聖獣の神子と糸の巫女

草野瀬津璃

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1巻

1-3

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「私達のいた国には、普通にいるんですよ、あんな感じの犬が。外国の種類なんですけど」

 理緒はそっと補足した。

「あっ、でも、あんなふうにひたいに石はついてませんからねっ」
「そうなんですか、驚きました。聖獣様が身近にいる世界からいらしたのかと……。しかし違うのでしたら、今後、犬呼ばわりはおひかえください」

 アルフォンスは明理ではなく、理緒をにらむ。

(こんにゃろう、言いにくいことは全部私にってか)

 うふふと笑みを返しつつ、理緒は心の中で、アルフォンスにバチバチと火花を飛ばす。

「太郎はこの世界で生まれ変わって、千年生きてたの。すごいね」

 一方、明理の声は感動に満ちていた。
 その発想の自由さに理緒は舌を巻く。明理に真実を話すべきだろうかという考えがよぎるが、勘違いしているなら、このままでもいいのかもしれない。事故のことを思い出させて、悩んでほしくはなかった。いずれ明理だけ元の世界に戻すのだから、ここでのことは夢と思ってもらえばいい。

「いえ」

 アルフォンスは明理の言葉に首を横に振る。

「本当のご年齢は分かりません。聖獣様ですから」
「あ、そっか。死んだり成長したりしない、なんか神様みたいなものなのね?」

 理緒が思いついたことを問うと、意外にも否定が返った。

「いえ、聖獣様でも死ぬことがございます。聖獣様ご自身が契約をたがえた時、死ぬようです。他国での例ですが」

 そういえばさっき、明理との契約を解けと迫る理緒に、太郎が同じことを言っていた。

「ところであのポメラニアンが言うには、私は縁の糸をあやつる能力を授けられたらしいんです。糸の巫女って呼ばれました」
「糸の巫女? 能力……というと、聖獣様の加護を授けられたのですか」
「よく分からないけどね」

 急にアルフォンスの目つきが変わったので、理緒は身を引く。加護が何か知らないが、彼にとっては大事なことなのだろう。
 理緒は返事をする前に、明理の両耳に手を伸ばし、話が聞こえないようにふさいだ。それからアルフォンスに打ち明ける。

「私達、元いた所で事故にあったの。その後、あのポメラニアンにここに呼び出されたわ。体を再構築したって」
「そんなことまでできるのですか、聖獣様は」

 アルフォンスは熱い視線を壁のほうへ向ける。あちらは聖獣の間がある方向だ。

「でね、聞いて」

 理緒が注意をひくと、アルフォンスは理緒へ向き直る。

「私はその時に死んだみたいだから、もう戻れない。だけど明理ちゃんは重体で、まだたましいが戻るうつわがあるそうなの。だから私、何がなんでも契約を解いて、この子を姉のもとに帰らせるつもり」
「……宣戦布告ですか? 黙っておけばいいものを、どうしてわざわざ宣言するんです。話したでしょう? 聖獣と神子の契約は、この国には無くてはならないと」

 アルフォンスは厳しい顔になったが、怪訝けげんそうにもしている。理緒も、自分の人のさに苦笑した。けれど、彼らをだまし討ちしたいわけではないのだから、話しておくのが筋だろう。

「準備期間は必要でしょう? 聖域とやらに行って新しい聖獣と契約を結び直すとか、聖獣がいなくても大丈夫なようにするとか。突然の変化は迷惑でしょうから、一応言っておくわ。――まあ、今はどうすれば解けるんだか、さっぱり分からないんですけどね」

 理緒は正々堂々と胸を張る。

「私はこの子の叔母なの。こんな小さな子よ、親から引き離されるなんてかわいそうだわ。めいの幸せの為なら、なんでもやるつもり。覚悟しておいてよね」

 一方的に言い放ったところで、今まで大人しくしていた明理が、れたような声を出す。

「ねえ、もうお話は終わった?」

 退屈そうに唇をとがらせている。理緒は明理の耳から手を外して謝った。

「うん。ごめんね、明理ちゃん」
「大人の内緒話なんでしょ? お父さんと同じことをするよね、理緒ちゃん」

 明理が訳知り顔で言った。アルフォンスの顔が少し強張る。お父さんという単語に反応したように見えた。意外に感じながら、理緒は明理に問う。

「例えばどんな時に?」
「お母さんがテレビに愚痴ってる時とか」
「ちょっとお姉ちゃん!?」

 思わず姉に向けて叫び、理緒は頭をかかえる。義兄あにが立派なお陰だろうが、めいが素直で可愛らしく育ったのが奇跡のように思えてきた。

「お父さんがよく言うの。お母さんは良い人だし、お父さんは大好きなんだけど、言葉遣いは汚いから真似しちゃ駄目だって。マユラちゃんが聞いたらがっかりするよって」
「うん、そうだよ。気を付けてね」

 妹として遠慮なく姉をこきおろしつつ、理緒は変身プリンセスシリーズに感謝した。あのアニメの主人公、マユラに、明理はとても憧れているのだ。

「あ、そうだ。理緒ちゃん、私、いったんおうちに帰るね」

 急に思いついた様子で、明理はぴょんと椅子から下りた。
 その瞬間、部屋の空気が凍りついたのだった。



   第二章 猫と糸とハンバーグ


 張りつめた空気の中、理緒はアルフォンスとリーファに目で問う。

(どうする?)

 しかし二人とも何も言わない。明らかに困っていた。
 理緒だって不用意なことを口にしたくない。ここで帰れないなんて言ったら、明理が泣き出すかもしれない。じりじりと互いに間合いをはかっていると、アルフォンスが口を開いた。

「それはできません、アカリ様」
(この男、ド直球で行った!)

 理緒とリーファはごくりと成り行きを見守る。

「どうして?」

 明理はきょとんと首を傾げる。そんな仕草も可愛らしい。

「こちらはアカリ様の住んでいらした世界とは、違う世界ですので」
「でも、シフォン・テイル国だと、魔法の鍵で、本の世界と現実を行き来できたよ?」
「……ええと」
(ええい、困った目でこっちを見るなっ)

 たじろぐアルフォンスにぶんぶんと首を横に振った理緒だが、逆に彼はにこりと悪魔じみた笑みを浮かべた。

「私はシフォン・テイル国のことは存じ上げませんので、叔母君におうかがいしましょう」

 理緒は即座に言い返す。

「丸投げすんなっ、すかぽんたん!」
「すか……?」
「馬鹿!」

 はっきり言い直すと、アルフォンスの顔がむっとしかめられる。

「ゾンジアゲマセンって何?」

 明理は言葉のほうが分からなかったようだ。気をそらす為にも、理緒が意味を教える。

「知らないってことだよ。あのアニメ、アルフォンスは見たことが無いんだって」

 仕返しにおじさん呼ばわりすると、彼の眉が更に寄る。リーファが口元に手を当ててさっと横を向いた。肩が小刻みに震えている。

「アルフォンス、もしくはアルと呼んで結構です、タチバナ=リオ様」

 おば様をやたら強調したアルフォンスを、理緒はにらむ。

「私のことは橘と呼んでください。初対面の方に名前を呼ばれたくないので」
「えー? でも、理緒ちゃん。学校では仲良く名前を呼びましょうねって教わるよ?」

 明理の無邪気な言葉に、理緒はものすごく弱い。

「うぐぐ、ぐぬぬぬぬ。……仕方ないわね、理緒と呼んでください」
「そんなに嫌なんですか? 名前を呼ばれるの」

 リーファが問うので、理緒は強く頷く。

「ええ。親しい人には構わないけど、いきなりだと馴れ馴れしく感じるわ」
「そうなんですか? この国では、名前や愛称を呼ぶのが礼儀なんです。アルフォンス様は敬意を示してらっしゃいます」

 リーファは遠回しにアルフォンスのフォローをした。なんてできた部下だ。

「風習なら仕方がないわね。分かりました、それくらいは尊重します」
「ありがとうございます」

 リーファは丁寧に礼を言い、アルフォンスににこりと笑いかける。アルフォンスはリーファに頷いて、理緒へ視線を戻した。

「ではリオ、改めてよろしくお願いします」
「ええ、よろしく、アルフォンス」

 アルフォンスは理緒には様を付けないようなので、理緒も様を付けずに返した。アルフォンスの眉が少し寄ったが、訂正しないので大丈夫なのだろう。明理が少し背伸びして主張する。

「私はアルって呼びたい」
「ええ、構いませんよ、アカリ様」
「明理ちゃんでいいのに」
「それはできません。アカリ様のほうが、身分が上なので」
「ふーん?」

 よく分からないようだったが、明理は聞き分けよく頷いた。

「分かった。アルお兄ちゃん、よろしくね!」
「はい、よろしくお願いします」

 明理とのやりとりだけ見ていると、アルフォンスは子どもに優しい良い大人という感じがする。他の子どもにもこうなのだろうか。

「それで理緒ちゃん、どうしておうちに帰れないの?」

 急に明理からさっきの質問が戻ってきたので、理緒は焦った。

「え!? ええーと、そもそもなんで帰りたいの?」
「あのね、変身プリンセスシリーズが少しお休みしてたけど、今日から続きが始まるんだよ。でも、お母さんに録画してってお願いするのを忘れてたの」
「あ、そういうこと。大丈夫よ、ここは夢の世界なんだから、夢が覚めたら今日の同じ時間におうちにいると思うよ?」
「わあ、シフォン・テイル国と同じだ! すごーい、太郎の言う通り、魔法があるんだね!」
「そ、そうだねえ。あははは」

 明理が信じやすい子で助かった。そう思う一方で嘘をつくことへの良心の呵責かしゃくを覚え、理緒は空笑いを浮かべる。問題の先送りは日本人の悪い癖だと思うが、今は他に良い案が出てこない。

(太郎に説明させたいけど、事故のことまで話が行って、怖いことを思い出させたら嫌だ)

 嘘がばれたら嫌われるのだろうか。しかし明理につらい思いをさせたくない。

(その前に、私が契約を解いて、明理ちゃんを元の世界に戻す!)

 椅子に座り直した明理を眺め、理緒は決意を新たにした。


「リオ様のお部屋はこちらになります」

 それからしばらく明理の部屋にいたが、夕方になってリーファが理緒を隣室へ案内してくれた。緑色をベースにした、木のぬくもりが温かい雰囲気の部屋だ。

「すみません、こちらは本来は私のような、神子様のお世話をする上級神官の部屋なのです。神子様とお近くが良いとおっしゃるので……」
「他の部屋は遠いんでしょう。いいわ、ここで。立派よ、私の1LDKの部屋より広い」

 明理の部屋に比べればかなり狭いが、居間と寝室に分かれていて、トイレと洗面所、風呂もついている。家具もそろっているので不自由はしないだろう。
 それに理緒は根っからの庶民なので、あんまり広すぎても落ち着かない。

「聖獣様の加護持ちですもの、もう少し立派なお部屋にするべきです」
「加護持ちってだけで、そんなに待遇が違うんですね。この国が、とにかく聖獣びいきなのは分かったわ」

 理緒の返事に、リーファは困った表情になる。

「聖獣様の守護により、この国は豊かなのです。少しずつご理解いただければ嬉しいです」
「他の国にも聖獣がいるの?」
「ええ」
「聖獣同士で喧嘩にはならない?」

 リーファは首を横に振る。

「聖獣様に縄張り意識はありますが、外に領域を広げません。領土を増やそうとするのは、いつも人間なのです。契約者が契約者たるにふさわしくなければ、いずれ審判の時が訪れます。ですから聖獣様の守りを失わずにすむよう、我々は戦争を避けます。そうして平和が続くのです」

 そして、そんな聖獣がいない国は悲惨なのだと、リーファはありがたそうに言った。

「ではわたくしは失礼します。後程、世話の者をつけますので、分からないことは彼女にいてください」
「あ、はい。お世話になりました、ありがとう」

 理緒がぺこりと頭を下げると、リーファは目を丸くし、ふんわりと微笑んでお辞儀をする。その後、部屋を出ていった。

「審判の時……」

 恐らく太郎が言っていた、侵略行為をしたら契約が切れるということだろう。
 太郎は神子との契約を切りたがっているようだが、どうやって解くかは教えられないらしい。ならば今、理緒に必要なのは情報だ。

「まずは味方作りね」

 情報収集にはどうしても助けがいる。明理と太郎の契約を解く宣言をしている手前、アルフォンスやリーファがすんなり教えてくれるとは思えない。
 まずはリーファが口にしていた世話の者とやらから、仲良くなってみよう。
 そう安易に考えていたが、やって来た少女を前に理緒は困り果てた。

「ルナルと申します。よろしくお願いします、リオ様」
「よろしく、ルナルちゃん」

 十三歳くらいの少女だったので、理緒はちゃん付けで呼ぶ。それをルナルは硬い表情で拒絶したのだ。

「なりません」
「へ?」
「わたくしは下級神官ですので、友達扱いしてはなりません」

 にこりともしない無愛想な少女は、きっぱりと言った。

「下級……?」

 戸惑う理緒に、ルナルは階級について教える。

「こちらの腕輪の色をごらんください。青は下級神官、赤は上級神官です。他に、紫は長様おささま、白は下働きとなります。身分はきっちりわきまえなくてはなりませんので、色で分かるようにしているのです」

 金髪をお団子にまとめ、白いワンピースを着ている彼女の左腕には、青色の腕輪がはまっている。

「ええと、私は……?」
「まだ決定ではないそうですが、上級神官として扱うようにと命じられております」
「はあ」

 理緒は気の無い返事をした。つまり腕輪を見れば、身分が分かるようになっているらしい。

「神子様は、長様おささま――いいえ、王よりも身分は上でございます。聖獣様のご加護のあるリオ様も、大変とうとい方ですから、ないがしろにはいたしません。なんなりとお申し付けください」
「と……とうとい……」

 そんなふうに持ち上げられたのは初めてで、理緒はたじろいだ。もちろんちゃんと分かっている。彼女の尊敬は聖獣の加護に対してのもので、理緒自身にではない。
 だが表情を読みとりにくいなりに、ルナルに気合が入っているのは分かるので、理緒としては問題無かった。大事なのは仲良くなれそうか、何か聞き出せるかどうかだ。
 せっかくのチャンス到来に、理緒は咳払いで気を取り直し、さっそく手を上げる。

「ええと、聖獣について質問してもいい?」
「いけません」
「えっ、駄目なの?」

 今、なんなりとと言ったではないか。

「その質問は、長様おささまに直接お願いします」
「ぐぬぬぬ。もう手を回していたのね」

 やはりあっさりとはいかないようだ。理緒は悔しくなった。

「分かった! 直接、アルフォンスに質問しまくってやるわ! 負けないわよ!」

 打倒アルフォンスを目標に掲げる。少し目的がずれているが気にしない。

「ええ、がんばってください」
「えっ? 私を止めなくていいの?」
「私の仕事の邪魔にならなければ問題ありません。長様おささまの仕事は増えるかもしれませんが」
「ドライねえ」

 目を丸くして理緒が感想をこぼすと、ルナルは年齢のわりに達観したことを返す。

「身分が上の方の行動に首を突っ込みますと、それは面倒……いえ、大変な目にあいますので、口を挟まないことにしております」
「若いのに苦労してるのね。そう、放っておくのが一番。誰の敵味方にもならないのがいいわ」
「そして秘密はもらしません。こちらで見聞きしたことは口外しませんので、ご安心を」

 プロフェッショナルなことを言い、ルナルはお辞儀をした。

(なんか、仲良くなるのは無理そうな雰囲気……)

 分厚い壁を感じてくじけそうだが、まだ会ったばかりだ。

(いやいや最初から諦めちゃ駄目よ。地道にやっていこう。あとは……聖獣がくれた縁の糸をあやつる能力がなんなのか、ね)

 理緒は溜息をつく。

(太郎は私に契約を切らせたいみたいだけど、前途多難だよ!)

 まずはここでの生活に慣れなくてはいけない。気候も文化も――便利さのレベルも違いすぎて、右往左往している状況だ。

「うん、よろしくね、ルナル」

 ひとまずルナルに教わって、身の回りのことは一人でもできるようにしようと決めた。


     ◆


 夜の端に朝日がにじむ時間帯になっても、理緒は眠れないでいた。
 そもそも枕が変わるだけで眠れないたちな上、窓から風が入ってきても暑いのだ。

「エアコンが欲しい。自分の部屋に帰りたいよぅ」

 耐えられずに、理緒は泣きごとを口にした。日本みたいにじめっとはしていないが、気温が高い。木綿もめんのネグリジェに袖は無いものの、横たわっていると熱がこもる。汗も出てきて気持ち悪い。
 もしここが自宅だったら、エアコンと言わずとも扇風機はあるのに。
 冷気の行き届いた部屋で、缶ビールを開ける想像をしただけで、じたばたと暴れ出したくなった。

「でも私自身は、あの時、死んじゃったみたいだし。帰りたいけど、慣れなきゃいけないのよね」

 明理を元の世界に戻したら、ここを出て独り立ちすることになるだろう。ある程度のことは身に着けておかないといけない。外は親切な人ばかりではないはずだ。

「お姉ちゃん、大丈夫かな」

 一人になってみると、車を停めた時のことが自然と思い出された。
 動物をはねたかもしれないと、血相を変えて確認に行った姉の判断は、正しかったと思う。もしそれが人間だったら悲惨だ。ただ、停車した位置が悪すぎた上、理緒達の運も無かった。
 きっと姉は自分を責めているだろう。落石で理緒が死んだのは事実だ。
 でも理緒は姉を責める気にはなれない。落石が降ってくるなんて、それが頭に直撃するなんて、誰が想像できるだろうか。

「明理ちゃんだけでも戻してみせるから、祈っててよね」

 病院で神経をすり減らしているに違いない姉に向け、つぶやく。
 けれどふいに、理緒は息をひそめた。廊下を歩くひっそりとした足音がしたのだ。えもいわれぬ恐怖がはいよってくる。
 大事に扱って油断させ、眠ったところを理緒だけ追い出したりしないだろうか。
 不安でつい扉を見張ってしまう。聖獣と神子の契約を解きたがる第三者なんて目障りに違いない。もし理緒が彼らの立場なら、排除する。
 どきどきしながら様子をうかがっていたが、見回りらしき足音は、すぐに遠のいていった。理緒はほっと体から力を抜く。緊張したせいで、また汗が出てきた。最悪だ。

(なんであんなことを宣言しちゃったかなあ。もう、馬鹿馬鹿馬鹿)

 後悔先に立たず、である。

(これからはもっとナイス隠密でいくわよ。よし!)

 はりきって頷いたところで気持ちがたかぶってきた。理緒は寝るのを諦めてベッドから下りる。クローゼットに向かおうとした時、何かの鳴き声がした。耳を澄ますと、窓の向こうから聞こえてくる。

「猫だ。この世界にもいるのね」

 ガラス窓から外を見ると、白猫と茶猫がじゃれあっていた。地球の猫と違い、尻尾が二本だ。

「猫っていうか、猫又?」

 世界が違っても、猫は可愛らしくてなごむ。
 眺めているうちに、朝日が昇り、辺りが一気に明るくなっていく。その時、朝日が反射して、白猫の左前脚と茶猫の左前脚が緑色の糸で結ばれているのに気付いた。

「えっ、かわいそう」

 もしや悪戯いたずらで結ばれた糸を取ろうとしていたのだろうか。理緒はすぐに窓を開けて枠に足をかけ、そのままひらりと庭に降り立った。猫は人懐こいようで、逃げるそぶりもない。

「まったくもう、誰よ、こんなことする奴。はいはい、二匹とも、大人しくしててね」

 猫をなだめながら、理緒は緑色の糸を掴んだ。だが、引っ張ろうとして思いがけず伸びた糸の反動で、尻餅をつく。

「あいたっ。何これ、伸びた!?」

 驚いたが、ぐにゃっとした糸の感じには覚えがある。

「色は違うけど、太郎に見せられた糸とそっくり。もしかしてこれが縁の糸?」

 試しに引っ張ってみると、ぐんぐん伸びる。手を離すとあっという間に縮んだ。

「縁をあやつる能力……ね。どう使うんだろ?」

 二匹の猫の前にあぐらをかき、理緒は糸を観察する。縁といえば、縁結びと縁切りの神社が思い浮かぶが、同じようなことなのだろうか。

「そもそも縁をあやつるってどういう意味なのかな。縁を切るなら、はさみとか?」

 右手をピースサインの形にして、緑色の糸を人差し指と中指で挟み、切るような仕草をしてみる。金の糸の時は駄目だったが、今回はプツンと手ごたえがして、糸は真っ二つに切れた。

「おお、切れた! うわ、なんなの!?」

 変化が起きたことに嬉しくなったのも束の間、理緒はぎょっとした。

「フギャアアア」
「シャアアアッ」

 今まで仲良くしていた猫達が、低い声でうなり、まるで互いが親のかたきだといわんばかりのすさんだ目でにらみあい、とっくみあって喧嘩し始めた。険悪な状況に、理緒は青ざめる。

「もしかして、とんでもないことしちゃった!?」

 わたわたと、切ったばかりの緑色の糸を拾い直す。急いで結び直し、固結びにしてみる。すると、糸がパッと光り、結び目が繋がった。

「ニャア」
「ウニャアン」

 猫達はぴたりと落ち着いて、仲良く頭をすり合わせる。

「あはは、さっきまで壮絶な喧嘩をしてたのが信じられないわね」

 なるほど、理緒が太郎から授けられたのは、縁結びと縁切りの能力みたいだ。しかしこれは気を付けて使わないとまずいことになりそうだった。理緒はぶるりと悪寒に震える。

「誰かの運命を変えちゃうってことでしょ? こわっ」

 それに、気になることがある。猫の間にあったのは緑色の糸だった。運命の赤い糸と呼ぶように、縁の糸といえば赤色を想像するが、色には何か意味があるのだろうか。

「他にもあるかもしれないし、見比べてみたら分かるかも」

 変な使い方をしない為にも、調べてみるしかない。

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