かさなる、かさねる

ユウキ カノ

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8.わかってあげたい

8-①

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 蝉が鳴いていた。自転車のペダルを漕ぐたびに噴き出す汗を無視して田んぼ道をひた走る。車がものすごい勢いでスピードを出す農道の、白線のうえをなぞるように自転車のハンドルを微調節した。リュックはかごに入れて、ラン用のセカンドバッグは肩に担ぐ。バランスをとるのがなかなか難しいけれど、こんな生活も二年目になれば慣れっこだった。
 毎日「夏休みじゃないみたいね」と母親に言われながら家を出るのが日課になっていた。あんまりがんばりすぎないでねという声とともに俺の好きな食べ物が食卓に並んだりする。
「明はほんとうに走るのが好きだな」
 補習終わりに走ってくるのと、こうして毎日自転車で通学するのとですっかり黒く日焼けした俺を見て、父親はなんだかうれしそうだった。両親のこういう反応はどこかくすぐったくて、俺はいつも真正面に受けとることができない。そしてそんな俺を見ては「みんなおにいちゃんばっかり」と言う樹里を、母が微笑とともになだめていた。
「帰り遅くなるから」
「はいはい」
 玄関で靴を履きながら、台所に向かって声を張る。母親の返事を聞き届けてから、いってきますとちいさくつぶやいて家を出た。
 今日は、この街の人間にとって特別な日だ。いつもはランが終わりしだいすぐに帰ってくるように言う両親も、今日ばかりは目をつぶってくれる。きっと、どこの家でもそうだろう。
 補習はひどくつまらなかった。これを繰り返していたら成績があがるのだろうかと疑問に思いながら、大量の問題プリントを延々とこなしていく。唯一の救いは、この暑さのなかでエアコンを使えることだった。窓から強い陽射しが降りそそいでいたとしても、空気の冷たさには代えられない。先生に黙ってひそかに設定温度をさげるのが習慣になっていた。赤点補習組である俺たちの人数はすくなく、武本は俺のとなりの席に座っている。
 シュウはほかの教室で講習を受けている。だれもがだれてしまいそうなこの暑さのなかで、まっすぐ伸びているであろうシュウの背中を想像すると、ほほえましさと痛ましさが募った。シュウについて考えるのはもうくせみたいなものだ。思考のどこかにいつもシュウがいる。美奈子と付き合っていたときですら、こんなふうに頭のなかを支配されたりはしなかった。
 補習が終わると、いつものように走った。太陽が一番高いところにある時間だった。グラウンドの脇を通り抜けながら、部活の様子を眺める。雲ひとつない青空の下で、野球部とサッカー部がボールとたわむれていた。球技がからっきしだめな俺にとっては、どんなにすごい技術もたわむれ以上のなにかには見えなかった。
 陸上部員はグラウンドの隅で、各々専門種目に分かれて練習することになっている。校舎からは絶え間なく吹奏楽部の鳴らす楽器の音が響いていて、暑さのなかでその音色は湿ってもやもやと揺れていた。
 グラウンドに沿って伸びる田んぼのなかの道を通って、学校の周囲をぐるぐると走る。今日は大花火の日だ。夜になればこのあぜ道やグラウンドも、見物客で溢れかえる。街中が騒がしくそしてそわそわとしているのが、密度の高い空気を伝って肌に響いた。
 俺たちの補習は午前中で終わるけれど、シュウの参加している講習は丸一日をかけて行われていた。いまから大学進学を目指して勉強をするなんて、とてもシュウらしいと思う。夏休みだけはエアコンの使用が認められているから、きっとシュウも暑さにあえいではいないだろう。「暑いと言う権利はない」と言ったシュウにも、エアコンの涼しさを享受する権利はある。
 陽射しもずいぶんやわらいだころ、チャイムが鳴ってシュウの講習が終わったことを告げた。俺もそれに合わせてクールダウンをはじめる。すでに街の中心はたくさんのひとでごった返しているだろう。部室ですばやく着替えて教室に戻ると、先に着替えた武本と、教室から出てきたシュウが待っていた。
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