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三章 地区管理局でお仕事

七話

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 部屋に一人でいるのが辛くなってヨロヨロと外に飛び出た。どこに行く当てもないままに宙にぼんやりと浮かぶ。霧なのか雨なのか曇って視界がよく見えない。俺の心の中にも滲みこんで来るようだった。

 ふと、目の前を綺麗な金色の光が通り過ぎて行った。
「オセ!?」
 オセは白い羽をパタパタとさせて振り向いた。側にユーシェンが付いている。
「何だお前。何してんだよ」
「ええと、暇で……。俺、仕事覚えたいんだ。手伝わせてもらえないかな」

 一人で部屋に居て、帰って来ないアロウを待つのは嫌だった。朝まで待って、帰って来なかったと分るのはもっと嫌だった。一時逃れと分かってはいても。

「いいですよ。七斗もご一緒に」
 ユーシェンが手を差し伸べてくれた。
「何だお前。もう浮気されてんのか?」
 オセが呆れたように言う。俺の頬を涙が伝い落ちそうになってユーシェンが慌てた。
「さあ、行きましょう」


「今夜は六十人ばっかし入っているな」
 そう言ってオセが手に持った懐中時計のような機械を見せた。俺はまだ仕事を手伝った事がないので、そんな機械があるなんてはじめて知った。文字盤の部分には字が浮かんで場所と名前が出るようになっている。一番上に表示されているのが人数かな。

「そんなにいるの?」
「少ない方ですよ」
「いつも二人で仕事をしているのか?」
「はい、普通は二人で組んで仕事をするようです。同時に何人も運ぶ場合もありますし」

 俺って、例外中の例外だったのかな。
「あれ、コイツ……」
 何人目かでオセが手に持った時計のような機械を手に立ち止まる。ユーシェンがそれを奪って見た。
「ルゥ・イー……」
「誰?」
「こいつを裏切った奴」
 オセが溜め息を吐き出すように言う。着いたところは病院だった。

「どうする?」
 ユーシェンは苦しそうな顔をしてソッポを向いた。オセは複雑な顔をしている。
「俺が手伝うよ。私情を挟んじゃいけないんだろ」

 あれ……? 今、何か思い出しそうな……。

「よっしゃ。あんたは待ってな」
 オセがホッとしたように言った。しかしユーシェンは首を横に振る。
「いえ、私も行きます」
 オセと俺がいいと言っても、ユーシェンは譲らなかった。


 結局、三人で病院の中に下りる。一番上の上等な部屋にそいつは居た。
 しかし──、
 何と、そこには頭が薄くて、業突張りな外形そのままのジジイが居たんだ。

「コイツかユーシェン?」
 オセが首を傾けて聞く。何でだろう。この男はユーシェンの恋人だったんじゃないのか。
「そういえば、私はしばらくお化けになっていましたから……」

 俺とオセは思わず顔を見合わせてしまった。ユーシェンは死んだ後かなり長いことお化けをやっていたのかな。ジジイはしばらく怪訝そうにユーシェンを見ていたがふと呟くように言った。

「ユーシェン……?」
「コイツとんでもな奴だぜ。次から次へと男を手玉にとって、騙して、裏切って、殺して、残った財産は全部、分捕って」

 オセが手に持った懐中時計を見て呆れたように言う。どうやら死人の略歴も映し出されるようだ。ジジイに向かって一歩前に踏み出した。
「おい、ジジイ……じゃなくて、ルゥ・イー。迎えに来たぞ」

 美しい天使のオセが迎えに来たものだから、ジジイは喜んだ。
「天国から迎えが来たのか? ユーシェンも一緒に? お前が謝るならお前の浮気は許してやってもいいぞ、ユーシェン」

 ユーシェンは苦しげに顔を顰めたが、その横でオセが時計を見ながら口笛を吹いた。
「見ろよ。それもコイツの策略だぜ。自分が浮気して男を乗り換えようとして、お前を罠に嵌めたんだぜ」
「何ですって!」

 ユーシェンが時計を奪って覗き込み呆然としている。オセはにっこりと笑ってルゥ・イーに向き直った。
「安心しなユーシェンは俺が頂いた。末永く可愛がってやるぜ」
「な、なんだと、キサマ!」
 美しい天使のあまりな口調にジジイの顔が染まる。が、オセはお構い無しに続けた。

「俺たちは死神になったんだ。お前は死人だ。諦めて地獄に落ちやがれ。鬼が可愛がってくれるだろうよ」
 魂と死神じゃあ死神の方が強かった。オセはジジイの魂をひっ捕まえて冥界の入り口にとっとと運んで行った。

「ああぁぁ────!!!」
 という叫び声を残して、ジジイは裁きの部屋に落ちて行った。助けてくれと言う暇もあらばこそである。

 オセは、本当に外見は申し分なく美しい天使なんだが。

 彼らの仕事を手伝っていたら白々と夜が明けた。もうこのまま支局に行こうか、でも一応ホテルに戻らなきゃあいけないかな。二人と別れてホテルに向かう。

 でも、アロウが居なかったら、俺どうしよう。

 期待と不安で一杯になりながらホテルの部屋に下りた。だけど、ホテルの部屋には、やっぱりアロウは居なかったんだ。


 中国支局に行くと先に局長室から出て来たのはエン支局長だった。アロウが居ないからか俺を見てキッと視線の矢を飛ばしてきた。美女のそんな顔はかえって怖い。それから、つと俺に近寄り小さな声で囁いた。

「昨夜は楽しかったわ」
 甘い香りが鼻をつく。
 どういう意味だよ……。
 甘い香りを見上げると、エン支局長はにっこりと顔を笑ませてツンと反らせた。

 アロウが局長室から出てくる。何処となくけだるいというか、疲れたというか、怠惰な雰囲気を醸し出していて疑念が湧いた。アロウが俺に近付くとその身体からエン支局長と同じ甘い匂いがして、俺の頭の中で疑念は急速にモクモクと膨らんだ。

 まさか……、もしかして……、まさか……。

 俺の身体はアロウの側に行きたくないという風に、ババッと引き下がって距離を作った。アロウはそれにムッとしたようだ。俺の腕を取って引き寄せようとした。俺はその手を邪険に振り払った。中国支局のフロアで俺たちは睨み合った。

 そこにオセとユーシェンが入って来た。
「オイ、七斗。何してるんだ?」
 呑気な声にホッとしてオセとユーシェンを見る。
「いや、今日も仕事があるのか?」
「報告書を書いてたんだよ。これから帰って寝る」
 オセはうんっと伸びをしてユーシェンを振り返った。ユーシェンがその肩を引き寄せる。
「七斗、手伝ってくれてありがとう」

 二人は俺に手を振って、一緒に仲睦まじく出て行った。羨ましいよな。ぼんやりと彼らを見送っていると後ろから声がした。
「帰るぞ」
 振り向くとアロウの背中が見えた。俺は慌てて後を追いかけた。アロウは疲れているかのようにゆっくりと飛んでゆく。一体、何で疲れたんだ。何も言わない後姿が霞んできて俺は慌てて首を振った。
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