76 / 91
第三章 新しい未来
77. 持ちかけられた取引、戸惑うレティシア
しおりを挟む無表情のレティシアは脱げ掛けた靴を履き直すと、立ち上がり、ドレスの乱れを直した。
「あぁら、そうかしら? 私はただ『レティシアを連れて来て』と頼んだだけよ。どんな誘い文句で呼んだかまでは知らないわ」
誘い文句の事などレティシアは一切口にしていないというのに、自らそう口にするという事は、相手がその全てを指図したという証拠である。
「それで、こんな所まで呼び出して話したい事とは何かしら? イリナ嬢」
「もっと驚くか怖がるかと思ったのに、予想を裏切られたわ。全く動揺しないなんて、面白く無いわね」
今、レティシアに対峙しているのは腕組みをしたイリナであった。憎々しげに言葉を吐き出し、レティシアを睨みつけている。
口元だけは余裕を見せたいのか、クイッと端を持ち上げて。
「私が此処へ来なかったら、貴女はあの使用人を罵倒したでしょう」
レティシアはそう言って肩をすくめ、ため息を吐いた。三つ年上のイリナに対して臆する事なく接する姿が、イリナにとって余計に腹立たしい事だと知っていたけれど。
「さすが、将来の皇后陛下は随分とお優しいこと。下々の者達に優しくして人気を集めるのは、現皇后陛下のやり口と同じね」
「イリナ嬢、その言葉がソフィー様への不敬だと分かっていらっしゃるわよね? そんな事を言う為にわざわざ呼び出したのかしら?」
「ふん……本題に入るわ。私、貴女に取引を持ち掛けたいのよ」
突然拉致するように呼び出しておいて、不遜な態度を崩さないのは流石とでも言おうか、イリナはツンと顎を持ち上げて腕を組み直した。
「取引ですって?」
「そう、取引。別に貴女にとって困る事なんか無いわ。ただ少しだけ口添えして欲しいだけよ」
「口添えって……一体何を?」
怪訝な表情でイリナの方を見るレティシアには、何故突然このような話の展開になるのか分からない。
そんなレティシアの態度もイリナは予想済みとばかりに、フフッと不敵に笑って答える。
「私を、エドガー様の妻にする事についてよ。貴女が協力してくれるならば、私は対価としてそれ相応の情報を与えるわ」
イリナからの意外過ぎる提案に、レティシアは驚きを隠せないでいた。
そんなレティシアをよそに、イリナは酔いしれたように身振り手振りを添えながら次々と話し始める。
「この国にいても、私はリュシアン様の妻である皇后にはなれず、そのうちどこかの貴族と婚姻を結ばされてしまうだけ。皇后となった貴女の姿を民として見ながら生きていくなんて、そんなの許せない。だから私は決めたのよ。エドガー様の妻になり、大国で豊かな暮らしをするって」
「でもそれは……私とは関係なくエドガー様がお決めになる事だわ」
「もし貴女が協力してくれるならば、カタリーナ様とお父様がこれまで犯してきた罪について、有力な情報を暴露するわ! どうせ二人は私を良いように使ってばかりなんだもの。私の未来の為には二人を告発する事も致し方ない事よ」
イリナは自分の置かれている状況や立場に納得がいっていなかった。幼い頃からレティシアは皇后付きの女官という誉れ高い地位にいるというのに、イリナは所詮皇帝の愛人の侍女でしかない。
皇后の立場に憧れていた時期もあったが、決して実現しないのであれば……今目の前に降って湧いた大国の王子エドガーの妃という立場はとても魅力的に思えたのだった。
「イリナ嬢、貴女は……。カタリーナ様はともかく……実の父親の事さえも裏切るというのですか?」
レティシアは、信じられないというような面持ちで尋ねる。いくら過去と様々な点で違っているとはいえ、イリナとジェラン侯爵の関係性までもが変わってしまっているのだろうか。
「お父様ねぇ……。貴女の父親に勝てないからって、娘を皇帝の愛人に仕えさせてご機嫌取りをして。それだけに飽き足らず、次々と貴族の男どもに娘を与えてジェラン侯爵派という味方を増やそうとするなんて、ケダモノ以下の人間よ。この国にはもう、愛人とお父様の傀儡となっている皇帝を支持する者などいないというのに」
「まさかそのような……」
レティシアはジェラン侯爵の異常さを身をもって知っていたが、まさか実の娘の事まで道具のように扱い、自身の目的の為には手段を選ばない人間であるという事までは予想だにしていなかった。
「やめてよ、そんな哀れみの目なんて必要無いわ! 私はこんな国からさっさと抜け出して、働かずに豪華な暮らしが出来る地位に上り詰めたいの! どうせ皇帝が退位するのも時間の問題でしょう? そうなればお父様もカタリーナ様も終わりよ。沈んでゆく船に乗ったままでいるなんて馬鹿馬鹿しい!」
壮絶な話の内容の割には、悲しげな表情を一切見せないイリナの言葉をそのまま信じても良いのだろうかと、レティシアは考える。
しかし出鱈目な嘘をついているようにも思えず、イリナがエドガーの妻になりたがっている事に関しては本当だろうと思えた。
元々上昇志向が高いイリナの事だ、今の状況がこの先もずっと続く事に我慢ならないのだろう。それならばこの国を出て、エドガーの妃になった方が良いに違いないと考えたのだ。
そして自分にとって、今そのチャンスがすぐ近くにあるのだと、信じて疑っていないようだった。
「けれど……エドガー様のお妃選びについては私に何の権限も……」
レティシアがそう言いかけた時、イリナのすぐ後ろにあった扉がノックされ、二人は一斉に扉の方を見た。
2
お気に入りに追加
1,938
あなたにおすすめの小説
俺の婚約者は地味で陰気臭い女なはずだが、どうも違うらしい。
ミミリン
恋愛
ある世界の貴族である俺。婚約者のアリスはいつもボサボサの髪の毛とぶかぶかの制服を着ていて陰気な女だ。幼馴染のアンジェリカからは良くない話も聞いている。
俺と婚約していても話は続かないし、婚約者としての役目も担う気はないようだ。
そんな婚約者のアリスがある日、俺のメイドがふるまった紅茶を俺の目の前でわざとこぼし続けた。
こんな女とは婚約解消だ。
この日から俺とアリスの関係が少しずつ変わっていく。
【完結】愛され令嬢は、死に戻りに気付かない
かまり
恋愛
公爵令嬢エレナは、婚約者の王子と聖女に嵌められて処刑され、死に戻るが、
それを夢だと思い込んだエレナは考えなしに2度目を始めてしまう。
しかし、なぜかループ前とは違うことが起きるため、エレナはやはり夢だったと確信していたが、
結局2度目も王子と聖女に嵌められる最後を迎えてしまった。
3度目の死に戻りでエレナは聖女に勝てるのか?
聖女と婚約しようとした王子の目に、涙が見えた気がしたのはなぜなのか?
そもそも、なぜ死に戻ることになったのか?
そして、エレナを助けたいと思っているのは誰なのか…
色んな謎に包まれながらも、王子と幸せになるために諦めない、
そんなエレナの逆転勝利物語。
【完結】妖精姫と忘れられた恋~好きな人が結婚するみたいなので解放してあげようと思います~
塩羽間つづり
恋愛
お気に入り登録やエールいつもありがとうございます!
2.23完結しました!
ファルメリア王国の姫、メルティア・P・ファルメリアは、幼いころから恋をしていた。
相手は幼馴染ジーク・フォン・ランスト。
ローズの称号を賜る名門一族の次男だった。
幼いころの約束を信じ、いつかジークと結ばれると思っていたメルティアだが、ジークが結婚すると知り、メルティアの生活は一変する。
好きになってもらえるように慣れないお化粧をしたり、着飾ったりしてみたけれど反応はいまいち。
そしてだんだんと、メルティアは恋の邪魔をしているのは自分なのではないかと思いあたる。
それに気づいてから、メルティアはジークの幸せのためにジーク離れをはじめるのだが、思っていたようにはいかなくて……?
妖精が見えるお姫様と近衛騎士のすれ違う恋のお話
切なめ恋愛ファンタジー
【完結】その溺愛は聞いてない! ~やり直しの二度目の人生は悪役令嬢なんてごめんです~
Rohdea
恋愛
私が最期に聞いた言葉、それは……「お前のような奴はまさに悪役令嬢だ!」でした。
第1王子、スチュアート殿下の婚約者として過ごしていた、
公爵令嬢のリーツェはある日、スチュアートから突然婚約破棄を告げられる。
その傍らには、最近スチュアートとの距離を縮めて彼と噂になっていた平民、ミリアンヌの姿が……
そして身に覚えのあるような無いような罪で投獄されたリーツェに待っていたのは、まさかの処刑処分で──
そうして死んだはずのリーツェが目を覚ますと1年前に時が戻っていた!
理由は分からないけれど、やり直せるというのなら……
同じ道を歩まず“悪役令嬢”と呼ばれる存在にならなければいい!
そう決意し、過去の記憶を頼りに以前とは違う行動を取ろうとするリーツェ。
だけど、何故か過去と違う行動をする人が他にもいて───
あれ?
知らないわよ、こんなの……聞いてない!
【完結】双子の伯爵令嬢とその許婚たちの物語
ひかり芽衣
恋愛
伯爵令嬢のリリカとキャサリンは二卵性双生児。生まれつき病弱でどんどん母似の美女へ成長するキャサリンを母は溺愛し、そんな母に父は何も言えない……。そんな家庭で育った父似のリリカは、とにかく自分に自信がない。幼い頃からの許婚である伯爵家長男ウィリアムが心の支えだ。しかしある日、ウィリアムに許婚の話をなかったことにして欲しいと言われ……
リリカとキャサリン、ウィリアム、キャサリンの許婚である公爵家次男のスターリン……彼らの物語を一緒に見守って下さると嬉しいです。
⭐︎2023.4.24完結⭐︎
※2024.2.8~追加・修正作業のため、2話以降を一旦非公開にしていました。
→2024.3.4再投稿。大幅に追加&修正をしたので、もしよければ読んでみて下さい(^^)
不憫な妹が可哀想だからと婚約破棄されましたが、私のことは可哀想だと思われなかったのですか?
木山楽斗
恋愛
子爵令嬢であるイルリアは、婚約者から婚約破棄された。
彼は、イルリアの妹が婚約破棄されたことに対してひどく心を痛めており、そんな彼女を救いたいと言っているのだ。
混乱するイルリアだったが、婚約者は妹と仲良くしている。
そんな二人に押し切られて、イルリアは引き下がらざるを得なかった。
当然イルリアは、婚約者と妹に対して腹を立てていた。
そんな彼女に声をかけてきたのは、公爵令息であるマグナードだった。
彼の助力を得ながら、イルリアは婚約者と妹に対する抗議を始めるのだった。
※誤字脱字などの報告、本当にありがとうございます。いつも助かっています。
忘れられた幼な妻は泣くことを止めました
帆々
恋愛
アリスは十五歳。王国で高家と呼ばれるう高貴な家の姫だった。しかし、家は貧しく日々の暮らしにも困窮していた。
そんな時、アリスの父に非常に有利な融資をする人物が現れた。その代理人のフーは巧みに父を騙して、莫大な借金を負わせてしまう。
もちろん返済する目処もない。
「アリス姫と我が主人との婚姻で借財を帳消しにしましょう」
フーの言葉に父は頷いた。アリスもそれを責められなかった。家を守るのは父の責務だと信じたから。
嫁いだドリトルン家は悪徳金貸しとして有名で、アリスは邸の厳しいルールに従うことになる。フーは彼女を監視し自由を許さない。そんな中、夫の愛人が邸に迎え入れることを知る。彼女は庭の隅の離れ住まいを強いられているのに。アリスは嘆き悲しむが、フーに強く諌められてうなだれて受け入れた。
「ご実家への援助はご心配なく。ここでの悪くないお暮らしも保証しましょう」
そういう経緯を仲良しのはとこに打ち明けた。晩餐に招かれ、久しぶりに心の落ち着く時間を過ごした。その席にははとこ夫妻の友人のロエルもいて、彼女に彼の掘った珍しい鉱石を見せてくれた。しかし迎えに現れたフーが、和やかな夜をぶち壊してしまう。彼女を庇うはとこを咎め、フーの無礼を責めたロエルにまで痛烈な侮蔑を吐き捨てた。
厳しい婚家のルールに縛られ、アリスは外出もままならない。
それから五年の月日が流れ、ひょんなことからロエルに再会することになった。金髪の端正な紳士の彼は、彼女に問いかけた。
「お幸せですか?」
アリスはそれに答えられずにそのまま別れた。しかし、その言葉が彼の優しかった印象と共に尾を引いて、彼女の中に残っていく_______。
世間知らずの高貴な姫とやや強引な公爵家の子息のじれじれなラブストーリーです。
古風な恋愛物語をお好きな方にお読みいただけますと幸いです。
ハッピーエンドを心がけております。読後感のいい物語を努めます。
※小説家になろう様にも投稿させていただいております。
裏切りの代償~嗤った幼馴染と浮気をした元婚約者はやがて~
柚木ゆず
恋愛
※6月10日、リュシー編が完結いたしました。明日11日よりフィリップ編の後編を、後編完結後はフィリップの父(侯爵家当主)のざまぁに関するお話を投稿させていただきます。
婚約者のフィリップ様はわたしの幼馴染・ナタリーと浮気をしていて、ナタリーと結婚をしたいから婚約を解消しろと言い出した。
こんなことを平然と口にできる人に、未練なんてない。なので即座に受け入れ、私達の関係はこうして終わりを告げた。
「わたくしはこの方と幸せになって、貴方とは正反対の人生を過ごすわ。……フィリップ様、まいりましょう」
そうしてナタリーは幸せそうに去ったのだけれど、それは無理だと思うわ。
だって、浮気をする人はいずれまた――
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる