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如月ゆすら

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13巻

13-3

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 思わずルーナが訊き返すと、ネイディアはクスリと笑う。

「そう。脆弱ぜいじゃくな人の中でも、さらに貧弱な身体。母体があんな女では、うつわがそんなものになるのも道理よね」
「まったく、予想以上の欠陥品でしたな」
「本当に。時が来る前に死んでしまうかもと危惧していたのよ」
「ご冗談を」

 ネイディアとバルナドは、ルーナがいないかのように軽口を叩き合う。

うつわ? いったいどういうことなの……? 彼女は何を言っているの?)

 キーラが魔族と結んだ協力関係。うつわ。魔族だという告白。
 ネイディアたちの話は、次々とルーナに謎を提供し、混乱させるだけだった。

「さて、種明かしはこれくらいで十分じゃない?」
「そうですね」
「あとは自分で考えることね。あら、でもそんな時間は永遠に来ないのかしら。まあ、わたくしにはどうでもいいわ」

 勝手にお開きを宣言したネイディア。
 まるでパーティの終了を告げるかのようにあっさりとしているが、ルーナにとっては生死にかかわることだ。だが、それを指摘しても、彼らが気を変えるとは思えなかった。

「……わたしをどうする気?」

 もはやネイディアは、明確な敵だ。
 丁寧な言葉遣いをやめ、ルーナはネイディアをにらみつける。

「どうする? 決まっているじゃない。あなたはわたくしにとって邪魔でしかない」

 ネイディアはそう言うと、おもむろに片手をルーナに向けて伸ばした。
 声は出る。表情も動く。だが、相変わらずルーナの身体は凍り付いたように動かない。

(ここで死ぬの?)

 恐怖はもちろんあるが、ルーナはそれ以上に悔しさを感じて唇を噛んだ。

「じゃあ、さようならルーナ。お友達ごっこもなかなか楽しかったわよ」

 言い切った後、ネイディアは小さく何事かをささやく。
 その言葉は、ルーナの耳には届かなかったものの、魔法語マジックスペルなのだろうと察しはついた。その予想通り、次の瞬間、彼女に向けて黒い影が飛んでくる。

(十八で死んだ千幸ちゆきより、もっと早く死ぬことになるなんて……)

 諦観と恐怖。そして悔しさがルーナを満たすが、何も打つ手はない。
 鋭く伸びた影が、ルーナに届く。
 そう思った刹那せつな、パァンッと何かがぜるような音が鳴り響いた。

「なんですって⁉」

 思わず目を閉じたルーナの耳に、信じられないと言わんばかりのネイディアの声が届く。

(え……?)

 ルーナは、恐る恐る目を開いた。
 ネイディアから放たれた黒い影はどこにも見当たらず、自身を見下ろしても傷らしい傷もない。

(攻撃、受けたよね?)

 確かにネイディアから攻撃魔法が放たれた。
 身動きもできないルーナに、それを避けるのは不可能だ。

「バルナド! どういうことなの!」

 ネイディアは、同じように驚いているバルナドを責める。

「わかりませんな。〈防御魔法〉ではないようですが……」

 そこで言葉を途切れさせたバルナドは、短い魔法語マジックスペルをつぶやいた。
 彼が手を伸ばすと、その手のひらから黒を帯びた炎が現れる。次いでそれは、真っ直ぐにルーナに襲い掛かった。

「いやっ!」

 襲い掛かる炎を避けようとしても、ルーナの身体は未だに動くことはできない。しかし、炎は容赦なく彼女を焼こうと近づいてくる。
 今度は目を閉じる間もなく、炎がルーナの目の前まで迫った。
 刹那せつな、白い光がルーナから放たれ、炎と接触する。すると、先ほどと同じように、パァンッと耳の奥に直接響くような破裂音が響き、炎が細かく散って消えた。

「な、何……?」

 ルーナは、今し方起こった現象に驚きの声をあげた。
 間違いなく、彼女は自分に〈防御魔法〉のたぐいなどかけていない。それどころか、魔法をほどこした護符や魔道具マジックツールすら持っていなかったのだ。

まもり、か」

 魔法を放った手をあごにやり、バルナドがつぶやく。するとネイディアは、いぶかしげな表情で彼に尋ねた。

「どういうことなの? あれは何?」
「おそらく、いつも彼女の傍にはべる守護者共のまもりでしょう。防御に特化させることで、私たちの魔法を防ぐことができた、といったところですか」
「〈拘束〉の魔法は弾かれなかったじゃない!」
「あまたの魔法ではなく、純粋に攻撃魔法にのみ反応するようにしているのでしょう。だからこそ、これほど高い防御力を作り上げることができたのかと」

 バルナドの説明に、ルーナも先ほどの現象を理解した。
 防御対象を特定の攻撃に絞ることで、通常以上の効果を発揮する魔法がある。
 おそらくルーナにほどこされたまもりも、『生命をおびやかす攻撃のみ』に反応するように特化している。
 そのため、拘束されるだけの魔法には反応しなかったのだ。

(ありがとう、皆……!)

 今ここにいない守護者たちに、ルーナは心の中で感謝をする。
 実際、そこまで特定し、強化されたまもりだったからこそ、魔族という圧倒的強者の攻撃をも跳ね返せたのだ。
 一方、ネイディアとバルナドは、ルーナへ攻撃できないことに苛立いらだっていた。

「なんなのよ、もう!」
忌々いまいましい守護者共ですねぇ」

 そう愚痴ぐちると同時に、バルナドは再度攻撃をこころみる。今度は氷の槍だ。
 しかし、結果は先ほどと同じ。
 ルーナにほどこされたまもりは、魔族の強固な攻撃を防ぎきってみせた。

「ああ、本当に忌々いまいましいわね、あなたって存在は!」
「きゃっ」

 ネイディアに乱暴に髪を引っ張られ、ルーナは悲鳴をあげる。

「そうだわ、魔法じゃなくて刃物はだめかしら?」
「おそらく結果は同じでしょうね。生命の危機という点で同様ですから」
「チッ」

 ネイディアは小さく舌打ちすると、握ったままのルーナの後ろ髪を下に引っ張る。強制的に顔を上げさせられたルーナの目には、涙が浮かんでいた。
 それを見て、少しだけ気が済んだのだろう。ネイディアはルーナの髪から手を離した。

「ねぇ、バルナド。これ、どうしたらいいかしら?」
「そうですねぇ……」

 バルナドはしばらく思案した後、ネイディアに近づく。そして身をかがめて、彼女の耳に何事かをささやきかけた。

「――というのはどうでしょう?」
「へぇ……それは面白そうね」

 バルナドの提案を聞き、ネイディアは楽しげに唇を舐めた。

(なんだか、すごく嫌な予感がする)

 内容は聞こえなかったが、ルーナにとってまったく楽しくはない事態が起こることだけはわかる。

「では、仕上げは私が」
「ふふっ、上手くやってちょうだい」
「お任せを」

 バルナドは請け合うと、ゆっくりとルーナに近づく。
 相変わらず身動きできないルーナは、やすやすと魔族を近づかせるしかない。

「大丈夫、傷つけはしませんよ」

 胡散臭うさんくさい笑顔で、バルナドはルーナに告げる。

(誰が信じられるっていうの!)

 数分前には、殺意を向けられていたのだ。ルーナのこの心の声に、誰も文句は言えないはずだ。

「あっはは、確かに、傷つけはしないわねぇ。傷つけは。どう? 安心?」
「安心なんかできるはずないでしょう!」

 思わず言い返すルーナに、ネイディアはまたしても哄笑こうしょうする。

「そうよね。あはは。確かに死にはしないけど、大変な目には遭うかもねぇ」

 不安げなルーナの眼差しを、ニッと笑って受け止めるネイディア。彼女は、楽しげな様子でルーナの頭に手を置く。そして、低い声で魔法語マジックスペルを唱え出した。
 長い、長い言葉が、ネイディアの口から紡がれる。
 口の中でつぶやくように唱えられたため、ルーナにははっきり聞こえない。ネイディアがどんな魔法を行使しようとしているのか見当もつかなかった。
 だが、魔法語マジックスペルは長いほど威力や効果が大きく、高度なものとなる。
 詠唱の長さから、ネイディアがかけようとしている魔法が、ルーナにとってとても危険なものだということは察せられた。

(いったい、どんな魔法をわたしにかけるつもりなの……)

 思い浮かぶのは、リカール王国であやつられていたアディンたち。
 意に反してあやつられ、ルーナたちを害そうとしてきたのだ。
 絶大な魔力を持つ魔族を名乗るネイディアから、本気で精神干渉の魔法をかけられれば、果たして抵抗できるかルーナにも自信がなかった。
 やがて、ネイディアの長い詠唱がようやく終わる。
 その途端、ルーナを覆うように、黒いもやが彼女を包み込んだ。

(これは……)

 身構えたルーナだが、身体に変調はない。
 もやもすぐに消えてしまい、一見するとなんの変化もなかった。

「どうやら成功のようね」
「ええ、さすがはネイディア様。完璧と言っていいでしょう」
「そう。じゃあ、あとは舞台へ上げるだけね」
「それで開演というわけです」

 ネイディアとバルナドの不穏な会話に、ルーナは我慢できずに口を挟む。

「わたしに何をしたの⁉」
「残念ながら、質疑応答の時間はおしまいなのですよ」
「あれだけ色々教えてあげたんだから、それで満足しなさいな」

 ルーナのにらみなどどこ吹く風、バルナドとネイディアは、からかうように告げた。

「では、ネイディア様。お願いしますよ」
「任せておきなさい」

 ネイディアは髪を払いながら言うと、胸の前で手を組んだ。
 次の瞬間、ルーナの足元に大きな魔法陣が出現する。

「え、な、何⁉」

 動揺する彼女を余所よそに、魔法陣は光を四方八方にまき散らす。

「じゃあ、ルーナ。せいぜい絶望するといいわ」
「身体の自由は取り戻せているはずです。それでは、また会えることを楽しみにしていますよ」

 唖然とするルーナの前で、ネイディアとバルナドは銘々めいめいに言葉をかける。
 その間にも魔法陣の光は強くなり、やがてルーナの全身を包み込んだと思った瞬間、ふっと消えた。すると驚くことに、光と共にルーナの姿も消えてしまっていた。

「上手くいったようね」
「さすがです」
「ふふふ」

 残されたのは、魔族と高貴な少女のみ。
 ルーナが消えた後、二人は高らかな笑い声をあげたのだった。



   第二章 忘却の壁


 ルーナは、くらんだ目をしばたたかせると、辺りを見渡した。
 ほんの一瞬前までは、室内にいたはず。けれど今、彼女は屋外に一人で立っていた。
 視線の先には整備された石畳の道がある。
 その両端には、遠くからでも道が確認できるようにだろうか、等間隔に街路樹が並んでいた。
 彼女が立っているのは、その街路樹と道の間にある草地だった。

「街道? どうしてこんなところに……。いったいここは、どこだろう……」

 整備されているということは、名のある街道と考えてよい。周辺は牧歌的な景色が広がっているが、どの街道でも見られる景色ゆえに、場所の特定が難しい。

「でも街道ってことは、ひとまず街とか人のいるところが近いってことだよね」

 ルーナは、独りごちた後、自分の姿を見下ろした。
 シンプルな日常着のドレスと、それに合わせた華奢きゃしゃな靴。屋内ならば問題ない服装だが、外を歩くようなものではなかった。

(お金どころか、なんの所持品もないのも問題だけど……この格好の女性一人って、トラブルに巻き込んでくれって言ってるようなものだよね)

 貴重品や水、食料などを一切持たないまま出歩くなど、街までの距離によっては死活問題になるだろう。
 さらに、良家の子女らしき少女が街道をふらふら歩いていれば、よからぬことを考えるやからもいるはずだ。
 なにしろ大きな街道であればあるほど、そこを利用する人間は千差万別なのだから。

「とりあえず、水や食料については後に考えるとして……見た目をなんとかしなきゃ」

 ルーナは、自分の姿を見下ろし、そうつぶやく。

「魔法で平民の男の子とかになるのがベスト? でも、わたし魔法使えるのかな」

 ネイディアによって魔法どころか、動きまで封じられていたのだ。魔法が使えないなどの影響があるかもしれない。

(それでも、試してみるしかない!)

 ルーナは、不安を感じつつも魔法語マジックスペルを唱えた。
 かけたのは、見た目を偽装する〈変化〉の魔法。問題なく魔法が発動したのを確認し、ルーナは思わず声をあげた。

「よしっ」

〈変化〉の魔法により、彼女の姿は、色あせたフード付きローブを着た、少年の姿に変わる。

「うん、大丈夫そうだね」

 姿を変えた自分の容姿は見えないものの、魔法が成功したことは自然と確信できるのだ。
 ネイディアによって、なんらかの魔法をかけられたのは間違いない。だがそれは、ルーナの魔法を阻害するものではなかったようだ。
 そのことにホッとしつつ、ルーナはゆっくりと歩き始める。
 考え事は歩きながらでもできるが、立ち止まっていたら、日が暮れて危険が増すばかりだ。
 それならば、少しでも歩いておくべきだと思ったのだ。

(まず、ここがどこかってことだけど、ネイディア様――もうネイディアでいいよ。あの人が言ってたことが全部本当なら、あの屋敷があるのはキルスーナだったはず。そこから〈転移〉させられたってことだよね。見当もつかないから、人に会ったら訊くしかないか……)

 ルーナは、草地にできたあぜ道を進みながら、街道の方へ視線をやる。
 大きな街道ではあるが、今のところ人や馬車の行き来はない。
 姿を変える前は、人気ひとけのないことがありがたかったルーナだが、今は誰か良い人が通りかかってくれないかと切実に願う。

(ああでも、魔法が使えるのはよかった。身体も問題なく動くし。となると、わたしにかけられた魔法ってなんだったんだろ? 絶対ろくでもない魔法だよね……通常の魔法で解けないことを考えると、もう呪いって言った方がいいのかも……)

〈解除〉や〈消去〉といった魔法効果を打ち消す魔法語マジックスペル。そうした魔法を、ルーナは先ほどすぐ自分に試していた。
 だが、それによって消されるのは〈変化〉の魔法のみで、謎の魔法が消えることはなかった。
 それは、ネイディアの力が、ルーナを上回っているという証明に他ならない。

(あの人、「人間だった」って過去形で言ってたよね……。今は本当に魔族なんだろうか? だとしたら、あの圧倒的な魔力も納得いくけれども)

 ネイディアから発せられる圧倒的な魔力は、バルナドやラウルといった魔族たちから感じるものと同じだった。

(リューやカイン、フレイたちに知らせないとだよね)

 そう決意すると同時に、ルーナは重々しいため息をついた。
 ネイディアの友人であったルーナがこれだけ驚愕きょうがくし、敵対したことに傷ついたのだ。カインはともかく、リュシオンがどう思うのか心配だった。妹として良好な関係を築き始めていたことを考えるとなおさらだ。
 ルーナはリュシオンを思い、再び憂鬱ゆううつなため息をこぼす。

「なにはともあれ、王都に戻らなきゃ!」

 つぶやいてみるものの、その実現が厳しいことを思うと、憂鬱ゆううつは上がるばかりだ。
 そんな時、カラカラという車輪の音がルーナの耳に届く。
 慌てて振り向いた彼女は、街道を走ってくる荷馬車に目をとめた。

「す、すみませーん!」

 焦りながら大きく手を振り、ルーナは声を張りあげる。それに気づいたのか、荷馬車はスピードを落とし、彼女の前で停まった。

「なんか用かね?」

 御者台ぎょしゃだいに座っていたのは、白髪しらが交じりの初老の男性だ。おそらく行商人だろう。
 人好きのしそうな穏やかな顔立ちと、質素だが清潔な服装が好感を持てる。

「道に迷ってしまって……この先にある街はなんというところなのか教えてもらえないでしょうか? あと、その街までどれくらいかかるのかも教えてもらえるとありがたいのですが」

 ルーナが尋ねると、男性は納得したように答えた。

「ああ、近くの農地に続く道が整備されてから、それと間違って迷う人がたんとおるんだよ。あんたもその口かね」
「そうなんですか?」
「うんむ。ちなみにここから一時間くらい行けば王都だで」
「お、王都⁉ どこの?」

 予想外の言葉に、ルーナは驚いて訊き返す。

(ここってどこかの王都の近く? ヴィントス?)

 そんな彼女に、男性はカラカラと笑って答えた。

「魔法大国クレセニアの王都、ライデールだがや」
「は? えええぇぇぇ⁉」
「ふぉぉ⁉」

 思わず叫び声をあげたルーナに驚き、男性までもが声をあげる。
 その様子を見て逆に落ち着いたルーナは、コホンと咳払いをしてから口を開いた。

「すみません。ちょっと驚いてしまって」
「そうか、そうか。王都じゃ都合が悪かったんか?」
「いえ、迷ったと思っていたのに目的地が近かったので、逆に驚いてしまっただけです」

 ルーナは、そう言って頬を掻いて誤魔化す。
 王都ライデールを目指していたのは確かだが、それゆえにネイディアが何故クレセニアに、しかも王都の近くに彼女を〈転移〉させたのかが気になるところだ。
 ルーナを傷つけることができなかったのならば、見知らぬ場所――それこそ辺境と呼ばれるような場所に〈転移〉させ、徐々に弱らせることはできたはずだ。
 にもかかわらず、王都の近くに飛ばされたのだ。ルーナとしてはありがたかったものの、その分、何をたくらんでいるのか気になってしまっていた。

「なんだ、王都に行くんか。そんなら、門まで乗せてってやろうか?」
「え、いいんですか?」
「かまわん、かまわん。どうせ一時間程度だでな」
「お願いします!」

 勢い込むルーナに、男性は微笑むと自分の隣をポンポンと叩いた。
 見た目は旅装の少年に変化しているとはいえ、真実の姿は外出着ではないドレスを着た少女だ。このまま王都まで歩き続けるのは容易ではない。ルーナは幸運に感謝するばかりだった。
 彼女が御者台ぎょしゃだいに乗ると、荷馬車が動き出す。
 カッポカッポとのんびり歩き出す馬に合わせ、周囲の景色もゆっくりと流れていく。

(王都の外って、結構のどかな風景だよね)

 草原や森の他に、一定区間で見える集落とその周囲に広がる農地や、放牧地。
 サンクトロイメは、現代日本のように、さしたる危険もなく全国各地に行けてしまうという世界ではない。
 そのため、人の住む集落はだいたいまとまっており、集落と集落の間には通常民家はなかった。
 危険な獣や魔物が出た時は、すぐに集落に逃げ込み、集落単位で対処するためだ。
 集落を離れて暮らす者がいないわけではないが、襲われても集落全体で対処することができないため、命の危機は比ではない。
 そのため、王都のような治安の良い場所には、さらに人が集まりやすくなっていた。
 だが、際限なく人を受け入れることは不可能なため、王都の外周に沿うように、新たな集落が作られるようになった。
 そんな理由で、王都の周りと言えども農地が広がっているのだ。
 ルーナがのんびりと風景を眺めている間にも、荷馬車はゆっくりだが確実に街道を進んでいた。
 そうして一時間ほどすると、行商の男性が言っていたように、見慣れた王都の門が見えてくる。

「あ、門が見えましたね」
「うんむ。だいたい予定通りだがね」
「はい。おかげで大変助かりました」

 ルーナが丁寧に礼を述べると、男性は照れたのか頭の後ろを掻いた。

「ま、ええってことや。気にしなさんな」
「ありがとうございます」

 気のいい男性に会えた幸運を感謝し、ルーナは近づいてきた門を見つめた。


     †


 王都に入ったルーナは、中央広場から南に延びる街道を、テクテクと歩いていた。

「今日中に王都に辿り着けてよかった」

 しみじみとつぶやき、まずは南区――所謂いわゆる商業区の一角を目指す。
 王都に暮らしていると忘れがちだが、外から王都に入るためには審査がいる。簡単な身分証明と、魔道具マジックツールによって犯罪歴の有無を調べられるのだ。
 ただ、貴族の馬車などが通れば、それらの審査は免除される。
 今回ルーナは、旅の少年をよそおったが、身分証明のたぐいは持っていなかった。それに思い当たった彼女は、門を前にして焦ったものだ。
 しかし、行商人の男性と同行していたのが幸いする。彼の連れだと誤解されたため、身分証明は免除され、犯罪歴の有無だけを、魔道具マジックツールに手を置いて調べられることになった。
 もちろん、彼女に犯罪歴があるはずもない。あっさりと門を通過することができた。
 しかしここでルーナは、公爵邸に帰宅するにせよ、王宮に向かうにせよ、このままではまずいことに気がつく。
 公爵邸のある北区は、貴族のタウンハウスが建ち並ぶ区域である。
 北区全域にゲートが設けられているわけではないが、ルーナの住むリヒトルーチェ公爵邸がある区域は、警備員が待機するゲートによって出入りを精査されていた。
 その審査は、王都に入るものとは比べものにならないほど厳しい。
 リヒトルーチェ公爵家の馬車ならば、あっさりと通れるものの、ルーナの今の姿は旅装の一般市民。そこで止められるのは、容易に想像できる。
 たとえ、〈変化〉の魔法を解いたとしても、ドレス姿の少女がなんの荷物も持たず、供すらいないとなれば、怪しまれるのは必至だろう。王宮へ向かっても同じことだ。


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