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四章 転生者七斗

三話

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 ウキンは街をむやみやたらと歩いた挙句、小さな路地に入っていった。路地にある屋台を掻き分け、適当なビルの階段を上って一つのドアを押した。そこは割と広いバーでウキンはカウンターの隅に腰を落ち着けた。
 いいんだろうか、俺たち死神が仕事でもないのに人間界のど真ん中のこんな所に居て。店の者も客も誰も近付いて来ない。
「酒」
 誰も近付いて来ないからウキンは俺に注文を出した。
「え?」
「何でもいいから。そこにあるやつ」
 そう言ってカウンターの向こうにずらりと並んでいる酒瓶に顎を杓る。仕方がないからカウンターの中に入って勝手に水割りを作って出した。
「何だよコレ」
 ウキンは俺が出したのを一口飲んで、口を拭ってまずいと言う。
「水割りだけど」
 生前の俺は貧乏学生だったので、そんなに高い酒は飲んだことがない。並んでいる瓶の中で俺の知っている一番高価そうな奴を出したんだが。それにしても店の連中は気が付きもしないで居る、というか、なるべく避けて見ないようにしているようだ。

「お前、ただの死人だろ?」
 暫らく俺の作った水割りを手で弄んでいたウキンが突然聞いてきた。
「えっ……? あ、うん」
 そういう言い方って地区管理局の連中と同じで、何となく嫌なんだが。
「何でヴァルファと出会ったんだ」
「えと、ヴァルファが俺を迎えに来たんだけど」
 憶えてないけどさ。
「あいつ普通はそんな事はしないぞ。お前、何か変わった死に方をしたのか?」
「いや、俺は生きていたとき、こんな姿かたちじゃなかったんだ。それで死んだときに魂が飛び散ったとかで」
 俺がそう言うとウキンはとんでもないことを言い始めた。

「そうか。そういう奴は普通、生まれ変わりの奴が多いな」
「生まれ変わり?」
「そうだ。何かの理由で生まれ変わった奴。お前、前世のことは覚えていないのか?」
「全然……」
 生まれ変わる前の前世の姿が今の姿なのか?
「いい加減な奴だな」
 そんなことを言われても、アロウも九朗も誰もそんなことは言わなかったんだが、しかしウキンは全然違う方向に話を持って行ったんだ。

「思い出そうとか思わないのか」
「えっ、思い出すことが出来るのか?」
「冥界に『思いだ草』というのがあるぞ。罪人に色々思い出させて、苦しい思いをさせて罰する罪があるからな」
 なんちゅうネーミングだ。
 そんないいものがあるのなら、忘れてしまったアロウと出会った時のことが思い出せるのに、何でアロウは何も言ってくれないんだ。
 うっ、何だか余計に不安になってきた。

 不安を振り切るようにプルプルと首を振ってウキンに聞いた。
「あんたの恋人って、ヴァルファの兄貴なのか?」
「まあな……」
 ウキンはやるせなさそうに溜め息交じりに答えた。
「あいつらは冥界の主の直系の子供でさ。俺とフギムニンは奴らのお目付け役兼侍従として付けられたんだ。フギムニンは腕白でヴァルファのいい遊び相手になったが、俺は……」
 九朗より線が細くて妖艶で、黒い濡れたような瞳。九朗と同じ癖で流れる黒髪を掻き上げると綺麗な横顔が浮かび上がった。魅入られても不思議じゃないよな。

「ウキン!! こんな所で何をしている」
 振り向くと九朗が店に入って来た。どうやら探していたらしい。
「やけ酒だ」
 ウキンが駄々をこねるように言うのに髪を掻き上げ溜め息を一つ、そして説得するように言った。
「まだそうと決まっちゃいない。とにかく地区管理局に戻れ」
 ウキンは唇を尖らせて、それから少しすがるように聞いた。
「ヴァルファが跡を取るようにならないのか」
「そうなるかも知れん。あいつは浮気性で誰彼無しに手を出すような奴だからな。ガキもいくらでも作るさ」
 そんな──。
 じゃあ俺はどうすればいいんだ。


 九朗に連れられて地区管理局のオフィスに帰るとアロウの叔父のヤヴンが来ていた。どうやらウキンが来たわけを聞いたらしく、俺の方を気の毒そうに見ながら声を潜めて九朗に聞いた。
「どうやらヴァルファが跡を取ることになるようだな」
 でも声を潜めても、アロウやらコイツらやらの声は通りがよくてよく聞こえるんだ。俺は泣きたい思いで給湯室に駆け込んだ。しかしそこにはやはりお茶挽き連中がいて散々に噂をしていた。
「ヴァルファ様が跡を継がれることになるそうよ」
「いい気味だわ! あんな何処の馬の骨とも分からない死人は、もうどこぞに追いやられるのよ」
「ここに居るようなら、もっと苛めて居られないようにしてやりましょうよ」
 お茶挽き連中を掻き分けて、嘲りながら行くのを無視してお茶の用意を始めたが、目の前が歪んで滲む。
 銀の髪がキラリと見えた。アロウによく似た低い美声が後ろから囁く。
「私のところに来るかい。私は優しいよ。君ならずっと可愛がってやろう」
 結構だよっ!! ……と言いたいところだが、アロウは居なくて事務所の連中も誰も彼もみんな敵みたいで、俺は一人で、ひとりぽっちで──。


 * * *

 ヤヴンの手が俺の肩にかかろうとしたとき、能天気な声が俺を呼んだ。
「七斗ー!? 何処にいるのー」
 この声はロク!
 俺はヤヴンを振り切って給湯室を飛び出した。その途端ロクにガバッと抱き締められた。
「七斗ー!!」
「ロク!? どうして?」
「あら、アタシだけじゃないわよ。皆も一緒よー」
 ロクが俺を抱き締めた腕を解くと、その後ろに懐かしい面々がいた。
「ジェーニャ!!」
「七斗、元気?」
 今度はジェーニャの太い腕にムギュと抱き締められた。ふくよかな胸で窒息しそうになった。
「オセとユーシェン!!」
「よう」
「私にもスキンシップをさせて下さい」
 ユーシェンが俺を抱き締めようとしてオセに頭をどつかれた。
「全く、これからっていう時に呼び出してくれます」
「ポポーリョ」
 そう言いながらも笑っているポポーリョが手をしっかりと握ってくれる。
「わああ──!! みんな──!!」
 皆の腕にしがみ付いた。知らずに涙が溢れていた。ロクが代表して俺の頭に手を置き言った。
「ヴァルファ様が心配して、アタシたちを呼んでくださったのよ」
 ロクの赤い髪を見ながら溢れた涙が止まらない。アロウが俺のことを心配して──。
「アタシ一人じゃ心配だからって皆を呼んだのよ。失礼しちゃうわ」
「それってロクが頼りないって事か?」
「あっらー!! いやねー!!」
 ロクはそう言っておれの背中をバンバン叩いた。管理局の奴らが驚いたように見ている。ヤヴンはどうしたのか給湯室から出て来ないようだ。
 アロウの部屋には客がいるから、俺は彼らを管理局の応接室の一室に案内した。

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