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第三章 新しい未来

77. 持ちかけられた取引、戸惑うレティシア

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 無表情のレティシアは脱げ掛けた靴を履き直すと、立ち上がり、ドレスの乱れを直した。

「あぁら、そうかしら? 私はただ『レティシアを連れて来て』と頼んだだけよ。どんな誘い文句で呼んだかまでは知らないわ」

 の事などレティシアは一切口にしていないというのに、自らそう口にするという事は、相手がその全てを指図したという証拠である。

「それで、こんな所まで呼び出して話したい事とは何かしら? イリナ嬢」
「もっと驚くか怖がるかと思ったのに、予想を裏切られたわ。全く動揺しないなんて、面白く無いわね」

 今、レティシアに対峙しているのは腕組みをしたイリナであった。憎々しげに言葉を吐き出し、レティシアを睨みつけている。
 口元だけは余裕を見せたいのか、クイッと端を持ち上げて。

「私が此処へ来なかったら、貴女はあの使用人を罵倒したでしょう」

 レティシアはそう言って肩をすくめ、ため息を吐いた。三つ年上のイリナに対して臆する事なく接する姿が、イリナにとって余計に腹立たしい事だと知っていたけれど。

「さすが、将来の皇后陛下は随分とお優しいこと。下々の者達に優しくして人気を集めるのは、現皇后陛下のやり口と同じね」
「イリナ嬢、その言葉がソフィー様への不敬だと分かっていらっしゃるわよね? そんな事を言う為にわざわざ呼び出したのかしら?」
「ふん……本題に入るわ。私、貴女に取引を持ち掛けたいのよ」

 突然拉致するように呼び出しておいて、不遜な態度を崩さないのは流石とでも言おうか、イリナはツンと顎を持ち上げて腕を組み直した。

「取引ですって?」
「そう、取引。別に貴女にとって困る事なんか無いわ。ただ少しだけ口添えして欲しいだけよ」
「口添えって……一体何を?」

 怪訝な表情でイリナの方を見るレティシアには、何故突然このような話の展開になるのか分からない。
 そんなレティシアの態度もイリナは予想済みとばかりに、フフッと不敵に笑って答える。

「私を、エドガー様の妻にする事についてよ。貴女が協力してくれるならば、私は対価としてそれ相応の情報を与えるわ」

 イリナからの意外過ぎる提案に、レティシアは驚きを隠せないでいた。
 そんなレティシアをよそに、イリナは酔いしれたように身振り手振りを添えながら次々と話し始める。

「この国にいても、私はリュシアン様の妻である皇后にはなれず、そのうちどこかの貴族と婚姻を結ばされてしまうだけ。皇后となった貴女の姿を民として見ながら生きていくなんて、そんなの許せない。だから私は決めたのよ。エドガー様の妻になり、大国で豊かな暮らしをするって」
「でもそれは……私とは関係なくエドガー様がお決めになる事だわ」
「もし貴女が協力してくれるならば、カタリーナ様とお父様がこれまで犯してきた罪について、有力な情報を暴露するわ! どうせ二人は私を良いように使ってばかりなんだもの。私の未来の為には二人を告発する事も致し方ない事よ」

 イリナは自分の置かれている状況や立場に納得がいっていなかった。幼い頃からレティシアは皇后付きの女官という誉れ高い地位にいるというのに、イリナは所詮皇帝の愛人の侍女でしかない。
 皇后の立場に憧れていた時期もあったが、決して実現しないのであれば……今目の前に降って湧いた大国の王子エドガーの妃という立場はとても魅力的に思えたのだった。

「イリナ嬢、貴女は……。カタリーナ様はともかく……実の父親の事さえも裏切るというのですか?」

 レティシアは、信じられないというような面持ちで尋ねる。いくら過去と様々な点で違っているとはいえ、イリナとジェラン侯爵の関係性までもが変わってしまっているのだろうか。

「お父様ねぇ……。貴女の父親に勝てないからって、娘を皇帝の愛人に仕えさせてご機嫌取りをして。それだけに飽き足らず、次々と貴族の男どもに娘を与えてジェラン侯爵派という味方を増やそうとするなんて、ケダモノ以下の人間よ。この国にはもう、愛人とお父様の傀儡となっている皇帝を支持する者などいないというのに」
「まさかそのような……」

 レティシアはジェラン侯爵の異常さを身をもって知っていたが、まさか実の娘の事まで道具のように扱い、自身の目的の為には手段を選ばない人間であるという事までは予想だにしていなかった。
 
「やめてよ、そんな哀れみの目なんて必要無いわ! 私はこんな国からさっさと抜け出して、働かずに豪華な暮らしが出来る地位に上り詰めたいの! どうせ皇帝が退位するのも時間の問題でしょう? そうなればお父様もカタリーナ様も終わりよ。沈んでゆく船に乗ったままでいるなんて馬鹿馬鹿しい!」

 壮絶な話の内容の割には、悲しげな表情を一切見せないイリナの言葉をそのまま信じても良いのだろうかと、レティシアは考える。
 しかし出鱈目な嘘をついているようにも思えず、イリナがエドガーの妻になりたがっている事に関しては本当だろうと思えた。
 
 元々上昇志向が高いイリナの事だ、今の状況がこの先もずっと続く事に我慢ならないのだろう。それならばこの国を出て、エドガーの妃になった方が良いに違いないと考えたのだ。
 そして自分イリナにとって、今そのチャンスがすぐ近くにあるのだと、信じて疑っていないようだった。

「けれど……エドガー様のお妃選びについては私に何の権限も……」

 レティシアがそう言いかけた時、イリナのすぐ後ろにあった扉がノックされ、二人は一斉に扉の方を見た。



 
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