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第2話 チャイルド・メロン

2-4 叶えてはいけない恋

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 ぶっ続けでバスケットボールをしていた二人は、小一時間ほどしてベンチに戻ってきた。
 児島さんも流石に息が切れ、汗をかいている。大野さんはかなりの大汗だ。
 春日部さんの隣に児島さんがどかっと腰を下ろし、その向こう側に大野さんが座った。

「やっぱ、さすがお姉さん。全然敵わないよ~」
「アンタだって大分上手くなってるよ。まぁでも、体格だけで勝負してるようじゃまだまだだね」
「んも~! もっと上手になりたーい!」

 小学生相手に大人気ないようにも思える児島さんだったけれど、対する大野さんは気にしている素振りがない。
 むしろ対等に話せているいい関係性にも見えた。

「バスケットボール、ガバッとオフェンスを捕まえちゃって良ければいいのにね。そしたら私でもお姉さんのこと絶対止められるのに」

 そう言って大野さんは児島さんに向けて大きく腕を広げた。
 その中にすっぽりと収まりそうな児島さんは、何言ってんのと大野さんを小突く。

「試合中に相手に抱きついてよかったとしても、アンタじゃまだまだ私は捕まえられないよ。俊敏さが売りなんだから、私は。そもそもね────」
「あ、お姉さんの肩、てんとう虫だ~」
「んぎゃッーーーーー!」

 児島さんがドヤ顔で語っている時、彼女の肩に一匹のてんとう虫が飛んできて着地した。
 大野さんがにこやかにそれを指さした途端、児島さんはなんとも言えない悲鳴を上げて飛び上がった。
 思わず身を縮こませた児島さんは大野さんの方に倒れ込んで、そんな彼女を大野さんはぎゅっと抱きしめた。

「ほら、捕まえたよ?」
「ッ…………!」

 朗らかに笑う大野さんに、今度は声にならない悲鳴をあげる児島さん。
 どうやら児島さんは極度の虫嫌いらしい。
 あれほどお姉さんぶっていた彼女も、ああも包まれてしまえばもう何も言い返せないようだった。

「ごめんごめん、お姉さん虫嫌いだったよね。とってあげればよかった。もうどっか行っちゃったからさ」
「べ、別にそこまで嫌いってわけじゃ……ただちょっとびっくりしただけで……」

 大野さんから離れながらモニョモニョと口ごもる児島さん。
 そんな彼女のことを、大野さんはとても優しい笑顔で眺めて。
 そして児島さんの頬を、その大きな手でそっと撫でた。

「大丈夫。お姉さんのことは、私が守ってあげるよ」
「あ…………うっ…………!」

 顔が真っ赤になってしまう児島さん。
 小学生らしからぬその落ち着いた物腰と、成熟した綺麗な見た目は、確かに惚れ惚れするような雰囲気を醸し出している。
 外野から見ている私でもちょっと良い感じに見えるから、対面している本人はたまったものじゃないんだろう。

「はいはーい! アタシも小鞠ちゃんとお喋りしたーい!」

 パンクしそうな児島さんをフォローするためか、春日部さんがそう手を上げた。
 人懐っこい彼女の言葉に、大野さんもにこやかにうんと頷く。

 それからはたわいもない雑談が続いた。
 春日部さんがぺちゃくちゃとひっきりなしに喋るから、さっきまでいっぱいいっぱいだった児島さんも段々と落ち着きを取り戻して。
 比較的和やかに、女子同士らしいお喋りの時間となった。

 大野さんは小学生としてはきちんとしていて落ち着いている方だけれど、話を聞いてみればやっぱり子供っぽさも多く窺える。
 時折横の児島さんにじゃれつくのも、無邪気にキャッキャと笑うもの、見ていればとても小学生らしい。
 でもその見た目やシャキッとした振る舞いは、彼女の本来の姿を忘れ去れさせてしまう時がある。

「じゃあさじゃあさ。小鞠ちゃんって、好きな子とかいるのぉ?」

 しばらくお喋りが続いた中で、春日部さんが不意にそんなことを聞き始めた。
 女子の会話としてはその手の話題は普通なんだろうけれど、児島さんの表情が少し硬くなった。

「好きな子? 全然いないよ~!」

 大野さんはそう言って、にこやかに首を横に振った。

「えーそうなの? でもさ、小鞠ちゃんって可愛いし大人っぽいし、クラスの男子とかほっとかないんじゃない? 告られたり、したことないの?」
「まぁ、たまに……? そういえば先週くらいも、男子に付き合ってくれーって言われちゃって困ったよぉ」

 春日部さんの執拗な追撃にいやな顔もせず、大野さんはそう言って苦笑いをした。
 小学生って、付き合うとかそういう話になったりするのかと私はちょっと驚いた。

「そ、それで……アンタはなんて答えたの?」
「え? 断ったよ? よく遊ぶ男子だけど、別にすっごく好きなわけじゃないし……」

 恐る恐る尋ねた児島さんはしかし、そう答えた大野さんにホッと胸を撫で下ろした。

「友達の女の子は、誰が好きとか付き合いたいとか、そういう話よくするけどね。私はまだよく、そういうのわかんなくって」

 そう言って笑う大野さんは、児島さんを見下ろして続けた。

「今は私、お姉さんとこうやってバスケするのが、一番楽しいんだ」

 また顔を赤らめた児島さんに気付いているのかいないのか。
 今までとは違い、大野さんは彼女の腕に縋るように抱きついた。
 そんな無邪気なじゃれつきに、児島さんは「ひっつくな」とこぼしつつもなんだか嬉しそうだった。

「それにね、その子だけじゃないけどさ。男子って私のこと、すぐデカ女だのなんだのってからかってくるんだよぉ。だから、休み時間とかに遊んだりするのはいいけど、ちょっと苦手なとこもあるんだよねぇ」
「ならそれでいいの。好きでもないやつに構ってやる必要なんてないんだから」

 未だしがみつきながら呻いた大野さんに、児島さんはそうやって強く肯定して見せた。
 そうだよねと笑顔を輝かせる大野さんに、ホッと安心した表情を浮かべる。

「まぁだから気にしてるってわけでもないけどさ。身長あるとバスケじゃ便利だけど、でもやっぱりもう少しちっちゃくて女の子らしい方がよかったなぁとは思うよ」
「そーおー? アタシは、小鞠ちゃんみたいにすらっと背が高いの羨ましいけどなぁ~」

 二人の様子を微笑ましく眺めていた春日部さんが言うと、ようやく引き剥がされた大野さんは唇を尖らせた。

「うん、よく言われるけどさ。私としては、お姉さんくらいの可愛らしい女の子になりたかったよぉ」
「こら、馬鹿にしたなぁ!?」
「してないしてない~。お姉さんのこと大好きってこと!」
「誤魔化すなぁ!」

 そうやって結局二人でキャッキャと戯れ合ってしまう。
 児島さんのキャンキャンとした性格は、大人っぽいけれどやっぱり子供な大野さんととてもマッチしているようだった。
 お互いが互いを、子供同士のようにも、お姉さんのようにも見ていて。
 恋愛関係云々はとにかく、とても仲が良いのはよくわかった。

 それからも私と春日部さんはほとんど、二人が睦まじく話す様子を眺めるだけになってしまった。



 ────────────



「なんだか、恥ずかしいところを見せちゃって……」

 その後しばらく二人はまた練習をして、十七時を過ぎた頃に大野さんは帰って行った。
 長いこと休んでいた春日部さんがシュートの練習がしたいと言い出したので、ボールを譲った児島さんは休憩がてらに私の隣に座った。
 ポツリとそうこぼした彼女は、なんだかとてもモジモジしている。

「あの子の前だとどうも調子でなくて。ついついペースを持ってかれちゃう」
「でも仲良さそうだったよ」
「まぁ、うん」

 なんて声をかけるのが良いのかわからなくて、とりあえず素直な感想を伝えた。
 児島さんは頷きつつ、けれどその表情は芳しくない。

「わかってる。わかってるの。こんなこと、よくないって」

 一回もシュートが決まらない春日部さんを眺めながら、児島さんは言った。

「あの子は私のこと、ただの親切なお姉さんとしか思ってない。懐いてくれるけど、それは年上に甘えてるだけ。あの子の好きは、私の好きとは違うんだから」
「…………」

 どんなに仲が良さそうで、対等な関係に見えたとしても、やっぱり年齢の壁は大きい。
 無邪気にお姉さんにじゃれつく大野さんと、そんな彼女を特別な目で見てしまう児島さんの気持ちは、イコールとは言い難い。
 それを児島さんの気持ちが邪だからとは言わないけど、どうしても齟齬は出てしまう。

「それに、この身体だって正直かなりしんどい。いつかはあの子に気づかれるかもしれないし」
「あれだけスキンシップがあれば、もしかしたら一番早いかも……」
「うん。それにたまにだけど、この間みたいにでっかくなっちゃう時もある。あの子ああやって無意識にこっちをドキドキさせてくるから、そういう時身体に影響が出ないように気を使うのもかなり大変なんだ」

 大野さんへたじたじしている児島さんは、ただ彼女の振る舞いに参ってるだけじゃなくて、感情の昂りで身体が大きくなることを抑えるのに必死になっているから、というのもあったのか。
 小学生への恋という問題が目立つけれど、児島さんの場合、能力による現実的な問題もかなり大きい。

「身体のことも、あの子とのことも、辛い。苦しい。どうしたらいいか、わかんないの」
「春日部さんから、どこまで聞いているかわからないけど」

 ベンチの上で体育座りをして膝に顔を埋めてしまう児島さん。
 そんな彼女に私は言う。

「私は、ガールズ・ドロップ・シンドロームによる異能力を消すことができる。でもそれは、その元となる恋もまた一緒に消してしまう」
「ッ────!」

 ガバリと児島さんは勢いよく顔を上げ、驚愕の表情をこちらへと向けた。
 誰もがする反応。それはそうだ。
 能力による影響が取り除けても、恋心を失うという代償はあまりにも大きい。
 そこに強い抵抗と衝撃を覚えるのは当然のこと。

「本当に? ねぇ葉月。それ、本当なの?」
「う、うん。そればっかりはどっちかだけってことは……」
「だったらお願い。消して! 私の能力も、この気持ちも!」

 けれど、児島さんは違った。
 私に喰らい付かんばかりの勢いで身を乗り出して、そう強く言い放った。
 自らの恋心を消してほしいと。

「で、でも……」
「この恋は、この気持ちは間違ってるんだから。高校生わたし小学生あの子に恋なんて、しちゃいけないんだから。どんなに見た目が大人でも、あの子はまだまだ子供なの……! だからこの気持ちはなくなったほうがいい。もちろん、そこからくる能力も!」

 そう力強く言われて、私は何も反論できなかった。
 児島さんの言うことは尤もで、彼女がそれで色々と思い悩んでいることも十分理解できている。
 でも、それで良いのかと、私は思ってしまった。

「ごめんなさい。今すぐは、できない」

 迫りくる児島さんに何も言い返せなくて、私はそう逃げた。
 私一人じゃ、彼女の意思に沿う沿わないを決められない。

「少し考えさせて。あの……このことは、他言はしない。でも、研究会内では共有させてもらうから……」
「え……? あ、う、うん……」

 これ以上面と向かっていると押し切られそうで、私は慌てて立ち上がりながら守秘義務の旨を伝える。
 私の頼りない態度に拍子抜けしたのか、児島さんはとても歯切れの悪い返事をした。

 居た堪れなくて、私は逃げ出すように背を向けた。
 今彼女の衝動に負けて言われるがままになってしまうことが、何だか無性に怖くて。
 そんな私に、児島さんは小さく呼びかけて来た。

「頼むね、葉月」

 つっけんどんで、けれど切実な言葉。
 私は、何も答えられなかった。
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