勇者の末裔である私は、恋する心を捨てました。

茂栖 もす

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旅の再開

星降る夜、あなたに嘘を付きます②

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「ちょ、ちょっと待ったっ」

 そう言いながら掴まれた腕を外そうとするけれど、びくともしない。

 仕方なく反対の手を使って外そうとすれば、それすらも掴まれてしまった。

「もう、待てません。待つことはやめたんです」

 カーディルは全部言い終わらないうちに、私を強引にその胸に抱き込んだ。
 次いで、片手を離し、そのまま私の顎をつかむ。

 空いた手で、突っぱねようとすれば、更に強く抱き込まれてしまった。そして───。

「姫さま、好きです」

 そう言って、あなたは私の唇にそっと自分の唇を重ねた。

 あの日と違って、カーディルの唇は暖かかった。そして、あの日は一度だけ触れ合わせる口づけだったけれど、今は違う。

 何度も角度を変え、カーディルは私に口付けをする。
 
 そして何かを催促するように、唇をあなたの舌で突かれ、私はそれを拒むために激しく首を横に振った。

「急に、どうして………」

 そんなことを言うの?

 やっと唇を離してくれた途端、私はカーディルにそう問いかける。

 自分でも、その声音に非難の色があるのに気付いている。そしてきっと私の表情はそれと同じものだろう。

 でも、カーディルはどこ吹く風だ。
 まるで今にも、それで?と開き直った言葉を吐きそうな勢いだ。 

「2回もあなたを失いかけたのですから……心の枷が外れるのも仕方がないではありませんか」
「……っ」

 予想もしてなかった避難する言葉が返って来て、思わず息を呑む。

「怖かったですよ。苦しかったですよ、とっても。……だから、もう我慢をすることはやめにしたんです」

 吹っ切れたあなたは、あの日と同じ表情を浮かべていた。

「姫さま、隠さないでください。もう全部わかっています。お辛かったでしょう。でも……生きて……また戻ってきてくれてありがとうございます」
 
 この人は自分が今、どんな表情をしているのかわかっているのだろうか。

 再び、息を呑む。胸が痛い。苦しい。あまりに辛くて私は、カーディルの腕の中で俯く。

「……っ」
 
 憎らしいくらいにカーディルは、どこの世界でもカーディルのままだ。

 優しい人。愛しい人。でも、その優しさは、私にはとても苦しい。

 きっと今ここにいるカーディルだって、私がもっと自分を大事にしてと言っても、このままでは何を差し置いても、私を優先するだろう。 

 そんな未来が簡単に想像できて、苦しさで喘ぐ私だったけれど、あの日と同じように身も心も蕩けてしまうような言葉が降ってくる。

「ああ……あなたは暖かい。でも、細くて脆くて……これ以上力を入れたら壊れてしまいそうですね」

 そんなことを言いながら、あなたは私を抱く腕に更に力を籠める。

 息をするのも苦しい。でも、心地よい。……この腕の中から離れたくない。私はずっとカーディルにこうして欲しかった。ずっと夢見てきたことだ。

 このまま愚かにも、この感情のまま、ずぶずぶに溺れてしまいたい。何も考えてたくない。でも、簡単に忘れてしまえるほど、あの日の叩きつける雨の記憶は生易しいものではなかった。

 そして、一時の熱情で、約束を敗れるほど、私の誓いは脆いものではなかった。
 
 私は過ちを繰り返したくは、ない。

 ……これは、夢だと思い込もう。

 そして私は自分の守りたいものを必死に心の中で思い描く。今の感情に引きずられないように。

 私は、もうあなたを二度と失いたくない。だから。愛情なんていらない。求めない。

 私の出した結論は、結局のところこれだった。笑いだしたくなるほど、悲しいものだった。
 
「カーディル、あのね。私、あなたのこと、好きじゃないの」

 こつんとあなたの胸に額をあてて、軽い口調でそう言えば、私を抱きしめている腕がびくりと跳ねた。

 きっとカーディルは、私がこんなことを口にするなんて、想像すらしてなかったのだろう。

 ああ、良かった。あなたの腕の中にいれて。あなたの傷付く顔を見ないで済んだ。

「そうですか」
「そうなんです」

 そうだよ。好きじゃない。そんな言葉よりもっと重い気持ち。愛している。

「でも、私はあなたのことをお慕いしています」
「嫌です」

 そう。そんなの嫌。困る。

 そんな気持ちでいたら、また私を庇って死んでしまう。そう言葉で伝えられない私は、あなたの衣を握りしめて、強く首を横に振る。何度も、何度も。

「嫌………ですか。これは、なかなか手厳しいですね」

 あまりの悲しい声に思わず顔を上げれば、あなたは心の底から傷付いた顔をしていた。

 そんな表情を見て、私の胸が痛まないわけはない。大好きな人にそんな顔をさせたくない。いつでも笑っていて欲しい。

 でも、なにより、その表情が動かなくなってしまうのが、何より嫌だ。恐ろしい。

 だから、私は、カーディルがもっともっと傷付く言葉を吐く。

「私、他に好きな人がいるんです」
「………っ」

 カーディルから目を逸らさずにそう言いきる。そして、カーディルが何か言葉を紡ごうとする。

 それを遮るように、私は慌てて口を開いた。

「でも、その人は死にました。そして、私の恋する気持ちも死にました」

 言い切った瞬間、あの時の血まみれのあなたの姿を思い出し、胸に刃物を突き入れられたかのような衝撃に襲われた。

 心臓の鼓動が一拍止まる。

 そのまま自分の心臓が止まってしまう不安にかられて、私は両手を胸に当てた。

 ───トクン。トクン。

 良かった。心臓は止まっていない。

「だから、もう……誰も好きになりません。好きでい続けるのは、あの人だけです」

 私が好きなのは、カーディル。あの叩きつける雨の中、好きだと言ってくれたあなた。

 そして今目の前にいるカーディルは、私が絶対に守ると誓った愛おしい人。

 それは同じ意味を持つのかもしれない。

 でも、私にとったら天と地ほどの差がある……と、自分に言い聞かせる。

 失ったら2度と取り戻すことができないのだ。そして何より私は、あの日の絶望と喪失感を2度と味わいたくない。
 
 だからどうか、カーディル。嘘つきな私をどうか許してください。

「───………そうですか。わかりました」

 私の祈りが通じたのか、カーディルは長い間の後、ゆっくりとそう言ってくれた。

 次いで、ぱっとあなたは腕を離す。さっきまでの温もりは、まるで嘘だったかのように呆気なく消えてしまった。

 そして、その寂しさを感じる暇もなく、片足を一歩後ろに引いて、あなたは完璧な騎士の礼をとった。

「どうぞ、身分を弁えず、このようなことを言った自分をお許しください」

 頭を上げたあなたは、もういつもの側近兼護衛の顔をしていた。
 
 次いで、くるりと私に背を向ける。

「ねぇ、待って、どこに行くの?」

 慌てて声を掛けた私に、あなたは振り返ってこう言った。

「私が傍に居たら、眠ることができないでしょう。外で見張りをしています───………ゆっくり休んでください。……リエノーラさま」

 姫さま、ではなく名を呼ばれてしまった。不覚にも心臓がとトクンと跳ねる。

 でも、利恵───その名を呼ばれなくて良かった。

 そんなことを思いながら、私は地面に捨て置かれていたあなたの香りが残るマントを抱きしめて、必死に嗚咽を堪えた。
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