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三章 地区管理局でお仕事
八話
しおりを挟む地区管理局に戻ってから、アロウにただの死神になりたいと申し出ようかどうしようかと、悶々と考えた。何があったか聞きたいけれど聞きたくない。聞くのが怖いんだ。
このまま何もなかったことにしてアロウの側に居たいが、またエン支局長みたいなのが現れたら嫌だよな。俺の神経が持たない。しかし、アロウは白々とした顔で忙しそうに仕事をしていて、取り付く島もない。
浮気者で、俺様で、我が儘で、鬼でと俺はアロウの欠点を数え上げたけど、だからって嫌いなわけじゃない。嫌いになれたらどんなに楽だろう。
そんな俺に九朗が「見限ったらどうだ」と囁いた。中国のエン支局長の顔が一瞬浮かぶ。俺だって浮気くらいしてやりたいよな。でも、こんな嫌な思いをするのは俺だけでたくさんだ。
相変わらずアロウと一緒に出勤して一緒に帰った。
家でもそう変わらない。白々とした顔で俺を抱く。俺に飽きたんじゃないんだろうか。それとも、他の人間はつまみ食いなんだろうか。でも、浮気されるのも辛いんだとアロウに言ってやれたらどんなにいいだろう。俺には記憶が抜け落ちていて肝心なことを忘れている。
それさえ思い出したら……、俺はどうするんだ?
悶々と思い煩っていても、アロウに抱かれると身体が燃えるのはどういうわけだろう。白々とした顔のままで身体中に舌を這わせて焦らしまくるのは止めて欲しい。何度もイカされて悔しくて泣けてくる。何でその俺の泣き顔を白々と見ているんだ。表情のない綺麗な顔、水晶の瞳に俺の泣きそうな顔が映って滲んだ。こんな奴、気に食わないのに。
クッソー!! 浮気の現場を押さえたら速攻で別れてやる。
俺は自分にそう言い訳しながらアロウの側に居たんだ。しかし、それから後はアロウは一人で出かけることはなくなって、出張にも俺を連れて出かけた。
中国にはもう一つ支局があったし、オーストラリアにもインドにも行った。アロウは何処に行くにも俺を連れて行ったし、行った先でも俺はアロウの側に居て、お茶汲みやら書類の整理やらに追われた。
俺にはアロウが何を考えているのか全然分からなかった。
* * *
「今度の出張は海の中だが行くか?」
しばらく問答無用で俺を出張に連れ回っていたアロウが俺に聞いてきた。
「行く」と、俺は即答した。
聞くからには何かあるんだ。付いて行って今度こそ現場を押さえてやる。押さえてソッコーで……、俺、別れられるんだろうか。
その日も俺を抱いたアロウの腕の中で、銀の髪を掴んで俺は途方に暮れた。アロウは好きなだけ俺を揺さぶって、気持ち良さそうに眠っているというのに。
海には人魚が住んでいるから、当然のように人魚の死神が居る。俺たち死神は人手が足りなければ何処までも手伝いに行かなければならないから、当然海の中にも行けなくてはならないんだ。今回の出張先はインド洋だった。
でも、いざ広い海を目の前にして俺の身体は竦んでしまった。
アロウがそこで待っているかと白々と聞く。クッソーと、首を横に振った。浮気の現場を押さえるんだ。俺はアロウの後を追いかけて海の中に飛び込んだ。
青く透き通った水。先を行くアロウの髪がゆらゆらと流れる。どうしたんだろう。俺はこんな風に追いかけたことがある。銀の髪がキラッと魚のように光った。追いかけて、追いかけて……。振り向いたアロウが──。
「着いたぞ」
でもアロウは振り向かずに白々とそう言った。俺の取り戻せない記憶はそこで弾けて、海の水に溶けて消えた。
海の中の建物は岩盤の中に造られていた。何階ものビルでも、ちょっと見には分からない。照明には何を使っているのか建物の中は明るかった。
海の方が広いのに、人間よりも彼らの人口の方が少ないそうだ。
このインド洋支局には俺の同期のポポーリョという人魚が居た。アロウはインド洋支局長らしき年配の白くて長い髭の生えた人魚を俺に紹介すると、俺をポポーリョに預けた。
「元気か七斗」
「うん、元気だよ。ポポーリョはセイレーンに会ったのか?」
俺が気になっていた事を聞くとポポーリョは曖昧に頷いた。どうしたんだろう。まだ意地でも張っているのかな。
「私にはよく分からないのだ。お前は経験豊富そうだがどう思う?」と、聞いてきた。
どうも俺はこいつに軟派な奴だと思われていたらしい。俺たちは一緒にセイレーンのいる岩場まで行った。
セイレーンは妖精のようなものかな。歌が上手くてその声に魅せられて数多くの船乗りが死んだという伝説がある。地上では妖精の棲処は急速に失われたけれども海にはまだあるんだ。
──と、これは死神養成学校で習った事だ。
浅瀬にある岩場の上に何人かのセイレーンがいておしゃべりをしていた。どの子も長い緑の髪でポポーリョと同じような大きな目とぺったんこの鼻と尖った口をしていて、背中に小さな白い羽がある。体つきはポポーリョより細くて胸があるので女の子と分かった。
「どの子?」
俺が聞くとポポーリョは隅っこに居る大人しそうな女の子だと教えてくれた。
「へえ、可愛い子だね」
お世辞ではなく他の女の子より可愛いと感じた。長い緑の髪。丸い瞳はつぶらで夢見るようにどこか遠くを見ている。誰かが俺たちを見つけたのか、彼女達は白い羽をはためかせ、一斉に水の中に潜って行ってしまった。彼女が去るときに一瞬ポポーリョの方をじっと見たのが印象に残った。
「まだ憎いと思っているの?」
彼女たちが行ってしまったので戻りながらポポーリョに聞く。
「憎いと思う気持ちと、愛しいと思う気持ちは隣り合わせでしょうか。憎い日もあります。愛しい日もあります」
そんなものなのか? アロウってば憎いばっかりだよな。そういや俺は追い払われたからアロウは浮気をするつもりだろうか。
げ、現場を押さえないと……。
そう思っているとポポーリョが言った。
「相変わらず大事にされているな、お前は」
「え……?」
誰にって、聞かなくても分る。俺はあの浮気者の鬼に大事にされているのか?
* * *
ポポーリョの彼女は可愛いくて大人しい感じだった。人と妖精よりも、死神と妖精の方が近いから、結ばれる可能性もあるんだろうな。
「お前って、あの子にどうやって殺されたわけ」
俺が聞くとポポーリョはもったいぶって教えてくれた。
「私がいつものように彼女の歌に聞き惚れていたら、通りがかった船もその歌に聞き惚れたのだ。彼女はとても素晴らしい声だからな。船は舵を誤って近くの浅瀬に座礁して、私はそれに巻き込まれたのだ」
それじゃ、あの子が悪いんじゃないじゃないか。
でも、そんなことで死んでしまったらカッコ悪いよな。こいつ王子様だとか言っていたし案外カッコつけだから、まだ拘っているんだろうか。
「お前、意地張ってないでさ……」
俺はポポーリョに告白を勧めようとしたんだ。折角死神になったのに、このままじゃいつまでたっても埒が明かないよな。
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