その目、噂の転校生か」

 にやりと笑い、零に近づく。零はただそこに立っているだけだった。

「見られていたなら、口止めしておいた方がいいっスよ」と取り巻きが言うが、鋭い目つきでにらまれ黙り込んでしまった。

「転校生なら知らないと思うから自己紹介しといてやるよ。俺は桐島きりしま 康介こうすけっていうもんだ。さっきのを見ていたならわかると思うが、俺は電気型戦闘系クラリスの持ち主でな、そこに転がっている無能とは違うんだ。この電気を食らいたくなければ、黙っといてもらえるかなぁ、今見たこと」

 手にバチバチと電気を流しながら、零の方に近づいてくる。周りにいる取り巻きも、零を囲うように近づいてきた。
 まずいことになったな、と思いながら誰か呼ぶべきか考えていると、地面に倒れていた男が声を上げた。

「その人は関係ないだろ! 脅すなんて卑怯だぞ!」

 康介が声の方を不愉快そうに見る。

「お前、まだまだ元気なんだなぁ。あぁ、いいこと思い付いた。目の前で助けようとしたはずの他人様を、自分の愚かさで苦しめる結果になるってのはどうだ? お前は何もできずに、関係ない人が巻き込まれるのをずっと見るだけだ」

 零の後ろにいた三人の取り巻きのうちの一人が、零の腕を素早くつかむ。結構な力だったため、筋力を強化する能力かもしれない。





 そのまま零と蹴られていた男は、人目の少ない学校裏の公園へと連れ込まれた。

「転校生も、転校してきて間もないのにこんなのに巻き込まれて可哀想だな」

 桐島は心にもない言葉を発する。

「全部この成瀬なるせ 颯太そうたとかいう無能を恨むんだな」

 取り巻きに向かって「成瀬を抑えていろ」と指示をした。

「待って! その人は関係な――」

 抑えている取り巻きの一人が、叫ぼうとした颯太の口にタオルを詰め込み、声を出すことすら許さなかった。

 康介は零の方へ向き直り、相変わらず手の上で電気を発生させながら近づいてくる。
 取り巻きの一人に手を押さえられ、抵抗しようとしても少しも動かなかった。

「力強いね、君。……ってか桐島だっけ? その電気って痛い? 俺痛いの嫌いなんだけど」
「どうだろうな、徐々に強くしてやるから、後半は気失って楽だろうよ。さっきも言ったが、恨むなら巻き込んだ成瀬を恨めよ」

 零の前にしゃがみこんだ康介は、颯太に「お前のせいで人が苦しむ様子を味わうんだな!」と言った後、零に手を押し付けた。
 全身に鋭い痺れが走る。出力が弱く、気を失うものではなかった。
 颯太が、喋れないなりに声を出そうとする。うめき声にしか聞こえないが、状態から焦っている様子が見えた。颯太のこういう反応を楽しんでいるのだろう。

「……しっかり痛いじゃん。すごいねその力、攻撃対象決めれるんだ。俺を押さえてるやつは何ともなさそうだから」

 康介が一瞬驚いた顔をした後、笑った。

「お前、喋る余裕あんのか。いいな、気に入った。もう終わらせてやるよ」

 明らかに手の上の電気が強くなる。

「え……マジ? それを今から俺に? 流石に死ぬのはやめろよ、こんなので死にたくないし」
「成瀬でも耐えられるんだから、死なねぇよ」

 その言葉が言い終わる前に、康介は零に最初より何倍も強くなった電気を浴びせる。痛みを感じるより早く、零は意識を手放した。
 意識が飛ぶ寸前、強力な電気が体を走る感覚に、零の頭に小さな部屋のビジョンが一瞬浮かんだ。





 倒れている零を見て、康介は満足げな笑みを浮かべる。そのまま立ち上がり、帰ろうと後ろを見たとき、康介は違和感に気が付いた。

「あ? あいつら、どこ行った?」

 颯太を押さえ、零の腕を固定していた取り巻き達がいなくなっていた。颯太の姿もない。
 康介はもう一度振り返り、零が倒れていたはずの場所を見る。そこには零の姿もなかった。

「どうなって――」
「夢、みたいなものかな」

 背後から声が聞こえる。康介はまた後ろを見た。
 そこには、月の光に照らされ白銀に輝く髪に獣のような耳が生え、目が紫と青に妖しく光る、しっぽの生えた獣人が立っていた。
 月? そう言えば、まだ夕方の五時頃だったはずだ。こんなに暗くなかった。
 違和感と共に、非現実的なことが起きている現状に恐怖心が湧き上がってくる。

「お前、誰だ?」
「俺だよ、さっき君に殺されかけた」
「転校生か? それにしてはずいぶんと見た目が違うようだが? 人ですらない」
「さっきも言った通り、ここは夢の中のようなものだからね。気づいたでしょ? 辺りが暗くなってるの。現実じゃないんだよ、ここは。君は零の潜在意識と会話してると思えばいい」
「夢の中? 何訳分かんないこと言ってやがる!」

 康介は獣人に殴り掛かる。避けようとしなかった獣人の体を、拳が通り抜けた。

「ほら、当たらない。実体は無いんだって、意識だけだから。君の電気で一瞬だけ俺の記憶が戻ったときに、無意識に引きずり込んだみたい。帰れないなんてことはないから安心してよ」
「意味わかんねぇ、どういうことだ」
「ちょっと諸事情で、俺の記憶も力も封印されててさ。これは潜在意識だから、ちゃんとした記憶だけどね。おそらく目を覚ましたら、また全部忘れてる。それにしても、さっきの電気、結構な出力だったなー。普通の人なら死んでるよ」

 獣人は軽く伸びをしてから、康介の方に一歩ずつ近づいてきた。それに合わせて、康介は後ずさる。

「なにいってるんだ、成瀬にやっても生きてただろ」
「だーかーらー、普通の人って言ってるでしょ。成瀬はクラリス持ってるんだよ、本人も自分が持っていることを知らないようだけど。何しろ誰かに殴られたりしないと分からないし、殴られたとしても気づかないケースの方が多そうだしね。さしあたり、ダメージ軽減系か自己回復系じゃないかな」
「……は?」
「よかったねー、君が今までで攻撃対象にしてきたのが俺と成瀬で。もし違ったら、今頃君は殺人犯でKIPに捕まって刑務所行きだ。大体、あんなの普通の人だったら感電死するに決まってるじゃん」

 半笑いで言う獣人と対照的に、康介の顔からは血の気が引いて行った。ようやく自分がやっていたことの危険性を理解したようだった。
 獣人は、さらにじりじりと近づいてくる。

「近寄るな! 化け物が!」

 獣人の動きが止まり、少し驚いたような顔をする。

「うわあ、久々に聞いたよその言葉。随分と酷いこと言うね」

 そういった瞬間、獣人の姿がゆらりと消えて、ある程度の距離を保っていたはずの康介の目の前に一瞬で移動してきた。
 あまりの突然の出来事に、康介は腰を抜かしてその場に座り込む。

「あれ? もしかして、君って案外ビビりなタイプの人? そんな驚かなくてもいいのに、殺すわけじゃないんだから。さっきまでの威勢はどこ行ったの?」
「……うるせぇよ、なんなんだよお前! きもちわりぃ!」
「えー次は気持ち悪い? 傷つくなあ……。あ、そうだ。普通なら夢の中の出来事なんて全部忘れるんだけど、そんなに言うなら、俺がやばい奴ってことと普通の人なら死んでいたってことだけは忘れないようにしといてあげる。また電気流す遊びなんてされたら困るし」

 獣人の周りに黄色い光が浮き出る。それは目の前で結合し、大きな塊となった。そして、徐々に康介に接近して行き、康介の体に溶け込むように消えていった。

「何をした……?」
「別に何か害があるわけじゃない。ただ、起きたときに全部は忘れないように、この出来事の一部分を君の記憶に定着させたんだよ。目が覚めたらわかるさ、ほら、もうそろそろ……」

 そう獣人が言うと同時に、康介の視界が暗転した。
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