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しおりを挟むプロローグ 仁義なき、わんにゃんの戦い
月のない夜。空には薄雲がかかっていて、星も見えない。
まるで黒の絵の具を零したような空の下で、ケモノのうなり声が不気味に響いた。
「うなぁ~ぐるぉ~フシャー!」
「ヴウゥー……! グルルル」
狭い歩道を戦場に、睨み合うケモノたち。
片方は猫の群れ、もう片方は犬の群れだ。
それぞれが牙を剥き出し、低い鳴き声と共に、頭を少し下げて尾を上げる威嚇の体勢を取っている。
「新月は、わらわの尊き神性がなりを潜め、もっともケモノに近づく夜じゃ。ふふ、血もたぎるというものよ」
猫の軍勢を率いるのは、白く艶やかな長毛を夜風になびかせている、ペルシャ猫に似た姿をした猫、ウバだ。その瞳は金色で、月のない夜であってもまるで満月のように光り輝いていた。
彼女は猫であって猫ではない。その正体は『猫神』という、人を守る猫の神様だ。
ウバの周りでは黒猫にアメリカンショートヘア、そして三毛猫たちが、犬の群れを睨みつけている。彼らもまた、普通の猫ではない。それぞれ病鬼、猫又、仙狸……はるか昔からこの国に存在している鬼や化け猫で、かつては人間相手に悪事を繰り返していたこともあった。
一方、犬たちは、まるで闇から形を成したかの如き黒色の毛並みに覆われていた。目だけが血を思わせるほど真っ赤で、ギラギラした光を放っている。
チャカッ、と爪音が響いた。
黒い犬の群れから、一頭の狼が前に出てきたのだ。
他の犬に比べてひとまわり大きく、シベリアンハスキーを思わせる体躯をしている。その毛並みは、ふさふさした白銀色の剛毛に覆われていた。
「神や鬼、妖怪といえども、所詮は猫。しかも人間に飼い慣らされて、すっかり牙を抜かれた状態では、勝負にもなるまい」
フン、と鼻で嗤われ、ウバの傍にいた黒猫――キリマが毛を逆立てて殺気を露わにする。
「馬鹿にするな。お前の喉笛、この爪で掻っ捌いてやろうか」
「クク、我が研ぎ澄まされた牙が、お前の頭に食らいつくほうが早いだろう」
すると、キリマの隣にいた三毛猫が、爪音を鳴らして一歩前に出た。
「……試してみるか? お前たちが、吠えて威嚇するだけしか能のない野良犬だということを、思い知らせてやろう」
「望むところだ。今日こそ決着をつけてやる」
バウッ、バウッ!
グルルル……
言葉を話す狼の後ろには、影を思わせる真っ黒な犬たちがぞろぞろとたむろしている。
目の前にいる猫たちを、どう料理してやろうか。
犬たちはそう言わんばかりに赤い舌を伸ばし、舌なめずりをする。
明らかに十匹以上はいる犬の群れに対し、猫の軍勢はたった四匹だ。しかし、その四匹は一歩たりとも後ずさりしなかった。
「ウフフ、今宵は血を見ることになりそうね」
アメリカンショートヘアの見た目をした猫が、艶やかな声で呟く。
まさに一触即発の瞬間。
この場において唯一の人間である鹿嶋美来は、目の前で繰り広げられる情景に、呆然と立ち尽くしていた。
「ちょっと、あなたたち、店の前で何やってるのっ!」
悲鳴にも似た抗議の声に、犬も猫も反応することなく、変わらず睨み合っている。
人間はお呼びじゃないということなのだろう。
これは『物の怪』と呼ばれる類の猫と犬が、互いに領地を奪い合う、仁義なき戦い。敗北した途端に棲み処を失う。
話し合いなど、もはや意味をなさない。
取るか取られるか。互いに譲れない以上、残された道は戦いしかないのだ。
だが、美来にとってはたまったものではなかった。
「ここ、公道だよ⁉ 夜とはいえ、いつ人が来るかもわからないんだから、保健所を呼ぶどころの騒ぎじゃなくなるよー‼」
「美来。これは避けられない戦いなんだ。けれども俺は絶対美来を守るから」
キリマが思い詰めた様子で言う。しかし美来は首を高速で横に振った。
「そういうことを言ってもらいたいんじゃなくて……」
がっくりと肩を落とす。そうじゃないのだ。
「お願いだからどっちも落ち着いてよ。争いは何も生み出さないって、歴史の授業でも先生が言っていたよ!」
美来が必死に訴えるも、両者は耳を傾けようともしない。
人間の歴史など知ったことではないのかもしれない。美来ははらはらした気持ちで辺りを見回した。すると、犬と猫が睨み合う道の向こうから、酔っ払った様子の中年男性がふらついた足取りで近づいてくる。
「ひぇっ!」
美来は慌てた。酔っぱらいは気持ち良さそうに歌を歌っている。
「ウウ……ガルッ」
後方の気配に気づいた狼が、ぐるりと後ろを向いて威嚇の鳴き声を上げた。
「ふんふーん、ふん?」
よたよた歩いていた中年男性が、犬と猫の群れに気づく。
「フシャァ……」
「グルルル……」
ここに近づくなと言わんばかりに、猫たちは暗闇の中で目を光らせ、影色をした犬たちはギラリと牙を剥き出す。
「ひぇええ‼ ヒョエー‼」
酔いが一気に覚めたのか、中年男性は猛烈な勢いで逃げていった。
「よ、よかった……。冷静に保健所に電話されたらどうしようかと思った……」
美来は胸を撫で下ろす。中年男性には申し訳ないが、こんなところで保健所に連絡されてしまったら、美来の大切な『ねこのふカフェ』が騒動に関わっていると思われかねない。
「と、とにかく、あなたたちいい加減にして! 少なくともお店の前では……じゃなくてどこでもダメだけど、喧嘩はダメ。ストップー!」
またいつ人が通るかもわからない。それに、平和的な解決方法があるはずだ。
美来は懸命に説得しようとする。しかし、その声に反応したのは一匹のみ。
キリマだけが、チラ、と横目で彼女を見上げた。
「美来、家に入ってろ。今日の戦いは今までにない激闘になるだろうから」
「キリマ、私の話聞いてた⁉ どうしてみんな揃いも揃って血気盛んなの⁉ 喧嘩っ早いにもほどがあるでしょ!」
思わずわめくが、それでも冷え冷えとした空気が和らぐことはない。
美来は頭を抱えた。
「どうしてこんなことになっちゃったの……?」
唇を戦慄かせて呟く。
美来は何かに縋りたい気持ちになって、空を仰ぎ見た。
今宵は新月。月はない。本来は美しく瞬くはずの星も低い雲に覆われて、その姿を確認することができなかった。
そもそもこんな事態に陥ってしまった原因はなんだったのか。
威嚇し合う猫と犬の群れを前に、美来は過去の出来事を思い出していた――
第一章 変動の兆しと、思わぬ食客
新月のわんにゃん戦争が勃発する一ヶ月前。
季節は秋に入った九月初めの日曜日。美来が働く猫カフェは、その日も盛況だった。
東京郊外の街の一角にある『ねこのふカフェ』。
昭和の匂いが色濃く残っていた流行らない喫茶店から心機一転し、猫カフェにリニューアルした店である。それから一年と三ヶ月が過ぎた今も、客入りの良さは変わらない。いや、むしろ日進月歩の勢いを見せていた。
「いや~、それにしても素敵なお店ですね! ナチュラルな雰囲気で、ファンシーさが控えめなところが、男女年齢問わず入りやすい店構えだと思います!」
カウンター席に座って、熱心に語る女性は、とあるタウンマガジンのライターらしい。巷で人気の猫カフェとして取材したいと、アポイントを取って来店したのだ。一ページを使って宣伝してくれるという話である。
「ええ。猫好きの方は老若男女問わずにいらっしゃいますから、どなたでも気軽に入っていただけるよう、店のデザインにはこだわりました」
ライターの相手をしているのは、カウンターの内側に立つ、美来の父親だ。
鹿嶋源郎。
年齢は四十九歳。痩せ型の長身で、短い黒髪を横分けにしている。トレードマークは綺麗に整えられた口ひげであり、人からよく『文壇関係のご職業ですか?』と聞かれることが多いが、文才はまったくない。
何よりもコーヒーの味にこだわる『ねこのふカフェ』のマスターだ。この店で提供しているドリンクとケーキ以外のフードはすべて源郎が担っている。
「口コミによると、コーヒー通にも人気があるお店だそうですね。猫カフェはランチタイムからで、午前中はモーニングメニューを出す、普通の喫茶店なんですよね」
「猫キャストの体調を何よりも優先しなければならないですから。お客様は皆、ご理解のある方ばかりで感謝しています。モーニングは、リーズナブルなお値段で一日の活力になるような朝食を提供できるよう尽力していますよ」
ライター相手に、にこやかな営業スマイルで会話している源郎を横目に、美来はヒヤヒヤしていた。
(お父さん、緊張してるなあ。ボロを出さないといいけど……)
なにせ、この猫カフェは、ただの猫カフェではない。なんとしても隠し通さなくてはならない前代未聞の秘密が隠されているのだから。
それなら取材など受けなければいいのに、と言うなかれ。
タウンマガジンの一ページを独占できるというのは、集客に繋がるのだ。すでにタウンマガジンの編集部と打ち合わせは済ませていて、インタビュー記事の下部には、割引券を掲載してもらうことになっている。
ちなみに『ねこのふカフェ』は時間制限ありの、チケット料金制だ。
美来の心配通り、源郎は余裕ある受け答えをしているように見えるが、体は緊張のあまり、直立不動の状態で固まっている。
「やっぱりお母さんに対応してもらったほうが良かったかなぁ」
思わず美来が呟いた時、源郎の頭に猫が一匹、ストッと飛び乗った。
アメリカンショートヘアらしき柔らかいグレーの毛並み。キュッと目じりが上がったアーモンド形の目は大きく、きらきらとオレンジ色に輝いている。
「ニャ~ン」
甘えた声色には不思議な艶やかさがあって、心まで蕩けてしまいそうだ。
「わっ、ジ、ジリン。今は大事な話をしているから、あっちに行ってなさい」
源郎が慌てて頭を手で払う。するとジリンと呼ばれたアメリカンショートヘア風の猫は颯爽と源郎の頭から飛び、カウンターにストッと降りた。そして女性ライターの膝にスルリと滑り込み、ゴロゴロ喉を鳴らして体を擦り寄せる。
「ひゃわわ! かわっ、可愛い~!」
途端に目じりを下げてデレデレしたライターは、インタビューもそこそこに、ジリンの背中を撫で始めた。
「この美人猫が、ねこのふカフェの看板猫として有名なジリンちゃんですね。本当に口コミ通り、すごく人懐こいですねっ」
語尾にハートマークが見えそうなほど、ライターの声は弾んでいる。
源郎は「ハハハ」と笑って、頭を掻いた。ジリンの横やりのおかげで、緊張が少しほぐれたようだ。
カウンターからヒョコッと顔だけ出したジリンは、そんな源郎を横目で見て、「まったく、世話が焼けるんだから」と言わんばかりに小さな肩をすくめる。
ジリンが源郎の頭に乗ったのは、猫の気まぐれではない。『源郎のフォローに回る』という確固たる意思を持って介入している。
なぜそんな気配りができるのかと言うと、ジリンは普通の猫ではないからだ。
その正体は、江戸時代より生きる猫又という妖怪である。ゆえに、人の言葉を理解できるし、人の言葉を話せるし、なんと人間の姿に変身もできる。
「ウニャァァ~ゴ」
ライターが笑顔でジリンを撫でていると、店の奥から低い猫の鳴き声が聞こえた。
それは思わず振り向いてしまうほど、迫力のある声。まるで中年のおじさんが猫のものまねをしたかのような、酷いダミ声である。
ライターはハッと顔を上げて声のほうを振り向いた。そのタイミングで、役割を終えたとばかりにジリンが床に飛び降りる。
「一度耳にしたら、二度と忘れられないという噂のダミ声……! あそこの台座に座っているのが、『ねこのふカフェ』の守護神、ウバ様ですね!」
一気にテンションが上がったライターに、源郎は苦笑いで「そうです、ハハハ」と頷いた。
「すごい! このデブ猫ぶり! 目つきが悪くて滅茶苦茶上から目線で、台座から微動だにせずふんぞり返るそのお姿。まさしく守護神に相応しい貫禄ですね」
「にゃ~ん、ニャア、ウニャッ」
ウバは人の言葉を話すかのように鳴いて、何事か訴えている。
ペルシャ猫を思わせる、ふわふわの白い長毛が特徴的な巨大猫。その体躯はジリンの三倍はある。もうひとつ特徴をあげるなら、見入ってしまうほど美しい金色の瞳だろうか。目つきが悪く、今ひとつ相貌が整っているわけではないのだが、奇妙な愛嬌の持ち主だ。
台座に座るウバは目の前にある小さな賽銭箱を、太い前足でトントンと叩いた。
その何かをせびる仕草を見たライターは、ポンと手を打つ。
「なるほど! これがウバ様のお賽銭おねだりですね!」
『ねこのふカフェ』には、守護神の猫様がいて、お賽銭を催促する。
この店に人気が出た理由のひとつだ。まるで言葉を理解しているみたいに、人間味溢れる仕草をしてみせるウバは、たくさんの客に笑いと癒しを振りまいている。
ライターはさっそくウバの座る台座に近づいて、財布から百円を取り出し、チャリンと入れた。
「ウニャ~!」
その途端、ウバは二本足で立ち上がる。巨大猫なので、立ち上がるとかなりの迫力だ。そしてウバのふくよかな体に隠れていた三匹の子猫が、ミャンと顔を出す。
「ぎゃわい⁉」
ライターが妙な奇声を発した。『ギャア』と驚く声と『可愛い!』という声が合わさったらしい。まさか子猫が出てくるとは思わなかったのだろう。
ウバは自分の後ろに隠していた小さなラジカセのボタンを、尻尾でカチリと押す。
唐突に流れる音楽は、神社などで聞く機会のある、雅楽だ。その音楽に合わせてウバが巨体を揺らし、ピシッと前足と後ろ足を上げポーズを取る。そんなウバの周りを、三匹の子猫がクルクルうろうろして、まるでウバを応援するみたいに「ミャンミャン」と鳴いた。
「子猫かわ……っ、えっ、踊……ッ……まじダンス?」
思わず素に戻ってしまったライターがあんぐりと口を開ける。ひとしきり踊ったウバは、尻尾でラジカセのボタンを押して音楽を止め、何事もなかったかのように無表情で定位置に座った。子猫たちもウバの毛に埋もれてぬくぬく暖を取る。
「ウバちゃん、すごいでしょう~。芸達者なんですよ~」
ライターの傍に来て、ニッコリと笑顔で話すのは、花代子。美来の母親だ。
『ねこのふカフェ』は基本的に、源郎と花代子と美来という、親子で営業している。
おっとりした口調の花代子にライターは「そ、そうですね」と相槌を打つ。
「芸、というカテゴリーを超えていそうですけど。実際に見ると大迫力でしたね」
「前に、ウバちゃんと一緒に神社へ参拝したことがあったんですよ。その時に巫女さんが踊っていた舞を覚えちゃったみたいですね~」
「かしこいんですね。さすが守護神様です」
花代子の説明を聞いて、ライターが感心した顔で頷いた。
だがしかし、ウバは猫にしてはかしこいのではない。猫の振りをした、正真正銘の神様なのだ。江戸時代より存在し、元は近くの山にある社に棲んでいたのだが、時代が経つに連れて人はウバを忘れていき、人々からの信仰心を失った彼女は神としての力を失ってしまった。
孤独を感じたウバは、彼女曰く『気まぐれ』で山を下り……そして、美来に拾われた。
そうして、今は『ねこのふカフェ』の(裏)主人として、カフェを見守っている。つまり守護神というのは冗談ではなく、本当の話なのだ。
ライターは後ろを振り返った。
盛況なカフェでは老若男女、様々な客が源郎の淹れるコーヒーや紅茶を楽しみ、彩り豊かで写真映えのするオシャレな日替わりランチに舌鼓を打っている。
そして何よりも客を喜ばせているのが、愛嬌のある人懐こい『猫キャスト』だ。
「ニャァ~ン」
女性客の足元に擦り寄るのは、雄の三毛猫。
「あ~、モカくんだ。こんにちは、モカくん」
「ニャン」
モカは甘くねだるような鳴き声で返事をして、翡翠色の瞳をきらきらと輝かせる。女性客は食事の手を止めて、モカを抱き上げた。モカはぐるぐると喉を鳴らして、尻尾でパタパタと客の足を柔らかく叩く。
「うう~、可愛い!」
「私もモカくん抱っこしたいよ!」
向かいに座っていた客が不満そうな声を出すと、モカはピクッと耳を揺らして顔を上げ、招き猫の如く前足を掻いた。
「にゃ~、ニャ、ニャン」
「あはは。もうちょっと待って、って言っているみたい」
「本当だ! じゃあもうちょっと待つから……抱っこさせてね?」
「ニャン」
モカは目をキュッと細めて優しく鳴く。抱っこしていた女性客は「たまらん!」と叫んで、モカの背中に頬ずりする。
一方で、少し離れたテーブル席には、ノートパソコンを開いているビジネススーツ姿の男性が座っていた。
猫カフェにはそぐわないほど、その姿は厳つい。しかも険しい顔をして、忙しそうにキーボードを叩いている。
「なぁーん」
そんな彼の近くで、控えめな鳴き声がした。
男の傍に寄ってきたのは、目が醒めるほど真っ黒な毛並みを持つ黒猫だ。宝石のように綺麗なアイスブルーの瞳が、まっすぐに客を見つめている。
「む……っ」
タァンとエンターキーを押した男と、黒猫の視線がバチッとぶつかる。
男はグッと眉間に皺を寄せ、しかめ面をした。
まるで猫が嫌いだと言わんばかりの渋面。しかし男はすぐさま椅子から降りるとその場で膝を折り、黒猫に向かって両手で『おいでおいで』をする。
「キリマたん……! 僕の癒しのすべて! さあ僕の胸に飛び込んでおいで!」
――全力で猫好きであった。この男性客は、美来が顔を覚えてしまったほど、ほぼ毎日来店する生粋の猫好きである。しかも黒猫のキリマがお気に入りなのだ。
キリマは一瞬、嫌そうに顔を背けた。すると、美来と目が合う。
『これも、仕事か?』
『頑張れキリマ! あとでブラッシングしてあげるからね!』
キリマの心中を察した美来は応援の意味を込めて拳を握った。キリマは仕方なさそうにため息をつく。
そしてめいっぱいの営業スマイルで、男の胸に飛び込んだ。
「ニャ~ン!」
「ホホーイ‼ キュート! エクセレント! キリマたんはエンジェル!」
先ほどの厳めしさはどこへやら。男はデレデレに蕩けた顔をして、キリマを抱き上げる。そして椅子に座ると、キリマの背中を優しく撫でた。
「あぁ~癒される。癒されるよ。もはや僕は、君なしでは生きていられない。君に会えるから、午後の仕事も頑張れるんだ、うう」
重い。猫好きのお客さんには、時々これくらい感情の重い人がいる。
キリマは男にされるがままになりながら、がっくりと小さな肩を落とした。妙な客に好かれてしまったと、げんなりしているのだろう。
それでも、気まぐれに逃げたりはしない。
キリマやモカもまた、猫であって猫でないからだ。
モカは、仙狸と呼ばれる化け猫で、元々、美しい男性に変化して人間の女をだまし、精を吸い取る悪い妖怪だった。
キリマは四匹の化け猫の中では一番の年長者で、平安時代より生きる鬼だ。『猫鬼』と呼ばれていて、人間から病を取り込み、それを『死病』として蔓延させる、とても邪悪な鬼である。
ジリンも江戸時代には花魁に化けて男をだまし、贅を尽くして好き放題していた過去があり、三匹とも基本的に『悪い物の怪』だった。かつて、そんなキリマたちを退治し、神使として自分の手駒にしていたのが、ウバ――猫神なのだ。
ウバが人からの信仰心をなくして力を失った頃、神使として使われていた化け猫たちは、一斉に彼女のもとを逃げ出した。それからしばらくの間は離ればなれだったのだが、何の縁か、この『ねこのふカフェ』で四匹は再会し、こうして猫キャストとしてカフェを盛り上げている。
これが『ねこのふカフェ』のトップシークレットだ。
ウバたちが猫の振りをした物の怪であることは、最初は美来だけの秘密だったけれど、今では源郎と花代子も知っている。
何でもあっけらかんと受け入れる花代子と違って、非現実的な出来事を認めない源郎はなかなか奇妙な現実を受け入れることができなかったが、さすがに最近は、少しは慣れた様子だ。
「すごいですねえ。猫ちゃん全員が人懐こくて、可愛くて……まるで人の言葉を理解しているみたいだし、こんなに愛想がいいなんて、びっくりしました」
「たまたま、そういう猫と巡り会えたようですね」
ライターがあっけにとられた顔で言うので、源郎は愛想笑いをしながら全力でごまかす。
実は、本当に人の言葉を理解しているんです。愛想がいいのは仕事だからです。揃いも揃って化け猫のくせに、妙にプロ意識が高いんですよ、こいつらは――
そう言いたいのを必死に我慢しているのか、彼は苦虫を噛んだような顔をした。
「想像していた以上に素敵なお店ですね。これは紹介のしがいがありますよ~!」
ジリンやウバですっかり心癒されたライターが、機嫌良く話す。
「それじゃあ、楽しみにしていたオヤツをあげてみましょうか。すみませんが、猫用オヤツを頂けますか?」
「カリカリは一袋で百円。チューブタイプのオヤツは一個で二百円ですが、いかがいたしますか?」
対応したのは花代子だ。ライターは少し悩んだあと、ニッコリと笑顔を見せる。
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